【 逆転!?異議申し立て 】
◆RXTd1d7x/I




53 :No.16 逆転!?異議申し立て 1/4 ◇RXTd1d7x/I:07/09/09 20:12:33 ID:UyhYJmUU
 課税ミスだ。
 富樫は下唇をかんだ。固く握った両手がじっとりと汗ばんでくる。
 もう一度だけ検算してみようと見積もりの写しに視線を移しかけ、やめた。
 課税客体は、6,000uを超す物流倉庫。その基礎部分に使用する捨てコンクリートの量を1ケタ違えている。
 誤りは、あまりにも明白だった。
 
 時刻は午後9時を回っていた。市役所税務部のフロアに、人の気配はない。
 致命的な計算誤りを抱えた課税。その起案者である富樫に手を貸そうとする者はいなかった。
 金勘定には過剰なまでにドライで執拗な外資系流通大手のコンサルタントが、
課税明細の確認のためにこのフロアに乗り込んで来るまで、残すところ約16時間。
 相手は、固定資産評価の内容を精査して還付金をむしり取るプロだ。
 手っ取り早い解決手段として提示される異議申し立て。
 その正当性が裁決されれば、後に続くのは再計算に基づく課税の起案、更正処理、還付手続き。
 それらを、同情や軽蔑の入り混じった課内の空気に耐えながらこなさなくてはならない。
 自身に迫られる対応の重みを自覚し、富樫の気持ちは沈んだ。
 
 ふと、背後に人の気配を感じ、富樫は振り向いた。
 同期の山勢貴史が立っていた。
 今年で入庁2年目になる富樫と山勢は、同じく資産税係の所属だが、
家屋の課税を担当する富樫に対し、山勢は土地への課税を担当している。
「帰ったんじゃなかったのか」
 富樫の言葉に構わず、山勢が足元の椅子を引き寄せ、脇に座った。
 思わず、山勢の視線から計算書を隠すように富樫は椅子を滑らせる。
 この男には弱みを見られたくないという思いが、無意識に富樫の身体を動かしていた。
「忘れ物でもあったのか」
 何気ないふうを装い、富樫は言った。しかし、意識がどうしても計算書に向いてしまう。
「ああ。まあな」
 呟くように山勢が言う。
 嘘をつくな。富樫は山勢を睨みつけた。

54 :No.16 逆転!?異議申し立て 2/4 ◇RXTd1d7x/I:07/09/09 20:13:10 ID:UyhYJmUU
 どんな組織でも、人の不幸を想起させるうわさが広まるのは早い。
 その手の臭いを嗅ぎつけることにに長けた山勢のことだ。
 納税者からの突き上げを食らって苦闘している富樫の様子を見物しに来たに違いない。
 こみ上げる嫌悪感と、そして敵意を富樫は飲み込んだ。

 富樫と山勢の確執は、市役所への入庁以来であるといえる。
 もともと、自己顕示欲が強く多弁な山勢と、主義主張を内に抱えるタイプの富樫は、
同じ部署に配属された同期でありながら反りが合わずにいた。
 その潜在的な不協和音が今から1年前、入庁後しばらくたった同期会の席で表面化した。
 きっかけは、ほろ酔い加減の富樫の耳が拾った、滑らかな口調で宴席に響く山勢の言葉だった。
「これからは、自治体税務も情報公開の時代だ。古い制度は見直して、
どんどん新しいものを作っていかなくちゃいけない。そうでないと、市民への説明責任は果たせない」
 数名の同期の前で、演説するように身振りを交えて話す山勢を、振り返った富樫の視線が捉えた。
 同時に、激しい反感が全身を突き抜けていた。
「バカか、お前」
 自分でも意識しない間に立ち上がり、富樫は山勢の目の前に立っていた。
 騒がしかった宴席に、緊張を伴った静寂が落ちる。
「おい、山勢。オレたちが扱っている情報は、公開することが目的なのか」
「いや……。これからの時代には、それは、必要なことだろう」
 そのまま、山勢は黙った。目に戸惑いの色が浮かんでいる。
 その怯えた態度が富樫の苛立ちを増長させた。
「オレたちが心がけるべきなのは、公開に耐えうる情報をそろえることだ」
 山勢に顔を近付け、富樫は言った。
「何の受け売りで情報公開と言うのかは知らないが、目的と手段の混同を正当化するような発言はやめてくれ」
 そして止めを刺すように「不愉快だ」と付け加えた。
 あのとき、あの席でなぜ山勢に詰め寄ったのか、今でも判然としない。

55 :No.16 逆転!?異議申し立て 3/4 ◇RXTd1d7x/I:07/09/09 20:13:49 ID:UyhYJmUU
 普段から目立ちたがり屋で、自らの先進性を無闇に主張したがる山勢。
 富樫とは対照的な彼の自尊心に冷水をあびせて黙らせる、そんな機会を窺っていたのではないか。
 あのとき、後先考えずに振りかざした言葉。その重みを実感できずにいる今の自分を見て、富樫はそう思う。
 その奥底には、何事にも前向きな山勢に対する嫉妬があったのかもしれない、とも。
 その後、同じ部署に身を置く同期でありながら、
ふたりの関係は互いの弱味を窺い合うような、ぎくしゃくしたものになっていた。

「やらかしたらしな」
 山勢の声に富樫は顔を上げた。こいつ、やはり知っていた。
「数字に弱いって、もっぱらの評判だからな、お前は」
 笑みを浮かべた山勢の顔を目にし、敵意が尖っていくのを自覚する。
「黙れ」
「そんなヤツの起案がどうしてそのまま通ったのか不思議だがな。係の中で嫌がらせでもされているのか?」
「いい加減にしろ!」
 あざ笑うような表情を浮かべる山勢の胸倉を掴み、富樫は怒鳴った。
 押さえ込んでいた激情を山勢にぶつけるだけの行為でしかなかったが、自分を抑えることが出来なかった。
「離せ」
 下を向いたまま、山勢が言った。
「お前のことは気に食わんが、オレも課税に携わる人間だ」
「え」
「見せてみろ。計算し直してやる」
 富樫が戸惑った表情を浮かべていると、山勢がぎこちない笑顔をよこした。
「勘違いするな。お前のためじゃない」
「しかし……」
「いいから、貸してみろ」
 見積もりの写しには目をくれず、細かい計算式の整合性を追うように、山勢は課税明細に視線を走らせる。
「この計算。どうしてここでマイナスの補正をしている?」
 山勢の言葉に、富樫は明細を覗き込む。

56 :No.16 逆転!?異議申し立て 4/4 ◇RXTd1d7x/I:07/09/09 20:14:23 ID:UyhYJmUU
「それは、過去に同様の家屋で同じ補正値を使っていたから……」
「数字は正しいみたいだな」
 山勢は頷いた。
「だが、これは公開に耐えうる課税と言えるのか」
 1年前、山勢にぶつけた言葉。それを持ち出され、富樫は狼狽した。
「明日、コンサルタントが説明を求めに来るんだろ」
「ああ」
「なら、逃げるな。前例じゃなく、お前が見出した根拠を提示しろ」
「……」
「お前の吐いた言葉が本心なら、今からこの計算を洗いなおせ。前例や実務提要もいいが、
それに頼り切らない評価の根拠とお前の考えを、言葉にして用意しろ。少なくとも……」
 山勢は言葉を詰まらせ、顔を背けるようにして言った。
「少なくとも、あの時お前に因縁をつけられてから、オレはそれを心がけているんだ。
例え、今回の課税に誤りがあったとしても、
それと向き合う根っこの信念が変わらなきゃ、どこかに活路を見出せる
ミスが埋まらなきゃ、その対応に全力を尽くすための土台くらいは作っておけ」
 今さら検算を試みたところで、結果が変わるはずもなかった。
 だがその時、自分でも驚くほどに気持ちが軽くなっているのを富樫は感じていた。
「分かった」
 富樫は家屋評価用の端末を起動させ、机に向き直った。
 倉庫の設計図面と見積もりのコピーを並べ、製図の段階から評価をやり直す。
 その記載に誤りが無いかと、山勢の真剣な視線が富樫の描く外壁のラインを追った。
「なあ」
「黙って続けろ」
 山勢の厳しい声に構わず富樫は続けた。
「どうして、オレのために戻ってきた」
 しばしの沈黙。ややあって、山勢が口を開いた。
「まあ、同期入庁のライバルを助けてやるのも、たまにはいいかと思ってな」
 先ほど、富樫のためじゃないと口走った山瀬の表情を思い出し、富樫は笑いをこらえた。  【了】



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