【 半歩先の先々 】
◆h1QmXsCTME




28 :No.08 半歩先の先々 1/2 ◇h1QmXsCTME:07/09/09 09:25:45 ID:Jt4J1txs
 ランニングを終えるといつもの河原に下り、今ではたった一人となった好
敵手との恒例となっているスパーリングが始まろうとしていた。
 こいつが現れたのはいつからだろう? 恐らくは随分早い時期。そう、小
学生になるよりも前には隣にこいつが居たのだろう。もちろんそのころはこ
いつを意識なんかしていない。中学校、高校と進んで行く中で少しは意識し
た時期もあっただろう。その時でも周りの人間の方がこいつよりも魅力的で
競うべき相手に思えた。ボクシングを始めたときもそうだった。
 こいつと競うようになったのは何時からだろう?
 まだボクシングを始めた頃、俺には好敵手が何人かいたし、相手にすらさ
れないような雲の上に立っている人もいた。だが、勝ち進んでいく内に好敵
手も一人、二人と減っていき、今ではただ一人。今は俺も雲の上に立ってい
る人間の一人になった。いや、もう一段上かも知れない。
 (そうだ。確か世界タイトルを獲った時だ)
ベルトを腰に巻いて歓喜している俺にこいつは確かにこう言った。
「こんな事で喜ぶな。お前より強い奴はきっと現れる。現に俺はもうお前の
半歩先だ」
その言葉を聞いた俺は、それは間抜けな表情をしていたに違いない。そして
自分の力を微塵も疑っていなかったはずだ。事実、その時俺はこいつの言葉
を信じていなかった。
 こいつはそれまでは俺を抜く気配は微塵もなかった。いつも俺の後か側に
居てただ俺と同じ動きをしていたはずだ。スパーリングも、こいつを相手に
したことはなかったが、追い越されるなんて夢にも思わなかった。
 ところが実際スパーリングしてみると、悔しいことだが、確かに俺の半歩
先なのだ。しかも俺と戦い方のスタイルや得意なパンチまでも同じなのだか
ら尚のこと悔しいのだ。
 「準備はいいか?今日も勝って、勝ち越させて貰う」
こいつは頷く代わりに拳を構えた。これでこの台詞は何回言ったのだろうか。
今までこいつに二連勝したことは一度もない。

29 :No.08 半歩先の先々 2/2 ◇h1QmXsCTME:07/09/09 09:26:14 ID:Jt4J1txs
 風が頬を撫でる。一枚の木の葉が目の前を舞っていった。と同時に踏み込
み一気に距離をつぶす。相手のジャブが顔を掠めた。懐に潜り込んだ体を回
転させ、右フックを脇腹にねじ込もうとする。が、当たらない。代わりにジ
ャブが飛んでくる。かわすと、いつの間にか距離を詰められている。右スト
レートが目の前に迫っていた。間一髪で頭を下げる。頭上の空気が割れた様
だ。下には左フックが。頭を素早く上げると同時に右ストレートをお見舞い
する。が、かわされる。絶妙なフットワークからフックが繰り出される。か
わすとこちらもフックを繰り出す。フックとストレートの応酬となった。空
気を切り裂き、鋭さが増していく。
(カウンターが来る!)
相手の右拳がピクリと動いた。その瞬間、体ごと横回転を縦に切り替える。
相手のカウンターが空を切った。
 俺の拳はこいつの顎で寸止めされている。渾身のアッパーは完璧に決まっ
た。風に撫でられ河原の草がざわめいている。
「俺の……勝ちだな」
「ああ」
「やっと半歩だけ先に踏み出せたぜ。三日後は防衛戦だ。これで心おきなく戦えるぜ」 
こいつは何か嬉しそうに笑っていた。
 三日後、防衛戦で勝ち名乗りを上げたとき、やはりこいつは現れた。
 KO勝ちに奮い起こされたような歓声に包まれるリングの中、こいつは
周りとは違う笑顔をしている。
「こんな事で喜ぶな。お前より強い奴はきっと現れる。現に」
「現に俺はもうお前の半歩先だ。だろ?分かってるよ。またお前を越えてやる」
この好敵手が居る限り最強にはなれない。そして俺はまだ強くなれる。こい
つの先に今より強い自分がいる。
 控え室の鏡に向かって一人呟く。
「お前が半歩先にいる。俺は半歩先の先へ」
あいつはあの嬉しそうな笑顔をしている。
「それなら俺はその先だ」
そう言われたような気がした。



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