【 目標と壁 】
◆5TYN0TTM3Q




6 :No.02 目標と壁 1/3 ◇5TYN0TTM3Q:07/09/08 10:28:08 ID:CF41ONQn
 毎日しつこくまとわりついてくるような雨が降り注ぐ、六月。サークルの部室で、俺の脳みそが一
瞬、活動を止めた。和義から彼女ができたと報告を受けたのだ。"彼女ができた"ことはどうでもい
い。その相手が問題なのだ。俺がこのサークルに入ってから二ヶ月、幾度か軽いアタックを繰り返し、
そろそろ落とせる頃かなと思っていた女性だった。まただ。和義には、いつもここぞというところで
邪魔をされる。

 和義とは家が近所ということもあり、子供の頃からの付合いがある。自分で言うのもなんだが、成
績がよく、運動ができ、なんでもそつなくこなせる俺とは対照的に、和義は勉強ができない運動音痴
で、不器用だった。友達が少なかった和義は、日本列島にまとわりつく梅雨前線のように、しつこく
俺に付きまとっていた。邪魔に思うこともあったが、何をしても怒らずに笑っている和義を、俺は子
分のように扱ってきた。
 あれは中学二年生の球技大会のことだ。種目はサッカー。当時俺はサッカー部に所属し、先輩連中
を押しのけてレギュラーになっていた。そんな俺の所属するクラスは、とうとう決勝戦を迎える。今
までの試合は俺の活躍で勝ち抜いてきたが、今回は上手くいかない。俺のシュートがなかなか決まら
ない。0対0で後半残り一分。数合わせで試合に出ていた和義のところへボールが転がる。不恰好な
フォームで和義がボールを蹴る。校庭の整備されていない凹凸がボールに微妙な変化を与えたのか、
相手のゴールキーパーは反応もできなかった。鳴り響く試合終了を告げる笛の音。その劇的な勝利に
和義を称えるクラスメイトたち。男子に背中を叩かれ、女子から黄色い声を浴びるその日限りのヒー
ローが、気恥ずかしそうに笑っているのを、釈然としない思いでただ眺めていた。
 そして、高校生。俺は、ただ近いからという理由だけで近場の都立高校を選んだ。あの和義でも入
れる高校なのだから、たかがしれている。高校なんか関係ないのだ。大学さえいいところへ行けば誰
も文句は言わないだろう。余裕で学年一位の成績を修め続けた俺は、親と教師の期待を一身に背負い、
日本で一番"頭がいい"と言われる大学を目指すことになった。学部はどこでも良かったが、特に数
学が得意だったので、理系の学部でいいかと考えていた。周りが受験を意識し始めた頃、和義が俺と
同じ大学に行きたいと言ってきた。こんな高校で下の中の成績の和義が、だ。まあ、奴もすぐに現実
を知ることになるだろうと思っていた。夏の終わりの模試の結果。俺は当然A判定だ。和義が純朴な
笑顔で模試の結果を伝えてきた。和義の合計点数は俺のそれを上回っていた。

7 :No.02 目標と壁 2/3 ◇5TYN0TTM3Q:07/09/08 10:28:36 ID:CF41ONQn
「裕介? どうしたの?」
 和義の声で時間が戻る。部室のアナログ時計が刻む一定のリズムが、やけにうるさい。昔からの無
邪気な顔で不思議そうに俺を見つめる和義に、俺はいつもの余裕の笑顔を向ける。
「やったじゃん、良かったな」
 負け犬の遠吠えを繰り出すわけにはいかない。いつもと同じように、和義には俺の方が上の立場だ
ということを示さなければならない。
 俺にも高校の頃から付き合っている彼女はいる。周りに自慢できるほど可愛く、性格も良い。だが、
和義が手に入れたそれと比べると見劣りする。告白が上手くいったら、今の彼女とは別れる予定だっ
たのに。またも邪魔をされた。

 二年後、俺はある研究室へ進んだ。和義は、当然のように俺についてきた。研究室での和義の評価
は最悪だった。単純なミスを繰り返し、教授や助教授たちを困らせる。フォローをするのは俺の役目
だ。そうすることで、俺は優位を保てるのだ。
 ある日、和義が大発見をした。その発見は和義を、ただの雑用係から教授の共同研究者へとランク
アップさせた。アメリカで行われる学会での論文発表へと、教授とともに旅立つ和義は、気恥ずかし
そうに笑っていた。またか。また、俺はあいつに勝てなかった。
 その後、和義は研究を続けるために院へ進み、俺は大企業の研究所へ就職した。お互いに忙しく、
連絡の回数は減った。実際に顔を会わせたのはお互いの結婚式くらいで、その後は年賀状を交換する
程度の間柄になっていった。

 突然の報せが飛び込んできたのは、俺の結婚式から四年経った頃のことだった。和義が交通事故で
死んでしまったのだ。俺には特になんの感慨も生まれなかった。ああそうか、といった程度の気持ち
にしかならなかった。

8 :No.02 目標と壁 3/3 ◇5TYN0TTM3Q:07/09/08 10:29:06 ID:CF41ONQn
 鬱陶しくまとわりつく六月の雨の中、和義の葬儀は執り行われた。会場では、夭折した偉大な科学
者を哀調する声が渦巻いていた。それとは対照的に、子供の頃から何も変わっていない、無垢な笑顔
を固持し続ける和義の遺影。
 呆っと、その光景を眺めていると、和義の妻――あの、大学で同じサークルだった彼女――から話
しかけられた。和義がいつも俺のことを話していたという内容だった。俺のことをずっと尊敬してい
たというのだ。俺と同じように勉強ができるようになりたい。運動ができるようになりたい。
――俺と同じようになりたい。和義は、ずっとそう思っていたのだ。

 その時になって、ようやく気づくことができた。いや、本当はずっと分かっていたんだ。ただ、俺
の馬鹿らしいプライドが邪魔をしていただけだ。俺は和義の目標で、和義は俺の壁だった。お互いに
高めあう関係だったんだ。

 もし、和義がいなかったら、俺はどうなっていたのだろう?
 あの球技大会のあと、俺はそれまで適当に練習していたサッカーに真剣になり、チームを率いて県
大会で優勝することができた。高校受験のとき、A判定とはいえギリギリの点数だった俺は、和義に
負けるまいと必死で勉強した。大学の研究室で和義の活躍を羨んだ俺は、必死で論文を書き、それな
りに高い評価を得て、それが元で今の研究所にいる。
 高校の頃から付き合っていた彼女との間には、ニ歳になる愛娘がいる。妻は俺の全てを理解し、受
け入れてくれる。今ではこいつと結婚して良かったと心の底から思える。もし、あの大学一年生の六
月、和義が高嶺の花を摘み取ることがなかったら、どうなっていたのだろう?

 棺おけの上の方で相変わらず笑っている和義に顔を向ける。今度は心の底からの笑顔を。
「なあ、和義。俺たち、良いライバルだったよな」                  (終)



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