【 運命 】
◆M0e2269Ahs




53 :No.14 運命 1/5 ◇M0e2269Ahs:07/09/03 00:59:18 ID:LzGzdCYB
一体何故、俺はこうなってしまったのだろう。
 何度問いかけたかわからない思いを、また心の中で呟いた。辺りの闇に溶け込んだように暗い心から、答えなど返ってくるはずなかった。ただ、そうなったから。としか言いようがない、嘆かわしい運命。
俺が、俺を認識し始めた頃から、もはや逃げることも抜け出すこともできなくなっていた。
 一体何故――。
 がんじがらめの環境。俺にできることは、ただひたすら孤独に耐え、待つことだけ。
 何を待っている――。
 この身が果てて、生まれ変われるその日を。生まれ変われるその日を、ただひたすら待っている。今度、生まれてくるときは、もっと幸せな環境に。多くは望まない。ここではないどこかで今の俺ではない俺に生まれ変わってくれればいい。
 ああ、生きていながらにして来世の幸せを願うことしかできないなんて。嘆かわしいどころか、虚しくなってくる。
 何もできない自分が、あれこれと考えたところで、どうにもならない。どうにもならないのなら、何も考えないでいる方がいい。そうだ。これも何度も考えた。それなのに、俺は女々しくも自分の運命がどんなに不幸で悲惨なのか嘆き繰り返しているのだ。
 くだらない。本当にくだらない。
 そのとき、何か音が聞こえた気がした。それと同時に目の前に淡い光が浮かんだ。
 次の瞬間に、ピピッと音が聞こえたと思ったときには、俺は体が落下していくような感覚に見舞われていた。
 何が起こった?
 ああ、そうだ。これは……これは、俺が死ぬときが来たことを知らせる合図なのだ。
 ついに……ついに始まるのだ

54 :No.14 運命 2/5 ◇M0e2269Ahs:07/09/03 00:59:38 ID:LzGzdCYB
目覚まし時計を止めるべく伸ばされた手は、逸れることなく正確にその頂を捉えた。
ベッドの中から転がり落ちるように出てきた男の顔つきは、つい先ほどまで夢の中を彷徨っていたのだとは思えないほど精悍としていた。
それもそのはず。男は、ベッドにこそ入ってはいたものの眠ってなどいなかった。否、眠りにつく余裕などなかったのだ。
しかし、不眠不休で活動することができる機械とは違う人間には、少なからずの休息は不可欠である。
そのため、男はベッドに入った。これからのことを考えると、体を休めておいた方がいい。それもわかっていた。
だが結果として、もしものためにセットしておいた目覚まし時計は、ものの二秒も鳴くことはなかった。休息の効果のほども定かではない。
そして、それは男にとってどちらでもいいことだった。今、男の頭の中にあるのは、ただ一つ。任務の遂行と、その達成だけだった。
 男が遂行する任務――それは至ってシンプルだった。
 地下鉄のロッカーの中から、ブツを入手。それを、そのまま終点の駅のロッカーに運ぶ。そして、そのロッカーの中のブツと交換し、また最初の駅のロッカーに戻す。
それだけのことだ。護衛する対象もいなければ、襲撃に遭う可能性も極めて低い。
 相手が人間なら、起こり得る可能性は飛躍的にあがる。しかし、今回男が相手をするのは、逃げもしなければ襲いもしないロッカーだ。
移動手段も確保されていて、路線図と時刻表で確認した結果、往復にかかる時間は、およそ二十五分。行動時間を含めても三十分ほどだろうか。
なんてことのない、子供のお使いのような任務なのだ。
 ならば何故男は、ものの三十分で済むような任務に睡眠を妨げられるほど緊張しているのか。
 これも、簡単なことだった。
 端的に言うと、最初に男が手にするブツは札束だった。そして、それと交換に男が手にするブツは、あろうことか爆弾だったのだ。その両方が、何の変哲もない小さな箱に収められている。札束はもちろん、爆弾もだ。
男が、依頼主についての情報を得る権利はない。それが、男の所属する組織――いわゆる何でも屋の特色でもある。これまでにも数々の危険を冒し、成功してきた実績はある。
だが、爆弾を扱ったことは一度もなかった。男にとって、誰が麻薬の被害に遭おうが銃で撃たれて殺されようが、そんなことはどうでもよかった。それは自分の蚊帳の外での話だからだ。しかし、爆弾となると話は変わってくる。
 もし、何らかの事故に巻き込まれ爆弾が爆発するようなことがあれば、爆弾の一番近くにいる男は確実に死ぬだろう。
また、依頼主が何の目的で爆弾を入手したがっているのかはわからないが、地下鉄を爆破するテロ活動が狙いの可能性もないとはいえない。
そのような不安が、男の心臓を大きく揺さぶるのだった。銃や麻薬が、ひとりでに動き出して命を奪うことはない。
しかし、爆弾ならばある。時限爆弾でも、遠隔操作でも方法はいくらでもある。ましてや、男が一番危惧しているテロ活動が依頼主の目的ならば、これほど簡単なテロ活動はない。
 ただ、どれだけ男が不安に思おうと、どれだけ男が危惧しようと、変わらないことがあった。男には、任務を遂行し達成する以外の選択肢はないということ。組織に所属する一介の構成員でしかない男に、はじめから拒否権などないということだ。


55 :No.14 運命 3/5 ◇M0e2269Ahs:07/09/03 01:00:23 ID:LzGzdCYB
あれこれと考えすぎてしまうところは、何でも屋を請け負う組織に所属する構成員としては、不向きな性格とも言えることだろう。結局は、やるしかないのだ。それが、どれほど不気味で危険を伴うとしても、男はやるしかないのだ。
 こんなとき、男が決まって口ずさむ言葉があった。
「これが運命だ」
 何でも屋という、裏社会でしか存在意義をなしえない組織に所属したこと。所属するしか道がなかったこと。
 これは男自身が歩んできた人生に拠るところが大きい。それも自らが好きで選んできた道でもある。
表社会に馴染めなかった自分の不甲斐なさを覆い隠すように膨れ上がった裏社会でのプライド。
それを今更捨てることなどできるわけがない。男は、そう考えていたのだ。裏社会でしか生きられない自分には、あって当然の運命なのだ、と。
 ベッドから起き、スーツに身を包んだ男は、ベッドに座り目覚まし時計の秒針を見つめながら煙草を燻らせていた。
 灰皿には、既に多くの煙草が腰を折り、灰にまみれている。男が任務を遂行する駅の、すぐ近くに建てられたビジネスホテル。今日の朝にチェックインをしたときにロビーで煙草を買った。
それから一時間が経過した。その短時間の間に、すでに灰皿には煙草がスクラップ工場の如く山積みされていた。
普段も煙草を吸うには吸うが、今日に限ってはとまらなかった。それは男の胸中の現れでもあった。
 目覚まし時計の分針が、午前十一時を指した。任務の遂行に指定された時間は、午前十一時から午後一時。
充分な時間があった。フィルター付近まで火が回り火種が絨毯の上に落ちた。
男は、それを見つめていた。火種の形に沿うように黒い縁取りが表れてくる。
 男は、思い出したようにスリッパを履いた足で火種を踏み潰すと、そのまま立ち上がった。
一般人を装うために用意したアタッシュケースを片手に、男は部屋を後にした。
 ビジネスホテルから、地下鉄までは徒歩三分。男は、前のみを見つめながら颯爽と歩みを進めた。
ちょうど昼の時間だった。駅構内は、食事処を求めてか沢山の人間が行き交っている。事前に購入しておいた共通カードを通し、改札を抜けた。
人が多いにも関わらず、男の颯爽とした歩みは、駅構内でも変わらなかった。
どこでも見かけることができる紺のスーツを着込んではいるが、一九〇はあろうかという上背に、見るからに逞しい体格は隠しようがなかった。
そして、何よりも他を威圧する眼光。男には、その意志はまったくないのだが、すれ違う者すべての視線を釘付けにし、萎縮させた。
 最初の目的地であるロッカーに辿り着いた。アタッシュケースを左手に持ち替え、スーツの右ポケットから鍵を取り出す。その間さりげなく周囲に目を配った。
こちらに注目している者はいない。男はそう判断した。鍵穴にキーを差し込み、ロッカーを開いた。中には紙袋が入っていた。ロッカーに手を入れながら中身を確認した。
長方形の小さな箱が入っている。ちょうど、高級チョコレートが入っている箱ほどの大きさだ。それ以上の中身の確認はしない。
これは依頼主に言われなくても守るべき義務である。中身がある、ない、どちらの場合でも触らないに越したことはないからだ。
 紙袋をアタッシュケースとまとめて持ち、ロッカーを閉じた。また横目で周囲の様子を窺うと、男はきびきびとした足取りで歩き始めた。

56 :No.14 運命 4/5 ◇M0e2269Ahs:07/09/03 01:01:11 ID:LzGzdCYB
 程なくしてホームに到着した地下鉄に、男は他の客となだれ込むように乗った。その原因になったのは、男が強引に他の客を押し込んだからなのだが、
男はまったくそれに気づいていなかった。ドアの前に位置取り、男は仁王立ちをするが如く立ち尽くしていた。今の段階では危険はない。問題は札束と爆弾を交換してからだ。
といったことが男の頭の中には浮かんでいた。地下鉄が走り出してからは、周囲の乗客の様子を探ることに集中しようとした。が、やはり気になるのは爆弾を手にしてからのことのようで、
あれこれと考える悪い癖が出てしまっていた。鼓動が早まる。煙草を吸って落ち着きたいと男は思った。
 終点に到着するまでの間、男は周囲の乗客の様子を探ることも忘れ、爆弾のこと、そして落ち着くことを考えていた。変に周囲を意識して挙動不審になってしまうと、ただでさえ目立つ男がさらに目立つ。
もし何かがあったときに怪しい男としての印象を持たれるのはまずい。そういう意味では、男が周囲の乗客の様子を探れなかったことは正しいことだったかもしれない。
 ドアが開くと同時に男は真っ先に降りた。先ほどの駅よりは人が少ない。おかしな行動を取ると、それだけ目立つ。男は心持ゆっくりと歩き出した。やがてロッカーが見えてくる。
周囲の様子は窺うまでもなかった。それほど人は少ない。男は、ためらいもせずにスーツの左ポケットから鍵を取り出し、鍵穴に差し込んだ。先ほどと同じく、中には紙袋が入っていた。
その中に爆弾が入っていると思えば、自然と男の手つきは慎重になった。ゆっくりと紙袋を取り出し、札束の入った紙袋を中に入れる。ロッカーを閉めて、紙袋の中を覗いた。
指輪ケースを二周りほど大きくした具合の正方形の箱が見えた。男の鼓動は、またも高ぶった。
 すぐさま踵を返し、ホームに戻った。一刻も早く任務を終わらせたい。そう男が思うのは当然のことだった。男が焦っても、時間が早く進むわけではない。
中々到着しない地下鉄に痺れを切らしながらも、男はじっと痛みに堪えるように地下鉄を待った。数分後、ようやく到着した地下鉄に男は平静を装いながらも我先にと乗り込んだ。自分の鼻息が荒くなっていることには気がつかなかった。
先ほどと同じくドアの前に立った。まさかとは思いこそすれ、爆弾が爆発するかもしれないという不安は速度を上げる地下鉄に比例して膨れ上がっていった。
 しかし地下鉄はきっちりと各駅停車をこなしていく。爆弾を手にしている男にとって、これほどもどかしいことはない。だが、その間が男を少しだけ冷静にさせた。周囲の目を気にする余裕ができたのだ。
肩に入っていた力をほぐすように上下させた。深く深呼吸もした。さりげなく周囲の様子を探る。男を気にしているような乗客はいない。怪しげな人物も視界には入らなかった。
 それは次の駅でも、その次の駅でも同じだった。乗り降りする乗客はいても、こちらを気にしている乗客も怪しげな人物もいなかった。男は安堵していた。あと一駅。あと一駅待ち、ロッカーにこれを戻せば任務が終わる。
男は自分に言い聞かせるように、心の中で何度も繰り返した。
「あぁ〜! うさぎさんがいるぅ〜!」
 平穏になりつつあった男の鼓動が、唐突に聞こえてきた声に妨げられた。男のすぐ足元に、どこから現れたのか四、五歳ほどの女の子が立っていた。あろうことか、爆弾が入っている紙袋を触りながら。
「触るんじゃねぇ!」
 男は、女の子の手を振り払いながら声を張り上げていた。それは、ほぼ無意識のうちの行動だった。我に返ったとき、男はしまったと思った。
 案の定、女の子は大声をあげて泣いてしまった。女の子の後を追ってきたのか、母親らしき女性が隣の車両から現れ、泣き叫ぶ女の子を抱きしめた。


57 :No.14 運命 5/5 ◇M0e2269Ahs:07/09/03 01:01:27 ID:LzGzdCYB
周囲の乗客の視線と女の子の泣き叫ぶ声、それをなだめる母親らしき女性の優そうな声を、男は無視してドアの前に突っ立っていた。
周囲の乗客にとまどう顔を晒しながら、泣き叫ぶ女の子とその母親らしき女性に謝罪をするのは、ためらわれたからだ。
 申し訳ないと心の中では呟いた。だが、男にはそれよりも優先すべきことがあった。地下鉄は、もうすぐ駅に着く。時間を掛けている余裕はないのだ。
もう、この仕事は辞めようか。男の心の中に浮かんできた思い。しかし、それはすぐに否定した。今更、選ぶ道などないのだ。
「これも運命だ」
 誰にも聞こえないような小さな声で、男が呟いた。まもなく、ドアが開いた。
 男は来たときと同じように颯爽と歩みを進め、ロッカーへと向かった。途中、小銭入れから百円玉を取り出した。ロッカーにつくと右上の空いていたロッカーにすぐさま紙袋を入れた。
そのとき、紙袋のロゴが男の目に入った。うさぎの顔のシルエットだった。
 紙袋の片隅にあったので男は今まで気づかなかった。あの女の子のことを思い出した。男は、ひとつ大きなため息をついた。ロッカーを閉めて百円玉を入れると、男は鍵を抜き取った。
そのまますぐに、改札へと向かった。
 無事、改札を抜けた男は、近くのコンビニのベンチに腰を下ろしていた。任務を達成したというのに、その顔はどこか晴れない。ベンチの隅に置いていたアタッシュケースから、煙草を取り出した。最後の一本だった。
火をつけて、大きく吸い込む。心臓の鼓動は、まだ落ち着くには至らなかった。男はぼんやりと街行く人たちを眺めていた。
 ちょうどそのとき、駅の方から女の子と女性が歩いてくるのが目に入った。男は、思わず立ち上がっていた。あの女の子だったのだ。女の子は泣き止んでいるようだったが、
どことなく浮かない表情をしているように見えた。男は自分が信じられなかった。裏社会で生きていたはずの自分が女の子に謝りたいと思っていること。
 そして、おそらくまだ、自分は自分の人生を諦めたくないと思っていることに。
 男は、煙草を捨てて足で消した。空になった煙草の箱をゴミ箱に投げ捨てると、アタッシュケースを抱え女の子の方に駆け出して行った。
                            ◇
 たった今、俺の短い人生は終わったも同然となった。
 あの音と共に光の中へと叩き落された俺は、一人の男の手に渡った。
 そして無残にも中身を奪われ、俺が俺である意義をも奪われていった。それも恐ろしいほどの早さで。
 最後には、その男にも捨てられて、今俺はコンビニ弁当の箱と共に互いの人生の儚さ、運命の惨めさについて語り合っている。
 先ほど、今度生まれ変わるときは、俺ではない俺になれればいいと言っていたが、あれは訂正する。
 今度生まれ変わるときには、あの男のような人間を苦しめるような存在に生まれ変わりたい。
 そして、ほんの数時間でお役御免となってしまう煙草の箱などには、二度と生まれたくない。
                                                  おわり



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