【 カッサンドラの箱 】
◆BLOSSdBcO




37 :No.9 カッサンドラの箱 1/5 ◇BLOSSdBcO.:07/09/03 00:47:27 ID:LzGzdCYB
大きな窓の外は、見ているだけで汗が吹き出るほどに眩しく。
「ようダイキ、待たせたな」
 しかし薄い透明な壁に隔てられた店内は、強すぎる冷房に冷えきっていた。
「これから用事あるんで、早めにお願いします」
 大樹は、タンクトップから伸びた太く長い腕を擦る。
 テーブルを挟んだ向かいに、下半身と服装と車で出来た男が座った。
「ほらよ、先週分だ」
 封筒にすら入っていない、むき出しのままの札束。十万ほどだろうか。大樹はそれを受け取ると、伝票を
持って席を立った。
「珍しく急いでるな。……女か?」
「家族が様子見に来るんですよ」
「ちっ、つまんねぇ」
 大樹は無理矢理呼び出してきた男に軽く頭を下げ、レジに向かって歩き出した。
「今晩も頼むぜ、カッサンドラ」
「……ええ」
 からかうような口調に、振り向かず答える。
「――――死んじまえ」
 会計を済ませた後、誰にも聞き取れないような小声で呟いた大樹は、地獄の門が自動ドアだと知った。

 額の汗を拭いながら築二十年のオンボロアパートに辿り着くと、部屋の前に汗だくの少女が倒れていた。
「ここは南国、沖縄、ハワイ。この暑さはギラつく太陽、汗の味は潮の香り……」
 大きなボストンバッグを枕に虚ろな眼でうなされるのは、大樹の妹、杏樹。
 この春高校に進学したばかりの十六歳。スリーサイズは上から■■、●●、▲▲と今後の成長に期待したい
数値である。
「あ。今、一次元上に干渉出来た気がします……」
「電波な事言ってないで、さっさと起きろ。部屋に入れん」
 乱雑に言いながらも、杏樹の汗を拭き取り起き上がらせる大樹の顔は、優しく緩んでいた。


38 :No.9 カッサンドラの箱 2/5 ◇BLOSSdBcO.:07/09/03 00:47:43 ID:LzGzdCYB
「約束を忘れて炎天下に妹を放置した鬼のお兄様、お帰りなさい」
「鬼の住処に泊まりたくなければ帰っても良いんだぞ?」
「私も鬼になるので大丈夫です」
 大樹に抱えられ狭い玄関を潜りながら杏樹は微笑む。大樹は嬉しいながらも照れくさく、頬を赤くしながら
扇風機のスイッチを入れた。クーラーなどというブルジョアジーな代物は無い。
「下らん用事に付き合わされてな。牛乳で良いか?」
「そんな社交性があるとは驚きです。第一候補が牛乳の時点で他の物は期待しません」
 冷蔵庫から一リットルパックのまま出された牛乳を、杏樹は一気に飲み干す。口の端から零れた白い水滴が
細い首を伝って胸元へ落ち、大樹は肌を大きく露出した衣装にドキリとさせられた。
「実の妹を視姦しないで下さい。訴えますよ」
「せめて歳相応の大きさになってから言え……悪かった。謝るから、催涙スプレーを構えないでくれ」
 頬を膨らませて拗ねる妹に、大樹は久しぶりの笑顔を浮かべる。
 昔のままの兄の優しい笑みに、杏樹は安堵の溜息をつく。
「お盆にも帰ってこないから、少し心配してたんです」
「まあ、色々あってな。たかが半年じゃ何も変わらないさ」
 自嘲気味に言う大樹に、杏樹はやはり何かが変わってしまったのだと知った。

 深夜。一人暮らしの兄の為にと練習した杏樹の手料理で数ヶ月ぶりに食欲をそそられ、食べ過ぎて膨らんだ
腹を抱え大樹はアパートを抜け出した。夜風は夏の終わりを告げるように涼しい。
 今頃、大樹のベッドはパジャマ代わりに大きなTシャツだけを羽織った杏樹が占拠しているだろう。
「はっ。まったく、調子狂うなぁ……」
 一人暮らしを始めてから半年。初めて愛想笑いじゃない笑顔を見せた。初めて料理を美味いと感じた。
 棄てたハズのモノの暖かさ、優しさ、嬉しさに、大樹は後ろ髪を引かれる思いになる。
「ダイキ、遅ぇぞ!」
 しかし現実という冷酷な悪魔は感傷など許さず。大樹を高級車の中へ招く。
「今日は三人。女社長とキャバクラのママと良いとこのお嬢様だ」
「そうですか」
 国内随一のメーカーが、VIPを乗せる為に作った車。それを運転することで自分の価値が高まったつもりの
男など、大樹にとってはゴミに等しい。否、大きな顔で他人に迷惑をかけるだけゴミにも劣る。
「ほれ、今日も頼むぜ。せいぜい不安を煽ってやんな」

39 :No.9 カッサンドラの箱 3/5 ◇BLOSSdBcO.:07/09/03 00:48:58 ID:LzGzdCYB
そう言って下品で下劣で劣悪かつ醜悪な笑みを浮かべる男が差し出した携帯電話を受け取った。
「――もしもし」
『あ、あの。私の仕事運を占って欲しいんですが……』
「では、名前と生年月日を教えて下さい。ただし、占った内容は決して信じないで下さい」
『はい。宮本恵理香、一九七一年の三月五日生まれです』
「――――分かりました。貴方は三日以内に小さな失敗をし、とても落ち込みます。その失敗は一年以内に
貴方の運命を大きく左右するでしょう。悪い方にも、良い方にも」
『えっと、それで、どうしたら良いんでしょうか?』
「細かい事はメモに取るので、後はアシスタントに聞いてください」
 大樹は嘘をついた。占った内容が、ではない。
 大樹が予言するのに相手のプロフィールなど一切必要ないのだ。顔を見る、声を聞く、触れる。直接に知覚
しさえすれば、大樹には相手の未来が分かる。
 本人が望まずとも、見たくないものを見させられるのだ。
「料金の方は二十万円になります。予言を的中させるための注意事項などはお支払いの際に……」
 運転席の男が、でたらめの注意事項を書きながら言う。誰にでも当てはまるような指摘、誰もが不注意で
破ってしまいそうな禁則。信じさせておいて、当たらなくても自分達の責任ではない、と言い逃れる為に。
「チョロイねぇ。おし、次だ」
 こうして、大樹の予言は金を稼ぐ手段になっていた。切っ掛けは、男が楽に儲ける手段を探していたことと、
男の後輩に金欠の預言者と噂される大樹がいたことだ。大樹の予言が本当に当たるかどうかなど関係無い。
商売を軌道に乗せるまで、当たると思っている人間がいれば良いだけなのだから。
 ――皮肉にも、当たると思わなければ当たる予言だというのに。
 商売的にも便利なその売り文句から、いつしか大樹の演じる占い師は、誰にも信用されなかった預言者、
カッサンドラと呼ばれていた。

 三人目に未来を告げた後、大樹はシートにもたれ掛かって溜息をついた。
 予言自体はただ喋るのと変わらず、肉体的な疲労はない。ただ、いくら実家を飛び出して一人暮らしを始め
金に困っていたとはいえ、人を騙すような真似をしている罪悪感が大樹を苦しめた。そもそも小遣い稼ぎに
学内の知人を占っていただけなのだが。
 金の匂いを嗅ぎ付けるハイエナ、他人を傷つけることなど何とも思わない男が、大樹に携帯を差し出す。


40 :No.9 カッサンドラの箱 4/5 ◇BLOSSdBcO.:07/09/03 00:49:19 ID:LzGzdCYB
「もう一人、飛び入りだ。ツテはねぇが最初に配ったチラシのチケット持ってやがる。無料優先券って、なぁ?」
 過去の自分の子供じみた販促に苦笑する男。大樹はもう一度溜息をついて受け取った。
「――もしもし」
『貴方が、信じたら当たらない占い師さん?』
 その声に。大樹は三度目の溜息をついた。
 杏樹だ。
(あのチラシ、部屋の隅に置きっぱなしだったな……)
『カッサンドラって素敵な名前。私はネーミングセンスが無いから羨ましいです』
 杏樹も緊張しているのだろう。珍しく饒舌だ。
「おい、どうせタダなんだ。さっさと済ませちまえよ」
 運転席の男に急かされ、大樹はしぶしぶといった様子でテンプレートを語る。
「名前と生年月日を教えて下さい。ただし、占った内容は決して信じないで下さい」
『小林杏樹。平成三年六月六日、悪魔の日に生まれました』
「……占って欲しい内容は何ですか?」
 妹のプライベートを覗くようで、いつにも増して罪悪感が大樹を締め付ける。
『私の、私と好きな人がどうなるか、です』
 大樹は叫びだしたくなった。自らの脳裏を過ぎった光景に。
 かつて、実家にいた頃、自分を苦しめ続けた未来に。
 大樹は、妹の未来を予言するのが怖くて、地元では自分の能力をひた隠しにしてきた。それだと言うのに、
逃げ出した先で再び突きつけられるとは。
『聞こえてますか? それとも占えないんですか?』
 むしろ、そうであって欲しいと願うような声。不安なのだろう。絶望的な内容を告げられた場合、信じなければ
叶ってしまう。理想的な内容を告げられた場合、信じれば叶わない。どちらにせよ、ロクなものではない。
 何故、そんなものにまで縋りたがるのか。大樹は躊躇いながらも、まるで荊のような言葉を紡ぐ。
「――貴方と、貴方の好きな人は。
 ――――許されない関係であるが故に、強く愛し合い。
 ――――――最悪の結末を迎えるでしょう」

41 :No.9 カッサンドラの箱 5/5 ◇BLOSSdBcO.:07/09/03 00:49:48 ID:LzGzdCYB
『そうですか。良かった』
 わずかばかりの逡巡もなく、即答する杏樹。大樹の言葉の重苦しさを吹き飛ばすかのように。
『お兄様と愛し合えるのなら、最悪の結末なんて有り得ません』
 どこまでも嬉しそうに。歌うように、軽やかに。
『だって、最愛の前には最悪なんて塵芥の如し、ですもの』
 恐らくは、占い師が誰かを悟った上で、そう告げて。杏樹は電話を切った。
「……終わったか?」
 退屈そうに手を伸ばす男。その手に携帯を置いた大樹は無言のまま車を降り、家路についた。
 りりりりっ、と気の早い秋の虫が暗闇に響く。昼間の気温が嘘のように、心地よい風が頭を冷やす。
 コンビニで小さなパックの牛乳を買って一気に飲み干し、大樹は溜息をついた。
「信じてるじゃねぇか、馬鹿」
 先ほどの予言である。
 最悪の結末、というのは大樹の主観的な判断であり、それを杏樹がどう感じるかは別問題だ。
 つまり、杏樹は予言を信じた事になる。
「信じるなよ、馬鹿」
 大樹は、ずっと昔から杏樹と自分の未来を見ていた。
 大樹の予言は誰にも告げなければ『予知』に過ぎない。大樹は、予知した事を誰かに伝え、さらに相手が
信じない事で的中する、いわば『条件付きの未来変革能力者』なのだ。
 故に、誰にも自分と妹の未来を告げず、積極的に回避しようとすらしてきた。
 互いに想い合っていたにも関わらず。
「本当に馬鹿だよな、俺は」
 ただし、勘違いしてはいけない。大樹の予言は条件を満たした際に的中する。これは絶対だ。
 だからといって、条件を満たさなければ外れる、とは限らないのだ。
「ドア、開けたくねぇ……」
 あの電話で、杏樹は占い師が大樹だと悟っていた。つまり杏樹は大樹に告白したに等しい。大樹の経験上、
開き直った杏樹は手負いの獣よりも恐ろしい。形振り構わず一直線に突進してくる。
 今や小さなアパートの一室は、何が飛び出すか分からないパンドラの箱、何もかもを内包した猫入りの箱。
「シュレディンガー先生、猫の気持ちも考えて下さい」
 最後に。今日何度目かの溜息をついて、大樹は箱を開けた。
                                                  ――終and始――



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