【 、のようなもの 】
◆pt5fOvhgnM




27 :No.07 、のようなもの 1/5 ◇pt5fOvhgnM:07/09/02 16:58:26 ID:3JVKRJqO
 差出人不明、それ以前に伝票さえついていない巨大な箱が、でん、と待ち構えていた。
 アパートに帰りドアを開けるなり目に入ったそれはクリスマスプレゼントでも入っていそうな白い箱で赤いリボンで飾られている。
 もっとも一辺が八十センチもあるようなクリスマスプレゼントにはついぞお目にかかったことは無い。
 とりあえず、開けてみた。
 それが何であれ中身を晒してしまえば対応のしようがあるものだ。
「はじめましてシンジ様。今日からお世話になりますですの」体育座りをした見ず知らずの少女が思わず頭を撫でたくなる愛らしさで微笑んでいた。
 たっぷり二十秒ほど眺める、歳は十一、十二だろう……何故だか全裸だ。生憎私はロリコンではないので何とも思わない、だろう多分。
 紳士的に微笑み返し、ついでに手も振ってみた。
 何だか嬉しそうな顔で少女も手を振り返し――おもむろに私は反転、全力でドアを開け、屋外に出て強く空を睨みつけ叫ぶ。
「エロゲってレベルじゃねーぞ!」
 幻覚だろうか――幻覚だろう。
 思えば私は疲れている。馴れぬ一人暮、狭苦しいアパート、大学に友の一人もおらず、無論恋人もいない。弱った私の心が救いを捏造したのだ。
 リボンみたいな金髪も生きた宝石みたいな緑の瞳も、生クリームみたいに白くて甘い香りのする肌も――全て幻だ。
 私は正常だ、と三度呟き、深呼吸を三度、部屋に戻る。
 果たして私は正常であった。全裸の少女はおらず、八十センチ四方の箱も無い。
「わー、ぶかぶかですよ」
 代わりに私のワイシャツを着て余った袖を振り回して遊んでいる少女の姿と丁寧に折りたたまれて壁際に立てかけられている箱だったものがあった。
 後悔と躊躇と悪寒を胸に私は声を絞り出す。
「とりあえず、事情の説明をしてくれ」
「はいです」元気良く手を上げた。「今まで暮らしていた箱が狭くなったので新しい箱を探していたらここに辿り着きましたのです」
「なるほど、体の成長に合わせて貝殻を取り替えるやどかりのようなものだね。良く分かった」確かに狭苦しいアパートは箱めいてはいる。
「お世話になりますの」三つ指突いて丁寧に一礼。
 私は満面の笑みを浮かべ、出来うる限り優しい声で告げる。
「出て行け、不法侵入者」
 はうあ、と何だか小動物染みた悲鳴を上げ、心底困った様子でこちらを見た。
「こういう場合は、居候させてやる変わりにとても口では言えないような卑猥な事を要求するのが筋ではないでしょうか?」
 それは犯罪である。そもそも私に一体何を望んでいるのか。
「ひょっとして私、すべりました? エロゲ云々叫んでたので、そういう人かなー、と」不安そうに呟いた。
 なるほど、半分は私が悪かったわけだ。残りの半分は知らない。
 私はすっかり毒気を抜かれてしまい、溜息をついた。

28 :No.07 、のようなもの 2/5 ◇pt5fOvhgnM:07/09/02 16:58:56 ID:3JVKRJqO
「好きにしてくれ、とりあえず、名前は?」
「ミミと申します」
「猫みたいな名前だな」
「はうあ、変でしょうか?」
「可愛いって事だ」
 言うと、ミミは本物の猫みたいにじゃれ付いてきた。
 私はロリコンでは無い――が、柔らかな感触と、布越しの体温、そして漂う甘い香りは悪くないように思う。

 で、結局、うっかりそんな事を思ったせいで情が湧き……追い出し損ねてしまった。
 一旦住み着いた人間を追い出すのが相当な面倒であるのは古今東西の難民問題を引き合いにだすまでもなく明らか。
 私は諦め、ミミはもはや当然のような顔をして掃除に勤しんでいる。
 学校には通っておらず、通う気は無いようだ。一度、それについて問うてみたが不思議に大人びた表情で、秘密ですの、と返しただけだ。
 どうして箱から出てきたのか、なぜ私の部屋選んだのか、血縁はいないのか――問うべき事は山ほどあった、その全てを問うた。
 それが無駄である事ぐらい私にも分かってはいる。
 きっと彼女はそういうものなのだろう。
 今そうであり、過去にそうであり、未来もそうあり続ける――いつか私と別れる日まで。それだけの話だ。

 二週間ばかり経った頃だったか、最初は掃除だけしていた彼女も独身男性の食生活には呆れたようで料理の方もやる、と言い出した。
 どこからともなく猫模様のエプロンを入手して来て意欲だけは満々の顔をして台所へと向かった、のは良いのだが。
 足りない背を懸命に伸ばしながら包丁を振るう姿は頼りなく。時折聞こえる例のはうあ、という悲鳴は心臓に悪い。
 しかも出来上がった料理は限りなく炭に近い代物であった。
 仕方なく、私も彼女と並んで台所に立つようになり、今では互いの料理の腕もそこそこのものだ。
 今も私は彼女の横でキャベツを切っている。
 何が楽しいのやら、例のエプロンをつけたミミは鼻歌を歌いながら割った卵をかき混ぜていた。
「今日は何を作ってるんだ?」
「シンジ様の好きなお好み焼きですのー」
 正解だ。確かに私の好物はお好み焼き、だがそれを伝えた覚えは無い。思わず不審の眼差しを向ける。
「この間、テレビにお好み焼きが映ったとき珍しく集中して見てましたのです」
 彼女は私の視線を受けると嬉しそうに微笑んでそう言った。
「……良く見てるな」

29 :No.07 、のようなもの 3/5 ◇pt5fOvhgnM:07/09/02 16:59:23 ID:3JVKRJqO
「シンジ様の事なら何でも知ってますの」
 くらっとするような甘い香りと一緒に彼女は告げた。瞬間向けられた眼差しはひどく無邪気で、何だか胸がざわめく。
 軽く胸を抑え胸中で呟いた。私は君の事を何も知らないし、知ろうとも思わない。口に出して言わなかったのは別段、優しさではない。

 一月か、二月か、ひょっとしたら三月か、ひどくゆっくりに感じる時間の中で私は一人暮らしがどんなものであったのかを忘れつつあった。
 ある日、ユニットバスでシャワーを浴びていると不意にミミの甘い香りがし、ドアの方を見る。
 私の名前が呼ばれ、こんこん、とノックが二回、どうしたのか、と声をかけた。
「お背中をお流し――」即座にドアまで跳躍し力いっぱいノブを握り締めて固定する。「――しますの、って、開きませんです!」
「阿呆! 私を犯罪者にするつもりか!」
「はうあ、でも……同じベッドで寝てる段階でもう立派な犯罪者予備軍だと思うのです」
「私が悪いのか! 勝手に潜り込んで来るのはお前だろう!」
「男の人はいつだって身勝手なのです、泣くのはいつだって女の方」わざとらしい溜息が一つして、小さな足音が遠ざかる。
 こっちも溜息を一つ、懐かれるのも考えものだ、と考えながらバスタブの中に戻り、シャワーに身を打たれた。
――同じベッドで寝てる段階で――ミミが私のベッドに潜り込んで来るようになり、私はそれが気にならなくなった。今では追い出そうなどと考えていた事が懐かしい。
 少しずつ、だが確実に埋まる彼我の距離は偶然でもなければ奇跡でもなく、恐らく互いの好意ですらない、ただの必然だ。
 単純接触効果――心理学者ザイアンスにより立証された仮説の一つ、接触回数が多い相手に対して人間は好意を抱く、というシンプルな論。
 思えば、ミミはずっとそうだった。ゆっくりと私の生活に入っていく。最初は強引に、段々と当たり前に、
「隙ありですの」
 ドアが開いた、何故だかスクール水着を着ている――やりすぎでは無かろうか。
 私は多分、冷えた目で見ていただろう。
 コスチュームどうこうではない。多分、この行動すら私はいつしか受けれいるのだろう、という予感に対しての自嘲を込めて。
「……裸の方が良かったですか?」
「いや」首を振る。「頼むから私を犯罪者に仕立て上げようとするな」
「私は」
 時折、幻のように浮かぶ艶然とした笑顔。
「シンジ様が望むなら、何だってしてあげますのよ」
 緑の目に吸い込まれてしまいそうだ。
 視線を逸らし、顔を隠して、唇を噛む。強く強く、血が出るほどに噛み締める。痛みだけを感じている間は、冷静でいられる。
「それでは、お背中流しますの。あんまり胸が無いけどそれは気にしないで欲しいのです」
 背後で感じる、甘い香り――血の味より強く。

30 :No.07 、のようなもの 4/5 ◇pt5fOvhgnM:07/09/02 17:00:24 ID:3JVKRJqO
 風呂の後、食事にした。
 ミミはまなじりを釣り上げ真剣そのものの顔つきで焼き魚と解体している。
 そんな彼女を見ながら魚を綺麗に骨と皮だけ残して平らげ、食後のお茶を淹れた。
 一口お茶を含み、ほっと息をつく、ある種の安らぎの時間がここにある。既にレトルトもコンビに弁当も、外食すらも出番が無い。
 暖かい、あまりに暖かい食卓だ。
「ごちそうさま」遅ればせながら言い、空の食器を流し台に持って行く。
「おそまつさまですの」わざわざ魚から顔を上げて言う。
「美味しかったよ」
 どういたしましてです、と微妙にずれた回答を聞きながら流しに水を張り、食器を沈めた。
 食事は美味い、美味過ぎるぐらいに美味い……なのに、私はどうにも嫌な感じを拭えずにいる。
「なあ、ミミ……お前は一体、何者だ?」
 無意味な、既に諦めた問いが口から零れ落ちた。
「それは」振り返り彼女を見る。
 人差し指を唇に、ウインクをしながらお決まりの一言。
「秘密なのです」
「そうか」それ以上は問わなかった。彼女も言おうとはしなかった。
 食事をして、二時間ばかりテレビを見るか本を読むかし、ベッドに入る。
 当然、ミミも一緒だ。私がテレビを見ている時は横で見ているし、本を読んでる時は別の本を読んでる。
 ベッドに入った時も横にいる。
 ミミの甘い香りが誘う眠気をこらえ、私は考える。
 パジャマ代わりのワイシャツを着たミミの――正体について、
 本当の話、私は少しばかりの推測がある。
「なあ、ミミ」
「はい? どうしたのですシンジ様、もしや、ついに初夜風なイベントですの?」
 相変らずエロゲ色の脳から紡がれる戯けた発言を無視して言う。
「腹が減らないか?」
「はうあ、こんな時間に食べたら太りますの。つい何時間か前に食べたばっかりですのに」
「そうじゃない」私は首を振る。
 左手でミミのおとがいを掴み、少しだけ開いた唇に人差し指を差し込んでもう一度言う、腹が減らないか、と。
 始まりの日、箱の中から現れたミミの姿が一つの名前へと繋がる。

31 :No.07 、のようなもの 5/5 ◇pt5fOvhgnM:07/09/02 17:00:51 ID:3JVKRJqO
 ミミック――ファンタジーでは聞きなれた名前、
 語源はミミクリー、意味は『擬態するもの』
 偽りの姿に騙された愚か者を食らう、モンスター。

 口内に差し込んだ指を、ミミは淡く濡れ、蕩けきった――発情期の獣のような顔でむしゃぶりついている。
 舌の動きにあわせて背筋に微電流が流れたかのように甘く痺れ、全身から力が抜けた。
 荒い息を吐きながら吐き出された指はとろりとした唾液に塗れ、てらてらと誘うように光り、濃厚なミミの香りを漂わせている。
「シンジ様は、何もしなくて良いのですよ――」
 媚びに満ちた声で言い、四つん這いになって私の上にのしかかって来た。
 手を伸ばすまでも無いほど近くで唇から零れた舌が誘うように揺れ、その度に私の意識はけぶる。
 私に友はいない、私に恋人はいない、親はいるが遥か遠くにいる――私が消えてすぐに騒ぎ出すものはいない。
 彼女の全ては偽りだったのか、私の全てが埒も無い疑心だったのか――不実なのは、私か、ミミか。
 答えは知りたくない、私は助けを求めようとも積極的に真実を知ろうともしなかった。
「何もかもがどうでも良いのです――ずっと、私の中で甘い時を過ごすのです」
 唇を通って甘い香りが注ぎこまれ、私は目を閉じる。
「大好きですよ、シンジ様」
 その言葉すら、疑わしい、
 私はほんの少しだけ唇を歪めて笑った。



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