【 妖怪「箱女」 】
◆5TYN0TTM3Q




17 :No.05 妖怪「箱女」 1/5 ◇5TYN0TTM3Q:07/09/02 16:48:55 ID:3JVKRJqO
「お兄ちゃん、待ってよ!」
 家の門を開けたところで、突然声を掛けられる。振り返ると、妹の美樹が靴を半分引っかけながら、
俺をにらんでいる。
「もー、なんでいっつも先に行っちゃうかなー」
「お前が遅いのが悪いんだ。ほら、カバン、半分開いたままだぞ」
 ため息を吐きながら、美樹のスクールバッグのファスナーを閉めてやる。先ほどまで美樹の眉間を
走っていた数本の縦線は、いつの間にか目尻の横線へと変化していた。いつもと同じ光景だ。
 二年半、毎日のように往復している通学路。寂れた公園を横切り、まだ目覚めていない商店街を進
んでいく。何も変わらない、日常。いや、何も変わっていないわけでもないか。新しく建った家、潰
れた店。季節は巡っている。でも、俺が毎晩ベッドで妄想しているような、ちょっと恥ずかしい物語
はどこにもない。それは当然のことだ。それが普通なんだ。それでも心のどこかで、何か特別なこと
が起きないかと――。
「お兄ちゃん! さっきから生返事ばっかり。ちゃんと聞いてる?」
 美樹の怒鳴り声が俺の脳みそを揺らす。
「誕生日のプレゼント。何欲しいか考えとけって言ったの、お兄ちゃんでしょ! もう知らない!」
 美樹が小さな肩をできるかぎり主張させながら、早足で先に突き進んでいく。いつもと同じ光景だ。

 教室に入ると、なんだか騒がしい。珍しく学級委員の山本が会話の中心にいるようだ。集まってい
るのは男子ばかりだが。
「一体、何の騒ぎだ、朝っぱらから」
「お、皆川。聞いてくれよ、今日転校生が来るんだけどさ、それがすっごい美人なんだよ!」
 山本が興奮しながら応える。今朝、担任の教師から机の準備をしておくように頼まれた山本が、た
またま転校生を見たらしい。山本だけじゃない、他の男子も沸き上がっている。まあ、無理もないか、
うちのクラスの女子は……ね。

 ホームルームの時間になり、教師に続いて噂の的が入場してくる。男子が色めき立つ。ある者はあ
からさまに視線を送り、ある者はちらちらと窺う。俺は後者だ。
「黒木葉子といいます。よろしくお願いします」
 簡単な自己紹介を終えた彼女は、視線をまっすぐにしたまま、このクラスに新しく増設された机に
向かった。

18 :No.05 妖怪「箱女」 2/5 ◇5TYN0TTM3Q:07/09/02 16:49:24 ID:3JVKRJqO
 休み時間になると、早速、自称学校一の色男が黒木に特攻する。黒木は姿勢を正したまま、無言で
拒絶を表現する。撃沈だ、ざまあみろ。黒木の周りに男子や女子が集まっていく。
 確かに、黒木は美人だ。真黒な髪の毛は乱れることなく肩を通り、所々光を反射する。白く透き通
る肌に、細身の体。呆っと黒木を見つめていると、突然、彼女が俺の方を振り返った。目を逸らす…
…ことができない。漆黒の瞳。まるで彼女の体の入り口のようだ。彼女が近づいてくるような錯覚が
襲ってくる。吸い込まれそうになる。――気がつくと、彼女はまた前をまっすぐ見つめていた。

 黒木が転校してきてから、二週間。彼女は相変わらずの姿勢で席に座っている。もう彼女の周りに
は人だかりはない。それもそのはずで、彼女は人を拒絶し続けているのだ。男子だけでなく、女子や
教師に対しても、必要最低限の返答しかしない。もう少し、愛想良くすればいいのに。もったいない。

 いつもと同じ通学路を家へと向かう最中、前を行く黒木を見つけた。あれ、黒木の家ってこっちな
んだ。そんなことを考えていると、黒木がふと立ち止まった。慌てて電柱の陰に隠れる。黒木の目線
を追うと、そこに猫の死骸があった。黒木はじっとそれを見つめている。
――ゆっくりと猫が起き上がった。そうして、弱々しい足取りで脇道に入っていった。黒木はそのま
ま、地面に対して垂直な姿勢で歩を進めていく。俺は呆然と、彼女が立ち去るのを見ていた。

 俺の“普通”に突然割り込んできた、“普通”じゃないもの。彼女は特別な力――多分、超能力的
な何かを持っている。癒しの能力だろうか。もしかしたら秘密の組織の一員かもしれない。多分、何
らかの任務でうちの学校に転校してきたんだ。ああ、だからなるべく一般人との接触を避けているん
だな。今日の妄想はいつにもましてリアルだ。なかなか寝付けない。そうだ、明日、黒木に話しかけ
てみよう。

「……いつ気づいたの?」
 黒木が目を見開いて俺の顔を見つめている。こんな表情、はじめて見た。いつもと同じ通学路。で
も今日は違う。何かが始まろうとしている。
「いや、昨日さ、偶然見ちゃったんだよ、黒木が猫に力を使ってたとこ」
「そう……」
「すごい力、持ってるんだね、びっくりしたよ」
「……私が怖くないの?」

19 :No.05 妖怪「箱女」 3/5 ◇5TYN0TTM3Q:07/09/02 16:50:02 ID:3JVKRJqO
「怖い? どうして? 素敵な能力だと思うよ」
 黒木の表情が変わる。美樹のようにおおげさに変化したわけじゃないけど……心なしか嬉しそうだ。
「……あの、このことは誰にも言わないでくれない?」
「もちろん! 誰にも言わないよ」
 やっぱりそうだ。俺の想像通りなんだ。
 その日から、俺は黒木に付きまとうようになった。相変わらず無愛想で必要最低限の返事しかない
けど。でも……他の人に対するような拒絶はされていないと思う。だって毎日一緒に帰っているから。
俺の用事で少し遅れることがあっても、彼女は待っていてくれる。いつものまっすぐな姿勢で。

 代わり映えのしなかった通学路が、最近では毎日新鮮だ。俺はいつものように黒木に一方的に話し
かける。もちろん、能力のことは話さない。誰かに聞かれたりでもしたら大変だからだ。
――突然、ポケットが振動する。携帯を取り出す。珍しく、母さんからの着信だ。
「ごめん、黒木。ちょっと待って」
 黒木が立ち止まる。まっすぐ前を向いたままだ。なんだか無性に恥ずかしい。
「もしもし」
 ぶっきらぼうに電話に出る。俺なりに少し格好つけたかったからだ。
『――美樹が! 美樹が!』
 母さんが取り乱している。美樹? 美樹がどうしたって?
『美樹が……交通事故に遭って、今、病院に――』
 美樹が……事故?
『……危険な状態だって、今、手術中で……』
 突然の出来事が頭を打ち抜く。心臓の鼓動が体中に広がっていく。黒木が少し不安そうな顔で俺を
見つめている。
――黒木……そうだ! 黒木なら……。
「黒木! 美樹を助けてくれ!」
 俺は黒木の両肩を思いきりつかんで叫んだ。
「落ち着いて。ちゃんと説明して」
 黒木の黒い瞳に見つめられ、少しだけ冷静になる。美樹が事故に遭ったこと。今、手術中であるこ
と。危険な状態であること。母さんに伝えられたことをそのまま黒木に話す。彼女は少しだけ考える
ような顔つきをした。

20 :No.05 妖怪「箱女」 4/5 ◇5TYN0TTM3Q:07/09/02 16:50:29 ID:3JVKRJqO
「危険な状態……。分かったわ。連れて行って」
 これで大丈夫だ、黒木の力なら、美樹はきっと助かる。

 手術中であることを示すランプが消える。医師が部屋から出てきた。母さんが医師に駆け寄る。
「最善は尽くしましたが……残念ながら、お嬢さんは……」
 母さんが崩れる。
 大丈夫だ、黒木がいる。黒木の力で、美樹は助かる。大丈夫だ。
 美樹のそばにある心電図が無機質な音を鳴らす。緑の線が弱々しい起伏を繰り返している。
 黒木が美樹をじっと見つめる。いつかの、猫のときと同じ様に。
 美樹の顔がほころぶ。目尻に横線が走る。ああ、いつもと同じだ。良かった。これで美樹は……。
――心電図の音が止まる。今まで起伏を保っていた緑の線が平坦になる。
 黒木がまっすぐな姿勢で手術室から出て行く。

 早足で過ぎ去っていく黒木に、なんとか病院の外で追いついた。
「……なんで、力を使ってくれなかったんだよ」
 俺の発言に、黒木が首をかしげる。
「美樹は……俺にとって、本当に大切な……大事な……」
 涙が止まらない。
「どうしたの? 力なら使ったわ。見たでしょう? あなたも」
「じゃあ、失敗したのかよ! なんで猫は生き返って、美樹は治せないんだよ!」
 黒木の顔が変化する。いつもの――いや、最初の、あの無表情だ。
「ああ……そういうことね。あなた、勘違いしてたのね。私、治癒の力なんて持っていないわ」
 なんだって? じゃあ、なんであのとき、あの猫は……。
「私の力は……いえ、私は……“不幸の入れ物”だから。……言葉ではうまく表現できないわ。そう、
辛いとか痛いとか悲しいとか……そういった暗い“心”をしまうの。あなたたちが生き物の“肉”
を食べるように、私はただ、病んだ“心”を食べるだけ。あの猫はまだ死んではいなかった。ただ苦
しんでいた。それを私が食べたから。だから、移動できたのよ。本能で、自分の死に場所へ」
 俺は勘違いしていたのか……。勝手に想像して、決め付けて。俺は……。
「黒木……俺」
「早く私から逃げて」

21 :No.05 妖怪「箱女」 5/5 ◇5TYN0TTM3Q:07/09/02 16:51:00 ID:3JVKRJqO
 突然の黒木の言葉。逃げる? 意味が分からない。
「いいから逃げて。がまんできないの……今のあなた、とてもおいしそうで……」
 黒木が泣いている。そして、笑っている。
 不幸をしまう箱、か。それなら、俺のこの苦しみも片付けて欲しい。この苦しみから、逃げ出した
い。黒木ならそれができるんだ。
「黒木、食べていいよ。いや、食べてくれ。頼む。……俺はこんな辛いのは嫌だ。いつもどおり、普
通に戻りたい」
「ダメよ……。私に食べられた人間は、痛みや苦しみを感じる心を失うのよ?」
「それの何がいけないんだよ。俺、勘違いしてたけど……でもやっぱり君の力は素敵だよ」
 黒木の瞳から流れる感情は、もう堪えきれないようだ。
「分からないの? 人間は苦しみを乗り越えて成長するのよ? これから死んでしまう人間ならいい
わ。苦しみを食べてあげれば、安らかに眠ることができるから。でも、あなたはこれから生きなきゃ
いけないのよ? 不幸を感じる心を失ったら、あなたは……」
「お願いだ。頼む、黒木。もう嫌なんだ。……逃げ出したいんだ」
 こんな心なんていらない。さっさとどこかへしまいたい。それは黒木にしかできない。
「……分かったわ。どちらにしろ、私、もうがまんできないから」
 黒木の漆黒の瞳が俺に向けられる。まるで入り口のようだ。吸い込まれる。意識が遠のいていく。
「どうして……死んでいく人間よりも、生きていく人間の方がおいしいんだろう……」
 最後に、黒木のすすり泣く声が聞こえた気がした。

 気がつくと、真白な天井が見えた。周りを確認する。真白な壁。真白なベッド。左腕からチューブ
が伸びていて、半透明の液体が詰まった袋とつながっている。
 ここはどこだろう? なんでこんなところにいるんだろう? 
 ……まあ、いいか。なんだかとても心地いい。もう少し、眠ろう。   (終)



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