【 秘剣 蝙蝠落し 】
◆kP2iJ1lvqM




7 :No.03 秘剣 蝙蝠落し 1/5 ◇kP2iJ1lvqM:07/09/02 09:55:33 ID:hy5RaXdM
 その情報を持ってきたのは、いかつい体格をした赤毛の盗賊だった。
「おい、西の洞窟に勇者が現れたんだってよ!」
 町の中心には、煉瓦造りの古い建物が石畳を挟んで軒を連ねていた。その中の一軒に、冒険者が
昼間から集う酒場がある。そこには戦士や僧侶、モンスター使いなど様々な面子が揃っていた。
「近いな、この町にも寄るかもしれない」
「伝説の剣を取りにきたんだな」
 ロッチの剣は、西の洞窟に隠されていると伝えられる秘宝である。
 魔王のしもべを撃破しながら旅を進める勇者一行の噂は、あらゆる町に広まっていた。それはこの
田舎町も例外でない。勇者達が魔王を倒してくれると誰もが信じきっている。城壁の外を歩くだけで
も護衛が必要な時代に、終わりが来るのだと。
 英雄がやってきたとなれば、明日の新聞は部数が倍に伸びるだろう。
「仲間に誘われちゃったりしたら、おれ、どうしよう」
 モンスター使いの少年が夢見心地で言った。
「お前じゃ足手まといになるぜ。俺のほうが勇者の仲間にふさわしいはずさ」
 腕に自信があるなら誰だって魔王と戦ってみたい。期待しない者はそこにはいなかった。
「残念だったな、もうあいつらの馬車は満席だったらしいぜ」
「なんだよ、ちくしょう」
 と、全員、エールの注がれたジョッキを片手に背中を丸めた。
 次の瞬間、店の隅にいた男が立ち上がった。
「いや、まだ諦めるのは早いぞ」
 しわがれた声を張り上げたのは、魔法使いの老人ボッパーである。いかにも好々爺といった顔立ち
に白いあごひげをたくわえ、黒いローブを痩せた体に纏っていた。
 彼は指定席となったテーブルでハーブティーを嗜んでいる最中だったが、勇者が現れたと聞いては
我慢ならなかった。若い連中が、野心を胸に抱いたまま腐らせていくのを黙って見ていられなかった
のである。
「お前達の実力をわしはよく知っている。彼の者達にさえ遅れをとりはすまい」
「けどボッパーさん。馬車に空きがなければ、俺らにはどうしようも……」
「バカモノ、そんな弱気でどうする」老人は一喝した。「空きがなければ、作ればよいではないか」
 酒場の空気が凍りつく。

8 :No.03 秘剣 蝙蝠落し 2/5 ◇kP2iJ1lvqM:07/09/02 09:55:58 ID:hy5RaXdM
「運命に選ばれた勇者でなければ魔王は倒せん。だが、それ以外は代えがきくのだ。つまりお前達に
だって勇者の仲間になる資格はある」
「し、しかし、暗殺なんて企んでもしもばれたら……」
「誰が殺すと言った」
 ボッパーが静かにたしなめた。
「は? ではどうやって」
 赤毛の盗賊が怪しむ。
 老人は得意げな顔をつくり、かねてより考えていた腹案を発表した。
「よいか、わしが魔法トラップ作りの名人であるのは皆も知っておろう。あらゆる魔法を宝箱に閉じ
込め、開けた瞬間に発動させる事ができる。この罠を使って勇者どもをはめようというわけだ」
「それではやはり、殺してしまうのですか」
 心優しいモンスター使いの少年が、おずおずと尋ねた。
「そんな非道はせん。移動魔法で、ちょっと故郷に帰ってもらうだけだよ。ただ、最寄の町へ行くの
に一ヶ月はかかる山奥へ飛ばすがね」
 おお、と声が上がる。その方法なら姿を見られる心配はない。仲間が消えて心細くなったところで
自分達が現れれば、勇者は『なんて頼りになる奴等なのかしら』と感動するに違いない。
「でもボッパーさん、それではあんたが仲間はずれになってしまうじゃないか」
 老人はうなずく。この方法には一つだけ欠点があることに、皆も気づいていた。
 魔法使いだけは例外なのである。遠くへ飛ばしても、魔法ですぐに勇者のもとへ戻るだろう。
ボッパーは皆の旅立ちを見送れればそれで良いと、諦めていた。
 ◇
 まずは赤毛の盗賊に宝箱を集めさせ、ボッパーはその中に移動の魔法を詰め込んだ。
 続いて宝箱の配置を皆に任せて西の洞窟へ走る。
 洞窟は馬車の乗り入れが可能な広さだ。老人はその中ほどで彼らを見つけた。休憩中なのか、総勢
八名のメンバー全員が焚き火を囲んで談笑している。
 青い鎧を着込んでいるのが勇者だろう。爽やかに笑う青年だった。
 一行の姿を認めると、ボッパーは変身の呪文でヒトガタトカゲに姿を変えた。トラップ付きの宝箱
を開ければ全員吹き飛ぶ。勇者まで飛ばしてしまっては意味がない。さりげなく、彼にだけは魔法を
跳ね返す呪文をかけておかねばならなかった。
 ボッパーは岩陰から勇者達に忍び寄り、睡眠の魔法で奇襲をかける。

9 :No.03 秘剣 蝙蝠落し 3/5 ◇kP2iJ1lvqM:07/09/02 09:56:24 ID:hy5RaXdM
 それで半分は無力化できたが、数多の怪物を蹴散らしてきた彼らの団結力は甘くない。とっさの
判断で僧侶が癒しの杖を用い、眠った仲間をたたき起こしたのだ。
「モンスターだ!」
「ぶっ殺せ!」
 彼らは回復しながら眠りから覚め、ボッパーに総攻撃をかけた。先ほどとはうって変わって、凶暴
な声をあげて老人に襲いかかる。
 戦士の槍の一突きで老人は胸に裂傷を負った。傷は深く、内臓のひとつを失った。ボッパーはここ
を潮時と決めた。彼は悶えながら人差し指を天井へ向け、いかにも錯乱したように魔法返しの呪文を放つ。
 彼は、襲う直前にもう一つ魔法返しの呪文を天井の窪みに仕掛けていた。針の穴を通す精度で放た
れた呪文は、角度を変えて吸い寄せられるように勇者を直撃する。
「これぞ秘技、魔法三角跳び――」
 勇者は気づかない内に魔法の障壁を纏わされていた。
 身をひるがえしてボッパーは遁走をはじめた。手負いの魔物をしとめようと、勇者らがそれを追う。
 薬草を傷口にすりこみながら老人は暗闇の中を逃げる。いつしか変身は解け、皺だらけの肌に
戻っていた。しかし痛みを堪えながら駆ける彼は気づかない。点々と洞窟の奥へ続く赤い跡は、暗闇
に隠され誰の目にも触れることはないのだった。
 ◇
 ついに地面へ倒れこんだ時、彼は最深部へたどり着いていた。
 勇者達はもう追ってきてはいない。ボッパーは安堵のため息を吐き、辺りを見渡した。
 暗くてよく見えないが、初めて来るその場所は広くて円い空洞になっているようだ。
 妙な臭いが老人の鼻をつく。硫黄のような、何かが腐った臭い。
 これは嗅いだ覚えがあるぞと、彼は記憶をたどった。
 ボッパーは昔ある国の兵団に属していた。彼が兵士を辞めるきっかけになったのは、ひどい火傷を
負ったためである。それはいつかの、火竜討伐隊に加わった時の事だ。
 古傷が疼いた。
 ドラゴンの息だ。そう気づいた瞬間、彼は震え上がった。
 宙に松明のような明かりが灯り、天井まで届く巨大な影が闇に浮かびあがる。
 全身を包む紅い鱗と、残忍な顔を老人は見て取った。
「グガァァァァァァ!」

10 :No.03 秘剣 蝙蝠落し 4/5 ◇kP2iJ1lvqM:07/09/02 09:56:53 ID:hy5RaXdM
 領地へ侵入された火竜が怒りに燃えた目で老人を睨み、うなった。口元には炎がくすぶっている。
 ひぃ、と老人は喉から息を漏らし、脇へ飛びのいた。そのすぐ横を烈火がかすめた。
「ひゃああ」
 気の抜けた声をあげ、彼は空洞を壁沿いに逃げた。無数の血吸いコウモリが狂ったように飛び回っ
て視界を遮る。身を低くして走るすぐ後ろを何度も火の息が走りぬけた。
 空洞を半周ほどした頃、彼はつまづいて転んでしまった。
 細長い形をした宝箱に、足をひっかけたのだ。
 つまづいた拍子に箱の口が開いて、中に入っていた何かが地面に転がった。老人はアイテムを手に
取り、置かれた状況も忘れてしげしげと見入る。
 それは刀の神ロッチが魔王を滅ぼすために造ったという、ロッチの剣だった。鞘から刀身を抜くと
光り輝き、洞窟の中を明るく照らし出す。持っているだけで不思議と力が漲った。鋭い刃は岩石で
できた魔物の体さえ斬れるだろう。
 これを若い頃に手にしていたなら、きっと自分は剣士になっていた。
 そう思わせるほどの魅力を、その剣は持っていた。
 ボッパーは魔法一筋に生きてきた男である。道に迷ったのはたった一度きりだった。少年のころ、
古文書の中に描かれた挿絵を見た時だ。その剣を持って魔王と対峙する勇者の姿を見た時、どうしよ
うもなく血が騒いだのを覚えている。
 それで剣を習おうとしたのだが、魔法使いの一族である彼の親は許さなかった。悔し涙を飲んだ。
 我に返った時、彼の真正面にドラゴンの顔があった。竜は深く息を吸い込み、今までで最大の火力
で彼を攻撃した。ボッパーは剣を上段に構えて振り下ろす。炎は真っ二つに割れて痩身を避けた。
「グッワ!」
 ドラゴンが悔しげに一声いななく。ボッパーは上を見た。上空を、一匹の蝙蝠が旋回していた。
 あれを叩き落すつもりで飛べば良いのだ――。
 立ちはだかる怪物の、眉間にだけは硬い鱗がないことを彼は知っていた。それが火竜討伐の際に
持ち帰った唯一の土産である。
 風の魔法で自分の身体を天井まで舞い上げる。ボッパーは竜の頭を眼下に見すえ、叫んだ。
「ふおおおおおお!」
 火竜の眉間目がけ、魔法剣士は剣の切っ先を突き下ろした。

11 :No.03 秘剣 蝙蝠落し 5/5 ◇kP2iJ1lvqM:07/09/02 09:57:19 ID:hy5RaXdM
 ◇
 歩いていると、まばゆい光に目がくらんだ。ついに出口だ。
 出血多量でかすむ老人の視界に、凄惨な光景が映った。洞窟出口の手前には、血だらけで横たわる
十四の体があったのである。
「なんということだ」
 ボッパーは血の気の引いた唇を動かし、つぶやいた。
 それは町の仲間六人と勇者一行の死体だった。
「うぅ……」
 モンスター使いの少年がうめく。
 老人は駆け寄った。全身にひどい刀傷がついているが、まだ息があるようだ。
「どうした、何があった」
「おれ達、洞窟の中に宝箱を仕掛けて……そしたら、魔法でぶっ飛んだ人達が天井に頭をぶつけて
死んじゃって……。皆で相談して謝る事に決めたんだけど、勇者に盗賊と間違えられたんだ」
 少年はそう言って息を引き取った。
「なんてこった、わしが皆を殺したのだ!」
 老人は嘆いた。もっと作戦を練ればよかったと思った。
 後悔先に立たずである。
 近くで青い鎧を着た男が、岩を抱くように倒れていた。
 歩み寄ると、勇者は指先をぴくりと動かした。ボッパーは剣を抜いて振り上げ、狙いを青年の首に
定める。互いに同胞を殺されたにせよ、生かしてはおけない。
 その瞬間、遅れて戦慄が走った。
 町の猛者六人を、この男はたった一人で切り結んだというのか。
 五体満足ならば、一体どれ程の強さなのだ。
 老人は思い直し、剣を鞘におさめた。そして魔王の棲む地へ向けて歩き出す。
 せめて自分が皆の代わりに魔王を、と彼は思った。その顔にはもう諦めなど微塵もない。
 外へ出ると洞窟から一匹の蝙蝠が現れ、頭上を飛び越えて太陽へ向かっていった。
 老人は蝙蝠に自分の姿を重ねる。
 勇者よ回復に専念するがいい。だが再び運命が交差した、その時は――。(了)



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