【 殺し屋の女 】
◆K/2/1OIt4c




63 :No.19 殺し屋の女 1/4 ◇K/2/1OIt4c:07/08/26 23:49:54 ID:FkikrFkY
 殺し屋は、常に安定していなければならない。精神も肉体も、生活水準もすべて。
 特に精神面は安定させなければならない。感情は表に出してはいけないし、内に秘めて
もいけない。
 もしかしたらすべての職業に当てはまることなのかもしれない。これ以外の仕事をした
ことがないのでよくわからないけど。
 仕事の前夜は女性と寝ることにしている。性欲をなくすとか、すっきりするとか、そん
な理由をつけているけど、たぶん理由なんてない。ジンクスなのだろう。今までそうして
仕事をしてきたし、失敗したこともない。失敗しそうな仕事は引き受けないことにしてい
るからかもしれないけど。

 その日も、女性と会うためにいつものバーで待っていた。
 カウンターが五席、テーブルが二つ。薄暗く、客も少ないし、人を待つにはちょうどい
いバーだ。いつもカウンターの端で、ウイスキーをちびちびやって待っている。
 珍しく女性客が一人いた。カウンターの反対側の端で、なにかカクテルを飲んでいる。
誰かを待っているようなそぶりもない。
 待っている女性が時間になっても来ないのと、ウイスキーで酔っていたせいだろう。そ
の女性に話しかけてみたいと思った。
 ウイスキーの入ったグラスを持って、女性の隣に座る。ゆっくりとした品のある動きで、
彼女が見てきた。
「どうだろう。一緒に寝ない?」
 酔っていたせいで、実に品のない第一声になってしまった。さすがに、言った直後は後
悔してうつむいた。
「いいわ。そんな気分だったの」
 彼女の予想外の言葉に驚いてウイスキーをこぼしてしまった。そんな光景を見て、彼女
は微笑んでいた。


64 :No.19 殺し屋の女 2/4 ◇K/2/1OIt4c:07/08/26 23:50:09 ID:FkikrFkY
 依頼人は大学生の男性だった。交際していた女性に振られたという理由で、その女性を
殺してほしいとのこと。
 別に依頼の理由なんて聞かなくてもいい。どんな依頼でも、報酬がもらえればよい。そ
れが仕事だ。
 しかし、殺人を依頼する人はどうしても理由をしゃべりたくなってしまうらしい。個人
の依頼なら、依頼主全員から聞かされている。
 ターゲットの女性は一人暮らしの大学生で、仕事もやりやすかったし、報酬も五百万円
と、割と安いけど許せる範囲だったので引き受けることにした。

 初めて女性に恋をした、そんな感覚になった。
 早朝五時に目を覚ました。隣では、バーで出会った名前も知らない女性が寝息を立てて
いる。
 荷物をまとめる。ジャージに着替え、右足首には緊急用の小型拳銃を隠した。これを使
うことはないだろうが。

 バーで見せたあの微笑みが、今でも忘れられない。
 微笑むというのは、うれしかったり楽しかったり、そんな感情が生まれたときに現れる、
ほんの少しの崩壊。
 足場が少し崩れた状態。
 不安定な顔の造形。
 そんなものを好きになる自分が、なんだか馬鹿らしくなった。

 駅へ向かった。始発に乗って一時間。目的地に程近い駅に到着した。
 ターゲットの住むアパートにはすぐに到着した。ちゃんと下調べをした賜物だ。
 二階にある彼女の部屋には、もちろん鍵がかかっていた。そんなことは当たり前で、ち
ゃんとピッキングの道具も用意している。
 手袋をはめ、すばやく鍵を開け、音を立てないように侵入した。

65 :No.19 殺し屋の女 3/4 ◇K/2/1OIt4c:07/08/26 23:50:22 ID:FkikrFkY
 ドアを開けるとすぐにキッチン。奥にはドア。その奥に部屋が一つ。ワンルームのアパ
ートである。
 部屋の端にベッドが設置されていて、そこでターゲットは寝ていた。
 部屋の装飾はピンクを基調としたもので統一され、割と整理されている。女性の部屋特
有の甘ったるい香りが鼻腔をくすぐる。
 それらすべてを無視し、ベッドへ一直線に向かう。これは五百万円の仕事なのだ。
 ベッドに乗り、寝ているターゲットに馬乗りになる。彼女は真上を向いて寝ていた。
 手袋をきちんとはめ直す。一瞬で決着をつけたいから、ミスは許されないのだ。
 彼女の首に両手を当てる。
 今、依頼主は何をやっているのだろうか。
 とりあえずアリバイを作っておいてくれと頼んでおいた。これは仕事をする上でのサー
ビス。
 目を覚まさないように、一気に力を入れようとした。
 その時。
 寝ている彼女が微笑んだ。
 一瞬、手の力が抜けた。
 小さな炸裂音。
 とっさに、ベッドから転がり落ちる。
 右足首にある銃に手を伸ばす。
 また、小さな炸裂音。
 この音は知っている。
 サイレンサーをつけた銃声だ。
 右手に穴が開く。
 気づくと、腹部にも血痕。
 ターゲットの女性は、ベッドの上で仁王立ちになって銃を突きつけていた。

66 :No.19 殺し屋の女 4/4 ◇K/2/1OIt4c:07/08/26 23:50:36 ID:FkikrFkY
「甘かったわね」
「どこから仕掛けてた?」
 僕は、珍しく微笑んで言った。
「男が依頼に来たでしょ?」
「それはわかってる。それだけか?」
「えぇ。それで十分だったじゃない」
「それだけだったら、僕はこんなに甘くならなかった」
 右手と腹部の激痛を無視する。まだ左手が使える。
「だめだなぁ」
 どうするか考える。
「何がだめなのかしら」
「殺し屋なら、ターゲットは一撃必殺だよ」
 向けられた銃口から外れるために、僕はまた転がった。
 そして左手で右足首にある銃を取ろうとした。
 でも、それはできなかった。

 完



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