【 その魔法は 】
◆2LnoVeLzqY




48 :No.14 その魔法は 1/4 ◇2LnoVeLzqY:07/08/26 23:31:10 ID:FkikrFkY
「申し訳ありませんが……妖精スペシャルの今日のぶんは、もう全て出てしまったんです」
 男性店員は、メニュー表の“数量限定”の文字を遠慮気味に指差している。
 この居酒屋自慢のカクテル、妖精スペシャル。僕もユリも、それが目的でこの店に来たのだった。
「そんなぁ……」
 おあずけをくった子犬みたいなユリの視線。それを避けるように、店員は僕の方を見てもう一度「ついさっき、最後のが出てしまって」と言った。心底残念そうな口調だった。
「本当に、もうないの!?」
 ユリが身を乗り出しながら悪あがきみたいにそう言っても、店員は頷くだけだ。
 諦めたユリが座りなおして、ようやく僕の方を向いた。
「……ないんだって。どうする?」
「仕方ないさ」
 仕方ない。今日これまで何度言ったかわからないセリフだ。
 うつむいてしまったユリに代わって、僕がオーダーをする。
「じゃあ……カルアミルク二つ。あとシーザーサラダ」
「かしこまりました」
 店員が去っていく。落ち込んだままのユリ。ツイてない日もたまにはある。けれど、付き合い始めて一周年の今日という記念日が、まさかとことんツイてないだなんて。
 妙な沈黙が降りる。
「ゾーイー、ほしかったなぁ」
 うつむいたままユリがつぶやく。ゾーイーというのはクマのぬいぐるみの名前だ。もっとも、UFOキャッチャーの台の中のだけれど。ユリが勝手に命名しただけだ。
 ちなみに、僕はそのゾーイーに二千円吸われた。そんなもんだ。魔法を使わない僕は、結構ダメダメだ。
 ……そう、魔法さえ使えば、あっという間に取れたのに。
「仕方ないさ。諦めよう」
 仕方ない。また言ってしまう。どうにかできたくせに仕方ないと言うのは嫌な気分。
 どうして魔法を使わなかったのかといえば……みだりに魔法を使うなと、親父から言われているからだ。
「本当に必要な時以外は、すべて自然法則に委ねろ」
 それが、親父の信条なのだった。ちなみに僕が魔法を使えることは、ユリにはまだ教えてない。
 ふとユリの顔を見てみる。その視線が向いている先は、座席の横の壁に張られた、妖精スペシャルの宣伝。
 首を傾けて、頬杖をつきながら、残念だなぁとつぶやいているユリ。垂れた黒髪はテーブルを掃いている。
「……あ、あのワンピースさ、僕はすごく似合ってると思う」
 まるで何かを取り繕うみたいに、僕は言う。さっき買い物をしたときに買ったワンピースのことだ。もっとも……ユリが一番欲しかったやつはちょうどサイズがなかった。だから妥協して買ったものだけど。
「ありがとう」

49 :No.14 その魔法は 2/4 ◇2LnoVeLzqY:07/08/26 23:31:29 ID:FkikrFkY
 僕の方を向いて、ユリが明るく言う。
「次のとき、きっと着てくるから」
「楽しみにしてる」
 それからユリは、目の前のメニューに目を落とし始めた。僕も一緒にメニューを覗く。うっかりしてて、さっきはシーザーサラダしか頼まなかったから。
「……ごめんね、さっきは勝手に落ち込んじゃって」
 メニューに目を走らせていると、ユリがふと、顔を上げて言った。
「仕方ないよね。うん、取れなかったものは取れなかったんだし……。ないものはない! ふー、これで、少しすっきりした」
 そしてユリは再びメニューに視線を落とす。目をきらきらさせて、楽しそうに食べ物の写真を眺め始める。
 僕は返事ができない。ユリの言葉が気にかかる。仕方ない。その言葉。
 今日僕が何度も口にした言葉。
 けれど、ユリの仕方ないと僕の仕方ないは、意味が違う。そう思う。
 ワンピースのサイズはどうしようもない。けれどぬいぐるみを取ってあげることぐらい、魔法を使えばわけなくできた。
 そうしなかったのは、親父の言いつけに従ったからだ。本当に必要な時以外は魔法を使っちゃいけない。何でもかんでも魔法に頼っちゃいけない。
 それはある意味ルールだ。親父や母さんはもちろん、世界中の魔法を使える人なら、誰でも心に留めておくべき暗黙の了解なのだ。
 けれど、思う。本当に必要な時っていつだろう。ユリの顔を見ているとそう思えてくるのは……僕にとってユリが最初の彼女で、僕が舞い上がっているからだろうか。
 ――だって魔法を使えば、飲み物を妖精スペシャルに変えることぐらい。
「早いよね。もう一年経ったなんて」
 メニューを見ながらぽつりとユリがつぶやいた。
 そう、ユリとの最初のデートで来たのが、この店なのだ。そして飲んだのが妖精スペシャル。あの透明さと甘い味は今でも忘れない。二人で未成年だ未成年だと笑いながら飲んだのも良い思い出だ。
 あのとき十九歳だった僕たちも、今では二十歳。
「僕としてはまだ一年しか経ってないことにびっくりだよ。もっと長い間一緒にいる気がする」
「……酔ってる?」
「いや酔ってないってば。飲み物すらまだ来てないのに」
 ユリがじっと僕を見つめている。まるで面白がってるみたいに。僕は顔が赤くなるのを感じる。
 繋ぐ言葉を探していると、ユリが笑いながら口を開いた。
「なんてね、冗談冗談。そんなセリフも言えるんだー、って思って」
「それじゃ言っちゃダメみたいな言い方だ」
「ごめんごめん。じゃあお詫びに、わたしからも。……ずっと一緒にいたい」
「……酔ってる?」
「酔ってないってば!」

50 :No.14 その魔法は 3/4 ◇2LnoVeLzqY:07/08/26 23:31:44 ID:FkikrFkY
 そうして二人とも笑った。ちょっと甘い。甘すぎるセリフだ。まるで、あのときの妖精スペシャルみたいに。
 笑い終わると、ユリが急に真顔になってぽつりと言った。
「正直に言っていい?」
 何だろう。僕は少し身構える。
「仕方ないってわかってるけど……本当は、妖精スペシャルが飲みたい」
 ユリのその言葉は、親父の言いつけよりも、暗黙の了解よりも、僕には大切なもののように感じられた。
 本当に必要な時以外は魔法を使っちゃいけない。それはルール。
 なら、本当に必要な時っていつなんだろう。
 店員が歩いてくるのが見える。トレーの上にはシーザーサラダと、カルアミルク二つ。この距離じゃ魔法は届かない。テーブルに置かれないといけない。
 心臓が高鳴るのを感じる。僕はルールに背こうとしているんだろうか。わからない。ルールとユリの想い、どっちが大切なんだろうか。
 ……僕にはわからない。わからないまま、それでも店員は近づいてくる。
 迷っている暇なんてない。
「シーザーサラダとカルアミルクになります」
 そしてテーブルに置かれる飲み物。それから店員に追加の注文。上の空。何を頼んだのかなんて覚えてない。
「かしこまりました」
 そう言って店員が去った。少し汗のかいたグラスに手を伸ばそうとするユリ。
 それを制して、僕は言う。
「ねえユリ、あのさ」
「なに?」
「……魔法って、信じる?」
 けれどそのとき、僕の話を、ユリのケータイの着信音が遮った。
「っと、ごめん」
 バッグからケータイを取り出すユリ。
「あ、バイト先からだ。ここじゃ少し騒がしいから……外出て話してくるね。ちょっとだけ待ってて!」
 そう言い残して、席を立ってしまった。
 テーブルの上にカルアミルク二つ。そして、取り残される僕。
 幸か不幸か。喜ぶべきか、あるいは悲しむべきか。自分は魔法が使える。そんな思い切った僕の告白は……妙な形で頓挫してしまった。
 けれど、それでいいのかもしれない。
 周りを見回す。僕のテーブルに注意を払う人なんていない。今は店員も周りにはいない。
 小さく呪文をつぶやく。このくらいの魔法なら、あんまり力はいらない。右手に軽く力を込めて、グラスに向かって少しだけ念じれば――

51 :No.14 その魔法は 4/4 ◇2LnoVeLzqY:07/08/26 23:32:00 ID:FkikrFkY

「ごめん、話が長くなっちゃって……あれ? これって、もしかして妖精スペシャルじゃない!?」
「うん。さっき店員さんが戻ってきてさ、こちらの勘違いであと二つ作れますがどうしますか? って訊かれたから、お願いしますって言ったらすぐ持ってきてくれたんだ」
 僕とユリの目の前には、グラスに入った透明なカクテル。これが妖精スペシャル。作り方は極秘だそうだ。薄くスライスされたスターフルーツが浮かんでいるのが、その印。
 それはこの店だけの、不思議なカクテル。けれど今は……生み出したのはこの僕だ。だから文字通り、これは魔法のカクテル。
「乾杯、しよっか」
 僕がそう言うまで、ユリの目はずっと、グラスに釘付けになっていた。
 僕の言葉に顔を上げたユリは、グラスに手を伸ばそうとする僕を、一旦引き止めた。
「あ、乾杯はちょっと待って。あのね、見せたいものがあるの……少しの間だけ、目を閉じててくれる?」
「見せたいものって?」
「いいからいいから。早く目を閉じて。ね?」
「わかったよ」
 僕は目を閉じた。それから、自分がやったことは正しかったんだろうかと考え始めた。ルールに背いていないだろうか。
 いや、これでよかった。僕はそう思う。本当に必要な時以外は魔法は使っちゃいけない。なら、必要な時は今だ。
「でもやっぱり、これはルール違反だと思うな」
「……え?」
 突然のユリの声。僕は思わず間の抜けた声を出して目を開けてしまう。
 そして僕は、妖精スペシャルが、カルアミルクに戻っているのを見た。
「………そんな」
 グラスの中には乳白色のカクテル。スターフルーツのスライスの浮いた、透明なカクテルの面影はどこにもない。
 そしてテーブルの反対側では、ユリが頬杖をついて、笑いながらこっちを見ている。
「今は緊急時でもないし、必要な時でもないよ。言ったじゃない、仕方ないって。飲みたいって言ったのは本心だけど、また来ればいいんだし。
 何より、何でもかんでも魔法に頼っちゃいけない。これは暗黙の了解。知ってるでしょ?」
「まさか……」
 一年間。それは僕とユリが一緒にいた時間。僕はこれまで、ユリには魔法が使えるってことを教えずに、そして知られずに来た。
 ということは、ユリも。
 グラスの中のカルアミルクを、ストローでゆっくりかき混ぜながら。
 そして笑いながら、ユリは僕に言う。
「……魔法って、信じる?」



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