【 妖刀 】
◆pt5fOvhgnM




18 :No.06 妖刀 1/4 ◇pt5fOvhgnM:07/08/26 21:11:54 ID:FkikrFkY
 死に装束の若い女が一人、古びた堂の軒先で雨宿りをしていた。
 雲に覆われ雨に降られた薄暗き峠道を眺める女の姿は妖しく、どこか異界めいた雰囲気を醸し出している。
 そこに一人の男が現われた。襤褸を着てはいるがその腰にさした刀は一目で業物と知れる立派なものだ。
 だが、刀の立派さに比べ男自身は歳若くどこか気弱い表情をしていてとても刀など振るうようには見えない。
 男の目的も雨宿りであろう。古びた堂へと泥をはねながら駆けて行き……その入り口で立ち止まった。
 死に装束にあまりに似合う結ってもいない長髪に蒼白の肌、その風体は人と言うより幽鬼の如く。
 女は目を見開き立ち尽くす男に向けて微笑を浮かべる。
 真っ赤な唇を下弦の月のように吊り上げた笑みは艶かしく――空恐ろしく。
 男が唾を飲む音が奇妙に大きく聞こえた。
「どうされました、お侍様」
 一段、その笑みを深くした。
 男は恐怖を振り払うように頭を振ると強く拳を握り、泰然自若を装いながら軒先へと入る。
 女の傍らには杖と編み笠、赤ん坊ほどの大きさの行李が一つ。
「……旅芸人の方ですかな?」
 戦のない世だ、畢竟民は豊かになり旅行者も増えた。それでも女の一人旅は珍しい。奇異な服装の旅人はさらに珍しい。
 強いて言えば旅芸人ぐらいである。男の発言はそう的外れなものでもなかろう。
 そして女が狐狸妖怪の類ではなく旅芸人ならば恐れることなど何も無い。
 実際、男は安堵しているように見えた。
「いいえ、芸人ではございません」事もなげに女は答える。
 では、一体?
 男は問おうとはしない。気弱な目をおちつかなげにあちらこちらへと向け、最後は堂の外で止まり俄かに恨めしげな顔になった。
 一刻も早くここから離れたいと思っているのは子供にでも分かっただろう。
 無論、隣の女にも――女は微かに笑い、口を開く。
「最近、峠に人斬りが出るそうですね」
「もう五人はやられたそうです。この太平の世に全く嘆かわしい」やや早口で男は答える。
 くすり、ともう一度女は笑った。
「きっと、妖刀に憑かれたのです」
「妖刀?」男は奇妙なものを見る目で女を見る。「そんなものが果たして存在するのやら」
 吐き捨てるような強い声をしていた。
「そうでしょうか?」

19 :No.06 妖刀 2/4 ◇pt5fOvhgnM:07/08/26 21:12:09 ID:FkikrFkY
「そうですとも」言いながら男は強く頷く。
「私は、そうは思いません」
 何気ない動作で杖を手に取った。左手は杖頭より下五寸の位置に、右手は杖頭に。
 男の目線はまだ女から外れてはいない。その動作も当然目撃しており、怪訝そうに眉根を寄せる。
「妖刀は案外とそこら中に転がっているものでございます」
 静かに右手を一寸ばかり上げた。
 杖頭下五寸から零れ落ちる鈍い鉄の色――刃の輝き。
 さすがに男の表情が変わる。
「何のおつもりか!」
「さて」あくまで嫣然と女は微笑む。「それはお侍様が一番ご存知でございましょう」
 言われ、男は腰の刀に手をかけ呟く。
「……妖刀」
「この仕込みもまた、そう呼ばれておりますねえ」
 唐突に会話は途切れ、雨の音だけが周囲を包む。
 濡れるのを構わず、女は軒先より出てゆるりと五歩歩み、男を正面に見る。
 水を吸った髪は頬に、装束は肌に張り付く。
 浮き上がった体は豊かに艶かしく踊り子にでもなればたちまちのうちに名を高めるだろうと思われた。
 だがやはり、素直に美しいと賞賛するにはおぞましい。
 これから何をするつもりなのか、考えるまでもなく明白、男にもそれが分からない筈は無い、顔に緊張の色が走る。
「天下は太平」途切れた時と同じ唐突さで女が口を開く。「家柄の無い者は仕官の口も無く、腕はたてぞ生かすべき戦場も無い。苛立ちは募るばかり」
 一体何を、と問う男を無視して女は続ける。
「この憤懣いかに晴らすや、そういえば人通りの少ない峠があったか、そこで人でも斬れば気も静まろう。人さえ斬っておれば腕が錆びる事も無く、ついでに金も手に入る。これは良き考えだ」
 女の顔と同じぐらい男の顔が白くなった。
「何故、知っておる」
「お侍様のお腰の刀が、そう言っております」
「戯けた事を……この刀は質で買った安物の数打ち、断じて妖刀などではない」
 言葉通り、男の抜いた刀はどこにでもあるただの刀にしか見えない。
 妖しいと言うならば、目の前に立っている女の方が余程に妖しい。
「いいえ、それは紛れも無く妖刀」首を振る。「お侍様は誤解されておられる。妖刀とは鍛冶では無く、使い手が作るものにございます」
 その時、女が顔に浮かべていたのは紛れも無く哀れみだった。

20 :No.06 妖刀 3/4 ◇pt5fOvhgnM:07/08/26 21:12:28 ID:FkikrFkY
「使い手の邪念、斬られた者の苦痛に怨嗟、断末魔、その全てを刃に受けて刀は育ち、やがて妖刀と化し、最後には担い手の心を食らい産声を上げるのです」
 言い終え、女は仕込みを抜く。
「女……そなたは一体何者ぞ」
 男もまた刀を抜き上段に構えた。
「うらみ、と申すただの女でございます、お侍様と同じくただの人間」
 それが合図であったかのように女は構え、男は駆ける。
 女の構えは実に奇妙なものだった。
 仕込みを逆手に握り背に回し刃を隠している。おおよそ正規の道場剣術ではない。どちらかといえば忍びの技だ。
 慎重な者ならば警戒する、だが男には自信があったのだろう。小細工ごと斬って捨てるイワンばかりに何の躊躇も無く真っ向より剣を振り下ろした。
 惚れ惚れするように美しく、また鋭い唐竹割りの一撃は命中すれば鉄兜すら切り裂いただろう。命中すれば、だ。
 剣は虚しく空を切る。
 半歩左へ動く――最小限の動作での回避、うらみは即座に反撃へ。
 逆手の仕込を振り上げての逆袈裟――これもまた空を切る。
 男は顔をのけぞらしながら、大きく後ろへと跳んだ。
 ぬかるむ土に足を取られ、一瞬だけ体勢を崩し――敵手から視線を外した。
 それは真剣勝負において、最大の失策だ。
 視線を戻した男が見たのは、背を向けたうらみの姿。
 目を背けるのが失策ならば、背を向けるのはもはや失策と言うのすら生温い。もはや自殺行為だ。
 男は、ありえない光景に気を取られ、気付くのが遅れた。
 うらみの背は徐々に大きくなっている――背を向けたまま男の方へと跳び込んでいるのだ
 逆手から順手に、片手持ちから両手持ちへ仕込みの構えも変化し、切っ先は肩越しに男を狙っている。
 ほんの少しでも間合いが狂えば地面に倒れ隙だらけの姿を晒す、後先などまるで考えていない狂気じみた奇襲技だった。
「こんな、剣術、馬鹿……な」
 思わず呟くと同時に――男は胸を刺し貫かれた。
 そして、狂気じみているが故に奇襲としては強烈、初見で避けられる者はまずいない。
 地に倒れる人影二つ、片方は起き上がり、片方はもう立つ事は無い。
 男はまだ辛うじて息があった。だが、それだけだ。助かりはしない深手を負っている。
 泥だらけになってしまったうらみは、憂鬱気に溜息を吐き男を見下ろす。
「当たってしまえば、どんな技であれ同じにございます」
 ひどく静かな目を向けられた男もまた、死の間際特有の奇妙なほどに美しい目をしていた。

21 :No.06 妖刀 4/4 ◇pt5fOvhgnM:07/08/26 21:12:44 ID:FkikrFkY
「辞めようとは、思っていたのだ。斬る度に、思っていたのだ」
 女は何も言わず一つ頷く。
「それがしは、妖刀に操られていた、の、か?」
 少し間を置き、女は頷いた。
「そうか」最後に安堵したような微笑を浮かべ、男は息を引き取った。
 うらみはそれを見届けると仕込みを納め、男の手から刀を、腰から鞘を奪い納刀する。
「哀れなお方」屍を見もせず――刀に視線を向けたまま呟く。「お侍様は元々そういう人間だっただけでございますよ」
 その一言で、男が最期の瞬間に浮かべた安堵はひどく滑稽なものにと成り下がった。
「担い手の命を吸い、たった今、この子は妖刀として産まれたのです」
 そうだ、と答えるように、鞘に納まったままの刀がかたかたと震えた。
「おお、元気な子」
 呟く顔は慈愛に満ち、紛れも無い母性が溢れている。
「お前に名を授けましょう。お前は『嵐世』、これよりお前はその名前通りにこの太平の世を騒がせるのです」
 一際大きく刀が鳴る、まるではしゃぐ子供のようだ。
 満足そうにうらみは刀へ頬擦りをした。
「世に災いあれ、人に死あれ、秩序に楔あれ、徳川に滅びあれ、我が家にもたらされたように、苦しみと恥辱に満ちた滅びあれ――」
 呪詛の言葉を呟きながら、うらみは再び旅立った。
 傘を目深に被り、行李を背負い杖を手に持ち、その胸に妖刀を抱き峠道を去っていく、
 妖しき美貌に決して晴れぬ深い怨みを隠したまま、遠く、遠くへ。

 呪詛に憑かれし女を送るは、降り続く雨と、物言わぬ骸のみ。



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