【 変わりゆく町の中で 】
◆.UuV6WVWjQ




62 :時間外No.01 変わりゆく町の中で 1/5 ◇.UuV6WVWjQ:07/08/20 01:56:29 ID:0Q1ZQsOE
 町が好きだ。生まれ育ったこの町が。外に出ると広がるのは田園風景。その合間を縫うように家
がぽつぽつと建っている。朝は鶏の鳴き声で目覚め、夜は蛙と蝉の合唱を聞きつつ眠りにつく。
 夏には虫取り。ラジオ体操は三日坊主だったが、裏山に行くことを欠かした日は無かった。冬に
は水の無い田んぼで野球をしたっけ。勿論、春だって秋だって遊びにかけては皆勤賞だ。それだけ
遊んでいても遊びに事欠かくことは無い。遊びはどこにでも転がっている。僕達は浜辺で貝殻を探
すように、遊びを掘り返して遊んでいた。
 でも、遊びがたくさんあるからなんて理由だけで町が好きなわけでは無い。澄んだ空気が、透き
通る湧き水が、瞬く星が。そして、一つの米粒を敬い、一日一日を一生懸命生きている人々が好き
だった。都会で住み、便利な生活を経験しても、それは全く変わらない。俺は、僕と名乗っていた
あの頃と少しも変わることは無く、幼き日のあの町が。自然を中心に全てが回っているあの町が好
きだった。
 だから、俺はこの仕事が嫌いだ。走るトラックが、侵食するように広がるアスファルトが、組み
立てられる建物が、入ってくる何も知らない人々が。そして何より、こんな仕事に就いている自分
が嫌いだ。大嫌いだ。
 はぁ、と溜め息を吐いて空を見上げた。空はあの頃とまるで変わらない。なのに、町はこうして
いる間にも変わってゆく。刃を向けられた木々の悲鳴は今も絶えることなく聞こえ続けていた。
 俺は今、町を壊している。



 仕事を早めに切り上げてから、俺は駅のホームで汽車を待っていた。電車ではなく、汽車。と言
ってもSLなんて大層な代物ではなく、蒸気で動いている電車という感じのものだ。正式には気動車
と言うらしい。この辺りには電車は走っておらず、移動は専ら汽車だったので、都会に出てすぐの
頃はよく電車のことを汽車と言って驚かれたものだ。
 しかし、この汽車も後少しで見ることが出来なくなってしまう。この街に巨大なニュータウンを
作る計画が持ち上がり、人口増加を見込んだ鉄道会社が老朽化した汽車に変え、新に電車を導入す
ることを決めたのだ。無人駅だったこの駅も、大幅な改修工事が始まっていて、数十人の作業員た
ちが働いているのがここからでも見えた。

63 :時間外No.01 変わりゆく町の中で 2/5 ◇.UuV6WVWjQ:07/08/20 01:56:45 ID:0Q1ZQsOE
 町は急速に変わっている。まるで、俺の思い出を上書きしていくかのように。俺がここに来てか
ら。つまりニュータウン計画が始まってから、一ヶ月ほどの時間が経っているが、時折ここが知ら
ない町であるかのような錯覚を起こすことがある。そして、数ヵ月後にはこれが錯覚ではなく現実
に変わるのだろう。生まれ育った町から知らない町に。そうなった時、俺は新しくなった町を故郷
と呼べるのだろうか。
 遠くから、微かに汽車の駆動音が聞こえる。時計に目をやると、到着時刻の一分前だった。音は
その間にも大きくなっていき、真っ直ぐ伸びた線路の先に汽車の懐かしい姿が見えた。
 懐かしい。そう感じることがこれからあと何回あるだろうか。あの汽車も、この駅も。全て変わ
っていく。まるで、癌細胞に侵食されているかのように。俺だけが時間に取り残されていた。
 汽車がホームに止まる。ドアが開いて、一人の女性が降りてくる。田舎の路線なので、学生が使
っている時以外は数えるほどしか人がいない。ここで降りるのは彼女だけのようだった。汚れ一つ
無い真っ黒なスーツ姿。襟元から赤いシャツが覗いている。俺は、その懐かしい姿に声をかけた。
「何でスーツなんです?」
「仕事が長引いちゃってね。会議なんて出るもんじゃないわ。最初からわかりきっている議題にバ
カみたいな時間を使って。あんなことするくらいなら――」
 そこで、我が上司――藤川晴香は一度言葉を切ってから、挑戦的な笑みを浮かべて言った。
「バカな部下に会いに来た方がマシね」
「恐縮です」
 笑顔でそう返す。
「じゃ、行きましょうか」
 言って晴香さんは歩き出した。俺はそれに続きつつ、前を行くその背中に声をかける。
「どこへですか?」
 晴香さんはここに来るのが初めてのはずなんだが。疑問に思っている俺に晴香さんは背を向けた
まま答えた。
「一ヶ月も住んでるんだし、そもそもここで暮らしてたんでしょ。当然、飲み屋の一軒や二軒は知
っているわよね」
「でもまだ四時過ぎですよ。いくらなんでも早すぎ――」
「うるさい。とにかく、飲みに行くわよ」
 そう言われたら、俺に反撃する術は無い。何時間飲むつもりなのだろう、と戦々恐々しつつ俺は
その背中を追った。

64 :時間外No.01 変わりゆく町の中で 3/5 ◇.UuV6WVWjQ:07/08/20 01:57:00 ID:0Q1ZQsOE
「えぇ、俺の奢りですか!?」
 たっぷり三時間飲み続けてから発せられた晴香さんの言葉に俺は思わず声をあげた。と言っても
、ただ奢らされるからでは無い。その内容が内容なのだ。晴香さんは三時間止まることなく飲み食
いし続けていた。その金額。締めて二万円なり。
「俺なんか二千円も使ってないのに!」
 つい出てしまった情けない文句に、晴香さんは尚も焼酎を流し込みながら言った。
「良いでしょ。ケチケチしない。給料上がってるんでしょうが。それくらいの甲斐性は見せてほし
いなぁ」
 全く酔った素振りの無い様子である。前々から思っていたけどこの人酒強すぎだろ。
「確かに給料は上がりましたけど……」
 ふと、仕事の内容が頭を過ぎって言葉に詰まる。俺の仕事。すなわち、町のニュータウン計画の
指揮を執ること。
「……正直きつかったりする?」
 一転して優しい口調で言う晴香さん。しかし、女性の前で愚痴を溢すのが躊躇われたので、俺は
平静を装って答えた。
「いや、そんなことは無いですよ。新しいことばかりで最初は疲れましたけどね」
「嘘を吐かない」
 一瞬で見抜かれた。
「私としては、本音を聞いておきたいわけ。あなたをここに抜擢したのは私だしね。それに、言っ
た方が楽になるわよ」
「……じゃあ言います」
 酒の力もあったのだろう。零れだした言葉は水のようにあふれ出し、止まらない。結局悩んでい
たことを全て言ってしまった。
「で、正直どうなわけよ」
「どうとは?」
「止めたい?」
 ――止める。考えないようにしていた選択肢だった。上手く、中々大きな企業に就職できたこと
と、俺にならと土地を売ってくれたここの人達への罪悪感から、考えてはいけないと思っていた。
でも、一度あふれ出したらもう堪えることは出来なかった。

65 :時間外No.01 変わりゆく町の中で 4/5 ◇.UuV6WVWjQ:07/08/20 01:57:15 ID:0Q1ZQsOE
「正直、逃げたいです」
「じゃあ、逃げれば良いんじゃない?」晴香さんはあっさりとそれが当然のことのように言う。「
それはあなたのせいじゃなく、上司の私の責任。辞めたいなら辞めな。ただ給料は下がると思うけ
どね」
 意外な言葉に動揺し、少し言葉に詰まる。でも、既に言うべき言葉は決まっていた。口を開く。
「じゃあ――」
 辞めます。そう言おうとした所で、この一ヶ月のことが頭を過ぎって言葉を飲み込んだ。再会を
喜んでくれたこの町の人々。お前になら、とそれまで他人に譲るのを断固拒否していた土地を売っ
てもらった日のこと。
 ――これでいいのか?
 頭の中で誰かがそう言ったのが聞こえた。
 ――どうせお前が辞めた所で町の変化を止めることはできないのに。
 そうだ。ここで逃げても、どうせ現実にぶつかる。逃げても結局同じこと。
 ――なら、お前が町を作れば良いんじゃないか? みんなが笑って住める町を。お前が、昔を忘
れられる町を。
「――辞めません」俺は今の正直な気持ちを言葉にする。「どうせ逃げても一緒ですから。なら、
他人に作られるより自分で作ったほうがマシです」
「そう言うと思ってた」
 晴香さんは笑って言う。その目はとても優しい。そこで、やっと晴香さんがここに俺を抜擢した
理由に気がついた。
「じゃ、奢りよろしく。私は寝床探さないといけないから」
「俺の家、とかどうです?」
 してやられてばっかりだったので少し反撃してみたくて、俺はそんな言葉を返す。
 晴香さんは、一瞬硬直してから、いつもの挑発的な笑みを浮かべて言った。
「百年と少し、早いかな」
 それから、俺も勘定を済まして外に出る。一気に財布が軽くなったのだけど、それでも俺は満足
感に包まれていた。

66 :時間外No.01 変わりゆく町の中で 5/5 ◇.UuV6WVWjQ:07/08/20 01:57:30 ID:0Q1ZQsOE
 俺にはこの町がかかった『街』という病気を治せない。だけど、その結果を良い物にすることは
出来る。そしてこれは俺にしか出来ないことだ。
 決意を胸に空を見上げる。
 あの頃と変わらない星空が、視界一面に広がった。

 了



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