【 そですりあうも 】
◆0YQuWhnkDM




58 :No.16 そですりあうも 1/4 ◇0YQuWhnkDM:07/08/19 23:49:23 ID:i5b6WJgm
「大丈夫ですか……大丈夫ですか!」
 随分遠くから声が聞こえる気がする。それなのに凄くうるさい。どういうことだ、と目を開いたら、驚くくら
い近くに顔があった。
「あ、気がつきましたか! 大丈夫ですか!」
 どうも視界がはっきりと像を結ばない。意識ははっきりしているように思えるのに……どうしてだ……考えよ
うとすると頭が酷く重い。
「う……」
「喋れますか、大丈夫ですか!」
 声までうまく出ない。そうか、これは明晰夢ってやつじゃないのか。頭ははっきりしてるのに身体が動かない
なんて。そうだ、きっとこれは夢だ。
「ちょ、違います夢じゃないですよ全然はっきり見えてないでしょ大丈夫ですか!」
「うるせ……」
 同じことばかり言いやがって……何だ大丈夫ですかって。大丈夫に決まってるだろう、夢なんだから。誰だお
前は……顔もろくに見えねえし……
 そうだ、中途半端に髪の毛が長いからだ。それが邪魔で顔が見えない。俺は手を伸ばして髪の毛を掴んで……
なんだ、こいつの髪傷み過ぎてパサパサになってるじゃねえか、と思った。そしてそこで意識が途切れた。

「あ、あの、本当すんません」
「いーんですよ。困った時はお互い様だから。熱も下がりそうで良かったっすよ」
 ニコニコしながら日下部さんが小鍋を運んで来る。俺はただただ恐縮して受け取った。色の薄い髪がかさかさ
揺れている。髪の状態は酷いが、イケメンだ。そして料理も上手いらしい。粥が旨い。
「大学は夏休みですよね。バイトとかあったら連絡した方がいいっすよ」
 すっかり一日寝込んで、ついさっき……もう夕方に目がはっきりと覚めると、心配そうに顔を覗き込んでいた
のは顔も見たことのない隣人だった。どうやら俺は夏風邪をおしてバイトに出た挙句、家に辿り着く寸前に力尽
きてしまったらしい。ここはとりあえず運び込まれた隣の家で、うっかり部屋の主のベッドを占領して、あまつ
さえ飯の世話までしていただいてしまったり。都会は怖いもんだと思っていたが、そんなことばかりでもないよ
うだ。まあ、隣人が可愛い女の子で、ここで突然運命の出会いをして急接近! ……なんてことにならなかった
のは、少しばかり残念だけど。
「バイトは丁度今日明日休みなんで……」
 ぼうっと考え事をしていたせいで返事がない俺をまだ熱で頭が働いていないと思ったのか、気付くと日下部さ

59 :No.16 そですりあうも 2/4 ◇0YQuWhnkDM:07/08/19 23:49:38 ID:i5b6WJgm
んが俺の携帯を持って目の前にしゃがみこんでいた。慌てて電話が要らない旨を伝えると、小さく頷いてベッド
サイドにそれを置いていく。そういえば倒れた勢いでぶちまけられてた鞄の中身も拾い集めてくれたって言った
っけ。迷惑のかけ方が酷いぞ俺。
「まだちょっと具合悪いみたいかな。オレこれから仕事なんで、寝てて下さい。部屋に戻ってまた具合悪くなっ
たら大変だし……あ、そうだ。なんかあったら連絡ください。番号入れていいです?」
 え、え。状況を飲みこめない俺の返事を待たず、彼は俺の携帯に慣れた手つきで番号を入力した。なんだ、こ
の人。親切なのかちょっと図々しいのか、判断に苦しむ。
「あ、えと、今から仕事なんですか」
 抗議の声を上げることが正しいのかわからず、俺の口から出たのはそんな言葉だけだった。
「ん? ハイ」
「も、もう夕方なのに、大変ですね」
 不思議そうな顔をされたことにうろたえて、また意味のわからない言葉を発してしまう。何が聞きたいんだか
わかんねーよ、俺よ。
「あぁ、ハハハ。ホストですから」
 えっ?
 一瞬思考が停止した俺に構わず日下部さんはぽいぽいとスーツに着換え、確かに言われてみれば大変それらし
い恰好になった。
「それじゃ行って来ます。ちゃんと寝て下さいね」
 ホストらしく着飾っても変わらない爽やかな笑顔を残して彼は出て行ったが、しばらく俺は茫然としていた。
 おいおい、病人とはいえ初めて顔を合わせた隣人を部屋に一人残して仕事に出て行くってどれだけお人よしな
んだ。お人よしじゃ済まないというか、どう考えても危ないだろう。それとも何か。ホストってのは一般と感性
が違わないと出来ない仕事なのか?
 ぐるぐると混乱した頭を抱えているうちに、俺は寝てしまった。熱には勝てない。そして次に目が覚めたのは、
仕事から帰った日下部さんが、買って来たらしい冷えピタを俺の額に貼っている冷たい感触のせいだった。
 こうして俺は顔のわかる親切な隣人を手に入れた。

 基本的に生活時間帯は合わないが、実家を出てひとり暮しをしている大学生には顔見知りのご近所さんの存在
が奇妙な安心感を与えてくれた。決してそんなものが都会で手に入るものかと思っていたせいもあるのかもしれ
ない。
 日下部さんは顔も性格も良く、きっとそこそこ稼いでいるんだろうなんて勝手に想像したりするのだが、俺と

60 :No.16 そですりあうも 3/4 ◇0YQuWhnkDM:07/08/19 23:49:53 ID:i5b6WJgm
同じワンルームの安アパートに住んでいて、自炊だってきちんとこなしてなんとも慎ましやかな生活をしている。
俺は正直コンビニや外食で済ませてばかりの食生活だったので、たまに彼が作り過ぎたおかずなんかを持ってき
てくれる時にはもう臥して拝まんばかりのありがたさを感じたりして……その素朴な味に舌鼓をうったりする。

「――これがまた旨くてね。あの人なんでホストやってんのかわかんねーなー。顔がいいからだろうけど」
 そして、こんな風に飲み会で、大学の友人なんかに話すネタにもなってもらったりして。ホストが隣に住んで
いるなんてちょっとした非日常との接点は、女の子にかなり興味を持って貰える。
「えー見てみたいイケメンホスト。ねぇ今度遊びに行っていい?」
「生活時間帯が違うから会えるかわかんないけど、遊びに来るのは歓迎するよ」
 ネタにしてごめんなさい。でもほら、大学生ってこういうことに命かけてるから。俺は心の中で日下部さんに
謝って、勝手にあの爽やかな笑顔が「いーんですよ」と応えるのを想像する。
 酒が進んで、隣にいた子がそれとなく寄りかかってくる。俺はニヤニヤしないように気をつけながら彼女の酔
いを心配なんかしてやって、印象をよくしようと企む。どうでもいいような言葉ばかりを並べ立てて、相手が自
分にどういう感情をもっているか探って……あぁ、思っていたよりこういう飲み会って、欲望ばかりが目に付い
てきつい。何より、自分の必死さが。
 ホストって、こういう気持をいつも味わってるんだろうか。ふと考えて、何故かすっと何かが冷めていった。
俺って、ミーハーなんだなあ。大学生になって、浮かれて、今この女の子を連れて帰れるかなぁなんて馬鹿なこ
とを考えていた。俺、この子の名前も知らないよ。授業が同じだけだ。俺、今、街に酔っているんだ。

 気分が盛り下がってしまったまま、俺は二次会にも行かず帰ろうとしていた。隣にいた子も帰ると言い出して、
それなら駅まで一緒に、という話になった。何かを期待しているような顔をしているけど、ごめんなさい。俺は
素面でいることも酔いきることも出来ないヘタレなんです。湿気を含んだ空気が粘りつくようで、居心地が悪い。
「お疲れ。ちょっとこれで冷たいもん買ってきていいよ」
「ジュンヤさんあざーす!」
 会話も上の空で歩いていると、客引きのホストになんとなく目が行く。どこかで見た顔の気がする、ホストっ
て皆似たような顔だな。と思ったらお隣さんがそこにいた。
「……あれ、酒井さん」
 なんとなく声をかけてはいけない気がしたけれど、そういう時に限ってばっちりと目が合ってしまったりする
ものだ。いつも通りの爽やかな笑顔を浮かべて挨拶をされ、思わず立ち止まる。女の子は怪訝な顔をしていた。
「あ、くさか……えと、ジュンヤさんって言うんですか」

61 :No.16 そですりあうも 4/4 ◇0YQuWhnkDM:07/08/19 23:50:08 ID:i5b6WJgm
「本名じゃないですけどね。飲み会の帰りっすか?」
 軽い調子で女の子に笑いかける。なんともスマート。これはもてる。ホストだから当たり前だろうけれど。
「あの、今度遊び行っていいですか」
「……ひとりで?」
 彼の質問に答えていない、ということに気付いた時にはもうタイミングを逃していた。女の子がこちらをちら
ちら見ていることに気付いたのだろう、気を遣うように日下部さんは問い返す。
「はい、ひとりで。自炊教えてください」
 明らかにむっとした空気が横から伝わってくる。さっきの話だけで本当に自分を紹介してもらえると思ってい
たのなら、それは大きな勘違い。俺も良く知らない人を紹介なんて出来るものか。この子も酔っているだけなの
だろう。
「昼まで寝てるから……その後出勤前なら、いつでもどうぞ。たまに同伴してて居ないかもだけど」
 少し戸惑うような顔を見せてから、暑さを吹き飛ばすように日下部さんが笑う。
 顔も知らなかった隣人は、やたらとお人よしで、家庭的で、ホストなんて仕事をしているくせにまったく夜の
においがしない人だった。

「ホストなんて遊んでくれそうでいいなって思ったのに、どうして紹介してくれなかったのぉ」
 不満そうに女の子が膨れる。その息はまだ酒くさい。
「だって、名前も知らないし」
「えぇ?」
「名乗ってないでしょ、キミ」
「……」
「あのさ、今度、授業同じ日にメシ食いに行かない? 昼間に」
 俺も、あんな風に都会の風に酔わずに泳いでいくことが出来るだろうか。……今はただ、流されずに自分から
動き出して行くことを。


    了



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