【 「被写体」 】
◆k.D2pTMHV.




47 :No.13 「被写体」 1/3 ◇k.D2pTMHV.:07/08/19 23:22:24 ID:i5b6WJgm
「お隣よろしいですかな?」
夜のバーである。私がカウンターで1人、カクテルを片手にタバコを吹かしていると、突然声をかけられた。
 振り返ると、初老の男性が、柔らかな笑みを浮かべて立っていた。
「どうぞ」
 私が相席を許すと男はペコリとお辞儀をして静かに腰を下ろした。
 店内が暗いせいもあってか、詳しい表情は分からないが、依然として笑顔は絶やさない、人の良さそうな人物である。
身なりも上品で、物腰もすこぶる丁寧。
 そんな雰囲気に魅かれてか、いつしか私達は親しげにしゃべり始めた。
 「随分と嬉しそうですが、何か良い事でも?」
 「おや、そう見えますかな。いやはや、実は今日、ずっと探していたモノが見つかりましてね」
 「探しモノですか?」
 「ええ、ここ数年ずっと探していたモノ、半ば諦めかけていたモノ、それがひょっこりと」
 彼は再び嬉しそうに笑うと、先ほど注文したカクテルをグイと、勢い良く飲みほした。
 何やら興味深そうな話である。ちょうど退屈していたこともあり、私は彼に尋ねていた。
 「良ければ、その探しモノとやらの話を、お聞かせ願えませんか?」
 「喜んで。これも何かの縁でしょう、私もぜひあなたに聞いてもらいたい」
 そう言って、ふぅーっと一息つくと、彼は語り始めた。
「私はこの街で生まれ、この街で育ちました。数回の旅行を除けば、この街の中で私の人生ははぐくまれてきたのです。
今でこそ建設が進みニュータウンとなっていますが、昔はこの街も多くの田んぼや畑が広がっていました。
そこに私の通った学校、駄菓子屋、銭湯があった。目を閉じると今でも鮮明に当時の姿が浮かんできます」
 彼は懐かしむように目を閉じ、一息入れると、話を続けた。
「いつしか私はカメラマンを目指すようになっていた。変わり行くこの街の姿を何らかの形で残したい。そんな気持ちが沸き起こったのです。
幸い、親戚が写真館を営んでいたので、そこに弟子入りすることにしたのです。
 そりゃあもう、仕事は大変忙しいものでした。腕を磨くと同時に、店のあらゆる雑用をやらされましたからね。
でも、そのわずかな合間を縫って、私は街に飛び出し、ひたすらシャッターを切りました。
 そうするうちに気がついたのです。街は一つの大きな生き物だと。撮影する度にその姿を変え、一度だって同じ表情をしない。考えてみたら当然のことです。街を形作るのはそこに住む生き物。そこに住んでいる我々が笑うと街も笑うし、悲しければ街も悲しむ。
 ますます私は撮影にのめりこんで行きました。街という愛すべきとても大きな被写体を意識できるようになったのですから。まさに自分の子供を撮影しているような感覚でしたよ。


48 :No.13 「被写体」 2/3 ◇k.D2pTMHV.:07/08/19 23:22:40 ID:i5b6WJgm
そうして飽きることなく、数十年が経ったある日、奇妙なことに気がついたのです」
「奇妙なこと?」
 私が聞くと、彼はしばらく押し黙った後、静かに口を開いた。 
「それは今までに撮った写真を整理していた時のことです。写真を見て年代ごとに分類していたのですが、ふと数年前に撮った一枚の写真が目に留まりました。
なんてことはない、駅前の交差点を写した写真。夕暮れ時、会社帰りの人々の雑踏を捕らえた一枚。それに私は奇妙な違和感を覚えたのです。
 自分をそうさせるのは何なのか?気になって、写真を食い入るように見つめました。すると交差点を歩いている1人の男に気がつきました。
 30代くらいのサラリーマン風の男。慌しく交差点を渡る人たちに比べ、どこかのんびりとした様子で歩いている。顔つきはそうですね。どこにでもいそうな平凡な顔。
悪い印象が無い分、どこか無個性。存在感のない人と言うのが正しいでしょうか。写真の中にきれいに溶け込んでおり、注意深く見ないときっと見落としていました」
「お知り合いで?」
「いや、これがまったく顔に覚えの無い男なのです。知り合いでもないし、どこかで会った記憶もない。
それなのに、なぜか私はその男をどこかで見かけたような気がするのです。普通のことなら、そういうこともあるかもしれないと、気にしないところですが、なにぶんこれは私の撮った写真。無視するわけにはいきませんでした。
 ひとしきり考え込んだところ、ふと思いついたのです。もしかしたら、この男は他の写真にも写っているのではないのかと。その考えは正しいものでした。
数百枚に及ぶ写真を丹念に見返して見ると、その多くにひっそりと男の姿が写っていたのです」
 「偶然同一人物が写りこんでいただけでしょう」
 私は幾分ぞんざいに返す。
 「私も初めはそう考えました。事実は小説より奇なりと言いますし、その可能性も0ではないと。
しかしです。その男は数年前に撮った写真にも写っていたのです。数年前なのにまったく年を取っていない、変わらぬ若さのままで」
 「まるでホラーだ」
 「ですが、不思議と怖いという印象はありませんでした。その男は駅前の交差点だけでなく、公園や学校、その他様々な場所に姿を現すのですが、どれものんびりとした様子で、むしろこの街を見守っているような、そんな印象を受けるのです」
 「……」
 私が返答に窮していると、それを察したのか、彼は苦笑を浮かべた。

49 :No.13 「被写体」 3/3 ◇k.D2pTMHV.:07/08/19 23:23:01 ID:i5b6WJgm
「いや、突飛な話で困惑されるのも無理はない。だが、もう少し付き合っていただきたい。ここからは私の勝手な推測になるのですが、次第に私はその男がこの街そのものではないか?そんな風に考えるようになりました」
 彼はどこか遠くを見つめるように話をつむぐ。
「街は大きな被写体。そう考えて何十年もこの街の表情を撮り続けてきた私に対して、街が人の形をして応えてきてくれたのだと。私の目標が達成されたのだと」
 テーブルに置かれた彼の両手がきつく握られる。
 「いつしか私はその男に会いたいと考えるようになった。自分の考えが正しいとか間違っているとか、そんなことはどうでも良かった。自己満足だが、とにかくただ一言お礼を言いたかったのだ。私をそういう気持ちにしてくれて『ありがとう』と」
 彼はそう言い終ると、不意にこちらに向き、私の顔をじっと見つめてきた。
 その瞬間、暗がりで窺えなかった彼の顔を電球の光が照らし出す。
 そこには年老いた職人の顔があった。すべてに決着をつけた満足気な顔。
 彼と私の目が交差する。半信半疑だった冷たい私の心に何か熱いマグマのようなモノがこみ上げてくるのが分かった。
 名刺をしまっている背広の内ポケットに伸ばしかけた手を、私は静かに下ろす。
 「ありがとう」
 それを見てとった彼はそうつぶやいた。
 どこかで間の抜けた鳩の鳴き声が聞こえる。店の奥の壁にかかってある鳩時計が夜の11時を告げていた。
 「もうこんな時間だ。私はそろそろ失礼させていただきます。今日は老人のつまらない話に付き合わせてしまって申し訳ない。せめて、ここの払いは私に任せてください」
 彼は深々とお辞儀をすると、会計を済まし、夜の街へと吸い込まれていく。
 遅れて私も店の外に出る。目の前には赤信号を待つ多くの人々の姿があった。
 青信号。私は静かにその雑踏へ一歩を踏み出した。
 今日も街は息づいている。



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