【 「街の掟」 】
◆5TYN0TTM3Q




39 :No.11 「街の掟」 1/4 ◇5TYN0TTM3Q:07/08/19 23:03:43 ID:i5b6WJgm
 かつて人々が行きかった大路は、亀のこうらのようにひびわれ、
立ち並ぶ家々は、雪を間近に控えた落ち葉のように朽ち果てていた。
長く続いた戦乱や飢饉、疫病のために、京はまるで時が止まったか
のようにひっそりとしている。
 「ここでは最早、悪事を働くことすらかなわん。ねずみでさえ痩
せ細っているではないか」
 盗みから殺人まで、あらゆる悪を行ってきた男はそう吐き捨て、
京を離れる決心をした。
 二、三ヶ月前に風の噂で聞いた、とある街に行ってみようと男は
考えていた。宿場を中心に造られた街で、各地から商人が集まり、
週に一度は市が開催され、かつての京に勝る程、栄えているらしい。
しかも、全く犯罪が起きないほど、皆が幸福に生活しているそうだ。
もしその噂が本当であれば、これほど働きがいのある場所はない。
男は、川に沿って南へと向かっていった。
 丸二日、山の中を歩き続け、ようやく鬱蒼とした森林を抜け出し
たところで、男は一人の女を見つけた。町人では手に入らないよう
な上等な着物を身にまとった女を見つめ、男は思わず口角を上げた。
最初、呆っと男を見ていた女は、男の不気味な表情におののき、慌
てて逃げようとする。
「待て!」
 久しぶりの獲物に興奮した男は、疲れも忘れて女に飛び掛り、着
物を剥いで犯した。


40 :No.11 「街の掟」 2/4 ◇5TYN0TTM3Q:07/08/19 23:04:01 ID:i5b6WJgm
 男は目を覚ますと、自分が綿のつまった上等の布団に包まれてい
ることに気づいた。あの行為のあとの記憶がない。呆っとしたまま
目を横にやると、あの女がいる。
「ようやく、お目覚めになりましたね」と女が微笑む。
「ここはどこだ」
 男はまだ状況が把握できていない。あれは夢だったのだろうか。
「ここは、私の父親が営んでいる宿です。あなた、あの後いきなり
倒れてしまって。ここまで運ぶのはとても大変でしたよ」
 笑みを浮かべたままで女が続ける。
「お腹すいているでしょう。今、ご用意いたしますね」
「俺は、お前から着物を盗もうとして、さらに犯した。なぜそんな
男を助けるのだ」 
男はようやく理解し、女を睨みつけた。
「・・・・・・何か理由があってのことなのでしょう? 他人のことを考
えて、助け合い、許すこと――それがこの街の『掟』ですから」
 女は相変わらず男に笑顔を向ける。
「十年ほど前は小さかったこの宿場も、私の父が『掟』を取り決め
てから、様々な人が集い栄えるようになりました。そのおかげで、
皆、幸せに生きているのです」
 幼い頃から、他人から奪われ、他人から奪うことしか知らなかっ
た男は、生まれて初めて胸に痛みを覚えた。沸き起こる得体の知れ
ぬ感情は涙に変わり、男の目からあふれ出した。

 男がこの街に辿り着いてから十年の月日が流れた。あの事件の後、
女に懺悔し心を入れ替えて生きていくことを誓った男は、女との間
に娘を授かり、いまでは女の父親が営む宿で働いていた。
 女の父親の定めた掟の下で街はさらに栄え、宿は毎日のように商
人や行客であふれている。休む暇もなかったが、男は幸せを感じて
いた。妻を持ち、やりがいのある仕事に就き、娘まで授かった。十
年前の自分には考えられないことだ。

41 :No.11 「街の掟」 3/4 ◇5TYN0TTM3Q:07/08/19 23:04:17 ID:i5b6WJgm
「――人殺しだ!」
 突如、時間を切り裂いて叫びが起こる。
男が宿の一階にある酒場の戸を慌てて開けると、包丁を持った小間
使いが、数人の客に取り押さえられているのが見えた。
 部屋の奥に顔を向ける。男の目に朱が飛び込む。血だまりの中、
女と娘が重なって倒れていた。

 宿の二階に、この街の掟を定めた女の父親をはじめとした老人が
三人、小間使い、そして男とが集まった。小間使いは、男に気があ
ったため、邪魔者である女と娘を刺し殺した、と自供した。男は今
にも殺す勢いで、小間使いをにらみ続けている。
「それでは、皆の者。良いかな?」
 女の父親が沈黙を破り、他の老人に目線をやった。
「小間使いは放免。今回のことを悔い改め、心を入れ替えて生きて
いくことを誓いなさい。――以上」
 女の父親がそう言うやいなや、男が叫んだ。
「ふざけるな! そんなことでは俺の気が済まん! こいつは俺が
殺してやる」

42 :No.11 「街の掟」 4/4 ◇5TYN0TTM3Q:07/08/19 23:04:34 ID:i5b6WJgm
 女の父親は男を制し、弁じる。
「お前もこの街の『掟』は知っているだろう。いかなる時も他人の
気持ちを汲み、許し合うこと・・・・・・」
 男はさらに憤った。
「納得がいかん! あなたも娘と孫を殺されて何も思わないのか!」
 女の父親が、男の目を真っ直ぐに見据える。
「・・・・・・街は人間を飲み込みながら成長していく。まるで生き物の
ようにな。街を維持するためには人間が必要だ。そして、人間が集
うために必要なのは、『他人を許すこと』だ。何をされても我慢を
し、笑って、忘れたふりをして・・・・・・そうやってこの街は栄えてき
たのだ。いままでもそう、これからもそうだ」
 まだ怒りの治まらない男に、女の父親が続ける。
「この街に長く住む者は、大抵我慢をしてきた。ワシもそう、そして・・・・・・娘もだ」
 男が動きを止め、父親を見つめる。
「・・・・・・どういうことだ?」
「まさか、忘れたわけではあるまい? 自分の犯した罪を。娘はお
前に受けた辱めを、この十年間、ずっと笑いながら我慢していたの
だ。誰にも悟られないように、忘れたふりをして。『掟』を守って
いたのだ」

 誰もいなくなった部屋で、男は呆っと、木壁を見つめ続けていた。

 明日も明後日もそして十年後も、この街には人が集い、そうやっ
て生き続けていくのだろう。   (終)



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