【 独り占め 】
◆uOb/5ipL..




28 :No.08 独り占め 1/4 ◇uOb/5ipL..:07/08/19 18:32:14 ID:i5b6WJgm
 私は自分の隣で眠る、愛すべき人の手に触れた。愛しい人の温もり。時期にこの温もりは
失われてしまうのだが、その時が来ても私はこの人を離しはしない。
 ずっとこうしていられると思うと、私は幸せだよ……。
 

 私が自分の想いに気付いたのは高校一年の夏だった。前から自分と気が合うとは感じてい
たけど、明確に意識したのは夏の日の午後。
 夏の光線が猛威を揮い人々が外に出る事さえ躊躇う日が続いたあの頃。私は好きな人が出
来た。高校の一つ上の先輩で、初めて見た瞬間から恋に落ちた。何とかして先輩を落とそう
と躍起になったものの、結局私では落とせず見事に玉砕。初めての失恋に打ち拉がれている
時に、優しく慰めてくれたのが兄だった。
 兄は泣きじゃくっていた私に彼是と話題を提供しては、何処かに出かけようと提案してく
れた。乗り気じゃなかったが、何度もしつこく誘ってくるし、兄の面子を保つ為に誘いに乗
る事にした。
 連れて行ってもらったのは知らない街。電車を乗り継いで、見慣れた風景がどんどん消え
去り、目的地に着いた時、私の目の前に広がっていたのは完全なる別世界。少し田舎臭い風
景だったけど、なんだか好感が持てた。空気も陽の光さえも違って感じるので、同じ国とは
思えない。遠くに見える山々、鮮やかな緑色の木々。木霊する蝉の声。溶ける雲。暑さで揺
らめく陽炎。
 まるで、時の流れが止まっているような街。この街に居たら、永遠に同じ時を過ごせそう
な感覚に陥る。流石兄が連れてきただけはある。
 知らず笑顔になり、キョロキョロする私を見て、兄は嬉しそうに微笑む。
 ――その笑顔を見た時悟った。
 ああ、私はこの人の事が好きなんだと。本当に好きなのはこの人なんだと。先輩に感じた
想いよりも遥かに強い想い。
「ここ、いい場所だろ? 冬もいいけど、オススメは夏だ」
 自分の宝物を無邪気に披露する子供のような笑顔。そして兄の瞳に映る自分の顔。
 
 この日から、私は兄の事しか考えられなくなった。ずっと、兄の笑顔を見続けていたかった。


29 :No.08 独り占め 2/4 ◇uOb/5ipL..:07/08/19 18:32:31 ID:i5b6WJgm
 兄に恋をしていると自覚したものの、気持ちなんか打ち明けられる筈もなく。それとなく
兄に「構って欲しいオーラ」を振り撒きながら時間は過ぎて行く。
 そんな私に「兄の結婚」という情報が飛び込んできたのは三日前。大学受験を目前に控
えていた私の精神を大きく揺さぶった。それ以前に、兄に恋人が居たなんて知らなかった。
 家に帰ってきた兄を問い詰めた所、最初は動揺していたが「本当だ」と教えてくれた。今
度は私が動揺してしまい、軽く周囲の音が聞こえなくなった程だ。
 母の電話での嬉しそうなやりとりを偶然聞かなければ、私が気付く日は更に後だったろう。
 両親が私に「兄の恋人の存在」「兄の結婚」という事を教えてくれなかったのも納得出来
た。早い段階で聞かされていたら、私は受験勉強どころじゃなかったはずだ。
 自分の気持ちを落ち着かせるのに丸三日掛かったが、この現実を受け入れない事には前に
進めない。声を殺して枕も濡らしたが、時間が経てばこの傷は癒えてくれると信じ、兄に頼
み事をする事にした。
「旅行?」
 家のリビング。テレビからのニュースを垂れ流しにしながら窓の外を眺めていた兄は、私
の提案に顔を顰める。この顔だけで乗り気じゃないのは解る。だが、そう簡単に引き下がる
ほど私は弱くない。ここから攻めていくのだ。
「うん、旅行。お兄ちゃん、結婚してこの家を出て行くでしょ? だから最後に、可愛い妹
と記念旅行なんてどう?」
「阿呆か。妹っていっても立派な女。婚前に二人きりなんて無理だ」
 こう切り返してくるのも想定内。真面目な人だから。そんな所がいいんだよなぁ、と想い
ながら私はさっさと切り札を切る。コレさえ切れば確実に兄は落とせるから。
「そうなんだ、でもどうしよっかなぁ〜。もう、旅館の手配も済んじゃってるんだよね〜。
しかも予約は明後日。キャンセルしたら向こうの人に迷惑掛かるだろうな〜」
 そっぽを向きながらそう呟く。横目に映る兄の頬が引き攣るのが解る。真面目で優しいか
ら、他人に迷惑を掛けるのを嫌がる。だから、直前でキャンセルという事にも罪悪感を感じ
てしまう兄。
「……解ったよ」
 舌打ちをし、溜息を吐く兄の顔を見ながら私はほくそ笑んだ。
 後は私の努力次第だと。

30 :No.08 独り占め 3/4 ◇uOb/5ipL..:07/08/19 18:32:46 ID:i5b6WJgm
 高校一年の夏の記憶をなぞるように、私と兄は電車に揺られながらあの日の場所を目指し
た。あの時とはこの車窓から見える景色も違うし、私の視方も違う。適当に眺めていた移り
ゆく景色を、今は笑顔で眺めている。
 兄に「どれだけ私がこの日を楽しみにしていたか」を語っているうちに電車は目的地に着
いた。あの日感じた温度に感じた風景。全てはそのままだった。まるでこの空間だけ時間が
流れていないようにすら感じる。ひょっとしたら、この街の時間の流れは他の場所に比べて
進むのが極端に遅いのかもしれない。だから、いつまでも綺麗なまま。
 私と兄は旅館に往く前に軽くその辺を散歩する事にした。観光地でもないこの田舎の街に
は何も無いが、代わりに自然が多くある。流石は兄が好むだけあって悪くない。森林浴をし
ている時、六回ほど逡巡した挙句兄の手を?んだ。兄は「ん?」という顔をしたが、私の顔
を見て意味を理解したのだろう。そっと握り返してくれた。少し汗ばんだ兄の掌はとても心
地良くて、ずっと繋いでいたかった。
 この街を色々と見て回り、兄と「あーだこーだ」言いながら歩いているうちに旅館に着い
た。あの時は日帰りだったので、泊まれる事を嬉しく思える。女将さんに「ご予約の○○さ
んご夫妻ですね」と笑顔で言われた時の兄の顔。生涯忘れる事はないだろう。思い出しただ
けで笑いがこみあげる。
 井草の匂いが香る部屋に通され、休憩がてら兄と談笑。お風呂に入り、それから夕飯。
 意外にも美味しい料理に驚いているうちに時間は過ぎて行く。
「ねぇ……」
 布団も敷き終わり「麻雀でもやるか?」と訊いてきた兄に、私は言っておきたい言葉を口
に乗せた。
「私をさ、抱いてみない?」
「……遠慮する」
 素っ気無い、それでいて明確な拒否の意思が含まれた言葉に、涙が出そうになる。ここま
で兄に拒否されたのは初めてだ。「でもっ!」と食い下がる私に兄は「無理に決まってるだ
ろ」と一言。長い言葉を並べられるより、深く突き刺さる。勿論自分が無茶苦茶な事を言っ
ている事ぐらい理解してる。それでも自分を抱いて欲しかった。どうせもう、これで最後な
のだから。でも、想いは言葉にする事なんか出来なくて。興味ない態度で私の顔を眺めてい
る兄の顔を見ていたら、涙が止まらなくて。みっともないくらい大声を上げて泣きじゃくっ
た。 

31 :No.08 独り占め 4/4 ◇uOb/5ipL..:07/08/19 18:33:02 ID:i5b6WJgm
 泣きじゃくり続けた私を、兄は抱いてくれた。それがみっともないくらいに泣き喚く私に
対しての同情だったのか、それとも私に未練を残させない為の手切れ金のような感覚だった
のか。どんな想いで兄が私の事を抱いたのかは解らないが、間違いなく兄は私を抱いてくれ
たのだ。あの時の感情は偽りなんかではない。
 隣で眠る兄の寝顔を見る。ぐっすりと眠っているその顔を見ていると、自然と笑みがこぼ
れてくるから不思議だ。兄の唇に触れ、そっと自分のを重ねると、暖かい気持ちになれる。
 この街は時間の流れが他の場所に比べて進むのが極端に遅いと思う。止まっていると錯覚
する程に。だから、私はこの場で兄とゆっくりしていられる。
 兄が目を覚ます事はもうないけれど、その代わりずっと私の傍に居てくれるのだ。ずっと
ずっと。
 もう一度キス。この唇が声を紡ぐ事もないけれど、悲しくはない。兄の声はちゃんと鼓膜
に刻み込まれている。兄の表情も網膜に刻み込まれている。
 ……もう、兄は何処にもいかないのだ。ずっと私の傍に居るんだ。私は兄の手を握る。離
さないように。
 夜空に浮かぶ蒼い月がこの部屋を照らす。窓に映る私と兄の姿。
 窓に映っている私の顔が嬉しそうにほころんでいる。
 ……ふふ。ねえ、お兄ちゃん? 幸せかな?
 
 私は自分の隣で眠る、愛すべき人の手に触れた。愛しい人の温もり。時期にこの温もりは
失われてしまうのだが、その時が来ても私はこの人を離しはしない。
 ずっとこうしていられると思うと、私は幸せだよ……。


 了



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