【 ニジイロ 】
◆No4wBASkUM




21 :No.06 ニジイロ 1/3 ◇No4wBASkUM:07/08/19 15:32:36 ID:i5b6WJgm
 夏休みに入って二回目の土曜日。天気は快晴。絶好の引越し日和。引越しセンターのトラックは、家財道具を乗
せて一足先に目的地に向け出発していた。父さんと母さんは、マンション管理人のおじさんに挨拶に行っていた。
そんな日のお昼近くだった、ケンタがやって来たのは。

「ん、これ。やるよ」
『おう!』とか『やぁ』とか何時もの挨拶の後、ケンタはそう言って右手を差し出した。僕はソレを両手で受け取る。ず
しりと重たい感覚。僕の手の中には、ケンタの宝物の万年筆があった。
「……ダメだよ。ダメだ、受け取れない。だってこれ、ケンタの宝物じゃないか」
 僕はびっくりする。だってこれはケンタが一番大切にしていた宝物。それは黒光のする立派なもので僕ら小学生が
持つには不相応な物だった。これは去年、四年生の一学期、道徳の時間に自分の宝物を発表をする授業でケンタ
が持ってきた物だった。たしかケンタは、おじいちゃんの形見だと言っていたはずだ。あの時だって、僕に触らせても
くれなかったんだ。
「俺、字キタナイし、ヘタクソだからさ。ヒロキなら字キレイじゃん」
 僕が返そうとすると、そう言ってケンタは受け取りを拒んだ。
「だから、ヒロキにやるよ」
 右手でズイっと僕を押す。
「いや、ダメだ。だって、大切な物だろ? 返すよ」
「んだよ、俺が良いって言ってんだから、やるよ」
「でも……」
「……なんだよ」
「じゃあ、借りたことにする」
「しつこいなぁ、あげるってば」
 ケンタは左手で頭をかき始めた。これはイライラした時のケンタの癖だ。
「いや、ダメ。借りた事にしておく」
「なんで?」
「だって、借りたものは何時か返しに来なきゃダメだろ? だから、何時か必ず返しに来るから。借りるって事で、良い?」
 と僕が言うと、ケンタは笑いながら「ああ、いいよ」と言い、今度は右手で頭をかき始めた。それはケンタの照れたときの
癖だった。僕もいつの間にか笑っていた。

22 :No.06 ニジイロ 2/3 ◇No4wBASkUM:07/08/19 15:32:51 ID:i5b6WJgm
 僕とケンタは親友だ。同じクラスになった事は無いし、家だって結構遠い。性格だって全然違う。何時から二人で
遊ぶようになったのだろう、良く分からない。気が付けば何時も二人で、走ったり、転んだり、バカやったり。ケンカ
もするけど、仲直りもはやくて、とにかく、僕たちは親友だ。それはゼッタイに絶対だ。
 父さんの転勤が決まって、引っ越すことになったのを最初に伝えたのもケンタだ。その時からだ、フワフワした様
な、ユラユラした様なヘンテコな気持ちが僕に沸いてきたのは。新しい土地へ行く不安とかは無かったけれど、その
感覚だけはずっと僕に付きまとっていた。

「宏樹、もうそろそろ行くぞ」
 どれくらいケンタと話をしていただろう。僕を呼ぶ声に振り向くと、父さんと母さんは借りてきた車に乗って僕を待って
いた。管理人のおじさんへの挨拶は、随分前に終わったようだった。僕は慌ててケンタに紙切れを差し出す。
「これ、向こうの住所と電話番号。それと万年筆、ありがとう。絶対に返しに来るから」
 ケンタは左手で紙切れを受け取ると、また右手で頭をかいた。
「その万年筆、ホントに俺の宝物なんだから絶対返しに来いよ」
「うん」
「それと、……手紙、寄越せよ。約束だかんな」
「分かってるよ、この万年筆で書くよ。ケンタこそ手紙、書けよ」
「俺は電話にする。だって、手紙ってメンドクサイじゃん」
「それにケンタの手紙じゃ、字汚くて読めないからな」
 僕はなんだか照れ臭くなってチャチャを入れる。
「るせーよ。……うん、必ず電話する」
 ケンタは紙切れを確かめるように見た後、ズボンのポケットに仕舞い込んで右手を差し出した。僕も右手を差し出す。
 握手。
「じゃあ、またな」とケンタ。満面の笑顔。
「うん、またね」と僕。僕も満面の笑顔。そして、僕は車の後部座席に乗り込む。

23 :No.06 ニジイロ 3/3 ◇No4wBASkUM:07/08/19 15:33:05 ID:i5b6WJgm
 乗り込むと僕は窓を全開にして身を乗り出す。こんな事をすると、普段なら怒鳴る父さんも今日は「危ないから気をつ
けろよ」とだけ、怒る気は無いようだった。車は走り出す。ケンタはマンションの前で手を振っている。僕も手を振る。車は
加速し、ケンタは次第に小さくなる。僕は負けじと車から大きく身を乗り出して、大きく手を振る。力一杯、右手を振り続け
る。
 車は二つ目の信号で右折して、そこでケンタは見えなくなった。見慣れた街並みが離れていく。スーパーにコンビニ、
通いなれた小学校、そしてケンタと遊んだ公園。ケンタと二人で走って、転んで、バカやって、ケンカして、仲直した、僕た
ちの街が、離れていく。車の座席に座りなおすと、僕は眼に涙が溜まっているのに気づいた。オマケに鼻水も。先刻まで
は笑っていられたのに、何時の間にか顔中グシャグシャだ。

 今なら分かる。今迄のヘンテコな感覚。フワフワしたような、ユラユラした様な気持ち。あれは新しい土地へ行く不安じゃ
なかったんだ、この街と離れる不安、ケンタと離れる不安だったんだ。
 右手で涙を、左手で鼻水を拭いながら空を見上げた。煌々と照り続ける真っ白な太陽が、涙で滲んで僕の眼の中にだけ
虹を作る。ケンタの眼にもこの虹が映っているだろうか。見慣れたはずの街が輝いて見える。

 僕は、ケンタに貰った万年筆を握り締めながら、約束した手紙の内容を考えた。電話じゃ伝えられない事も、この万年筆
ならきっと伝えられる。最初はこの虹の事を書こう。この日、僕たちの街は虹で多い尽くされていた事。言葉では伝えられ
なくても、文字なら伝わるかもしれない。いや、ケンタになら伝えられる、ケンタなら分かってくれる。それはゼッタイに絶対だ。
だって僕たちは親友なんだから。

 僕は、涙と鼻水を拭って、もう一度窓の外を見る。虹色の街がそこにあった。

<終>



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