【 丸の内アリストクラティック 】
◆QIrxf/4SJM




13 :No.04 丸の内アリストクラティック 1/4 ◇QIrxf/4SJM:07/08/19 13:33:52 ID:i5b6WJgm
 第三王女ロレッタと、その幼き婿養子は、今宵も同じベッドの中で愛をはぐくんでいた。
 少年はすやすやと寝息を立て、ロレッタは少年を抱きしめて想いを馳せている。
「ああ、あなた。命名の儀を目前に控え、何を思うのでしょう」
 ベッドの天蓋から垂れるレースが、聖域のように二人を包んでいる。ブランケットの中の温もりは、まさに愛の温度だった。
「私にはロレッタという名前があるけれど、あなたにはそれが無いなんて」ロレッタは少年の頭を撫でた。「それがどんなにつらい事か、私は知っているのです。檻の中に囚われ、外の世界を知らぬロレッタは、あなたの名を尋ねまわることも叶いません」
 ロレッタの憂いは宵の中に沈み、一滴の涙がこぼれた。
「ああ、私は口を塞がれた憐れな小鳥。羽の中の愛しき夫に名を呼ぶことも許されず、ただ口付けのみで互いを確認するしかないのね」
 烈々たる純愛の花畑を歩けば、美しい薔薇の棘に傷つくこともある。だが、太陽を遮る曇天の闇の中、聖痕は光り輝く残像を残し、薄紅色をしたみずみずしいその唇で愛おしき者の渇いた唇をついばんだ時、愛の軌跡は収束を始めるだろう。
 ロレッタは、少年の寝顔をじっと見つめて、口付けをした。
 流れ込んでくる追想のメロディ――絢爛たる皮を被った檻の中の生活で、膨らんでゆく愛の渇望、外への憧れ――突如、降って湧いたかのように現れた、名を持たぬ麗しき夫――全ては光の渦の中である。
「ああ、名を呼ぶことも出来ないなんて」
 名を呼び、少年の振り返る姿を想像した。
 頬を上気させ、二人はゆっくりと歩み寄る。そして、朝露の残った草原の上に倒れこみ、身を重ねるのだ。溶け合い一つになる営みの中で、ロレッタは少年の名を口にする。
「私が、一番初めにあなたの名を――」
 ロレッタは、降りてきた霞のようなまどろみに沈んでいく。
 濃さを増していくまどろみは、ロレッタの瞼を重くした。
 同じ濃霧に包まれている。その華奢な腕の中には麗しき夫がいる。
「おやすみなさい。私の愛しき旦那さまよ」

 ロレッタの知らぬ、この大陸のどこかで、夜な夜な集まった七人とその主が、パンとワインを口にしながら意見を交わしていた。
「命名の儀では、ウィンズケープの王族が一箇所に集まるだろう。それを狙わぬ手は無いというものだ」
「ええ、着々と準備は整っております」
「数人の王族を始末し、混乱に乗じて戦を仕掛ける。余を卑怯であると罵るか?」
「とんでもございません。全ては、あの肥沃な領地を手に入れるため。我が国の繁栄のためでありましょう」
「豊熟の稲穂と、清流のきらめきを我らの手に」
 こちん、とワイングラスのぶつかる音がした。

 朝の日差しを受ける前に、少年は目を覚ました。侍従が起こしに来るまで、しばらくの時間がある。
 少年の顔は、ロレッタの胸元にしっかりと抱きこまれていた。鼻をひくひくと動かすと、大好きなロレッタの香りを感じることが出来る。
 ふかふかの胸に顔を埋めていると、とても幸せな気分になるし、何か大いなるもので包まれているようかのに安心できた。ロレッタはたくさんのものを与えてくれる。

14 :No.04 丸の内アリストクラティック 2/4 ◇QIrxf/4SJM:07/08/19 13:34:10 ID:i5b6WJgm
 ずっと抱かれていたいけれど、太陽は待ってはくれない。目前に控えた命名の儀に向けて、準備をしなくてはならないのである。
 そっと腕から抜け出すと、ロレッタの鼻先に口付けをした。
「おはよう。お姉ちゃん」
 何度か頭を撫でてやる。ロレッタの寝顔はとても可愛らしくて、少年は顔を綻ばせた。
「んん――」
 ロレッタの瞼がゆっくりと開く。目をこすってから数度瞬き、少年に瞳を据える。
「まあ、あなた」
「おはよう、お姉ちゃん」
「おはようございます。でも、ロレッタと呼んでくださらなければ、いやよ」
 目と目を合わせて微笑みあった。ささやかな、朝の儀礼である。
「今日、ぼくはどんな名前を貰えるのかなあ」
「きっと、素敵な名前でしょうね」
「お姉ちゃんと同じ名前だったらいいな。離れても、ぼくの中にお姉ちゃんがいることになるもの」
「名前が同じでなくても、ずっと一緒にいられますわ。ライラックを心の中に咲かせて、うす紫色に潤んだその気持ちは、永遠という時の中で消えることはありませんもの。あなたと出逢ったときから、季節は春だけになったのよ」
「よくわからないけれど、きっとぼくもそうなんだ」
 うっとりと見つめ合っていると、侍女のマリィが起こしに来た。
「起きていらっしゃったのですね。姫さま、お召しかえにいたしましょう」
 二人はベッドから降りて、しばしの別れを惜しむ。
 少年は続いて入ってきた侍女に連れられて、寝室をあとにした。
「今日はうす桃色のガウンがいいわ」
「パフスリーブのとっておきがございますよ。先日、アルスター王から結婚祝いにいただいたものです」
 もし、ロレッタがあと数年早く生まれていたのなら、アルスター王にとつぐことになっていただろう。隣国のアルステリアを抑えておくには、その手が最良であるからだ。ロマンスの欠片も感じられない政略結婚をせずに済んで、ロレッタは神に感謝したものだ。
「なんて満たされているのでしょう。おお、神よ。そして、麗しき旦那さまよ。私は一生お慕い申し上げ続けるでしょう」ロレッタは深呼吸をして続けた。「ねえ、マリィ。私が今、何を考えているかわかって?」
「私にはわかりません。それよりも、さっさと、袖に腕を通してくださいまし」
「はしばみよ。葉は、とてもぎざぎざしているけれど、たっぷりと熟した実はお菓子に使えるわ。それってなんだか、愛によく似ているでしょう?」

 朝食の席は、いつもと変わりない。ロレッタと少年は隣り合わせに座って、静かに食事を進めている。
「ねえ、あなた。命名の儀が終わったら、一緒に花畑へとお出かけいたしませんこと?」
「お城の外へ?」
「ええ。私、城の外には一度しか出たことありませんし、外のことは話でしか聞いたことがありませんけれど、花畑がいかに素敵なものであるかは知っていますもの」ロレッタは王に顔を向けた。「ねえ、お父さま、いいでしょう?」

15 :No.04 丸の内アリストクラティック 3/4 ◇QIrxf/4SJM:07/08/19 13:34:26 ID:i5b6WJgm
 王はスプーンを止めて、険しい顔をした。「ならん。お前が十七を越えるまでは、城の外へは出さぬと言っているであろう。凱旋は特別だったのだ」
 ロレッタは溜め息をついた。「私はやっぱり、きんぽうげに誘われた蜜蜂なのだわ。蜜以上のものは望んではならないのよ」
「お姉ちゃん――」少年は心配そうにロレッタのことを見つめていた。

 その日の午後、命名の儀のために人々は洗礼の祠に集まっていた。数本の大きな蝋燭があるだけで、祠の中は薄暗い。
 いかめしい恰好をした少年が、ロレッタに連れられて入ってくる。
 黒い装束に身を包んだ道師が呪文を唱えると、彼に命名の神が降臨した。
「これより、汝に名を授く」
 少年は導師を見つめ、手を差し伸べた。隣にはロレッタがいる。
「汝は、出生すら明らかではない孤独なる子である。人を楽しませることを糧として生きてきた善良かつ純粋なる子である」導師は少年の手に、ちいさな宝石を乗せた。「愛に包まれ、純粋さを失わぬ願いを込めて。これより、汝に名を授こう」
 導師は大きく息を吸い込んだ。
 ロレッタは両手を握り、聞き逃すまいと耳を澄ませる。
「汝、名は――」
「危ない!」
 後ろから叫ぶ声がして、導師の言葉は掻き消された。
 前方から短剣が飛んできたのである。
 少年は咄嗟に宝石を使って短剣を弾き飛ばした。
 次いで、祠の灯りが消える。数々の悲鳴が上がった。
 少年の腕に、ロレッタがしがみつく。
 少年は目を瞑って五感を研ぎ澄ました。目隠しをして芸を披露するときと同じである。
 ざわめきの中で、不自然なまでに押し殺されている息遣いと、鋭敏に動く足音を感じ取った。洗練された、暗殺者の動きである。それは、王に向けられていた。
「お姉ちゃんはここで伏せてて!」少年はロレッタを座らせると、短剣を拾い、気配に向って走った。
 まさに、王を毒牙にかけようとしているところだった。
 短剣を投げ、振り下ろされる手を弾く。
 短剣がこぼれ落ち、影が一歩引いた。少年は逃さずに懐に飛び込み、拳を叩き込む。
 倒すには至らず、よろめいただけだった。
 暗殺者は短剣を拾って少年に飛び込んでくる。
 暗闇の中で、刃は残酷に光り、少年の命を抉り取ろうと迫ってくる。
 逃げようとした少年は、足がほつれて転んでしまった。
 短剣が振り下ろされる。逃げられない。

16 :No.04 丸の内アリストクラティック 4/4 ◇QIrxf/4SJM:07/08/19 13:34:47 ID:i5b6WJgm
「青二才が、わしを狙おうなどと!」
 怒号が祠の中に響いた。
 王が横から飛び込んできて、暗殺者を突き飛ばしたのである。
 馬乗りになり、とどめの一撃を叩き込んだ。
 王は立ち上がって汗を拭った。「口ほどにも無い。わしの可愛い息子たちに手をかけようなど」
 祠の中に仄かな灯りが戻る。
 少年が呆然として立っていると、ロレッタが抱きついてきた。
「ああ、あなた。無事でよかった」ロレッタは泣いていた。「もし、あなたがいなくなってしまったら、私――」
「お姉ちゃん、泣かないで。それよりも、お父さまに感謝しなくちゃ。ぼくを助けてくれたんだ」
 王は髭を撫でながら、歯を見せて笑った。
「なに、感謝するのはわしのほうじゃよ。ロレッタを守り、わしを危機から救ったのじゃからのう」王は少年の頭を力強く撫でて、頬ずりをした。
 ようやく入ってきた兵たちが気絶した暗殺者を縛り上げた。
「さて、腹も減ったし、命名の儀は後日やり直すとしようかの」
 王はロレッタを慰めてやり、臣下に指示を出しながら祠を出て行った。


 その夜、ロレッタと少年はいつものように同じベッドに入った。
「明日さ、一緒にお城を抜け出そっか。実は、抜け道をいっぱい知ってるんだ。それに、抜け出さなくても、今ならお父さまが許してくれるかもしれないよ」
 ロレッタは少年に手を引かれ、城の外を歩く様子を想像した。
 結婚式の凱旋では回らなかったような小道に足を踏み入れると、ロマンス・ノベルスにあるような、恋人たちの逢瀬を垣間見れるかもしれない。
 花畑を二人で歩き、蝶の羽ばたきを眺めながら、手作りのサンドイッチを食べる。冷たいせせらぎに素足をひたして、ばしゃばしゃと音を立てる。
 そんな思い出が二人の心の中に加われば、どんなに素敵なことだろう。
「けれど、今はいいの」
 ひとたび外を歩けば、陽気なウィンズケープの民は、この若すぎる夫婦を喜んで迎え入れてくれるだろう。
 しかし、今はまだ、この小さな檻の中で十分だった。先の事件で、いかに二人で居られることが幸せか、改めて知ったのである。
 少年を抱きしめ、耳元で彼の名前を囁いた。ロレッタは聞き逃さなかったのだ。
 それは、どんな愛の告白よりも甘い響きだった。
「お姉ちゃん?」
「もう、ロレッタと呼んでくださらないと、いやよ」
 二人は長い口付けを交わして、深いまどろみの中へと沈んでいった。



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