【 他にない街 】
◆h1QmXsCTME




6 :No.02 他にない街 1/4 ◇h1QmXsCTME:07/08/19 01:55:07 ID:i5b6WJgm
 彼女の葬式には間に合った。彼女の両親に一部始終を話すと、二人は泣き
崩れてしまった。再びこぼれそうになる涙をこらえた。約束は果たした。
 街の西は丘陵になっており、その上にある霊園に彼女の家の墓がある。霊
園へと続く緩やかな傾斜を車に揺られながら進んでいく。一匹の白猫が道沿
いの家の前に座っていて、丁度その前を通り過ぎるときに、如何にも退屈そ
うなあくびをした。
 彼女の骨が納められた茶色い壺の入った木箱が、真新しく先祖代々と刻ま
れた墓石の下にゆっくりと納められた。空は晴れ渡っていて、まるで葬式に
似合わない蝉の合唱が辺りに響いていた。いや、周囲の風景に馴染めていな
いのは、このモノクロの集団の方なのだろう。それほどに、その日は晴れ渡
っていた。
 ふと遠く街の風景が目に映った。この町の北から南へと流れる近沢川は、
穏やかに流れる水面が太陽の光を反射し輝いていた。銀杏並木とその周辺の
中層ビル、商店街、市街地の屋根の煌めき、町工場、駅。いつも生活してい
る、そのどこにでもある様な街の風景から目を離すのが躊躇われた。
 葬式が終わり、挨拶を済ませるとマンションへ戻った。ネクタイを緩めた
だけでベッドに腰を下ろすと、手にデジタルカメラが触れた。恐る恐る手に
取り、画像を確認する。一枚の写真が保存されていた。机を見ると、確かに
空の写真立てが置かれている。 

 「早く起きろー」
慣れ親しんだ声に目を覚ました。
 彼女が笑顔で立っていた。
「え?なん……」
疑問を口に出すより早く、彼女が答える。
「もー。今日引っ越し先に行っちゃうって、そんで朝早いって言ったじゃん。
 送ってくれるんだったでしょ?だから昨日泊まったのよ?」
「え?あーそうだよな。そうだよ。もう時間か。車出すよ」
全てに覚えが無いのだが、不思議とそんな約束だった気がする。

7 :No.02 他にない街 2/4 ◇h1QmXsCTME:07/08/19 01:55:22 ID:i5b6WJgm
「今日は自転車がいい。昔みたいに二人乗りでさ」
彼女の提案に従って、二人乗りで駅まで行くことにした。
 早朝の香りの中、自転車のペダルだけが忙しなく動いていた。まだ静かに
眠っている街の中を二人が乗った自転車は進んでいく。
「結構距離あるよ?」
「いいじゃん、いいじゃん。たまにはさ、運動しないとね。あ、並木通り」
この銀杏並木が植えられたのは、二人が小学校六年生の時だった。新近沢西
市街地計画でそれまでの廃れ始めていた工場町を一新し、市街地と商店街、
中規模の商社ビルを誘致した。駅へ続く大通りが整備された。十字路をメイ
ンとして、そこに並木が植えられたのだった。大通りの十字路を西へ曲がる
とビル群があり、それを過ぎると彼らの家が存在する町工場と住宅の入り交
じった地域がある。南へ直進すれば商店街からさらに駅前の市街地へ、東へ
曲がると川に出て、近沢東地区へと繋がる新近沢橋が掛かっている。
 「覚えてる?この並木が植えられた頃のこと」
「もちろん。もう十年くらい前だよな」
彼は今、この十字路の北にある新市街地の賃貸マンションに住んでいるのだ
が、工場町の近くが実家のため、昔はよく町の中を友達と駆け回って遊んで
いた。
 金属音、機械音、角材や金属材。時たま見える何に使うのか見当も付かな
い機械。それらが気に入っていた。開発後は、全く見当違いに、夢のない場
所になったと思ったものだが、成長するに連れて価値観も変わり、この場所
も気に入るようになった。
「あんたら、ここが今みたいになっちゃてから、なんか元気なかったよね。
 今でも覚えてる」
「子供心に許せなかったんだよ。なんとなく。今はそうでもない。」
「だよね。ここ歩くの好きだもんね。あ、左行って。河川敷」
 彼女の提案通りにハンドルを切る。遠回りになるのだが、そんなことを口
に出したくはなかった。河川敷に上る時に、そう高くはない、濃い緑生い茂
る近沢山が見えた。

8 :No.02 他にない街 3/4 ◇h1QmXsCTME:07/08/19 01:55:36 ID:i5b6WJgm
 「ここ来るとお祭り思い出すなぁ。花火大会。今年も綺麗だったよね」
8月1日は祭りが開かれる。メインイベントの花火大会では河川敷を埋め尽
くす人が集まる。浴衣姿のカップルやビールを片手に談笑している人、立ち
見客も大勢居る。それらの観客全てが、花火が上がると一様に空を見上げ、
夜空に咲いた色とりどりの花に感嘆の声を上げる。彼らもその中の一人だった。
「ああ、今年も場所取り頑張ったからな。みんな俺に感謝しなきゃいけないよな」
「恩に着る」
「はは、なんだその言い方」
 この河川敷を走っている間、彼女は色々な思い出話をしていた。家族、友
人、不思議とこの街で暮らしたことだけだった。出来るだけゆっくりペダル
を漕いで話に耳を傾けていた。
 近沢大橋に近づくと同時に病院も見えてきた。ハンドルを切って河川敷を
降り、市街地に入った。
 「あ、佃煮屋さん。あ、保育園だ。懐かしいなぁ。覚えてる?……」
この辺りは元々市街地であったため開発計画の時も手は着けられておらず、
ほとんど変わってはいない。まだ小さかった頃の淡い記憶と重ねることも容
易だ。この市街地は新開発地区が出来てから、良くも悪くも全く影響はない
らしかったのだ。この道をまっすぐ進み、左へ曲がると駅が見えてくる。
 駅はちょっとした丘の上に建っていて、入り口の上にある大きな時計が時
間を刻んでいる。クリーム色の壁と紅い屋根が特徴のこの駅は、見たところ
は時計台のようだ。
 「何でだろう。色々思い出すんだけど、この街のことばっかりなんだよね」
風に流されてしまうような声だったが、しっかりと聞き取ることが出来た。
「やっぱり、慣れ親しんだ街だからじゃないか?」
変わらない物と変わっていった物。だが、この街の全ては住民の生活にとけ
込んでいる。自分の故郷をここに感じることが出来るのだ。
「うーん」
「きっと、10人いれば10個の『他にない街』があるんだと思うよ。お前
 のそれは近沢だったんだろう」

9 :No.02 他にない街 4/4 ◇h1QmXsCTME:07/08/19 01:55:51 ID:i5b6WJgm
「あんたと……みんなが居た近沢だったから、か……」
 駅へ続く最後の坂道を、二人分の重さを感じようとゆっくり立ち漕ぎで上
っていく。何故か涙がこぼれ落ちた。決して大きくはない改札口はいつもよ
り広く感じた。他に人は誰もいない。
 彼女が改札口を通ると同時に電車がホームに入ってきた。
 「これ貰ってくね」
振り向いた彼女が持っていたのは、近沢山へ紅葉狩りに行った時の写真で、
机の上に飾って置いた物だった。太陽の光に照らされて輝く鮮やかな赤や黄
色の紅葉と、突き抜けるような青い空の下、変わることのな笑顔を顔に浮か
べたみんなが写っている。
 「そうそう、お父さんとお母さんによろしく言っておいて。ありがとうって」 
「ああ、約束する。絶対に」
声にならない声でしっかりと約束した。涙が、落ちるのを拒むように頬を伝う。 
「いつまでも泣いてんなよ。じゃあね。いい女見つけろよ」
彼女は、笑ってはいたが涙が溢れ、流れ落ちていた。
「ばっか。俺ほどの男に釣り合う奴はそうそういねぇよ」
 ドアが開くと朝日と同じ光が輝いていた。彼女はその中へゆっくりと歩い
ていった。ドアが閉まる音は彼の中に確かな感覚として響いていた。
 部屋に戻ると、朝日がようやく動き出した街を照らしていた。先日買った
デジタルカメラを取り出して、その何の変哲もない風景を写真に収めた。
 ベッドに横になるとそのまま眠ってしまった。
 目を覚ますとそこは病院で、ベッドの周りには両親や友人がいた。半ば覚
悟していた話を聞くと、昨夜事故に巻き込まれて彼女は即死、自分自身は奇
跡的にも外傷はほとんど無かったが意識不明だったということだ。
 涙が頬を伝っていた。いつもと変わらぬ特別な近沢川が、光を受けて柔ら
かな輝きを放っているのが見えた。     了



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