【 帰郷 】
◆luN7z/2xAk




2 :No.01 帰郷 1/4 ◇luN7z/2xAk:07/08/18 11:51:06 ID:VBt69Lz+
 電車は、三つも前の駅で降りた。久々の故郷の風に当たりたいと思った。


 後悔の気持ちは歩き始めて一時間ぐらいしてから押し寄せてきた。ここから家に帰るまで、少なくともあともう一時間はかかるだろう。
 帰ったら、何をしようかということをぼんやりと考えていた。
久しぶりに会う両親に、たまには親孝行しようかな、とか、友達にも久しぶりに会いに行こうかな、とか。
・・・・・・いや、それよりも、今の俺には一番最初にやらなくちゃいけないことがあるだろう。
 風を感じたい、というのはただの言い訳だったのかも知れない。
早く帰ろう、という表面的な考えとは裏腹に、自分の足は少しずつスピードを落としていった。
それでも、久々に見る自然から感じる匂いと感触は、今、自分の中にある不安のようなものを取り払っていった。
 大丈夫だ、きっと。
あの人はまだ、俺を待ってくれている。

 ――本当に、いきなりの転勤だった。
こんな時期にするものなのかと、当時の俺はぼーっとした頭で考えていた。
いや、そう考えようとしてただけだったのかもしれない。
本音を隠して大事な事を考えるのを先送りにして、結局最後は何もいえなくて・・・・・・
 彼女にそのことを言うのは本当に辛かった。
その前日に自分の永い想いを打ち明けてすぐの話だったから、それを報告するだけでも大きな覚悟が必要だった。


3 :No.01 帰郷 2/4 ◇luN7z/2xAk:07/08/18 11:51:23 ID:VBt69Lz+
 どうなっても仕方がない。
そう強く思って彼女に話した時のことは、一生忘れられない。
彼女はただ一言、
「そう、頑張ってね」
と笑顔で言うだけだった。その笑顔はあまりに晴れやかで、俺は逆に痛みを覚えた。
だけど、俺は
「行ってくる」
と言うことしかできなかった。夕ご飯を食べているのに、彼女はずっと下を向いていた。
 その時一緒に食べた飯は、他のどんなものよりも硬くて不味かった。
 月が、嫌らしいほど輝いて見えた。

 転勤先での仕事は、地獄のようなものだった。
気がつけば日曜でも働いている。残業がないのが珍しいぐらいだった。
職場では色々やった。とにかく色々覚えた。
飲み仲間として居酒屋に誘われたりもした。上司の愚痴も聞いた。後輩に陰口を言われたりもした。
とにかく、色々なことを経験した。
 自分の生活も随分変わった。
勿論アパートでの独り暮らしだから、料理も少しだけできるようになった。でも、未だにフライパンの上手な洗い方は分からない。
 独りが寂しくて、ハムスターを一匹飼い始めた。一匹だと逆に寂しくて、もう一匹飼うことにした。お金についても慎重に考えるようになった。
ビールや煙草もあまり吸ったり飲んだりしようとしなくなった。

 たまにメールもした。勿論、あいつにだ。
一週間に一、二度ぐらいのもので、他愛のない内容ばかり送っていた。返ってこない日もよくあった。もしかしたら、返ってこない時のほうが多かったかも知れない。
そんな時は、滅多に飲まなくなったビールをおもむろに取り出し、一気に飲み干していた。

4 :No.01 帰郷 3/4 ◇luN7z/2xAk:07/08/18 11:51:41 ID:VBt69Lz+
 結局帰省できるほどのちゃんとした休暇をもらったのは、転勤の期間が終わった時だけだった。
むしろ、それまで忙しくて、帰れるという実感はほとんど湧かなかった。
 その日、彼女にそのことをメールで伝えた。次の日になっても返ってこなかった。
苦笑を浮かべることしかできなかった。
ただ漠然と、「帰れる」という事実が、少しずつ自分の心に染みていった。
 思えば、色々あったものだ。
そんなことを考えて歩いていたら、自分の実家まではもうすぐそこだった。不覚にも「いつの間に」と思ってしまった。
それほど、長い時間をかけて思い出していたのだ。
そうして、実家の門の前で足を止めた。
 俺は少し立ち止まって、少し悩む素振りをしてみた後、今まで歩いていた方向にまた歩き出した。
今、俺が最初に会いたい人は、母さん達には悪いけど、両親じゃなかった。
 ――少しずつ、早足になっていく。
冷静になれ、と頭の中でつぶやくが、俺の心はそんな声を聞いちゃいない。
ただ、会いたい。
 その人に初めて出逢ったのは、中学生のときだった。意外と近くに住んでいることに驚いた。
初めて言われた言葉は「変な人」だった。
笑えない冗談でいつも笑っていた。
二人で愚痴をこぼしあったこともあった。
好きな人の話もした。 この時の苦味はまだ忘れていない。
ケンカもした。
泣かせたりした。
いつも笑っていた。
 会いたい。 会いたい。
すぐ、今すぐに。
 ただ、焦燥だけが募っていく。


5 :No.01 帰郷 4/4 ◇luN7z/2xAk:07/08/18 11:51:56 ID:VBt69Lz+
 ――あぁ、泣いてたんだな。
あの時、あいつは笑顔のまま、泣いていたんだ。
俺は何故か、あの時の夕飯の味を思い出していた。

 彼女は家の門の前で立っていた。
まるで、俺が来るのを待っていたように。
「・・・・・・待っててくれたんだな」
高揚する気持ちを抑えるように言ったつもりだった。だけど、既に止められるものではなくなっていた。

「何となく、待っちゃったよ」

彼女は、あの時と同じように満面の笑顔で行った。
でも、そこには痛々しさなんてなんてなかった。
嬉しさに耐えられなくて、俺は震えた声で
「ただいま」
と言った。 ごめん、とか、ありがとうだとか、もっと言いたいことがあったのに、一言しか言えそうになかった。

 きっと「おかえり」って言ったんだと思う。
だけど俺には分からなかった。
その時もう、俺は泣いていたから。


fin



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