【 一本のタバコ 】
◆PUPPETp/a.




131 :時間外No.03 一本のタバコ 1/5 ◇PUPPETp/a.:07/08/13 01:06:01 ID:l3EpTN0/
 最初にひとつ述べる。
 これから記すことは、会社名、人物名に仮称を用いる以外、嘘偽りのないノンフィクションである。

 あの事件が起きたのは、俺がまだ社会人になって間もないころだった。
 当時、俺の仕事はプログラマーだった。専門学校を卒業し、請負業者へと就職。俺が初めて仕事として足を踏み
入れた会社は、自分が席を置く会社ではなく、名前を聞けば誰もが知っている某大手メーカーだった。
 派遣法で禁止されている二重派遣――派遣の派遣のようなもので、席を置いている会社から請負先へ、そして請
負先から出向という形で、そのメーカーへと来ることなったのである。
 だが大手メーカーに来たと言えども、しょせんはまだペーペー。しかも派遣社員だ。やることは雑用でしかない。
メールで送信されてくるプログラムを一手にまとめ、エラーが出たら報告。報告を元に修正されたプログラムを同
じようにまとめる。それを繰り返すことが仕事だった。
 そんな雑用仕事でもいないと困るのだろう。時間的拘束は厳しいものだ。終電で帰れれば御の字。会社からアパ
ートへタクシーで帰るより、ビジネスホテルに泊まる方が安上がりだった。アパートに週一日、二日戻る。そんな
生活を苦にしなかったのは、これまで会社員というものを経験したことがなく、これが普通だと思っていたからだ。
普通ではなくとも、少し大変なんだろう。そのくらいの気持ちでしかなかった。または残業代が満額支給されるこ
と。交通費、宿泊費が満額支給されていたことも一因だったのかもしれない。おかげで月の給料はボーナスを超え
ていた。

 営業担当に連れられて、初めて某メーカーに向かうが、その前に二人、同じく派遣される人がいるというので面
通しされた。
 一人は三十路をいくらか過ぎた、穏やかな風貌の男性である。名を長谷川さんと言った。新人社員の俺は失敗す
ることが多かったが、そんなときにフォローをしてくれるのはいつも長谷川さんだった。
 もう一人はあと少しで三十路に足を踏み入れるという年齢の、活発そうな男性。名を安達さんという。まじめな
長谷川さんとは対照的に、この人はばれない仕事のサボり方を教えてくれた。
 そしてペーペー社員の俺。迷惑をかけてばかりのお荷物だ。

 仕事場は社員と別フロアに席が作られていた。まだ誰もいない、会議室として用いられる一角である。おかげで
社員や責任者クラスの視線に晒されることなく、悠々と仕事ができた。
 時間的拘束、身体的拘束は厳しかったが、実際にプログラミングをするのではなく、それを取りまとめるだけと
いう仕事上、忙しい時間とそうではない時間の差が大きかった。

132 :時間外No.03 一本のタバコ 2/5 ◇PUPPETp/a.:07/08/13 01:06:15 ID:l3EpTN0/
 ヒマな時間を利用して、手順書を作成など各種ドキュメント作成をすることもあった。主に長谷川さんが取り仕
切り、主任に確認してもらっていた。長谷川さんがやっていたことはそれだけではない。どういったやり方で各プ
ログラムをつなげて、ソフトウェアとして機能させているのか。また改良点を模索していたのも長谷川さんだった。
俺と安達さんはそれの手伝いをしていたようなものだ。
 契約の内容十分の仕事をこなしていれば、その他の時間は自由に使えた。そのため資格試験の勉強に勤しんだこ
ともあった。
 休憩所で女性社員をナンパすることもあった。なお、これは俺主導ではなく、安達さんの後ろを付いて回った結
果そうなってしまっただけである。断じて「あそこにかわいい子が休憩しているからナンパしましょうか」などと
口走ったことはない。断じてない。
 周りの目がないのをいいことに、エミュレータを使ってドラクエをやっていたこともあった。余談だが、それを
戒めるはずのメーカーの部長もやっていた。別フロアの自分の席からわざわざやってきて、攻略方法を聞きに来る
ことすらあったのだから世も末だ。
 こうして、俺はサラリーマンとしての心得を叩き込まれていく。
 だが至福のときは長く続かないものだ。
 仕事の内容を覚えると、三人はそれぞれ別々のプロジェクトを担当することとなる。長谷川さんは一番窓側の席
へと。安達さんは真ん中辺りに。俺は一番壁際の席へと。メーカーの社員がいるフロアへと移動し、プロジェクト
の担当者がいる席の近くに座ることとなった。
 これまで三人で手分けしてやっていた作業を一人でやるのだから、もちろん作業量は増えた。また、席もプロジ
ェクトごとの場所へと移動となり、空き時間もバラバラになる。休憩時間が合わなくなり、次第に疎遠になってい
った。

 それから数ヶ月が過ぎただろうか。
 日々の業務に追われ、しかし要領を得れば、これまでと負担はあまり変わらない仕事をこなしていた。――少な
くとも俺はそうだった。
 ある日、俺はいつものように仕事をこなしていると安達さんが肩を叩いた。
「……ちょっといい?」
 そう言うと指先で手招きをする。
 誰もいない喫煙室へと誘われた俺は、いつもふざけ半分の安達さんの深刻そうな顔に押し黙るしかなかった。
「ここ何日かさ、長谷川さんが出社してないんだけど何か知らないか?」
 まがりなりにも一流企業のフロアだ。そう言われて恥じないだけの広さを持っている。

133 :時間外No.03 一本のタバコ 3/5 ◇PUPPETp/a.:07/08/13 01:06:30 ID:l3EpTN0/
 壁際と窓際。
 プロジェクトもちがう。
 特別、用がなければ連絡を取り合うこともなかった。
 席が空いていても、トイレか休憩でもしているのかと思っていた。
 しかしここ数日、長谷川さんは連絡がないまま出社していないのだという。メーカーの責任者から営業担当へと
連絡が行き、営業から安達さんに、そして俺へと聞くこととなった。それはあまり騒ぎ立てるべきことではないと
いう配慮からだった。
「いや、知らないっすよ。最近、休憩所でも見かけなかったですし」
「そうか……。まあ、詳しいことはわからないみたいだし、営業さんから連絡が来るまでこのことは誰にも言わな
いようにしてね」
「はいっす」
 そして、俺と安達さんは他に人のいない喫煙所でタバコに火をつける。
「何なんですかね」
「さあなー」
 安達さんはくわえたタバコを一息吸って、フーッと白い煙を吐き出す。
「営業さんが長谷川さんのアパートに行ったらしいんだ。だけど荒らされた様子はないっていうから大丈夫じゃな
いか?」
「だといいっすね」
 それっきり俺と安達さんは何も言わず、ただタバコを吸う。
 ――しかしその楽観的な考えは、数日で簡単に崩れ去った。

 デスクの上に放り出していた携帯がバタバタと音を立てる。マナーモードにしていたため、着信音はならなかっ
たが、これではあまり意味がない。
「はい、もしもし」
「あ、掛川だけど」
 それは営業担当からの電話だった。
 月末が近くなると出退勤記録など請負先に提出するが、他に何か問題や不満がないか営業と直接会って話すこと
は多い。しかしそれには時期が合わない。ならばこの電話の用件はひとつしかなかった。
「長谷川くんのことなんだけど、安達くんから聞いてるよね」
 案の定だ。

134 :時間外No.03 一本のタバコ 4/5 ◇PUPPETp/a.:07/08/13 01:06:44 ID:l3EpTN0/
「はい。おおまかには……」
「これから言うことは安達くんと相手の部長以外には言わないように。いいね?」
「……はい」
 掛川さんがそのとき言った言葉は、もう十年近い年月を経ても鮮明に覚えている。
「――長谷川くん、海に浮いてたって」
 俺はそのとき何を思っていたのだろうか。掛川さんの言葉は覚えているのに、そのことは思い出せない。ただ
「え?」とだけ返したはずだ。
 しかし掛川さんは言葉を繰り返さず、話を続けた。
「これからおれは警察のところに行って確認してくるから、詳しいことは安達くんに聞いてくれ。話してあるから」
 そう言うと、俺の返事を待たずに電話は切れた。
 切れた電話をただ呆然と眺め、そして安達さんに顔を向ける。安達さんはまた指先で手招きをした。
 喫煙室に入ると、社員の人が数人タバコを吸っていた。社員たちは何か話すと笑っていたと覚えている。
 俺は自分のポケットからタバコを取り出すと火をつける。まだ頭の中が整理できていなかった。当たり前だ。こ
んなことは教科書にも載っていないし、手順書にも書かれていない。
 少しすると喫煙室から人が出て行った。安達さんはおもむろに口を開く。
「海……らしいね」
「……ですね」
 タバコを吸い、煙を吐く。
「悩んでたのかな」
 その言葉に俺は何も返せなかった。
 俺の経験の中に、それに返せる言葉はないように思えた。
「何で一言、相談してくれなかったんだろうな」
「……」
 俺も、安達さんもタバコを吸い終わり、灰皿に押し入れる。
 窓から外を見ると、青空だったと記憶している。
「……今日か明日かわからないけど、警察から電話が来るだろうから、この会社じゃなくて、請負先の会社にいる
と言い張って。絶対にこの会社の名前は出さないように。最近の長谷川さんのことを聞かれるだろうけど、仕事場
は離れているからよくわからないって言って」
 何となく、言いたいことはわかった。

135 :時間外No.03 一本のタバコ 5/5 ◇PUPPETp/a.:07/08/13 01:06:58 ID:l3EpTN0/
 メーカーの名前を出すと、一流メーカーだけにマスコミが関わってくる。そうなると、メーカーのみならず、請
負先、そして俺の勤めている会社全てを巻き込んで、受注が来なくなってしまう。それだけではなく、それを聞き
つけた他の仕事先でも切られる可能性が出てくるということだ。しかし、メーカーから受注しているだけの中小企
業ならそれほど大事にならない。単に男性が一人、海で死亡したというだけの記事になるのだ。

 次の日、警察から電話が掛かってきた。
 しどろもどろになりながらも、昨日言われた通りに受け答えした。それで警察が納得したかはわからない。自殺
で片付ける事件を熱心に聞き込みはしないのかもしれない。
 俺は出向していたメーカーの社員の人は好きだ。派遣されていた一年以上、一日の大半を同じ屋根の下にいた人
たちだ。
 俺は安達さんも掛川さんも好きだ。さぼりがちな俺を影、日向にサポートしてくれたことを感謝している。
 俺は長谷川さんも好きだ。失敗ばかりの俺をフォローし、仕事というものを親身に教えてくれた恩人だと思って
いる。

 お盆というこの時期に、いま俺は追悼の念を込めて、一本のタバコに火をつけようと思う。

       【完】




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