【 夏の思い出 】
◆ysk..J0DbU




118 :No.27 夏の思い出 1/4 ◇ysk..J0DbU:07/08/13 00:58:19 ID:l3EpTN0/
「動名詞の慣用表現は――」
下らない講義だ。右斜め前の素敵な女の子との夢のような将来設計を考えているほうがよっぽど生産的だ。しか
し、現実において慣用表現の方が妄想将来設計より僕の人生の助けになるのは明らかだ。何気に入試に頻出事項
だし。僕はちょっとアンニュイな感じで手元のテキストを見る。そこには「I can't help falling in love with you.」
と書いてあった。それを見た瞬間僕の体に衝撃がはしった。 僕はというより僕の中のイギリス紳士は気付いて
しまったのだ。この英文がまさに右斜め前の女の子への僕の気持ちで、これが'恋'ってヤツだってことに。
僕の通っている大手予備校は座席取りに無駄な労力を割かないようにと座席が指定制になっている。そのシス
テムのおかげで僕は彼女の左斜め後ろを一年間ずっとキープできる。僕は毎週右斜め前の女の子を見てにやにや
していた。今になって考えたら我ながら気持ち悪い。僕の中のイギリス紳士は彼女を見る度にいつかあの英文
「I can't falling in love with you.」を言ってやろうと考えていた。しかし、男女交際経験ゼロの男子高の
生徒にそんなことがキザなことを言えるはずもなく、僕の精神は現実と妄想の狭間を

119 :No.27 夏の思い出 2/4 ◇ysk..J0DbU:07/08/13 00:58:40 ID:l3EpTN0/
いったり来たりしていた。
そんな僕にも転機が訪れた。言ってしまったのだついに! もちろんあの英文ではないが、若葉も緑に色付く
六月、僕は「一緒に帰りませんか」と言ってしまったのだ。彼女はその小動物のような大きな瞳を見開き少し考
えたあと「あっ、はい」と微笑みながら言ってくれた。その一言に僕は自分でも驚くほどに舞い上がってしまっ
た。一緒に帰るってのはまだ友達になったってだけだなんて当たり前のことに気付けないぐらいに。
とはいえその後は案外順調だった。毎週木曜日に当たり前のように一緒に帰るようになり、自然にメアドもゲ
ットした。彼氏がいないかどうかも(多分)自然に聞き出せた。答えはもちろんNoだった。100%は信じられないが、
僕は信じる方に乗った。まずは互いに信じ合う、それが愛ってもんだろ?
突然だが、僕は国立理系志望で彼女は私立文系志望だった。けれど、まだ蝉がうるさい八月の終わり、僕は世
界史の講義を受けていた。本当はセンターは現社で受けるはずだったが、彼女と一緒にいたくて思わず受験科目

120 :No.27 夏の思い出 3/4 ◇ysk..J0DbU:07/08/13 00:58:55 ID:l3EpTN0/
を変えてしまった。今から考えたら本当に馬鹿だ。でも、これが恋は盲目ってヤツだったんだ。この決断は彼女
には内緒だったから、彼女は世界史の教室で僕を見たとき、一緒に帰りませんかと誘ったときの次ぐらいに驚い
た。僕はそれだけで満足だった。クドいようだがこれもまた恋は盲目のなせる技だ。
世界史の講義のあと僕はいつものように彼女を誘って帰ることにした。いつもより少し無口で下を向きながら
歩いていた彼女が、御茶の水駅でふと僕と視線を合わせた。意外なことに彼女の目は黒目がちの意思の強そうな
目だった。そういえばこれも意外なことにちゃんと目を合わせたのは実はこれが初めてだった。彼女は少し悩ん
だように僕を見たあとちょっと早口で僕に尋ねた。
「なんで、世界史とったの?」
心なしかキツめの語尾に脊椎反射的に僕の中のイギリス紳士が覚醒してしまった。こいついつの間に……
僕は反抗するすべもなく、いとも簡単に首から上を動かす権利をイギリス紳士に奪われてしまった。イギリス紳士は巧みに僕の口を操り、妙に流暢に
「Because I miss you.」
なんてキザな台詞を吐かせた、しかも大声で。おい、ヤンキー! 間違えた、これはアメリカ人の蔑称だ。イギ
リス人にはなんて言えばいいんだ? ていうか、今の相当恥ずかしいよな……
混乱の極みにある僕を何人かのサラリーマンが見ている。彼女は顔に?マークを残したままフリーズ。その事態
を打開せんと僕の中のイギリス紳士は最悪の方法をとった。
「I can't falling in love with you.」
おい、イギリス! グレート・ブリテンおよび北部アイルランド連合! 男なのにスカートはきやがって!!


121 :No.27 夏の思い出 4/4 ◇ysk..J0DbU:07/08/13 00:59:10 ID:l3EpTN0/
僕が脳内でイギリスを侮辱する言葉を探している間に、彼女が走って逃げていく。貴様!
まさかイギリスのスパイ! 目に汗浮かべてやがった。目に汗? もしかして……
いつの間にかイギリス野郎は深い眠りにつき、冷静になった僕は気付いてしまった。そう現実ってヤツに。

もちろんそれから世界史の講義は全てさぼった。18000円で五回のうち四回しめて14400円の損失。全てイギ
リス野郎のせいだ、いつかどうにかして請求してやる! それと、大学も落ちた。まあ、当たり前だ。受験の天
王山の夏にあんな浮かれてたんだから。

そして、今年こそ受かるべく今頑張っている。えっ、この小説が勉強してない証拠?

くそっ、またか。これは、僕の心の中の文豪の仕業だ。

〈Can〉



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