【 いつかお姫様が 】
◆hemq0QmgO2




102 :No.22 いつかお姫様が 1/3 ◇hemq0QmgO2:07/08/12 22:26:20 ID:JWAwekiB
 吐き出したうすい煙の向こうの、マクドナルドの大きなガラス窓に照り返る店内の映像のさらに奥、
日が沈んで暗い緑に覆われた並木道を流れる府中駅周辺の人々を眺めながら、待っていた。
 待ってはいたが、だれを、なにを待っているのか、わからない。もしかしたら待っていないのかもしれないが、
なにかを待っている時の、幸福と不安が胸の芯からゆっくりとにじみ出てくるような気分ではあった。
 触れるたびにカタカタと音を立てる少しゆがんだ銀色の灰皿に煙草を押しつけて、読みかけの木山捷平の
短編集をぱらぱらとめくっていると、巻末の作家案内に引用された詩の一節がふと目に止まった。
「おれは流れてゐるだけなんだ」
 流れる。生き方の話だろうか。漂流、また漂流の生活。想像すると、迷子みたいに心細くなる。
しかし動きをともなうぶん、待っているだけのおれよりは退屈しないかもしれない。
本を閉じ、うすいくせに酸味だけがやたらに利いたぬるいコーヒーを一息に飲み干して、マクドナルドを後にした。

 気がついた時には居酒屋のカウンター席に座っていた。というのはもちろん大げさな表現で、
意識も足どりもしっかりしていたけれど、飲食店が立ち並ぶ路地には炭火に炙られるタレと脂の匂いが漂っており、
それをひとたび嗅いでしまうと喉をすべるビールの刺激と冷たさが想起され、そうなるともうあらがえず、
当然のように大衆酒場ののれんをくぐって「いらっしゃいませー」を聞いてしまっていた。
「瓶ビール、冷や奴、きゅうりのたたき、鳥皮とタンとカシラ塩で二本ずつ」
 席と席の間隔がせまく、両隣に座る客の肘とおれの肘がぶつかってしまうほどの距離だったが、
大学に入ってからは多人数の飲み会ばかりでこうして好きなように飲み食いできる
一人酒がとにかく懐かしかったので、多少の居心地の悪さは気にもならなかった。
 そのまま瓶ビール二本と梅酒のソーダ割り一杯と冷酒三本をずるずるだらだらと飲み、
少しずつ追加したアテでかさんだ五千円ほどの会計をすませて店を出るころには、帰りの電車がなくなっていた。

 火照った耳の裏から首筋までをなめる五月の夜の風が心地いい。さて、電車が動き出すまでの数時間を
どうつぶしたものか。ぼやけた頭が答えを絞り出すより先に、車の流れにつられた足が大きな街道に向かう。
どうやらファミレスで朝を待つつもりらしい。じゃあそれで一つ、と役立たずの頭がいった。

103 :No.22 いつかお姫様が 2/3 ◇hemq0QmgO2:07/08/12 22:26:43 ID:JWAwekiB
 街道沿いのファミレスは空いていた。茶髪の店員にうながされ、四人掛けの喫煙席に腰をおろす。
メニューをめくっても特に目を引くものはなかった。ビールとフライドポテトを頼んで、あくびをする。
すると注文を受けていた若い女の店員がもらいあくびをした。目と目が合う。ごまかすように、はにかんでみる。
「スミマセン、失礼しました」
 照れくさそうにほほえんで、店員は店の奥へスタスタと歩いていった。その後ろ姿がかわいらしくて、なごんだ。
 ポテトをつまみながらちびちびとビールを飲んでいたら、低い塀をはさんだ隣の席の、
学生風のカップルの会話が耳に入ってきた。少しでも気になってしまうともういけない。
ワイドショーに一喜一憂する主婦みたいに、男女が織りなす甘酸っぱい世界に引きこまれてしまう。
「ハラダはさあ、もうちょっとこう、積極的になっていいんじゃない?」
「うん、そうかもしれない。でも私は、そういうの、苦手なんだよね」
「まあ人それぞれだからなんともいえないけど、もったいないよ」
「そんなことないよ。だってクロカワくん、私に興味なさそうだし」
「いやアイツもさ、たぶんハラダのこと気になってるんだと思うよ。だからそっけないだけでさ」
「ははっ。ミサワくん、さすがにそれはないよ」
「いやある。おれは客観的に見てそう思うもん」
 若い男女同士ではあるが、どうやらカップルではないらしい。ハラダさんはクロカワくんが好きで、
オクテの二人をくっつけるためにミサワくんが奮闘している、という図のようだ。しかし当事者ではないはずの
ミサワくんの熱っぽさが、少し気になる。くわえた煙草に火をつけることも忘れて、おれはさらに耳をすませた。
「そういえばこの前のゼミ飲みの時さ、終盤ハラダちょっと酔っ払って寝てただろ。
そん時だってクロカワが一番気にかけてたよ。これはホントに」
「それは、クロカワくんがやさしいだけで、私とはあんまり関係ないんじゃない?」
「いやいや、アイツだってどうでもいいヤツを気にかけたりはしないって」
「そうかなあ」
「そうだよ」
 どうやら間違いない。ミサワくんは、ハラダさんのことが好きなのだ。彼が自分で白状した。
「どうでもいいヤツを気にかけたりはしない」、と。彼はハラダさんに自分の気持ちをわかってほしくて、
自傷の刃みたいな恋愛相談に全体重をかけて乗っかっているのだ。なんて、アホなヤツなんだろう。

104 :No.22 いつかお姫様が 3/3 ◇hemq0QmgO2:07/08/12 22:27:02 ID:JWAwekiB
 おれはようやく煙草に火をつけた。ミサワくんは相変わらず熱弁をふるっている。
ハラダさんはまったく、本当にまったく、彼の熱弁の意味に気がついていないらしい。
 こそばゆくて、落ちつかない。汗をかいたビール瓶をなでたり、紙ナプキンをちぎったり、してみる。
ダメだ。ミサワくん、ハラダさん、勘弁してくれ。クロカワくんは、この世から消えてしまえ。
 すぐ隣で身もだえているおれを知ってか知らずか、二人はとどめのやりとりを交わした。
「いつも、ごめんね、ありがとう、ミサワくん。どうしてこんなに、やさしくしてくれるの?」
 ハラダさん、大学生にもなってそんな少女漫画みたいなセリフ、軽軽に使わないでくれ。
「いや、それは……ト、トモダチだから」
 ミサワくん、絶対にどもっちゃいけないところで、どもらないでくれ。ああもう、ダメだ。
 おれは鞄からめったに使わない音楽プレーヤーを取り出し、耳をふさいだ。曲は決まっている。
マイルス・デイビスの「いつか王子様が」だ。ディズニー映画の挿入歌みたいに甘美なメロディーが
深夜のファミレスにベストマッチ、のはずはないのだが、今夜に限ってはシチュエーションが完璧すぎた。

 いつか王子様が、とハラダさんは願う。
 いつかお姫様が、とミサワくんは祈る。
 二人はずっと、待っている。

 窓の外がほんのりと明るくなり、小さな灰皿が吸い殻で埋まったころ、ファミレスを出た。
のびをして、府中本町駅に向かって歩き出す。靴の音が軽い。酒はもう全部抜けてしまったようだ。
 大國魂神社に続くうす暗い並木道を歩いていると、ふと、木山捷平の詩が頭をよぎった。
「おれは流れてゐるだけなんだ」
 おれも流れていた。京王線の高架下を、マクドナルドの大きなガラス窓の下を、流れていた。
どこにいるかもわからない自分だけのお姫様を待ちながら、ゆっくりと流れていた。(了)



BACK−僕は悪くない◆HH72o6p0H6  |  INDEXへ  |  NEXT−無縁仏◆D8MoDpzBRE