【 甘く、辛く 】
◆xa.m7GFiAE




85 :No.19 甘く、辛く 1/4 ◇xa.m7GFiAE:07/08/12 19:44:21 ID:5kXIXUbr

一目惚れ、なんて言葉があるけれど、僕はそんなもの全く信じちゃいなかった。
人間関係の中枢には必ず会話が在り、相手の性格を知り、思考を鑑みる事で理解を深めていく。
恋愛なんて言葉も、結局はそんな過程から生み出される予定調和のようなもので、決して唐突に起こりうる事象ではない。
だけど。
運命なんて安っぽい言葉、本来の僕ならば嫌悪しか催さないそんな言葉を使いたくなるほど、唐突だった。

先ず髪が目に入った、烏の濡羽色、そんな表現が似合うビロードのように滑らかな髪。
顔立ちは特別美人と言うわけでもない、くりっとした目が特徴的な、柔らかい印象を受ける女の子。
何故かは分からないけれど、そんな彼女から目が離せなかった。


「――吉川!! 吉川?」
「……ん? 何、鈴原?」
掛けられた声に、靄の掛かった頭を再起動させる。眼の前には体育会系を体現したようなゴツイ顔、帰宅部らしくない帰宅部。
「……心臓に良くないな」
本音がほろりと口から漏れる。意識が覚醒して初めて見るのがこいつってのは止めて欲しい。
「あん? 最近、お前、ぼーっとしてる事多くねぇか――まぁいいや、で? 今日の放課後は空いてるか?」
「ん、特に予定はないね」
「んじゃ、駅前のいつものとこな」
あれから、漫画のような出会いをしたあの時から半年近くが過ぎる。高校一年生も後半戦に突入しようというところ。
押し寄せる受験やらのプレッシャーから逃れ得る、恐らく一番自由が利くこの時期にあって、
折角あの綾瀬さんとクラスメイトになれたという幸運も利用せず、僕はのんべんだらりと友達との日常を謳歌していた。


86 :No.19 甘く、辛く 2/4 ◇xa.m7GFiAE:07/08/12 19:44:36 ID:5kXIXUbr
「それにしてもやっぱこのクラスってレベルの差激しいよな」
「……今更だね」
「こう言う時は思い知らされんだよ。見てみろよ、後ろの黒板! 俺の班なんて……」
何のレベルかは聞くまい。
数日後に行われる行事の班決め――何かしら五月蝿い生徒達に辟易したのか担任がくじ引きを提案した――を見て僕等は談笑していた。
鈴原も、僕も、ビジュアルは余り芳しくない。僕の場合、それを補い得る積極性まで掛けている。
未だに綾瀬さんになんのアプローチも出来ていないのも、そんな劣等感が根底にあるのかもしれない。
でも。
後ろの黒板を見て口元を歪める。綾瀬さんと同じ班。計算通り、とでも叫びたくなるほどに気分が高揚していた。
それと同時。やっぱり状況を変化させようとすると、胸を締め付けられるような不安がくるもので、何を話そうだとか、
嫌われたらどうしようだとか、そんな取り留めのない感情を払拭させるために、僕は綿密に計画を立てようと決めた。


で。
計画なんてものは崩される為にあるわけで、何故か駅前には、鈴原を待つ僕と、立ち尽くす綾瀬さんが居た。
友達でも待っているんだろうか、ぼーっと立つその姿を見ていると、向こうもこちらに気付いたようで、駆け寄って来た。
「吉川クン、どしたの? こんなとこで」
どこかおっとりとした印象を受ける彼女だけど、あれから実際話してみて結構活発な感じの女の子だということが分かった時は少し驚いた。
それでも、彼女への恋心のようなものは、一点の曇りもなく、僕の心に存在してるわけだけれども。
「……えと、僕は友達を待ってて、綾瀬さんは?」
「似たようなものかな?」
今の僕を見たら十人中八人は挙動不審だと言うだろう。とにかく、内心僕は混乱していて、何とか取り付くって話すのが精一杯だった。
ちょっとどもった。人間――と、いうか僕の場合綾瀬さん限定だけど、唐突な出会いには弱い。
「…………」
「…………」
――会話が、続かない。

87 :No.19 甘く、辛く 3/4 ◇xa.m7GFiAE:07/08/12 19:44:53 ID:5kXIXUbr

逡巡、一秒が途方もなく長く感じる沈黙。
「僕……」
「……え?」
「僕、なんだね吉川クンの一人称」
「ああ……」
僕から俺へ。そんな切り替えの時期は大抵の男の子にはあるわけだけれど、俺という言葉が持つとげとげしさ、
自己主張のような変化にどうしても見切りがつけられず、結局切り替えの時期を逃したまま、今まで僕で通してきた。
自分に対する劣等感もあったのかもしれない、自意識過剰、変化に耐性がない自分への劣等感。
誰も彼も、必ず経験する節目を、なるべく少なくしようとする僕。
「俺って、僕には似合いそうになくない?」
「んー、確かにそうかもねー、可愛い系だし吉川クン」
「前、一回言ったらさ、鈴原に似合わないから止めとけ、ってさ――酷くない?」
「あはは、そうだねー。……そういえば、私が此処に居るのって鈴原に呼び出されたからなんだけど」
「ええ? 僕もだよ?」
ちょっと、混乱。鈴原の奴はお互いに知らさずに僕等を此処に呼び出したらしい。
何を考えてるのか分からない。これが漫画とかであるならば、親友のために好きな人を呼び出して後押ししてやろうなんて発想が出てくるものだけれど、
残念ながら鈴原はそんな甲斐甲斐しい性格をしていないし、そもそもアイツは僕の好きな人を知らない。
「あ、来たみたいだね」
戸惑っているうちに時間が過ぎたのか、前方から走ってくる鈴原の姿が見えた。



88 :No.19 甘く、辛く 4/4 ◇xa.m7GFiAE:07/08/12 19:45:12 ID:5kXIXUbr

「あー、遅れたわ、すまん」
あっけらかんと、すまないなんて感情は全く持っていない表情。
まぁ、こういうところがコイツの長所でもあり、短所なのだから仕方がない。
「……で、なんで僕には言わず、綾瀬さんまで呼び出したんだ?」
本題に入る。こいつの場合、遠回しにするといつまでたっても本題に入れない可能性があるからだ。
「ああ、吉川、約束覚えてるか?」
約束、こいつとした約束なんて大きいものから小さいものまでいくつもあって、流石に約束という言葉だけでは思い出せない。
「いつ頃した約束?」
「んー、入学して少ししたあたりだな。言ったろ? ほら中間考査終わった辺りで」
「……思い出せないな、教えてくれない?」
ああ、正確には思い出したくない、だ。心当たりはあったけれど、それが当たっているとは、どうしても考えたくはなかった。
「仕方ねぇな。ほら、言っただろ、彼女が出来たら報告するってさ。で、やっと俺にも可愛い彼女が出来たので紹介するわけですよ」
――ああ、世の中って無情。
綾瀬さんと話せて急上昇していた気分が、一気にマリアナ海溝まで落ち込む。まだ冬は来ていないというのに、やけに寒い。
眼の前で、鈴原が自慢げに話、綾瀬さんが、頬を染めながら静止を呼びかける。
ああ、鈴原は悪くはない。もともと僕が彼女が好きだなんてことは心の中に留めてあったことだし、鈴原に悪気があったわけではないのだから。
全部、僕の、性格が、悪い。
「ん、そっか。おめでとう。じゃあお邪魔するのも悪いし、俺は帰るよ」
「って、おい吉川!」
後ろから聞こえる声を半ば無視する形で走り去る。
家に帰って、寝よう。足早に帰宅路を辿り、俺は玄関の扉を開けた。

『了』



BACK−白昼夢◆twn/e0lews  |  INDEXへ  |  NEXT−騒音◆uu9bAAnQmw