【 アフィシオンの喪失 】
◆QIrxf/4SJM
77 :No.17 アフィシオンの喪失 1/5 ◇QIrxf/4SJM:07/08/12 19:42:01 ID:5kXIXUbr
翼をもがれた鳥が、小汚い檻に囚われている。檻に天井は無く、許されたことは、見ること、泣くこと、記憶することだけだった。
檻の外には人間がいる。鳥たちの翼をもいで、檻の中に放り込んだ張本人だ。
彼は檻の外で涎を垂らして、トモダチの鳥を屠っている。
羽根を毟り、皮を剥ぎ、腹を裂いた。
美しき容貌を持っていたはずのトモダチは、醜い無数の肉片へと変貌していく。
ただ呆然とその様子を眺めながら、囚われた鳥は一体何を考えたろう?
助け出す方法か? 逃げ出す方法か?
やがて鳥だったはずのトモダチは、憎むべき人間に食われた。
人間は残りカスを蹴飛ばし、哄笑している。その乾いた笑い声は、その時残された鳥に何も与えはしなかった。彼には、恐怖し、絶望し、悲憤することしか許されてはいないのである。
食事を終えた人間たちは、次にまた別の鳥を狙うだろう。
ただ呆然とその様子を眺めながら、翼をもがれた鳥は一体何を考える?
失くした翼を取り戻す方法か。翼を使わずに空を飛ぶ方法か。苦の無い自殺の方法か。
もし、彼が僕なら、ぼくは考えただろう。
復讐の方法を。
「なんてね」
ぼくは、自分自身がバカであることを自覚し始めていた。
皆は揃ってぼくのことをバカ呼ばわりしたし、ぼくのことをバカにした友達の顎を殴り割ったとき、先生ですらぼくのことをバカと言った。
別に、バカと呼ばれることは嫌いじゃない。
ぼくは万引きをするし、タバコも吸う。シンナーには手をださなかった。顔がくずれるのが嫌だったからだ。
ハイライトの味しか知らないぼくにとって、タバコはひどく不味いものだった。けれど、周りの皆は吸っているし、空腹をごまかせる。当時のぼくにとって、タバコを吸うということは一つのステイタスだったから、仕方なく吸っていたんだ。
ある時、僕はナイフを手に入れた。
メリケンサックもスタンガンも、嬲り殺すには向いていない。
人を殺すことはたやすいが、復讐を果たすことはひどく難しい。ただ殺しても復讐にはならないことは、誰もが知っている事実だろう。
78 :No.17 アフィシオンの喪失 2/5 ◇QIrxf/4SJM:07/08/12 19:42:16 ID:5kXIXUbr
眼には眼を、とはよく言ったものだが、あいにく、ぼくは眼にあたるものを持っていない。
ナイフを懐に、メリケンサックは後ろポケットの中に、スタンガンは鞄の中に、それぞれしまってある。
学校に着くと、落書きだらけの上履きを履いて、教室に向かった。
数学の教師が、授業中にタバコを吸った友達を叱っている。
ぼくはにやにやしながら、タバコに火をつけた。矛先がぼくに向くことを少し期待していた。
廊下を原付が通り過ぎる。楽しそうに奇声を上げていた。
授業が終わると、ぼくは席を立った。
「ちょっとこいよ」茶髪に金のメッシュを入れた口ピアスの友達が言う。
ぼくはにやりとして、彼についていった。
消火器を二つ持ち出して、三階の渡り廊下に腰を下ろす。
胸ポケットからタバコの箱を取り出して、友達に渡した。
「重いの吸ってんなぁ?」
ぼくたちは口元を歪めた。
立ち上がり、柵から身を乗り出して下を見る。前方から、教員が歩いてきていた。
「おーい、上、上!」と彼は叫んだ。これは合図でもある。
ぼくは消火器を持ち上げ、教員の頭の上を目掛けて落としてやった。
見上げ、落ちてくる消火器に気付いた教員は、大慌てで一歩引いた。足がほつれて尻餅をつく。
消火器は教員の目の前に落下した。転がって、花壇の前で止まった。
ぼくたちは腹を抱え、渡り廊下で笑い転げた。尻餅をついたときの間抜け面が、滑稽で仕方が無かったのだ。
案の定、ぼくたちは職員室に呼び出された。
その時、ぼくはちょっとした気遣いをした。
十六人の友達を連れて、職員室へ向かったのである。
怒鳴り散らすことが大好きな体育教官は、きっと十六人もの人数に喜ぶに違いない。怒鳴り甲斐があるというものだろう。
だが、事態はそう上手くは運ばなかった。
面白がった友人たちは、体育教官を囲んでタバコを押し付け始めたのだ。オカマのように体をくねらせてタバコを避けようとする姿に、ぼくたちは爆笑した。
それにしても、ショートピースを汗臭そうな人間に押し付けるなんて、贅沢な人間もいたものだ。勿体ない。
その後、プールまで引きずって、沈めた。
79 :No.17 アフィシオンの喪失 3/5 ◇QIrxf/4SJM:07/08/12 19:42:32 ID:5kXIXUbr
女のいじめは酷く陰惨なものだ。
気に入った女の子がいじめられるていると知って、ぼくはいじめた女をドブに沈めた。
たとえ股を広げたとしても、ヘドロにまみれた女に価値はない。
そいつはしばらくして手首を切ったらしいが、ぼくは鼻で笑ったものだ。手首を切って死にたいなら、ぬるま湯に浸けろよ、と。
事後、ぼくは決まってタバコを吸う。
溜まり場になっていた駄菓子屋は、ぼくたちの吐き出した煙で真っ白くぼやけている。
胸ポケットからタバコのケースを取り出すと、空だった。
「吸うか?」
「調達してくるからいいよ」ぼくは断った。
タバコを吸うためにはお金が必要だ。
万引きは金にならないし、欲しいものは盗る気がしない。後の空しさが気持ちいいのだ。
ぼくは自動販売機を探しだして、硬貨を投入する口のところにスタンガンを当てた。
サイフを小銭で満たしたぼくは、そのまま近くのタバコ屋に入ってハイライトを購入した。
溜まり場に戻って、七時過ぎまで友人と話をした。
今思えば、そんなくだらない時間の中に、ぼくの人生の全てが詰まっていたんだ。
80 :No.17 アフィシオンの喪失 4/5 ◇QIrxf/4SJM:07/08/12 19:42:47 ID:5kXIXUbr
友人たちは、いつものように夜遊びをするのだろうけど、ぼくは帰ることにした。
家に着くと、姉貴が出迎えてくれた。母親は相変わらずうつろな目でテレビを見ている。
親父がいなくなってから、ずっとこうだ。
「食べに行こ?」と姉貴は言った。一人では出歩けないのだ。
「ジョイフルでいいよね? 近場だしさ」
「うん」
ぼくたちは腕を組んで歩いた。
姉貴は上機嫌に正しい街を口ずさんでいる。ぼくの趣味は、ほとんど姉貴の影響だった。
ジョイフルの安いハンバーグを食べながら、メロンソーダを飲む。二人で一つのコップを回し飲みにする、ささやかな節約をした。
「まだ、外は慣れない?」とぼくは言った。
「信用できる誰かが一緒なら平気」
「ぼくは待ってる」
「ありがとう」姉貴は口元を拭った。「おろしハンバーグが、とてもおいしかったから」
「きっと楽になるよ」
ぼくは、自分自身に嫌気が差した。
真実を吐かせてどうする?
確信するためには必要なのだ。
家に戻る途中、友人に出くわした。彼はぼくたちのことを冷やかしたが、腕を組んでいる相手が姉貴であることを告げると、面白くなさそうな顔をして去って行った。
その夜、ぼくは女を知った。そして、全てを知ったんだ。
ぼくは、愛おしく思った。
僕は、姉貴が死んでしまう前に、全てを取り除く決心を固めた。
同衾している姉貴が寝息を立てていることを確認し、僕はそっとベッドを抜け出した。
パジャマの上に中ランを着た。
僕の精神は麻痺している。ずっと、自分に麻酔をかけてきたのだから当たり前のことだ。
僕がバカであればあるほど、やりやすくなる。
感づいた時から、僕は檻の中の翼をもがれた鳥なのだ。
シンナーに溺れている連中から、ぼくは数万の金を巻き上げていた。ポカリスエットとか、アクエリアスをビニール袋に入れて、シンナーと偽って高値で売るのである。
もはや、麻痺してしまった連中にとって、ポカリスエットであるということを見抜くことは不可能だった。ビニール袋に入っている濁った水を吸引すること自体が、彼らにとっては重要なのだろう。
81 :No.17 アフィシオンの喪失 5/5 ◇QIrxf/4SJM:07/08/12 19:43:02 ID:5kXIXUbr
僕はナイフを握った。刃を出してはしまってみる。鋭利な輝きは、人を抉ることにこそ相応しい。
深夜に出歩くことには慣れていたが、距離を行くには足が必要だった。
そこで、僕は駅前に止まっている自転車からサドルを外した。
サドルの先を、原付の鍵穴に叩き込んだ。これでいい。
ナンバープレートを上に折り曲げる。
原付にまたがり、エンジンをかけた。自転車のサドルは捨て置く。
奴の居場所も、顔も知っている。もたらした結果も、これから起こりうることも、全てわかっている。
真夜中の産業道路には、いくつかのトラックが走っているだけだった。
河川敷を通ると、橋の下で友人たちが缶チューハイを飲みながらロケット花火で遊んでいた。
「おい、どこ行くんだよ?」
僕はナイフを取り出して示した。
ハイライトを一本吸う。
まだ、ソフトケースの中には数本残っていた。
ケースにライターを入れて、友人に投げ渡す。
「やるよ」僕は再び原付をふかした。
奴の家にたどり着いた。
表札を見る。
かつての僕と同じ苗字であるということに吐き気がした。
鍵穴にコールドスプレーを吹きかけ、叩き壊そうとしたが、上手くいかない。
僕は窓を叩き割って、家の中に侵入した。
ポケットの中のナイフを握る。
これからする行為は、課せられた義務なのだ。
廊下を進み、階段を上る。
三つめのドアが、奴の寝ている寝室だった。
横で寝ている女は無視して、男の首根に、ナイフを突き立てた。
それから、ぼくはタバコも万引きもやめた。どちらも、中学生の専売特許だからだ。
今となっては、過去に戻って復讐することも叶わない。
けれども、姉貴は今も生きている。十分だった。