【 ニート祭り 】
◆HRyxR8eUkc




63 :No.16 ニート祭り 1/14 ◇HRyxR8eUkc:07/08/12 19:38:05 ID:5kXIXUbr
 さてさて、こんにちは。
 ん、何かおかしいですか?ああ、小説の語り手はそんな事を言わないと云うのか、成る程。
まあ私の事はお気になさらず、ああ勿論これは、私自身の事ですがね。いやあ、
私自身の事はいいから、私の話す事だけ聞いといて貰えればそれでいいんで。え、
それは無理な注文だって? そんなこと言わないで下さいよ。
 あなたに一寸好い事を教えましょうか、何そんな大した事じゃない。
こういう二束三文の下らないものってのには、お約束ってもんが有るんですよ。必ずね。
それが何か解る? 解らない、それなら言うしかないな、とにかく疑問を持っちゃいけねえって事でさあ。
 私が誰かなんてそんな事を気にしていたんでは、楽しいものも楽しくなくなっちまうんで。
とにかく素直に信じないといけませんや。そんな調子じゃ何をしたって面白くない。
 何をやっても楽しくない、って事になりかねませんやね。いや当方には関係ない話でね、
あなたの方で善処、ですか。そう、その良い処遇、善処とかをしてもらったらいい話なんで。そう、ええとなんだったかな、
そう善処をね。善処すればいい話なんで。
 生きていくのも辛いでしょう。いやそんなこと言ってその方が却って辛いですって? いや当方には関係ない話……
全く関係ないんですがね。ああ、また余計な事を差し出がましくも申し上げて、全く自分で言うのもなんだが
口の減らないって生まれつきの性格の奴のせいでね。

 さあここに見えるは、一軒家だ。それも日本の一軒家だ。ごく普通のね。
というのも、まあ表札には名前が入っているし、二階建てで庭もあって、何処も申し分ない造りで、
欠陥なんかない。ただ欠陥があるのはサラリーマンとしても、土木作業員としても、
何処かの窓口で一日中座ってる役をする仕事をする人間としても適格でないような、
労働意欲のない、労働者として見て欠陥だらけって奴だ。勿論青い寸胴のロボットは押入れの中に住んでない。
なんせ狭い家に、買い込んだ服を捨てずに仕舞い込んである奴がぎっしりで、そんな人間でもない何だか面白そうなものを
囲い込む余裕なんかない。
……そう空っぽなのは、そこの夫婦の一人息子の、脳味噌ばっかりという訳だ。
 さあ彼の様子を見てみようか、彼はそこらの人が寝る時間に起きて、起きる時間に寝る。
いや正確にはそんなものと無関係に、全然あべこべだったり、時には合わせて起きたりする事もあるが、
食事の時間も似たようなもので、ただテレビで「食べてすぐ横になると食道炎になる」
と聞かされてからは、食べた後すぐに寝ないというこの一点だけは律儀に守っている。
 そういう自分に対する不安とか、自分の保身とか云う事に関しては、彼は異常に神経が鋭い。

64 :No.16 ニート祭り 2/14 ◇HRyxR8eUkc:07/08/12 19:38:21 ID:5kXIXUbr
勿論それは、世間の人がどうやって自分を保ってるかが解らないっていうその一点に尽きる。
ゲームの世界だって、歩かないと敵も出て来ない。ただゲームと違うのは、歩かなくても腹は減るって所で、
何もしなくても金は初めからあるって所もそうだし、何より諺にある通り、何処へ行くにも何をするにもとにかく
金が必要だ。残念ながら何もないところから金が出たりしないからその内なくなる。
 その点ゲームはいいよなあ。打倒魔王という目標の為に、示し合わせたように皆が行動してくれる。
ネットゲームなんて自分には合わない。
 彼はもう随分古いRPGをしていてそう考えたが、次の瞬間にはこうも考えた。

 魔法使いにしても剣士にしても、はたまた盗賊だって、全て打倒勇者という目標の為にある職業だ。攻撃は最大の防御で、
防御はただの弱虫、意気地無しのやることだ。
 もし俺が勇者だったらどうなるだろう。
「ああもう面倒だ、俺はもうこんな勇者なんて辞めて一兵卒、いや小姓にでもなるから、誰か他の奴がやってくれ」
 ……なんて言おうものなら、寄ってたかって身ぐるみ剥がされてしまう。なんせ皆屈強な勇者達ばかりだから、
大勢で掛かられたら、楊枝で作った人形みたいにヒョロヒョロの俺が敵うはずがない。

 言った通りだが、彼はネットゲームはやらなかった。金がなかったし、
辞めたり新しく入ったりするのが面倒だった。錬金術は本当に金を作り出している訳じゃないが、そういう意味で彼は
母親が管理する父親の金という真の意味での錬金術が使えたから、金の方はどうとでもなる問題だった。
こっそりやれば、その気さえあれば幾らでも出来たはずだった。
 いちいち挨拶したり、人の迷惑にならないよう気を付けたり、人に因縁をつけられたりしないように
慎重に振舞ったりするのが嫌だったんだな、彼は。例の過剰な保身、人から自分を守る事に汲々する彼の精神……
それが災いして、出来なかったんだ。
簡単に言うと、ちょっとした下らない事で除け者にされて、そのまま事あるごとにいじめられて、嫌になってやめて、
それでお終いになったら馬鹿らしいからやらなかったんだ。馬鹿らしいと云うか、心配で恐れおののいていたと云うか……
そんな具合だった。もちろんこれは冗談だがね、あながち大袈裟でもない。人がやっているというのに、何もかも全部
自分の思う通りになんて動いてくれるはずがない。だから御しがたい他人より、架空の人物の方がありがたいというのは
そんなに突飛な発想という事もなかった。
 Nの頭の中じゃ、そういう他人が自分の思うようにならないからなんて考えは意図的に封印されていて、ネットゲームなんて
ものより、初めから完成された物の方が絶対に面白い、とこうだった。ところがその彼、自分が仲間に干される所を
想像しちまったもんだから、急にみすぼらしいような気分になって、嫌になっちまった。

65 :No.16 ニート祭り 3/14 ◇HRyxR8eUkc:07/08/12 19:38:37 ID:5kXIXUbr
 ところが彼はこうも考えた。

 もし身ぐるみ剥がされても、何処かの宿にでも行けばそこに泊めて貰えるだろう。そうすれば元気になるし、それまで
ためた金があるから暮らしには困らないし、結婚も出来る。それなら大丈夫だ。流石にそこまで来て文句を言う仲間も
いないだろうし、呪文で何処へでも飛んでいけるから絶対に捕まらない。何事もなく平和に暮らせるはずだ。

 こう考えて彼は安心した。そこで、またゲームの続きを始めた。馬鹿な話だ、そんなことはプログラムされてない。
全知全能の神はそんなこと許しちゃいない。いやそこでの世界の話だがね。
 そもそもそんなもの、人の作った現実だ。ただ彼はそんなこと忘れてそこに没頭できた。それだけで十分だった。
いや事によると、とっくに承知してたのかも知れねえな。それでもその作り物の方が良かったんだろう。
 いや何でこんな事まで言っちまったのか……いや、全部喋っちまった方が解り易いし、そういう性格なもんでね、
まあ次だ。そこに現れたのは……いやロボットじゃない。
 N宛の手紙が届いた。そこに同封されていたのはメモ帳で、手紙の方の文面はこうだった。
「この手紙を受け取った人へ。貴方は全世界の中で唯一の『NEET脱出用メモ帳』を手に入れました。
これに貴方が苦もなく出来ることを書き込めば、あなたはNEETを脱出できます。」
 Nは詐欺だと思ったが、詐欺にしても何かおかしい。それで少しの間ぼうっとして考えた。
まあ詐欺なのは間違いないが、どうせなら個人情報を買って実名で出したほうが、騙し易い。
「今のチャンスを逃せば次はない」
などとせきたてて、ここに金を振り込むようにとでも書けば早いはずだ。具体的な手順が一つもないのはどうも腑に落ちない。
 しかしまあ詐欺だから、忘れた頃にやはり電話でも掛かってくるだろうと思い、この機会に日記を付けることにしたんだな。
これから数日間の予定を書くわけだ。特別変わった事もしないし、どうせ日記なんて続けるつもりがない。
 もし本物ならNEETじゃなくなるんだし、何も困らない。
何もなければまあ
「やっぱり何もなかったな」
と言ってニヤニヤしつつ、そんな糞不味い三文芝居の筋書きみたいに上手くいく話あってたまるか、と更に言って、
その上に更に下卑た、それでいて勝ち誇ったような笑いを浮かべて
「ふふ」
と鼻から息の漏れる音を立てながら、別にメモ帳を破り捨てると云う事もなくそのまま雑記帳か何かに転用する為にしまって、
別にどうという事もなくまたゲームを再開することになるはずだった。
 ところで、Nは自分以外の他人は半分詐欺師で、残りの半分は赤の他人だと思っている。とにかく何か人を騙して自分が儲けようという

66 :No.16 ニート祭り 4/14 ◇HRyxR8eUkc:07/08/12 19:38:51 ID:5kXIXUbr
のでなければ、とてもこんな面倒をする気にもならないと思ったから、とにかく詐欺であると頑なに信じ込んでいた。
 書く気になったのはちょっとした酔狂で、何かの縁だ、お仕着せみたいな小学生の絵日記でなく自主的に日記を付けるなんて風流だと
思ったんだろう。自分みたいな不精にそんな機会があったというだけでありがたい。

 世の中にそう多くない引き篭もりだから、この手紙も極わずかな人間のみに送られているはず。これで一山当てようなんて事はないけれど、
ちょっとその気になったってわけだ。
 彼は早速一頁目を開いた。机の上にあったペンを引っつかんで早速どんどん書いていった。

 朝、起床。ちなみに夜起きる事もある
 昼、眠っている事もあるが起きている事もある。夜食の材料を買いに行ったり、パソコンやゲームをする。
 夜、主な活動の時間。たまに読書をして、やはりパソコンをする。コンビニに物を買いに行く事もあるが稀である。
   ちなみに値段に関してはその度毎に吟味する。少しでも安ければスーパーへ足を伸ばす。

 これじゃ日記じゃなくてこれからの予定だが、どちらだって同じ事だ。なんせ数週間先までずっと同じ予定が並んでいるものだから、
日記なのか労働意欲の無いことを再確認する為に書く何かの罰なのか、書いているうちに解らなくなりそうな具合だ。
 だがまあ彼はというと、書き始める前は、崇高な芸術を一から作り上げようとしている所で、今まさにその作業に取り掛かろうという人間の
気分でいたし、書いている途中は
「その度毎」の毎という字を三たびほど書き直して、やっと正しい字を書いて、これでよしと一人心の中で首肯して愉悦に浸り、
「ちなみに」から最後までの件を読んで中々良く書けているといって手前で激賞したりと、こう傍から見て胸糞悪い事を一人でやっていた。
 それで終いに
「ああ、俺にはやはり労働意欲がない」
と満足して、またひとしきり喜んだ。何か顔を粘土のように横に引っ張って伸ばして、それから元の幅に戻したみたいに、眼も口も横に伸ばし
きって、その表情のままで笑った。その日記でもなんでもなくなった代物が書かれたメモは、最早何の価値もないものみたいな扱いで、
机の引き出しに放り込まれた。
 そんなわけで、Nの始めた崇高な一連の儀式的なものは、ここで一旦休止状態となった。その一部始終が完全に崇高にしめやかに執り行われ
たので、Nはその瞬間だけ非常に満足した。だがその次の瞬間にはもういらいらし始めて、しばらくすると元の通りの苦虫を噛み潰したような
表情に戻ってしまった。骨折り損のくたびれ儲け、こんな下らないことがあってたまるか。
 なんだか自分でも自分が信じられんような気になったが、ゲームをやり始めると、また穏やかな観音様みたいな表情になって、
煩悩から開放されたみたいな表情に戻った。戻ったのかなんなのか良くわからん。

67 :No.16 ニート祭り 5/14 ◇HRyxR8eUkc:07/08/12 19:39:07 ID:5kXIXUbr
 キリがないから次だ。そんな観音様みたいな表情のNの所へ来客があった。ドアをノックした音がしたかと思うと、二人組の黒いスーツ姿の
男が入って来てNのとなりに立った。
「お邪魔します」
「こんにちは、今日は体調の方はどうですか」
いきなり入ってきた黒服はそうNに問いかけた。
 Nの方は開いた口が塞がらないのはともかく、コンクリ詰めにでもされるかと思って気が気じゃない。微動だにもできなかった。
さっきのメモ帳が本物で、自分が適当なことを書いたから呪われたんじゃないか、まじめに書けばよかったなんて意味不明なことまで
考え始める始末だ。すると黒服、周囲を見渡して何かがさごそやり始めた。
 黒服はじきにメモを見つけ出して言った。
「ふむ、ではこれは借りさせて頂いてもよろしいですね、答えは聞いておりません。ほうほう……それでは後程」
 黒服は出て行った。Nはとりあえずコンクリ詰めを免れてほっとしながら唖然としていたが、また黒服が戻ってきた。
「これを」
 そう言って黒服が差し出した紙には、明朝体でこんな風に印刷されていた。

日当

 朝起きた場合
      
      1000円

 夜起きた場合
      
      2000円

 その他

      1200円

 起床しなかった場合

68 :No.16 ニート祭り 6/14 ◇HRyxR8eUkc:07/08/12 19:39:23 ID:5kXIXUbr
      0円

「ちなみに、夜の方が朝よりも高くなっている理由はですね、生活上の理由をこちらの方で考慮させて頂きました。何故かといいますと
ですね、このメモ帳の方にはたまに朝に起きると記載されてますが、実際のNさんの生活事情の方を考慮させて頂いたところ、こちらの
ような、ええ夜起きることの方が実際に多いのではないかということでですね、ええーこちらとしてもですね、より現実的なほうを、
選択させていただきました」
「ちなみに、その他というのはこれは主に、昼に起床された場合にこちらの方の金額とさせていただいております。例えばですね、
ごく一般的な人の場合でも、アルコール類を摂取した場合などはですね、夜間起きていて明け方に眠り、昼や夕方に起床することも
よくあることなんです、ええ。それで、金額の方はですね、Nさんは朝起きられることより昼起きられることの方が多いのではないか
ということでですね、このように決定させていただきました」
 聞かされるならまだしも、字面なら見るのもいやになりそうな文言を聞かされて辟易しながら、Nはまた呆然とした。
「では必要がありましたらまた来ます」
 男達は去っていった。
 ここでまた力説しておきたいんだが、Nはやはり赤の他人は半分が詐欺師で、半分は自分に興味がない人間で出来てると思っていた。
だからまあ、大掛かりな詐欺だろうと思ったんだが、とにかく面倒だったし、今すぐ荷物をまとめてどこかへずらかろうにも、行く所も
思いつかないので、仕方なくパソコンをやっていた。昼頃になるとまた男達がやってきた。
 Nが驚いたのは、二人が持って来た移動棚と、そこに入ったケースだ。どれも酒瓶を入れる奴より一回り程大きく、それが移動棚の三段ある
棚にぎっしりと載せられている。その中には食べ物や牛乳のカートンが入っているらしかった。二人の男は、それぞれのケースか籠のような
ものに値札のシールを貼り付けていった。
「少々お待ちを……はい、できました」
 一体何をしろというのか。買い物をする金はない。
「ええとですね、Nさんの場合は、ここにお書きになっている通りよく買い物に行かれるそうなんですけど、少しでも値段が安ければ、
スーパーへ足を伸ばしていらっしゃるということでですね、こちらとしましても、その事情を考慮させて頂いた上でこのような形を
とらせていただきました。何かご不満な点がございましたら、おっしゃって頂けたらと思っております」
「金額の方はこちらになります」

 買い物と値段の吟味 100円

 パソコンをしながら何かぶつぶつ言う 100円
 パソコンをしながら日本の現状について考える 100円

69 :No.16 ニート祭り 7/14 ◇HRyxR8eUkc:07/08/12 19:39:38 ID:5kXIXUbr
 家から出ない 1000円

「全体的に……値段高いな」
「こちらの方はですね……牛乳一カートン150円となっております」
「安!」
「こちらは、イクラが1キロ200円となっております」
「うわ安……なんか間違えてるだろそれ。おかしいから」
「牡蠣が500g200円となっております」
「それもおかしい」
 黒服の男は困ったような表情をした。
「どれも直輸入の物なんですが……お気に召しませんでしたか」
「いや、わかってないなお前ら。わかってるのかわかってないのか良く判らん奴らだ。俺がスーパーの福袋を喜んで買う奴に見えるか?
そこまで言わないにしても、胡散臭いものには眉に唾を付けてかかるんだよ、俺は。まあ、買うけど」
「そうですか、すいません」
「いや、謝る必要はない」
 しかしNはNEETだったので、半年ほどまともに人と話したことがなかった。
「それより俺は金を持ってないんだが、買い物できないのにどうするんだ?」
「ですからその辺のことにつきましては、Nさんの事情を考慮させていただいてですね、善処させていただきたいと思っております」
 Nは嫌そうな顔をして言った。
「その話し方はやめろ。黒服ならもっと慎ましやかに、慇懃に物を喋るんだな。ええとそれから、直輸入だか何だかは知らないが、直輸入でも
まずい物はまずい。でも随分新しそうだけどな。ええと、でも高いから、俺は買わないよ。そんなにいい料理の腕もないし」
 何だか黒服の物言いが伝染したみたいにしどろもどろになって、Nはいったん言葉を切った。
「うん。いくら物が良くても、時期に応じてって事があるからな」
 「然し」というか「然るに」というのがいいのか、NはNEETだった。

「それではこれはどうでしょう……卵が10個で80円、キャベツは2個で150円です」
「うわ、普段俺が食べないものばっかり持ってきやがってと思ったら、すごく安いよこれ! 何かすごい!」
「これもご覧下さい」
「え、すじ肉が……700円かこれ? うわ、100円じゃん! うわこれ安すぎ! おかしいから!」

70 :No.16 ニート祭り 8/14 ◇HRyxR8eUkc:07/08/12 19:39:59 ID:5kXIXUbr
 そういうわけで、黒服の癖にいやに馴れ馴れしい、鬱陶しい奴らだと思っていたNも、ここに来て信用する気になったらしい。
ここまで面倒なことをするなら事情があるに違いない、今すぐに叩き出す必要はないだろう、と思っただけだったが。
 自分のところまで来て暇を潰してくれるのはありがたいし、今すぐにでも引っ張り出して、そのまま鍵を掛けて締め出してしまう必要はないと考えた。別にNのことじゃない。
「それではまた来ます」
 黒服たちはまた去っていった。彼は今度はパソコンでゲームをやりかかった。パソコンの電源を入れて、さっきのは一体なんだったのか
考えた。
 もし金が貰えるんだとしても、Nはそれをどうしたら良いか解らない。なぜかと言うに、Nが労働意欲がないので、金とも縁がないからだ。
銀行の口座も持っていないし、何やら税金をどうするとか、使い方もわからない。
金が手元にないってことだけじゃなくて、金のことを名前しか聞いたことがない、とある地方でほんの少ししか採れない珍味みたいに思って
いる。
 もし直接貰ったって、しまっておくのも面倒くさい。
 すぐに使おうということになると、ますます手間がかかる。誰かにあげるのだって、人と会ったりして面倒だし、何のかのと言われるのも
やはり面倒だ。
 金額の多寡にもよるが、もし何も出さなかったとしても同じことだ。
 もし誰か適当な人間に話しかければ、社会からつま弾きにされた或は、つま弾きにされていそうな人間に興味を持たれた、
あまつさえ話しかけられさえした人間ということになって、その相手が有名になってしまう。つま弾きにされているかいないかは、
一目でそれと判ってしまうに違いなかった。
 みすぼらしいなりで市民に話しかけるなんて、浮浪者か社会的な概念を忘却した狂人じゃないとそんなことはしないだろう。
それで金をやろうなんて言った日には、ますます全くもっての狂人になって、おまけに働いてないなんてすぐバレて、
どこかで盗んできた金だろうとか、いやあれはああ見えて酷い女たらしで、そこいらじゅうの女を騙して貢がせているから
金には困ってないんだ、それも親にはひたすらそのことをひた隠しにして、それでやりおおせているんだとか言われるに違いない。
とにかく業突張りの非人間ということにされて、喋っただけで四十九日町中の噂になる。金についてはその三倍位は、日本中か世界中の人の
口端に上ってひっきりなしに何か言われ、噂の話の種になることは間違いなかった。まあ、業突張りの非人間なんて立派なものに
間違えられるのなら、それはそれで良いような気もしたが。

 しかし別に使うのにしたって、

「お前は何の為に金を使う気なんだ、お前に出来るのは滑稽な道化の役と格好で、いつも皆に気前良く
して、財布代わりの立場でちやほやされる位だ、俺の持ってる金はやらん、店の金は仕方ないからくれてやる」


71 :No.16 ニート祭り 9/14 ◇HRyxR8eUkc:07/08/12 19:40:17 ID:5kXIXUbr
 とでも言いたげな顔を店員がしているのを見ながら、気のせいだと思わないといけないような気がした。何でかは良くわからないが。
とにかく自分が使う以上は大差ないことになりそうだということに気づいて、今度はずっと苦虫を潰した表情が張り付いたままになって、
その顔でゲームをやる羽目になった。
 Nは今度は整った服装で買い物に行く自分を想像した。

 黒いペラペラのシャツ。足が入らないぐらい細い焦げ茶のズボン。
 背中に英語の文句がびっしりと書いてあるシャツ。くすんだ鶯色で、作業着みたくポケットが山程あるのに布地はドレスみたいに薄いズボン。
「ええと、そうですね……なんていうか、ちょっと僕には良くわかりませんが、なにぶん素人なもので……へへ……
それにしても、いや参ったな……今考えてるんですけど、いや、ちょっと判りかねます……いや申し訳ない……
それにしても、こんなものでもいろいろ種類があるんですね。じゃあお薦めはどれですか? え、特にない? じゃあ、この安いので……
え? これの方がいい? そうかなあ。いや全然わからないんですけど、これだとどういう所がいいんですか? こっちが人気がある?
それは何でですか? はあ、それはどういう違いがあるんですか? じゃあこっちの奴はどうして高いんですか? え、特殊な原料が
入ってる……その原料が入ってるときめが細かくなる……なるほど……いや……難しいなこれは……なにぶん素人なもので、申し訳ない……」
 などと言っている自分。

 一発でNEETとバレて折角の苦労も半分ぐらい水の泡なので、どうにもならない。
とにかくそうやって神経を使ったり、どうすればいいか考えてる間はNEETを脱出できないなと思い、とりあえずNは考えるのをやめた。



「こんにちは」
 黒服がまた入ってきた。こいつらが鬱陶しいのは、二人組だからだろうか。
「ええとですね、何か愚痴をおっしゃって下さい、下らない話でも構いません。切実さがあればなお良いんですけど、そこまで
要求しません。要するに何でもいいということなんで、適当に話でもして下さい」
「何か適当になってないか?」
「いえ、要望があったので短くしました」
「いや、俺が言ってるのはそういうことじゃないんだ。お前らの話は長すぎ……お前らが執事然とした執事に近い黒服の二人組なら、
俺ももう少し心穏やかでいられるってことを言ってるんだ」
「どういうことですか?」
「いや、もういい、その方がマシだ」

72 :No.16 ニート祭り 10/14 ◇HRyxR8eUkc:07/08/12 19:40:32 ID:5kXIXUbr
「そうそう、この通り愚痴は500円、下らない話は200円、思い出話が500円となっております。この紙は置いておきますね」
「思い出話?」
「はい。次は思い出話です。ではどうぞ」
「いや、そんなことは書いていないよ」
「無かったらとりとめのない下らない話でも結構なんで、どうぞ」
「いやでも、いきなりそんなこと言われてもなあ」
 Nはいい加減面倒になってきた。
「そこが新機軸なんですよ」
「ええ、新機軸? ……新機軸だか何だか知らないけどじゃあ、何か話すか。ええと、俺が小学生だった頃の話だ。あの頃俺はまだ若かった」

 あの頃俺は、自分がニートになるなんて思いもしなかった。まあそれはどうでもいいんだがある時学校で講演があった。講演に来たのは若い
男の人で、話の内容は当時としてはアバンギャルドな、性に関する内容だったな。といっても相手が小学生だから、そんな変なことは
喋らないんだが。そこで彼が面白いことを話してたんだ。

「なんだか、いきなり核心に迫ってますね。思い出話といえば長いものだとばかり」
「何だお前馴れ馴れしいな。お前と一緒にするな」

 何でも、人間には男女一組で子供を作る習慣があって、そのための器官が臍下丹田の下についてるって話だ。
まあ臍下丹田なんて言葉は知らないんだが、そんなことを聞かされた。そのためのとっても重要な器官らしいってことで、子供ながらに
感心したよ。なんでも、椅子に座ると自然と手を前に組むのは、その大事な器官を守ってるかららしいんだ。それを聞いて俺は感動したね。
全く意味がわからなかったが、そんな大事なものがここにあったのかっていう発見の驚きと、金脈を見つけた時みたいな喜びを感じた。

「ろくでもない話ですね」
「いや、別にそうでもない。普通の話だ」

 まあその話自体よりも、そのことをいつまでも覚えてるってことが面白いと思うんだ。価値のないものに価値を見出すのって、すごく
難しいことだと思うんだよね。言ってみれば、

「人間は布団からエネルギーを吸収してる」っていわれて、布団をありがたがるみたいなもので、実際にその有難みがわかってなかったにも
かかわらず、何だかそれを聞いて敬意を払うようになったわけだろ。そういう風に無条件に信じたわけだから」

73 :No.16 ニート祭り 11/14 ◇HRyxR8eUkc:07/08/12 19:40:49 ID:5kXIXUbr
「それは面白いですね」
「そうでもないけどな」

 だけど、良く考えたらそんな大した事じゃないんだよな。だって子供は手を組まずに椅子の横にぶらぶらさせてるだろ。
あれは胴が長いから、その方が楽なんだよ。……ええと、人間の腕は肩の所を支点にしてどの方向にも動かせるようになっているから、
椅子に座ると肩に腕の重さが掛からないように、膝の上に手を乗せようとする。でも腿の断面は円い形だから、その上に乗せようとすると
すぐにずり落ちてしまう。それに腕は肩を支点にしてそこから吊り下げられている。肩より内側に腕を置くと、外向きに力が働く。
だから膝の間に手を置かないと安定しないんだよ。別に大事な器官を守るとかでなくともそうするんじゃないかな。

「……全然下らない話ですね……」
「まあその通りだ。まあ付け加えるとすれば、俺はまだ小学生の時から随分汚れの性格だったなと思ってな……十年前も今も小学生は変わらずマセてるというか、擦れてて根性曲がってるということはいえる」
「そうですか」
「ああ。その人はただ、聴衆の興味を引いて皆を自分に注目させるために、小噺としてその話を使ったんだと思うんだ。
小学生には話の意味がわかるわけないけれど、あの時半分位は手を両腿の間に置いていたし、ただでさえ落ち着きのない子供の気を引くのは、
講演を成功させる上では重要だからな」
「成功も何もないですよね」
「ああ、まあそうなんだろうけど」
「それと、その話で擦れてて根性曲がってるのってNさんだけですよね」
「お前馴れ馴れしいな。黒服の癖にうるさいんだよ一々」
「いえ、要望があったのでこうしてます」
「それはわかった。まあ後から考えたら、随分胡散臭い話だったな……」

「カスみたいな話でしたね。まだないですか?」
「もうない、の間違いだろ。そうだな、これも小学校の時なんだが、毎日掃除があって、よく当番が回ってきた。教室をホウキで掃く時はまず
机を全部右に詰めて、履き終わって雑巾がけも全部済んだら、順番に元のように並べていく。最後の数列は左に詰めて、全部の床が
掃除出来たら、机を元に戻す。こういう手順になる」

「そりゃ誰でも知ってますよ」
「ここからだよ。俺は床を掃く時にいつも斜めに、最後にごみを集める方に向かって掃いてたんだ」
「そうですか」

74 :No.16 ニート祭り 12/14 ◇HRyxR8eUkc:07/08/12 19:41:06 ID:5kXIXUbr
「だが同じ班の女子は皆教室の後ろに向かって掃いていた。それで俺は後ろに向かって掃けって散々怒られた。男子はサボるか、女子の言う
ことを聞いて真後ろに掃いていたんだが、その内に自然と男子が机運び、女子がホウキで床を掃く役で、手の空いた両方が雑巾がけをやる
ように、男女で住み分けがされていった。机は重たいし、女子にはつらい。一々箒を放り投げて机運びをしていると箒に集中できない。
女子は皆きっちりした性格だったから、それが気に入らなかったんだろう」
「小学生とは思えない合理主義ですね」
「うーん……まあ箒で掃くのは、同じ所を数回ぐらい掃かないとゴミが取れないし、前からキッチリ順番にやっていかないと
やっぱりごみが取れなくて無駄になるし、女子に向いてるんだろう。女子は何かこう、木目と平行か垂直にしか箒を動かせないみたいに、
やたらと几帳面で丁寧に掃除しやがる。だから時間ばっかりかかる。ところが男子は雑巾がけもそこそこに机を運び始めるから、
それに合わせようと思ったらものすごいスピードで掃き掃除と雑巾がけを終わらせなきゃいけない。俺はあの時まだ阿呆だったから、
糞真面目に必死になって箒を掛けるのを手伝っていた。すると気をつけてはいるんだが、どうしても斜めに掃いちまう。何でかっていうと、
斜めに掃いた方が楽だからなんだよな」
「というと?」
「真後ろに向かって掃いていくと、ある区画を掃く時に横に動かないといけないから面倒だ。斜めにゴミを教室の隅に向かって掃いて
いれば、一番後ろまで掃いてまた前に戻るのを繰り返すだけで済む。既に掃いてある場所との境目を真後ろに向かって掃いていると、
もう掃除したところにゴミが飛んでしまうし。それで気がついたら斜めに角度を付けて掃いていることが多かった。俺はそのたびに
怒られて、しかも阿呆だったから糞真面目に言い返してた」

 ある日の学級会でその同じ班の女子の一人が急に手を上げて
「ええっとぉ、私達の班は3班なんですけどぉ、N君はいつも箒で床を斜めに掃くんですけど、私達は縦に掃いているんで、ちゃんと
縦に掃いてほしいでーす」
 なんて言い出した。関係ないが学級会で話す時は、抑揚を付けず平板にして、ある高さとある高さの音を行ったり来たりするように
話し、語尾は長く伸ばすという暗黙の了解があった。それから
「えっとぉ」
「何々しているんでぇ」
「そのことに関してなんですけどぉ」
「ほしいでーす」
 などの定型句というか、慣用句的なものがいくつも存在していた。これの発音は簡単には説明できない程複雑なんだが、面倒なので

ここからは本来の発音と違っても、普通の言い方にさせてもらう。この言い方で話すことで、
「私は目立ちたいわけじゃありませんが、仕方なくしています」

75 :No.16 ニート祭り 13/14 ◇HRyxR8eUkc:07/08/12 19:41:21 ID:5kXIXUbr
 という雰囲気を作って、一人で喋っているのにまるで雑踏の中で黙って立っているみたく目立たない雰囲気を醸し出すという、
言語学者でも不可能なことを可能にしているのだった。その上この会合に消極的であるという意思表示にもなっているのだが、
要するに誰一人として喜んでしている子供はいないし、先生もまたそうなのだった。
「何か意見がある人はいますか。はい、どう……」
 日直が語尾を掠れさせながら言うと、別の女子が手を上げながら立ち上がって言った。
「私もおんなじ班なんですけど、N君はいくら注意しても聞いてくれないので何とかしてほしいです」
「じゃあ、N君……どうぞ」
 そう指名されたが、俺は当時糞真面目だった。俺は唖然としたまま席を立った。
「えっと、今度から気をつけます」
「じゃあ先生」
「うん、掃除はちゃんとしましょう」
 俺は女子にうるさく言われるリスクを避ける方が良いと考え、事態の収拾を優先した。何とかしてほしいっていうのは修辞尾か何か
だろうか。
 そんなわけで、掃除の時は適当に雑巾がけと机運びだけをやるようになった。見ていると女子がクソ丁寧に箒をかけている間、男子は廊下の
に出て行って何やら騒いだりしていたが、やがて戻ってきて雑巾がけを始めた。初めはそれで良かったが、机を動かして教室中央の床掃除を
始めようという時に、めんどくさくなった男子が雑巾がけを始めてしまった。それで女子は胃がむかついた顔付きのまま黙って床の左半分を
男子に明け渡して、あい変わらずクソ丁寧に残りの右半分を掃除していた。
 残りもそんな風にして掃除が進んでいって、結局いつもと変わらない時間で掃除し終わった。俺はそのときはクソ真面目だったから
何だか腹立たしくて、帰り道に時代劇のかっこいいセリフを抑揚を付けて言いながら、自分ではそれが嘆いてるつもりで
ストレス解消していた。

「……それで終わりですか?」
「ああ。要するに俺はもう人生の悲喜交々がどうしたこうしたとかそういうことはもういいから面倒だし、親とか大人が言うみたいに
どこかへ行けばそういう面倒なことがないなんてことは絶対にないと思ってる」
「どういうことですか?」
「だから俺はもうそういうのは飽き飽きしたから、教養とかそんなのと一緒で別に無理して求めていくことはしないってことだよ」
「……え?」
「いやだから、小学生ですらこんななのに、況や社会人をやだよ。どこへ行っても同じことだ。俺は幸いにしてニートをやってる身の上だ。
これ以上求めるものなんか、何もないんだよ。尊厳とか、そういったものはいらない。将来の見通しはないと困るが、どうやってみたって
同じだろう。誰が何と言おうとそうだ。大人なんか、全然信用してないからな」

76 :No.16 ニート祭り 14/14 ◇HRyxR8eUkc:07/08/12 19:41:36 ID:5kXIXUbr
「そうですか」
「そうだよ」
「じゃあこれが今日の給料です」
「あ、どうも」
「余り気乗りしないみたいなんで、またその内来ます」

 やれやれ。とにかく俺がニートを続けられるのはいいことだ。
 これで夜中に奇声を発したり、そのせいで上の階の奴から執拗な嫌がらせをされたり、街中で変な身振り手振りをしたりしても
誰もそれを咎めないだろう。いやそれはいいか。Nはまた考えた。

 俺がこんな風になったのも金がないからかもしれない。俺が有り余る金の中にいれば、俺は何もせず、ただ
純粋な気持ちで散財して、人に好かれていただろう。

 そう考えるとNは急に金が疎ましいような気がして、封筒を無造作に放り投げた。
 封筒はNの心配をよそに、ゆっくりと浮かび上がるように飛んでいく。その口が僅かに水平より下を向くと、そこから紙幣がゆっくりと
落ちていき、封筒と離れた。それはそのまま散らばって床の上を滑った。こんな非現実的な話が本当にあるものだろうか。何にせよ
勝手にこんなことをしていいのかということもあるし、第一何の得になるのだろう。全く訳がわからない。こんな馬鹿みたいなこと、
現実のはずないじゃないか。
 いや、これでしばらく、夜食を買いに行くのには困らないな。
 そう思って、散らかった金をNは拾った。

 俺は金を拾ったのだろうか。
 それとも金に拾われたのだろうか……いやそんなことはない。金はそこにあって、俺は金にくっ付いてきたオマケみたいなものだからだ。







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