【 漂流する魂 】
◆YaXMiQltls




46 :No.12 漂流する魂 1/5 ◇YaXMiQltls:07/08/12 08:15:44 ID:5kXIXUbr
 初めてBNSKの門を叩いたのは、二〇〇六年のクリスマスイヴのことだった。正確にいえば二十四日に
なったころで、バイト先から帰ってきていつものようにパソコンを開き、いつものようにVIPを見ていた
のだ。けれどさすがにクリスマスだからかあるいはVIPPERが祭り好きだからか単なる童貞の嫉妬の固ま
りなのか、いつもなら多種多様なスレッドが乱雑にあるはずなのに、その日に限ってはクリスマスのネタ
スレで板が埋め尽くされていた。だから「文才ないけど小説書く」と漢字とひらがなであっさりと書かれ
たスレタイが僕の眼に飛び込んできたのは、ある程度当然のことのように思う。

 あらかじめ断っておけば、この文章は僕の記憶によってすべてが書かれたものではない。細部がころこ
ろ変わるスレタイの一つ一つを覚えていられるほど僕の記憶力はよくない。けれど「文才ないけど小説書
く」というスレタイは確かなものだ。

http://bnsk.jf.land.to/log/2006_4th/1166793922.html 

 ここに僕が初めて眼にしたBNSKのスレッドが、今のところそのまま残っている。バイトから帰るのは
いつも深夜一時ころだったから、おそらく四百前後のレスが付いている状態だったのだろう。色褪せもせ
ずそのとき見た光景と寸分違わぬ光景を僕は今パソコンのスクリーンに見ている。しかし本当にこの記録
はいつまで残っているのだろう。
 とにかくそれから四時二十八分までの間に、僕がどうして小説を書こうと思い、どう432から434に書
き込まれている物語を考えたのかは、今となってはもう思い出せない。ただ判断できる真実は、僕は確か
にその三時間半ほどの間に「孤独」という一つの小説を書き上げたということ、それはほとんど評価され
なかったということ、そもそも小説ではないとさえ判断されもして、けれど品評会において感心票を一票
獲得したということ、それに対しそのときの僕はどう思ったのかはおそらく書き込まれていない。
 それから「孤独」に書かれていることは全て嘘だということ。僕はその日このようなクリスマスを過ご
さなかったし、その前にも後にも、ここに書かれているいくつかの経験を全てしたことはない。

 僕はその日Kと過ごした。Kとはその頃一緒に住んでいた。それは事実だ。だから僕がその小説を書い
ている間もKは同じ部屋にいたはずなのだけれども、僕はそのときKが何をしていたのか覚えていない。
時間帯から考えてみるに、おそらくKは寝ていたのだろうか。いやそれはあまり確実性のないことだ。
 僕がバイトで遅くなるとき、Kはいつも僕を待っていてくれたから、その日に限って珍しく寝ていたら

47 :No.12 漂流する魂 2/5 ◇YaXMiQltls:07/08/12 08:16:09 ID:5kXIXUbr
小説なんて書いていないだろう。Kが僕を待たずに寝てしまう日というのは、なにかしら嫌なことがあっ
た日なのだ。そういう日はKを起こして話を聞いてあげなければならない。無理やりにでも起こして、無
理やりにでも話を聞いてあげないと、次の朝Kの機嫌が悪いのだ、場合によっては夜までも。そんな習慣
ができたのは、どうしてだかは忘れてしまったけど僕が機嫌を悪くしたまま帰ってきたとき、ベッドを占
領して寝ているKに腹が立って無理やり起こして愚痴ったことがきっかけだった。怒鳴る僕にKは逆ギレ
して、そんなことは全然たいしたことじゃなく自分なんか今日――、と反対に僕に愚痴りだした。それか
らは、寝ているKを無視すると、この前は愚痴を聞いてくれたのに、と言われるようになって僕はそうす
るように心がけていたのだ。
 だからおそらくKは寝てはいなかった。とは言うものの起きていたわけでもないだろう。それこそワン
ルームの部屋に他人がいるのに小説なんて書くことはできない。だとすれば、その日Kはいなかったのだ
ろうか。二〇〇六年の十二月二十三日は天皇誕生日で、普通ならKの仕事は休みのはずだ。その日僕とK
は何をしていたのだろうか。

 Kについて思い出せるのは二十四日の夜のこと。街は人だらけだからと、僕たちは家でいつもより少し
豪華なディナーを食べたはずだ。僕は昼から一人でケーキを作った。レシピをネットで検索して近所のス
ーパーで材料を買ってきて、生まれて初めて作ったケーキを一口食べるなりKは「まずい」と言った。そ
の感想の素直さがあまりにKらしく、僕はうれしくておかしくて笑ってしまった。料理はKの担当だった
のだけど、Kは全ての料理をデパ地下の高級惣菜ですませた。けれど普段は見るだけで高くて買えない二
人分買えば千円は軽く超えてしまうサラダの味は今も忘れられないくらいにおいしかった。ゼリー状のド
レッシングがあるということをそのとき初めて知ったのだ。メインディッシュはなんだっただろう、覚えていない。
 それから二人で近所のレンタルビデオ屋に行ってDVDを借りてきた。僕はオーソドックスに『ナイト
メア・ビフォア・クリスマス』が見たかったのだけれど、Kが「普通すぎておもしろくない」と反対して、
なんだかんだと迷ったあげくKのおすすめだという黒沢清の『アカルイミライ』を借りてきた。僕はその
とき初めて知った映画だったので、どんな話かさえ知らずに見たのだけど、今から思えば確かに面白かっ
たけれどクリスマスに見る映画ではなかったと思う。
 次の週末に僕はまたBNSKの品評会に参加している。

http://bnsk.jf.land.to/log/2006_4th/1167230089.html

48 :No.12 漂流する魂 3/5 ◇YaXMiQltls:07/08/12 08:16:46 ID:5kXIXUbr
 ここの521から525にかけて、日時は十二月二十九日の二十一時。普段は土日に投下されるはずの品評
会作品が金曜日に投下されているのは、3を見れば分かるように年末進行だったのだ。タイトルは『アカ
ルイミライ』
 声に出せばどこにでもある言葉だけれど、七文字全てカタカナで書いてあるからには、明らかに五日前
に見た映画からタイトルがとられていると言っていいだろう。けれど今こうして読み返してみると、確か
に「明るい未来」という言葉はタイトルとしてふさわしいかもしれないけれど、それをわざわざカタカナ
にして既存の映画を思い起こさせるタイトルにする必要は一切ないように思われる。オマージュ的な要素
が入っていたり、あるいは映画に対する回答のような形で書かれているならまだしも、そんなことは一切
ない。

 阿部和重の『アメリカの夜』は、当初『生ける屍の夜』というタイトルだったという。生ける屍の夜=
ナイト・オブ・ザ・リビングデッド。同じタイトルの小説が既にあるということで出版時にタイトルを変
更したのだそうだが、フランソワ・トリュフォーとジョージ・A・ロメロでは、映画史における位置も、タ
イトルの言葉から受ける印象も、元の映画の内容も、なにもかも異なっているのに、どちらのタイトルだ
としてもどこかしっくりくるような気がするのは僕だけだろうか。
 ともかくデビュー作である『アメリカの夜』において阿部和重が「あのマルセルがコンブレーでの幼き
ころを回想するように」と、まるで友人を呼ぶように「マルセル」を「マルセル」と呼び、さらには「マ
ルセル」を自身と比較してしまうほどの自信がなければ、職業作家になどなれはしないのだろう。

 今まで見てきたように僕に「コンブレー」など存在しないのだ。それを才能の有無でなく、時代の変化
だとか環境の違いに無意識に根拠を求めていることに気づきながらも、図々しくもURLなど貼り記憶を外
部に求めることを正当化するかのように、あるいはさも時代はそうなっているのだといわんばかりに、結
局僕は自分で考えることを放棄してはいないか。
 
 考えろ。

 記録に残っていない記憶を思い出せ。

『アカルイミライ』が意外にも高評価だったことに調子にのった僕は、それからほとんど毎回と言ってい

49 :No.12 漂流する魂 4/5 ◇YaXMiQltls:07/08/12 08:17:06 ID:5kXIXUbr
いほど品評会に参加していた。けれど第四十六回「牛乳」の回から第五十八回「石」までの約三ヶ月の間、
BNSKから遠ざかっていた。もっと言えば2ちゃんねるからも、パソコンからも、それどころかおよそ普
通の人間の生活と呼べるような、労働や遊びからも遠ざかっていた。
 二月の下旬、僕が大学生活最後の春休みに入ったころ、Kが突然帰ってこなくなった。「ごめん。一緒に

住むのやめよう」と二日目の夜にメールが来た。連絡をとろうと電話やメールをしても反応がなく、ある
夜僕はKの家に押しかけていった。Kは僕の家に毎晩泊まっていたというだけで、別に一人暮らしの部屋
を借りていて、正確にいえば同棲していたというのは、事実上という括弧つきの状態でしかなかった。
 三度目のチャイムを鳴らそうとしたときに、僕の携帯が鳴った。Kからのメール。
「ごめん。ちゃんと整理ついたら話すから。わるいけど今日は帰って。」
「何があったんだよ」
 みたいなことを僕はKのアパートのドアの前で深夜に叫ぶ。Kが中にいることは確実だ。僕はいろいろ
な最悪な事態を考えた。Kに僕と一緒にいられない理由ができたというのか。けれど僕には内緒にしてお
かなければいけない理由ってなんだ?
「うっせーぞ!」
 隣部屋のドアの向こうから低い男の声がして、同時に携帯が鳴る。
「ごめん。ほんと今日は帰って。連絡するから。」
 再びKからのメール。僕はKの部屋のドアを一蹴りしてアパートを後にした。それからKとは一度も
あっていない、としておこう。少なくとも二〇〇七年八月十二日午前五時現在にはそうなのだから。

 第五十八回BNSK品評会「石」のとき、僕は自称未来人という青年を物語の中に出した。そんなことは
今の今まで忘れていたけれど、この偶然に驚いてしまう。というのは、僕は今未来から来ているからだ。
禁則事項なので具体的な時間は言えないのだが、未来のある地点から二〇〇七年八月十二日にやってき
た。今かつての僕の部屋でかつての僕が寝ている。僕は第六十三回「呪文」の回を最後にBNSKに書き込
むことはおろか読むことさえなかったから、たぶん今ここで寝ている僕は当分の間、この書き込みには気
づくことはないだろう。
 僕は僕の携帯電話に保護されているKからのメールをさっきすべて消去し終えて、これを書き終われば
すぐにでも未来に帰らなければならない。本当は禁則事項なのだけど、この個人的なメッセージに最後ま
で付き合ってくれた方に一つだけ未来の情報を。タイムとラベルの料金は時間制で一時間ごとに料金が加
算されていく。そろそろ僕の予算は限界なのだ。

50 :No.12 漂流する魂 5/5 ◇YaXMiQltls:07/08/12 08:17:22 ID:5kXIXUbr
 最後にいつかこれを読む僕自身へ。

 僕がこの文章で君に伝えたいことは一つだけだ。考えろ!


 了



BACK−「ねこ」◆.Drhm7kUMA  |  INDEXへ  |  NEXT−変化するものしないもの◆JiMIdsuY2g