【 優柔不断な私の話 】
◆BLOSSdBcO




34 :No.09 優柔不断な私の話 1/7 ◇BLOSSdBcO.:07/08/12 00:43:51 ID:5kXIXUbr
 私は自らについて語る言葉を多くは持たない。
 仮に私が私の人生を語るとしたら、『遺書』という形だけだと思っていた。
 何故ならば。
 私は完膚なきまでに一般市民であり、何の才能もとりえも無く、集団に埋没することで得られる安定感を望む
反面、誰とも関わらずに植物のような完全自給自足の孤独で平穏無事な生活を夢見、そのくせ自己顕示欲が
強くて他人に愛されたいと願って止まない、人に嫌われる事を極度に恐れる臆病者だから。
 ――つまり、私は退屈な人間なのだ。
 自分でも特殊だと思う精神構造の成立した過程だとか、ギャンブルで勝つ方法だとか、旅先で出会った双子の
ホームレスとの価値ある会話、あるいは二人の人間を殺した経緯。
 そんなものは語る価値も無い。誰にも語らず墓場に持ち込もうと思う。

 唯一。毒にも薬にもならないような、どうでもいい話をもって私を語るとしたら。
 あの冬の日を、多少の脚色と美化によって語ろうと思う。

35 :No.09 優柔不断な私の話 2/7 ◇BLOSSdBcO.:07/08/12 00:44:06 ID:5kXIXUbr
 中学二年の十二月。雪合戦から拳のぶつけ合いに発展するような季節。
 遅刻を強迫的に恐れる私は、始業時刻よりずいぶん早く校門をくぐり、窓際の友人の席で朝日を浴びながら
二度寝する習慣があった。
 その日もクラスメイトが登校するまでの時間を机に突っ伏して過ごす予定だったが、驚くべき事に私よりも
早く登校している生徒がいた。何か目的があるならばともかく、誰もいない教室で三十分余りの時間を過ごす
ような奇矯な人間が私以外にいるはずもなく。私が教室に一番乗りでなかったのは、入学して以来初めての
出来事だった。
「おはよう、ベリー」
「……おはよう、マルコ」
 先客に声をかけられた私は一瞬の沈黙の後に応えた。
 なんとも間の抜けた会話である。何の変哲もない朝の挨拶だと言うのに、互いにあだ名を呼で合うと滑稽に
聞こえるのは、中学生のネーミングセンスによるものか。
 マルコはクラスの中でも地味な方だった。四つほどに分類出来る女子のグループでも、比較的インドア派と
いうか大人しくて真面目な子達の集団に属している。外見的には、背が低くて細く、垂れ目と小さな口が気の
弱い印象を与える。改めて見ると、意外と可愛い。
 ベリー、つまり私は、学級委員を進んで行うような目立つタイプの人間で、今までにマルコと会話をした記憶が
無い。あったにせよ、それはマルコでなくてはならない類のものではなかった。
「早いな」
「早いね。ベリーはいつも」
 何で知ってるのか、とも思ったが、知っていておかしいことはない。
 私はいつも通り自分の席に鞄を置くと、窓際の席に腰を下ろした。その日はすこぶる天気が良かった。黒い
学生服を日差しが温める。徒歩十分に満たない通学時間とはいえ、北風に冷え切った体にはありがたい。
 いつもであれば、その痺れるような心地よさに身を委ねるだけなのだが、しかし私は落ち着かなかった。
 今でこそ他人に積極的な無関心を貫くことが身上の私も、当時は『誰とでも仲良くしたい』などと傲慢かつ
誇大妄想狂じみた考えをしており、この状況を利用してマルコとも親しくなりたい、と考えたのである。
 どんな話題に乗ってくるか。どんなノリで話せば良いか。窓の外を眺めながら、必死に作戦を練る。
 マルコは会話の得意な人間には見えず、つまり私から話しかけなければ何も進展しないように思えた。
「ベリーの誕生日ってもうすぐだよね?」
「んえっ? あ、ああ。二十二日」
 折角練った作戦が一瞬にして崩壊したが、何とか気を取り直した。

36 :No.09 優柔不断な私の話 3/7 ◇BLOSSdBcO.:07/08/12 00:46:25 ID:5kXIXUbr
 いっそ二十五日ならば諦めもつくのだろうが、三日のズレは『誕生日とクリスマスが一緒に祝われる』という
大人の都合に終始した行いを許すべきか激昂するべきか、微妙なラインである。ついでにお年玉まで一緒に
されていたら、間違いなくグレていたが。
「何か欲しいものある?」
「あー、そうだな……」
 何でマルコはそんな事を聞くのだろう。仮にマルコが大金持ちであれ、ただのクラスメイト風情に誕生日
プレゼントをくれてやるような酔狂なマネはするまい。
 結論、ただの会話のネタ。よってリアリティは不要。
「世界の半分が欲しい」
 自分の限界だとか、世界の理不尽さだとか、色々と無知な少年だった私は、割と本気でそれを望んでいた。
「半分、なんだね」
「幸せと安らぎと優しさと愛情に満ちた、世界の良い面だけ欲しい」
 ――純粋さとは残酷さである。今の私にこんな答えは出来ない。
 ――あまりに、世界と、自分と、他人の醜さを知ってしまったから。
「ベリーって、やっぱ最高」
 マルコは、何だか分からない感想を述べて、小さく笑い出した。
 とりあえずは褒め言葉だと受け取った私も、照れ隠しに笑った。

 放課後。期末テストの結果を忘れて汗臭い防具を身にまとう時間。
 私は剣道部で副部長という中途半端な役職に就いていた。中学生として取れる最高位、二段をなんとなく
取ってしまった為であり、部長でないのは責任感の問題。
 板敷き道場が厚手の胴着と堅い防具でサウナと化す。汗だくになった体を冷やさぬよう袴の上にコートを
羽織るというスタイルで胡坐をかいていた私は、後ろから声をかけられた。
「ベリー、今休憩中?」
 剣道場と柔道場に併設された卓球場、その境にある緑色のネット越しに体操着姿のマルコが立っていた。
 そういえばマルコは卓球部だったか。
「部長が顧問を呼びに行ってて、あとは終わりの挨拶をして終了」
 ふうん、と自分から聞いたくせに興味なさそうなマルコ。
「じゃあ、これあげる」

37 :No.09 優柔不断な私の話 4/7 ◇BLOSSdBcO.:07/08/12 00:46:40 ID:5kXIXUbr
 何がどう繋がったのか知らないが、青色のハーフパンツから折りたたんだ紙片を取り出し、差し出した。
差し出すのは良いが、何せネット越し。受け取ろうとネットを下から持ち上げると、何故かマルコは驚いた
ように一歩下がった。そして私の伸ばした手が紙片に触れると同時に
「また後で」
 と言って、そそくさと立ち去ってしまった。
「なんなんだ?」
 ネットを下ろした私は、その紙片をコートのポケットに仕舞い、再び胡坐の姿勢に戻った。

『ベリーへ。
 好きです。めっちゃ好きです。
 私と付き合って下さい。
 返事は下のどちらかに丸を付けて返してください。

          YES / はい

                       日下部 真理子』

 今の私であれば、この内容だけで相手に惚てしまうかもしれない。
 マルコに紙片を渡されてから十分ほど。顧問の無気力な号令に合わせて部活が終了し、部室で誰よりも早く
着替え終わった私は、トイレの中でその手紙を読んだ。
 予想していなかった、と言えば嘘になる。マルコの不自然な態度や、年頃の女の子が男に手紙を渡すという
状況から、ラブレターというものを連想しないハズがない。だが、勘違いして思い上がったら恥をかくぞ、と
自分を諌める声もあった。
 故に。本当にこれほどストレートな愛の告白を受けて、私は混乱していた。
「…………どうしよう?」
 それが正直な気持ちだった。
 先にも述べたが、私とマルコは決して親しい間柄ではない。少なくとも当時の私にとって、恋愛感情とは
友情のような関係を経て育まれるものであり、突然に話したこともない相手と出来るものではなかった。
 何故、マルコは私なんかを好きになったのだろう。不思議だった。
 一つ大きく深呼吸。トイレだと思い出して少し落ち込んだ。

38 :No.09 優柔不断な私の話 5/7 ◇BLOSSdBcO.:07/08/12 00:47:00 ID:5kXIXUbr
 鞄の奥に手紙を仕舞い込み、外に誰もいないことを確認して脱出。
 既に空は真っ暗で、風は切り裂くように冷たかった。
 職員室や所々の明かりを頼りに、校門に向かって歩いた。
 もう人影は少ない。剣道部は顧問のやる気に比例せず真面目なのだ。
 通り過ぎた自転車の後輩に別れの挨拶をした。マフラーが暖かそうだ。
 見上げた夜空に、遠く古い光の海に、吸い込まれそうになった。
「丸、付けた?」
 マルコは何でもないような態度で突然に現れた。多分校門の影に立っていたのだろうが、呆っと歩いていた
私は少しだけ驚かされる。
「まだ。まだだ。そんな暇がなかったから」
「あったら付けたんだ」
「……どうだろう」
 気まずい。自分に告白してきた相手と二人きり。しかも部活の連中が通りがかる可能性もある。
 ラブレターなどという間接的な手段を選びながら、まさか直後に返答を求めて待ち伏せしているとは思うまい。
こちらにも心の準備ってものがあるんだ。
「じゃあ、明日には丸を付けて返してね」
 そんなに『丸を付けて』って強調しないでくれ。断られるかもしれないと考えろ。
 私の葛藤をよそに、マルコは暗い夜道を立ち去ろうとする。
「何で俺を好きなの? 全然話したことも無いのに」
 慌てて、せめて一晩悩まされる理由だけでも、尋ねてみた。
「私はベリーを見てたから。格好良いなぁ、って」
「俺は、マルコをあんまり知らない」
「これから知れば良いじゃん」
「それで好きになれなかったら?」
「なるよ。絶対」
「……どうして?」
「私がベリーを好きだから」
 絶句。どうしてマルコは、こんなにも自信に満ち溢れているのだろう。普段は物静かで、決して目立つことは
しないタイプなのに。どうして。
「私が、ベリーを、めっちゃ好きだから」

39 :No.09 優柔不断な私の話 6/7 ◇BLOSSdBcO.:07/08/12 00:47:14 ID:5kXIXUbr
 最後に。そう言い残しマルコは笑顔を浮かべた。否。その表情は暗くて見えなかったはずなのだが、それでも
マルコの満面の笑みが、私の脳裏に強く刻み込まれている。
 私は呆然と立ち尽くし、「また明日」と言って宵闇に解けていくマルコを見送った。

 翌日。冷たい隙間風の忍び込む体育館で終業式が行われる日。
 いつものごとく始業時間より早く教室に着いた私は、珍しく自分の席に突っ伏した。分厚い雲がかかって
窓際の方が寒かったのもあるが、何よりも数歩移動することすら億劫なほど眠かったのだ。
 前日の晩は、マルコのせいで眠れなかった。嬉しいようで、怖いような。面倒だとも思った。
「面倒、か」
 そう呟いたとき、教室のドアが開いた。
「おはよう、ベリー」
「……おはよう、マルコ」
 何となく。今日も早く来るだろうな、と思っていた。
 マルコは自分の席に着くと、鞄の中から荷物を出しつつ問う。
「丸、付けた?」
「まだ」
 こうやって聞かれることが分かっていたから、遅刻寸前まで家にいようか悩んだのだが、それでも私は来て
しまった。それはマルコの為でも、ましていつも通りの強迫的な危機感からでもなく。
「付ける予定は?」
「……ない」
 こんな、残酷な宣言をする為に。
 マルコは「そっか」と呟くと、私の前の席に座った。
「私のこと、嫌い?」
「嫌いじゃない」
「じゃあ、好き?」
「どちらかと言えば」
「付き合わない?」
「無理」
 我ながら酷い回答だったと思う。
 それでもマルコは微笑んで、言う。

40 :No.09 優柔不断な私の話 7/7 ◇BLOSSdBcO.:07/08/12 00:47:27 ID:5kXIXUbr
「どうして?」
「……分かんねぇ」
 好きだと言われ、嬉しいのに。嫌いじゃないのに。断る理由も特に無いのに。
「付き合いたいって気持ちが、分かんねぇ」
 だから、断る。
 マルコはもう一度「そっか」と呟くと、その微笑を悲しげに曇らせて、言う。
「じゃあ、付き合わなくても良いから。だから、好きでいさせて」
 私は最悪だ。女の子に、こんな顔をさせて、こんな言葉を言わせて。
「あの手紙、保留しておいて良いか?」
 なんて。そんな戯言を吐いてしまった。
 マルコは涙で潤んだ瞳を丸くし、
「……無期限有効、って書いておけば良かった」
 と、ニッコリ笑った。

 私とマルコは友達になった。休日に一緒に遊ぶようなことは無かったが、よく話すようになったし、友達に
「付き合ってるのか?」とひやかされる程度に親しくはあった。
 だが、私たちは決して恋人同士にはならず、三年で別のクラスになってからは疎遠になり、中学校を卒業して
以降は連絡も途絶えた。
 そして卒業から十年目の今年、というか数日後。お盆で帰省する人を集め同窓会が開かれる。
 マルコも参加するらしい、と昔の友達の友達から聞いた。
 ――あの手紙は今も大切に保管してある。
 私の人生で、初めて好きだと言ってもらえた記録。
 私が、初めて人を好きになる意味を考えた記憶。
 何も今更、変わらぬ気持ちを求めるつもりは無い。
 私自身、もし「今も好きだ」と言われたところで、嬉しいが困ってしまうだろう。あの時と同じように。
 ただ、一つだけ。酒の勢いを借りて、一つだけマルコに聞いてみようと思う。
「俺のどこが好きだったの?」
 私のような至極平凡な人間の、どこが。
 その答えが、この退屈な人生を過ごす勇気になることを祈って。
                                                        【了】



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