【 夢 】
◆gcVyoaItRE




25 :No.06 夢 1/4 ◇gcVyoaItRE:07/08/11 19:42:35 ID:Hvkbkqxi


 作家に憧れたのがいつからなのか、よく覚えていない。
 童話なのか小説なのか判然としない、子供向けの書き物を読んで、感動した記憶だけはある。
 学校の休み時間、あるいは授業中に、汚い字で物語りを綴った。家に帰って便所や風呂に入っている時など、
自分が創作した主人公になりきって、気障な台詞をそっと吐いたりした。
 日記に毛が生えた程度の作品を、幾つ書きためた事だろう。中途で筆を投げたもの。うやむやながらも
結末を迎えたもの。よく書けたと自画自賛して、後で文脈が破綻している事に気付いたもの。
 いずれにしても、人に見せた事はない。誰かの評価を得なければ価値が産まれないと知っていても、
駄作だと嗤われる事がこわかった。
 大人になるに連れ、その傾向はますます色を濃くする。難解な語句を一つ覚える度に、過去の自分が
いかに幼稚な文章を紡いでいたかと気付かされ――文才が無いのだと思うようになった。
 それでも、夢を捨てられずにいる。
 文豪の名作を読めば、やはり創作意欲を刺激される。若手が新作を出したと知れば、俺にだって
書けるはずだと一方的な敵愾心を燃やす。趣に沿わない作品がもてはやされていると、文筆のなんたるかを
分かっちゃいない、と勝手に憤慨した。
 どうという事のない企業に勤める、会社員に過ぎぬというのに。

26 :No.06 夢 2/4 ◇gcVyoaItRE:07/08/11 19:42:52 ID:Hvkbkqxi
 仕事に必要だからとパソコンの操作を覚え、インターネットが身近なものとなった今。
 上司や同僚の目を盗み、キーボードを叩いて空想の世界を構築する自分がいる。
 周囲は、業務書類を作成しているのだと思っているだろう。それを良い事に、難しい顔でモニタを見つめ、推敲を重ねた。
 諦められぬ夢。しかし現実の自分は、しがない勤め人だ。妻も子供もおり、受賞だの出版だのという単語は、
もはや彼岸の領域である。
 しかし、文字を連ねている。
 ――時代のおかげだ。
 自分と同じような鬱屈を抱える者、つまり同志が数多存在している事を、インターネットは教えてくれた。素人作家とも
呼べぬ、物書き気取りの連中。
 彼等が集うウェブサイトでは、誰が書いたのかも分からぬ小説の数々が掲載されており、賞賛誹謗どちらとも
取れる批評が作品毎に行われていた。
 天啓を得た思いだった。
 他者に己の筆致を明かす事を忌避していたのは、相手が知人友人の類だからだ。あいつがこんなものを書いてさ、
などと陰で揶揄される事をおそれたから、好評を得られる可能性まで自ら閉ざしていた。
 しかしインターネットの最大の特徴――匿名性は、自分を大胆にさせてくれた。
 顔の見えぬ相手。その相手からも、自分の顔は分からない。パソコンの電源を落とせばそれまでという関係なのだから、
事後の暗鬱な日常など起こりようもない。
 書いた。書いて投稿し、存分に貶され、それでもまた書いた。
 作家。小説。執筆。胸中で想いがくすぶるのは、己の産み子に誰かが触れる事を禁じていたためだ。禁じざるを得ないと
考えていたからだ。
 文明の利器は、そんな自分にそっと囁いてくれた。失うものはない。得られるものもない。だが、満たされる事はできる。
 文筆家として名を上げる事など、小指の先ほども考えていない。ただ自分は、見て見ぬふりのできない己の夢に、
ささやかな満足を与えたかっただけなのだ。

27 :No.06 夢 3/4 ◇gcVyoaItRE:07/08/11 19:43:07 ID:Hvkbkqxi
 時として、嫌になる事もある。
 つい最近では、物語の時間軸を理解してもらえず、そればかりか「不思議な書き方」と評された。
 他の批評家たちは、こちらの意図する時の流れを違和感なく納得していたようだから、たった一人だけが誤解し、
そのくせ自分の読解力を恥じる事もなく、不思議な書き方だから間違えたのだと自己弁護をしている。
 またある時は、文体が有名作家のそれに酷似していると糾弾された。
 たまたまその作家の作品を読了し、少なからず影響を受けただけだったのだが、猿真似の文章を読むくらいなら
本物を読むだの、真似るつもりがあるなら作家の全作品を読破してからにしろだの、惨憺たる言われようだ。
 真似て書いたなどとは言っていないし、そもそも贔屓の先達が一人二人いれば、模倣の気配が出る事は
当然だ。それと作品への評価を結び付けるとは横暴極まりない所業だと思うし、自分が批評する立場であったなら、
読点や改行が多いですねとは言うものの、誰それに似ている文章だから改めろ、などとは決して言わない。
 それから、作中の登場人物の行動について、常人には理解不能だと断言された事もある。
 表現や描写が足らないから分かりづらい、という意見ではない。そんな事は絶対に有り得ない、演出のための
過剰な振る舞いだ、うるさいくらいにしつこいと、大層な剣幕で非難された。
 一方で別人の意見では、「別に理解不能な事じゃない」とさらりとしたものもあり、この辺は批評側の想像力が
豊かかどうかの問題だろう。

28 :No.06 夢 4/4 ◇gcVyoaItRE:07/08/11 19:43:21 ID:Hvkbkqxi
 顔を歪めてしまいそうな事を思い出し、投稿をためらうのもしばしばだ。
 だが、それと同じ数だけ良い事もある。面白かった。良かった。小気味良いテンポだった。
 控え目な賞賛の言葉に後押しされて、また新たな文章を、無限の電子の海に放出する。
 所詮は、プロフェッショナルを目指す事に挫折した、半端者の集まりなのだ。文才があると信じているなら、
素人未満が雁首を並べるウェブサイトになど来ないだろう。しかしそれでいて、文壇の大家よろしく、使い慣れない
堅苦しい言葉で他者を評価するのだ。
 そう思うと何か滑稽で、含み笑いをしながら作業を進めてしまう。
 さて。新作を仕上げた。今度はどのような評価が下されるだろう。
 良し悪しの別を問わず、どんな感想でも、素直に受け取ろうと思う。
 夢に破れた自分。それでも、夢にしがみついている自分。馬鹿な大人だと嗤わないのは、顔も名も素性も知らぬ
仲間たちなのだ。
 ありがとうと言いたい。しかし言わない。
 言わないかわりに書き続ける。
 鉛筆とノート。今ではパソコン。操るものは違えど、幼い頃から変わらぬ夢を抱きながら。





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