【 夏雪−ひかり− 】
◆WGnaka/o0o




36 :No.11 夏雪−ひかり− 1/7 ◇WGnaka/o0o:07/08/05 23:12:37 ID:RE6et5yE
 どうか神様……幸せがこの子にも訪れてくれますように。
 頼りなくてちゃんとしてない姉の、最初で最後の願いです。
 私はどうなったって構いません。だから、この子だけにはどうか、幸せな記憶を。
 どうか――神様。

 ――ヂヂッヂヂヂ。
 何処か遠くから聴こえてきた蝉の飛び立つ怪奇音で、私の閉ざされていた世界は光を浴びた。
 欠伸を噛み殺しながら、まだ見開かない目蓋を擦る。まだ睡眠を欲するのは低血圧のせいかも。
 それでも何度かベッドの上で睡魔と格闘を続け、数分後に勝利を得てなんとか上体を起こす。
 ドライにしてあったエアコンを切り、カーテンに閉ざされていた窓を開け放つ。
 暖かい風が私の前髪を静かに揺らす。今日も良い天気だと、雲一つ無い青空を見上げた。
 こんな日でも、私の心はどこか落ち着かないでいる。
 溜め息をひとつ吐きながら、私はベッドから降りていつものように目的地へと急いだ。
「あ、おはよう。おねぇちゃん」
 暗いままの部屋の片隅。ベッドに寝たまま挨拶をする私のたった一人の妹。
「起きてたの四葉。今日は調子どう?」
「うーん、良くわかんない。けどたぶん平気」
 そう言って笑う四葉。本人が平気と言えば平気なのだろうけど、私としては心配だったり。
 一応、念のために手の平をおでこに当てて熱を測ってみる。
「うー、平気だっていってるのにぃ」
 四葉は不満そうに漏らしながらも、少しばかり嬉しそうに微笑んでいた。
 そういえば、こうしてあげるのも久しぶりのような気もする。
 最初にしてあげた頃は、お母さんみたいだねって言われたっけ。懐かしい。
「痛いとことかない?」
「大丈夫だよ。昨日だってずっと何もなかったしね。おねぇちゃんは心配性なんだから」
「ふふっ、そうかもね……」
 四葉の無垢な笑顔に、つい私の頬も緩む。
「今日、楽しみだなー」
「そうね。じゃあ、そろそろ準備しよっか」
「はーい」

37 :No.11 夏雪−ひかり− 2/7 ◇WGnaka/o0o:07/08/05 23:13:03 ID:RE6et5yE


 夏真っ盛りな晴れ渡った空は何処までも蒼く、まるで海がそこにあるような。
 波立たせようとする風が吹くと、夏草が揺れて蝉の鳴き声がより一層に騒がしくなる。
 地元でも人気のある大きな自然公園に私と四葉は来ていた。
 公園といっても遊戯玩具の類は無く、本当に自然そのまま楽しむような場所である。
 四葉は麦藁帽子を揺らしながら、私を置いてどんどん街路樹の先を進んでいく。
 あの麦藁帽子は私が始めて四葉にプレゼントしたもので、四葉自身もお気に入りだった。
 一向に歩くのをやめない四葉を見て、なぜその小さな体にそんな体力があるのか不思議だった。
「ちょっと待ってって四葉ぁ」
 私がそう言うと四葉はその場で足を止め、麦藁帽子のつば先から空を見上げていた。
 ようやっと四葉の隣まで辿り着き、一つ深呼吸をして息を整える。
 二度目の深呼吸をしようとしたとき、不意に風が強く吹き付けた。
 刹那の突風をやり過ごすように目を細め、視界を塞ぎそうになる髪の毛を耳元で抑える。
 それはほとんど反射的な行為。そして、次に見た光景は目を疑うものだった。
 麦藁帽子が空を舞っていて、そのあとを追い掛け始めた四葉の後姿が。
「四葉っ!」
 叫びながら私も走り出す。静止させるように言ってみても通じてはいない。
 麦藁帽子の向かっている先はこの街路樹から外れ、雑木林の連なる小高い丘だった。
 もし転んでもしてしまったら、一大事になりかねないと冷や汗が背中を伝う。
 無我夢中で駆ける四葉のスピードは思った以上に速く、それでも私は必死に追った。
 雑木林の隙間から私たちを嘲笑うかのように、羽ばたく麦藁帽子は優雅に泳ぎ続けている。
 先を行く四葉が丘の頂上付近まで辿り着くと、ピタリと走るのを止めて麦藁帽子を目で追う。
 すぐさま隣まで駆け付けて並ぶと、息を切らした四葉が嬉しそうに私へと向き直った。
「見て見てっ、ゆき、雪が降ってるよ!」
 四葉がそう言いながら指差す方向に、良く判らないまま視界をゆっくりとそっちに向けた。
 確かに何か白い光のようなものが幾重も、風に乗って青空を舞っていた。
 縫うような雑木林の合間から見えるその光景に、私は少なからず驚いてしまう。
 本当にあれは四葉の言う通り、冬にしか見れないはずの雪なのだろうか。
 でも、こんな時期に雪なんて降ってるはずが無い。在り得るはずが無いのに。

38 :No.11 夏雪−ひかり− 3/7 ◇WGnaka/o0o:07/08/05 23:13:19 ID:RE6et5yE
「ねぇ、行こっ」
 そう思っていたけれど、四葉はお構いなしに私の手を取って丘を下り始める。
 雑木林を抜けると、辺り一面は打って変わったような世界が顔を覗かせる。
 地平線の彼方まで続く野原に咲いている白い花。
 まるでここだけ本当に雪が降ったかのような、そんな空間を映し出している。
 野原に吹き付ける風に揺らされては、その小さな花びらを蒼空に贈っていた。
 空中でダンスを踊るそれは、柔らかな陽光を受けてキラキラと輝く。
 夜空に咲く無数の星々のように、煌く花々は私たちの周りを包み込む。
 幻想的――思わずそんな言葉が脳裏に浮かんだ。
 その世界の中心で私は無意識の内に両手を広げ、蒼空へと還る光たちを見送っていた。


 落ちていた麦藁帽子を見つけ拾い上げると、四葉が何かを持って嬉しそうに私の元へと駆け寄る。
「おねぇちゃん、これって幸福の葉っぱっていうやつだよね?」
「ええそうよ。こんな広い場所で、良く見つけられたわね」
 にこにこと嬉しそうな四葉の頭をそっと優しく撫でる。
 本当に嬉しそうで、つい私の表情も緩んでしまうから不思議だった。
「もしかしてこれで、あたしの病気も治るかな?」
「そうだと、いい――ううん、治るに決まってるんだから」
 まだ病状の悪化し続けている四葉に、結局私は今も何も出来ないでいる。
 落胆せずに笑い続ける四葉の姿だけが、せめてもの救いだった。
 また風が吹く。それに合わせて、私の足元から白い花びらたちが再び舞い踊る。
 夏の蒼空に舞い散る雪。その花の名は――。


「ねぇ四葉、あなたの名前の由来……教えてあげよっか?」
「うんっ、教えて教えて!」

 【 第70回週末品評会お題「光」/ 夏雪−ひかり− 】

39 :No.11 夏雪−ひかり− 4/7 ◇WGnaka/o0o:07/08/05 23:13:36 ID:RE6et5yE
 クローバーで作った自然の冠を握り締めながら、私は四葉の元へと歩き出す。
 はしゃいで遊び疲れたのか、四葉は色とりどりの花に囲まれながら寝息をたてていた。
 その小さな体の隣に腰掛けて、子守唄を歌うようにそっと頭を撫でる。
 こうして居られるのもあと僅か。
 今日の陽が沈み、明日への月が現われ、新しい日が始まればそれまで。
 タイムリミットは一日も無い。
 だからせめて、今日だけは楽しい時間を過ごさせてあげたかった。
 明日から手術のため入院する四葉を思うと、締め付けられるような痛みが私の心を襲う。
「……けほっ、けほっ」
 寝ながら四葉が咳き込み、苦しそうな表情に変わった。
 反射的に私は四葉の手を取り、両手で包み込むように握り締めた。
 大丈夫だから――そう伝えるように。
「おねぇ、ちゃん……」
 私の手を握り返すと、安心したように四葉は再び寝息を静かにたて始めた。
 一時の安堵で胸を撫で下ろし、静かに息を大きく吐く。
 残された時間は、もう長くはないという警告なのだろうか。
 そっと握っていた手を離して、私は私のするべきことをするしかないと思った。
 クローバーで作った冠を麦藁帽子に乗せながら、幾度と無く想い馳せた願いを込める。
 本当にこれが幸運の花ならば、きっと四葉にも幸運を与えてくれるはず。
 最後に四葉が見つけた四葉のクローバーを中央に挿し、着飾った麦藁帽子を見て満足した。
 ――起きたらきっとびっくりするよね。ていうか、してくれなきゃ困るかな。
 私は四葉の驚いた顔を想像して、少しだけ微笑んだ。
 それと同時に、こんな日常をずっと続けたいと思った。
 四葉が隣に居て、二人笑い合って、ときには喧嘩して、でもすぐに仲直りして……。
 そんなごく普通の日常を、ただ私は望んでいるだけなのに。
 でも、もうそれすら叶わなくなるかもしれないという不安。
 もし、四葉が居なくなってしまったらという恐怖。
 頭の中を流れる負の感情を抑えるように、唇をぎゅっと強く噛み締めた。

40 :No.11 夏雪−ひかり− 5/7 ◇WGnaka/o0o:07/08/05 23:13:50 ID:RE6et5yE
 これが最後の夏になってしまったら、私はたぶん一生後悔するだろう。
 病弱な四葉にもっと想い出を作ってあげたかったから。
 今日だって本当は反対だった。けれど、いつも我侭を言わない四葉が珍しく反抗した。
 病気のせいで何でも抑え付けてはいけないと、私はそのとき初めて思い知る。
 現に今日の外出が決まってからの四葉は、どこか活き活きとしてたのだから。
 暗い部屋に籠もらされ、退屈な日々を過ごしていたのかもしれない。
 これから……そう、これからはもっと四葉に楽しい思いをさせてあげなきゃ。
 いつか四葉が病気を乗り越え、元気になったらもっともっと。
 せめて私に出来ることを今は精一杯してあげよう。
 姉として私は今までちゃんとやってこれたのだろうかと、思うときもあるけれど。
 少し暖かい風が吹き抜け、私の髪の毛をはためかして行った。
 僅かに遅れてきた上昇気流が、クローバーの白い花びらたちをさらって空へと駆ける。
 青い青い空に、季節外れの雪が降った。



 半年という月日が流れるのは早くて、もう雪がちらちらと降り始めてる。
 窓の外はぼんやりと白く染まり、窓ガラスは室温と気温の温度差で曇っていた。
「……雪」
 そう呟いたあとに私は溜め息を吐く。窓ガラスがその息でさらに曇った。
 そのとき、あの夏の日の光景が頭を過ぎってゆく。
 胸が苦しくなった。それと同時に、私は不思議なことを思い付く。
 部屋に飾ってあった麦藁帽子を手に取り、私は部屋を出て玄関を目指す。
 母親の制止も無視し、傘も差さずに雪の中を飛び出していた。
 訪れたのは幾度と無く足を運んだ自然公園。雪足が強まったせいか、人気は全く無かった。
 私は最初の街路樹を外れ、更に葉の落ちた雑木林の奥を目指して歩く。きっとそこに在ると信じて。
 視界が急に開けると、太陽が出ていないのに思わず目を細めてしまう。
 見渡す限りの白銀世界。あの日見た白い景色とは比べ物にならないほど綺麗だった。

41 :No.11 夏雪−ひかり− 6/7 ◇WGnaka/o0o:07/08/05 23:14:23 ID:RE6et5yE
 積もった雪に足を捕られながら、どこまでも続きそうな平原の中央を目指して更に歩き出す。
 いったいどこが中央なのか、どこまで行けばいいのか、それすら判らないけれど。
 純白の絨毯にくっきりと無数の足跡を残して辿り着いた場所。
 ぽっかりと空いた世界の元、一人取り残されたような不思議な感覚。
 雪の積もり始めた麦藁帽子を被り直し、私は白い息を大きく吐き深呼吸をした。
 そして、その場で膝を着いて地面の雪を大雑把に払い始める。
 こうしなければいけないと、心のどこかで思っていたのかもしれない。
 必死に私はそれ探した。見つけなければならないと思った。
 やがて雑草も生えていない地面が露わになる。それでも私は場所を変えて探し続けた。
 指の爪先が欠け、指が小石で切れても構わずに。ただがむしゃらに冷たくなった手を動かす。
 けれども、一時間かけても二時間かけても、結局それは見つからなかった。
「うっ……ううっ――四葉……よつばぁ……」
 冷たい雪の上に前のめりの格好になり、私は麦藁帽子を抱いて子供のように泣いた。
 最後まで笑顔でいてくれたあの子に、私はちゃんと笑顔でいられたのかな。
 少しでも長く幸せだと思える時間が、私はちゃんと作れてあげたのかな。
 後悔の懺悔をするように、その場でひたすら涙を流し続けた。
 肌から伝う雪の冷たさも、血が滲む指の痛みも、だんだんと感じなくなっていく。
 私は……このまま眠ってしまっても良いと思った。
『そんなのダメだよ、おねぇちゃん……』
 そんな声が聞こえてきた気がして、白雪の舞い降る鉛色の空を見上げた。
 私の顔へ目掛けて飛び込んで来る結晶たちは、やがて溶けて冷たい涙と混じり頬を流れる。
 霞んだ視界の片隅で、私はふと違和感を見つけた。それはふわりと静かに近付いて来る。
 雪とは違う何か小さな白い光が一つ、麦藁帽子の中へと吸い込まれるように堕ちた。
 それは良く見れば、クローバーの花だった。私はそれを拾い上げ、手の平で包み込んだ。
 幻でも良かった。夢でも良かった。ただ私は、この現実が嘘だと決め付けていた。



42 :No.11 夏雪−ひかり− 7/7 ◇WGnaka/o0o:07/08/05 23:14:37 ID:RE6et5yE
 雪雲の隙間から光が差し込む。
 それは私の周りの雪結晶を銀色に輝かせた。
 まるで、あの夏のような――そう、白詰草の花が一面に咲き誇る懐かしい景色。

 これまでの一週間という日々はとても短く、それでもやっぱり長く感じた。
 今日、私は始めてその事実を受け入れることが、やっと出来たのかもしれない。
 四葉とクローバーは、もうここには無いのだと。もうここには、居ないのだと。
 けれど、私にはこの白く光輝くものがある。

 季節外れな、夏の雪の想い出が。



   了



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