【 光速 miss you 】
◆.7Sw.n2NHI
33 ：No.10 光速 miss you 1/3 ◇.7Sw.n2NHI：07/08/05 22:53:28 ID:RE6et5yE
「ねぇ、パパこの木はなんていうの？」
「これはね、イッペーっていうブラジルの国花だよ」
「ブラジルってパパが昔いたとこだよね！」
「そうだよ。それでこの木はね、光の速さで進んでも迷わないための目印なんだ」
「もしかして、パパが植えたの？」
「ああ、不思議な魔法使いに頼まれてね」
――
2040年、ブラジル勤務になっておよそ二年。本来は新聞記者であるはずの私は今、本社の子会社であるテレビ局
のためにベネズエラとの国境にあるピコ・ダ・ネブリナ山を見上げている。鬱蒼と木が生い茂るまだ未開のこの
ブラジル最高峰に『東洋の魔術師』がいるのだ。東洋の魔術師とは山の麓の村の人達が山にこもる不思議な日本
人につけたあだ名だそうで、本名はテレビ局の調査では分からなかったらしい。テレビ番組のために現地記者が
駆り出されるのはよくあることとはいえ、朝早く起きこんな山の中を探索させられるのはなかなか腹立たしい。
東洋の魔術師なんてうさん臭いことこの上ない。私は現地コーディネーターに先導され、山に入った。山には中
南米特有のどんよりと重い空気が立ち込めている。コーディネーターは慣れた様子で山中に分け入る。私は遅れ
34 ：No.10 光速 miss you 2/3 ◇.7Sw.n2NHI：07/08/05 22:53:44 ID:RE6et5yE
ないように必死で後を追う。三十分ぐらいたった時だろうか、突然コーディネーターが前方を指差し英語で何か
言った。下ばかり見ていたので気付かなかったが、確かに前方には少しだけ立派な庵があった。あらかじめ分か
っていたとはいえなんと不便な土地に住んでいるんだろうという実感が沸いた。私はコーディネーターにその場
で待っているように命じ、単身庵に向かった。
庵の中は本当に生活しているのか疑問を持つ程に質素であった。私を中に招き入てくれた男は六十代後半〜七
十代前半ぐらいの線の細いおじいさんであった。失礼だが、東洋の魔術師というあだ名からは想像できない程に
陳腐な人であった。
「朝夕テレビの桑原と申します。本日は『世界の日本人特集』の出演依頼に伺いました」
本当の番組名は『世界の'変人'特集』だったし若干事実と異なる点はあるが面倒だったのでこう説明した。男は
驚いたように目を丸くした。
「私はとてもテレビに出れるような代物じゃありませんよ。こうやって辺境に住んでいることを除けばつまらない人間ですよ」
「なんでこんな不便なところに住んでいるのか、それだけでも教えていただけませんか」
仕事としてというより自分の好奇心のために尋ねてみた。
「光は一秒で地球を7周半もすすむんですよ。知っていますか？」
「はぁ？ 小学校だか中学校で聞いたことがあるような気がしますが」
光の速さと隠遁生活に何の接点があるのだろうか？
「ということはもし私が光速で移動するすべを見つけたらここから反対側の日本には一秒に七回行けるってことになるでしょう」
「まあ理論的には」
「だから私は光速で移動するためにここで修行しているのです」
35 ：No.10 光速 miss you 3/3 ◇.7Sw.n2NHI：07/08/05 22:53:59 ID:RE6et5yE
なんとなく東洋の魔術師の片鱗が垣間見える気がする。
「失礼ですが、全く話が見えないのですが……」
「一秒、一秒あったんだ！」
男は突然立ち上がり語気を強めた。
「彼女の悲鳴が聞こえてからトラックに当たるまでの時間だよ。光なら七回も助けられたんだ光なら……」
「もし良かったら順を追って詳しく説明して貰えませんか。辛いかもしれませんが」
男は座って淡々と語り出した。彼女の反対を押し切りブラジル勤務を選んだこと、その彼女が自分と電話中にト
ラックに撥ねられたこと、会社を辞め隠遁生活をしようと決意しようとした時のこと。ゆっくりと噛み締めるよ
うに男はありのままを語ってくれた。傍から見れば男は現実から逃げているだけだ。しかし、私にそのことを責
める資格はない。心が締め付けられるようだった。
しばしの間の後に男が
「私はもう長くない。死ねば私の秘術は完成だ。魂ならばきっと光になれるだろう。私はきっと事故現場で待っている彼女に逢う」
と言い私の目を真っ直ぐ見つめた。男の目は恋する乙女のようだった。
「だから、その時のために君にひとつ頼みがある」
そう言うと男は立ち上がり庵の隅の方から何かの苗木を持ってきた。
「これを目印として事故現場に植えて欲しいんだ。事故現場もテレビ局なら分かるだろう。年寄りの最期の酔狂だと思って頼まれてくれないか」
私は苗木を受け取った。
男によるとこの苗木はこの国の国花であるイッペーだそうだ。
了