【 コンビニにて 】
◆0YQuWhnkDM




61 :時間外No.02 コンビニにて 1/5 ◇0YQuWhnkDM:07/07/30 01:08:11 ID:ZkHyhvjo
 学校から帰ると、家に姉ちゃんがいた。夏の焼けつくような陽射しに苛まれて吹出した汗がエアコンのきいた
居間の空気にすうっと引いていく。
「おっ、お帰りィおじさん」
「俺は姉ちゃんにだけはおっさん呼ばわりされる筋合がない気がするんだけど」
 姉が家にいる、一見何の変哲もない状況だ。俺が帰宅後の楽しみに買っておいたはずのアイスをしれっと食っ
ているこの人が既婚者でさえなければ。
「ダッツ代よこせ」
「けちけちしなさんな。ほら冷蔵庫にお土産あるし、それ食いなよおじさん」
 しつこくも俺をおじさん呼ばわりするのはどういうことなのか。そう考えつつ食欲に負けて黙ったまま冷蔵庫
を覗くと、トップスのチョコケーキがあった。好物に免じてとりあえずは色々のことを不問にしてやろうと、大
きめに切り分けたそれを麦茶と共に居間に持ち込む。姉ちゃんはもうアイスを空にしてしまったらしく、俺がつ
いでに麦茶を注いでやると嬉しそうに受け取った。ケーキをぱくつくとなめらかなナッツクリームがとろけなが
ら舌の上から喉へ滑り落ちていく。家はやけに静かだ。
「……母さん買物? 一緒に行かないの珍しいんじゃね?」
 人間が一人増えて室内の温度が上がったか、エアコンが音を立てて動きだす。なんとなくそれをきっかけに話
を振ってみた。いつもはうるさいくらい喋る姉ちゃんが黙ってるときもちがわるい。
「いやー、今日はごちそうだって凄い勢いで飛び出して行っちゃったからねェ。うん。それにケンちゃん待っと
こうかと思って」
 俺? ごちそう? 何だろう……視線で続きを促すと、姉ちゃんはどこか困ったような顔をした。
「相変らず察しが悪いぞ」
 困ってるような、笑顔……違う。困ってるんじゃなく、照れ笑い?
「はっはっは……実はねーちゃんは妊娠してしまったのですよ、叔父さん」

 なんだと? だから何度おじさんて、いや、なんだとう?

「これケンちゃん、健一。固まってないで祝いなさい」
 余りに目の前の人物との一致をみない言葉に自失した俺を姉ちゃんが笑っている。その顔を見ているうちにじ
わじわとその意味が頭に染み渡り、事実に到達した瞬間に我知らず肩ががくりと落ちる。
「こ……」
「ん?」

62 :時間外No.02 コンビニにて 2/5 ◇0YQuWhnkDM:07/07/30 01:08:57 ID:ZkHyhvjo
「高校生なのに叔父さんだなんて……!」
 思わず顔まで覆ってしまった俺の耳に届いたのは、弾けたようにげらげらと笑う姉ちゃんの声だった。
「第一声がそれかっ。相変らずバカだなーケンちゃんは」
「オメデトウゴザイマス……」
 覆った手で声をもごもごさせながら呟くと、暗い視界の外から嬉しそうな「ありがとう」が聞こえた。姉ちゃ
んがどんな顔をしているのか見える気がする。
「そんでさ、ちょっとダンナと揉めたからしばらく家にいるね」
「……はい?」
 一瞬なんともいえないむず痒い幸せな空気に包まれかけたと思ったら、弾んだ声のまま爆弾を落とされた。思
わずがばりと顔を上げる。
「手が出てね……これはまずいと」
「えっあの人おとなしそうな顔して……っていうかどういうこと」
「あ、違う違う」
 とにかく優しそうでちょっと気弱そうに笑う、なんでこの人がこんなうるさい女と結婚するんだろうと不思議
に思った義兄の顔が頭を通りすぎていく。
「まだ子供は早いんじゃないかって言われてぶん殴ってしまいまして」
 うわあ、と口から声が漏れる。なるほど状況が理解出来た。脳内で漫画みたいに眼鏡にヒビを入れたかわいそ
うな義兄が俺に「いや、大丈夫だよ」と大丈夫そうじゃない顔で語りかける。
「まあ本気じゃないと思うんだけどさ。許せなくて家出してきちゃった」
 そう姉ちゃんは軽く笑うが裏腹にどこか寂しそうで、俺は何も言えずに少し目を逸らした。

 姉ちゃんと俺は八つ歳が離れている。八年間一人っ子だった姉ちゃんは俺という弟が出来ることをそれは喜ば
しく思ったらしく、小さい頃は本当によく面倒をみてもらったものだ。親より一緒にいる時間が長かったと言っ
ても過言ではないと思う。年齢差のせいか特に喧嘩もしなかった……とてもじゃないが頭が上がらなかったとい
うのが正しいのかもしれないが。それでも一般的な異性の姉弟と比べるとかなり仲が良かったのだと思う。近所
でも評判の明るく礼儀正しいお嬢さんは実際のところかなりの暴れん坊で、小さい頃は男の俺も引くようなハー
ドな遊びを色々と教えてくれた。カエルを……いや、思い出したくないからこの話はやめた。
 ともあれ、大学に行って一人暮しを始めるまで姉ちゃんは俺の面倒を見続け、俺は年上の女性の中に混じって
話をすることにすっかり慣れてしまった。おかげさまで今ではややジェントルな男子としてクラスの女子に利用
……頼られるようになっている。

63 :時間外No.02 コンビニにて 3/5 ◇0YQuWhnkDM:07/07/30 01:09:33 ID:ZkHyhvjo
 一人暮しを始めてからは帰省の度に違う土産を買って来てくれて……そうだ、すっかり俺が甘いもの好きに育
ったのにも姉ちゃんの影響があるに違いない。社会人になってからはまた実家の近くに帰ってきて頻繁に遊びに来るようになり、土産にお小遣いも加わった。こんなに弟にかまけていてはいくらなんでも男が寄り付くまいと
要らない心配をしたほどだ。そういえば、高校の頃にすっかり顔なじみになってしまった姉ちゃんの親友に「ブ
ラコン」と囃し立てられて堂々と胸を張って認めていたような気がする。笑顔で。
 実際は心配も必要なくまったくマイペースに彼氏を作り、交際をし、いつの間にやら結婚へと漕ぎ付けていた
わけだが。
 さて、これだけ面倒をみてもらっている以上いつか姉ちゃんの役に立てるようなことがあったら出来ることは
なんでもしないといけないと心に誓っている俺、なわけですが。一通りの回想を終えてぼんやりと現実に戻ると
母さんがいつの間にか帰っていてウキウキと台所に立ち、姉ちゃんが隣で一緒に晩飯の準備をしている。両親が
留守の日にカップ麺をふたりで買いに行った日が嘘のようだ。変わっていないようでありながら、姉ちゃんはす
っかりおとなになっている。子供が出来るくらいだもんな。
 俺は自分では成長しているかどうかわからない。姉ちゃんには多分一生頭が上がらないし、勝とうとも思わな
い。でも、俺は男で、姉ちゃんのダンナも男。目の前には無防備に放置された姉ちゃんの携帯。さて、俺は何を
するでしょう。


「健一くん、ひさしぶり……メールどうもありがとう」
 食後にゲームをしようと誘って来る姉ちゃんをどうにか誤魔化してコンビニへ。夜なのにむっとした空気の中、
義兄は店内に入っていればいいのにわざわざ外に立って待っていた。スーツの上着はさすがに脱いでいるが暑そ
うだ。俺はその人のよさそうな笑みのどこかに殴られたあとがないか思わずさがす。眼鏡は壊れていなかった。
「電話にもメールにもなしのつぶてだし……今日は会社も休んだみたいだったから、心配してたんだけど」
 ばつが悪そうに笑うその顔は、やはり寂しそうだった。そうだよな。結婚してまだ一年、新婚の内だ。
「あのー、タカヤさん」
 おにいさん、とはどうも呼べず、ぎこちなくも名前を呼ぶ。
「姉ちゃんのこと好きでしょ?」
「うん」
 一瞬ほどの間もなくこくりと義兄の首が下げられ、そのままうなだれた。仲介をする前に一言くらい文句も言
ってやろうと思ってきたのに、これでは毒気も抜かれる。
「……なんであんなこと言ったんですか」
「うん……」

64 :時間外No.02 コンビニにて 4/5 ◇0YQuWhnkDM:07/07/30 01:10:16 ID:ZkHyhvjo
 さらに肩を落とし、彼はまるで萎れたチューリップみたいになってしまった。
「……あの、アイスでも食います?」
 焦って俺が少し大きな声を出すと、俯いてみえない顔の方から少し吹出す音がする。
「だ、大丈夫……景気をつけようとする時に人に食べ物を与えようとするところがやっぱり姉弟だね」
 意図とは違ったがどうやら元気は多少出してもらえたようだ。彼が顔を上げたことにほっとすると眼鏡の奥の
目と目が合い、そこに苦笑いの色を見る。
「ごめんね」
 投げられた謝罪の言葉に疑問符が浮かぶ。謝るのは俺じゃなくて姉ちゃんにだろう。
「僕は結構独占欲が強くて」
 思ったことが顔に出たのか、義兄がぽつりぽつりと言葉を紡ぐ。
「大学で付き合っている時から彼女はよく君のことを話した。あんまり可愛がってるんで、ちょっとむっとした
りもしたんだ」
 絶句する。姉ちゃん、時と場合を考えて!
「同棲もしなかったし、結婚してやっと一緒に暮らしてふたりの時間が……と思ったら子供が出来たって嬉しそ
うに言うんで、バカな話今度は子供に対して健一くんと同じように構うようになるんじゃないかと子供にヤキモ
チをやいたというか……僕の子供でもあるはずなのに、本当にバカだね。嬉しかったんだよ?」
 穏やかにただこぼされる言葉を聞いて、この人は見かけのままの人ではないんだなと思う。たとえば俺が姉ち
ゃんが結婚すると聞いた時に、笑って祝福しながら身を切られる寂しさを感じ、うまくなんていかなくていいと
つい思ったように、いつでもあの明るさに側にあってほしいと本当は切望しているんだと。
「……姉ちゃん、タカヤさんのこと凄く好きですよ。だって俺、どんなに暴言吐いても殴られるくらい怒られた
ことないし」
「余計なこと言わない」
 えっ?
 思いもよらぬ声に、ぼんやりと話していた俺たちは揃って肩をびくりと震わせた。声の主は駐車場に停まった
車の陰に間抜けな体勢でしゃがみこんでいる。
「この、バカふたり。夫と弟に対する愛情表現は違って当然でしょうが」
「ね、姉ちゃん何で」
「ケンちゃんの様子がおかしいからついてきた。姉ちゃんを誤魔化そうだなんて百年早い」
 ぴしゃりと言われて肩をすくめる。さすがに自分の間抜けな体勢に気付いたのか、姉ちゃんはすっくと立ち上
がるとつかつか歩み寄って来る。とりあえず俺は姉ちゃんがまた手を出さないようにそっとふたりの間に入った。

65 :時間外No.02 コンビニにて 5/5 ◇0YQuWhnkDM:07/07/30 01:10:56 ID:ZkHyhvjo
「タカヤ、おなか痛くない?」
「うん、大丈夫だよ」
 ちょっ……顔に殴られた痕が見えないと思って安心したらボディブローを打ち込んだのか姉ちゃん。
「どこから聞いてた?」
 義兄は最初は俺と一緒に驚いていたものの、既に平静を取り戻したようで静かに話をしている。姉ちゃんも俺
といる時ほどはテンションが高くなく、なんとなく今まで見えて来なかったふたりの結婚した理由が見えてくる。
「まあ、正直ほぼ最初から」
 後を付いて来ていることにまったく気付かなかった俺がすべての敗因であることが決定した。言葉を失う俺を
余所にふたりの会話は続いていく。あれ、これは俺要らない空気?
「さすがにあれを聞かれると恥ずかしいな。……ごめん、心が狭くて」
「今更」
 俺には意外だった一面も姉ちゃんにとっては想定内だったようで、少し呆れたように笑っている。
「あのね、私小さい頃に健一が生まれて、抱っこした時に感激したんだよ。小さいくせに重くて」
 え、俺? 突然自分が話題になり思わず挙動不審にふたりを交互に見てしまう。
「この体の頼りなさ、姉という立場。私は必要とされてる! って勝手に思い込んで、それからもう毎日が楽し
くて楽しくて。まあブラコンと言われるまでになったわけですけど」
 こうしてまっすぐに自分のことについて話されるとなんともむず痒い。俺、姉ちゃんに刷り込みみたいなこと
をしちゃってたわけか。
「もう一度その感動を、というか、一緒に味わいたいというか……まあ皆まで言わせないでよ。だからショック
だったの。殴ってごめんね。子供、嬉しいでしょ?」
「……うん」
 少しぽかんとして聞いていた義兄が微笑んで頷く。言葉は少なかったが、仲直り出来たみたいだ。
「ありがとね、ケンちゃん」
「いや、凄い俺はやってやるぜえーって気だったけどさ。結局ふたりで解決してんじゃん。俺役立たずー」
 思ったままを口にすると不意に頭を撫でられる。姉ちゃんはわざわざ背伸びをしていた。
「優しい子になってくれてねーちゃんは嬉しいぞ。あんたにも姪か甥を抱上げる感動を味わわせてやるから待っ
てなねーっ叔父さん!」
 姉ちゃん。お義兄さまが白い目で見てます。学習してください。あと叔父さん呼ばわりは断固認めません。
 誘蛾灯がじじ、と耳障りな音を立て暑さを思い出させる。俺たちはアイスを買って食べながら帰ることにした。もう親父も帰ってるはずだ、ふたりで子供が出来た報告でもしてきゃいい。そう思って俺はハーゲンダッツのい
ちばん高いのを選んだ。姉ちゃんが脇からさっと取上げて会計をした。



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