【 きょうきのいろは 】
◆BLOSSdBcO.




10 :No.03 きょうきのいろは 1/5 ◇BLOSSdBcO.:07/07/28 19:54:49 ID:5eKv7QSC
 ここに一本のナイフと、殺したいほど憎い人間がいたとする。さて、貴方はどうする?
 僕だったらナイフを隠す。相手がナイフを持つのも自分がナイフを使うのも嫌だから。
 だが、僕の姉達は違う。
 伊美姉なら自分の手首を切るだろう。
 炉未姉なら懐から拳銃を取り出すだろう。
 葉水姉なら笑いながら相手を滅多刺しにするだろう。
 僕の姉達は、そんな人間だ。
 この法治国家・日本において恥ずかしげも無く『殺し屋』を名乗る、我が久留里家の三姉妹は。

 思春期真っ盛りの四十人近い男女が一つの室内に押し込まれ、悲喜交々の歓声悲鳴をあげている。担任の
先生が注意事項なんかを説明してるけど、誰も聞いちゃいない。今日は高校生活最初の終業式、暑くて熱い
夏休みを目前に控えた審判の日。通知表さえ貰えば、もう僕らの目の前には楽しい楽しい夏休みが待っている
のだ。一部の例外を除いて。
「ねぇ、くるりん」
 小さな声であだ名を呼ばれた僕は、隣の席の少女を見ると同時に同情した。
「通知表、取り替えない?」
 目元に薄っすらと涙を浮かべ真っ青な顔で小刻みに震える少女。名を緑川沙希という。
 バレー部の期待の新人で、身長は成長期も終わりに近づいた僕と同じくらい。ブルマが反則的なまでに似合う
健康美の権化。そしてイニシャルが特殊な性癖になることを恥じるような、可愛らしい感性の持ち主だ。
「通知表を替えたところで成績は替わらないし、僕だってせっかくの夏休みに補講はゴメンだよ」
「くるりんの人でなしぃ。期末テストで学年一位取ったからって、調子に乗んなぁ」
 あくまでも小声で文句を言う沙希。どう対処するべきか迷っていると、そのまま机に突っ伏してしまった。
 やれやれ。せめて宿題くらいは見せてあげようか。
「んぉし。じゃあお前ら、俺の迷惑にならない程度に夏を満喫しろよ」
 まるで教師らしくない捨て台詞と共に担任が立ち去ると、教室は一斉に騒がしくなった。慌ただしく部活や
アルバイトに向かう者、居残って夏の予定を話し合う者、皆一様に笑顔を浮かべている。
 僕はどうしようか――などと悩む暇も無く。
「帰るわよ」
 と肩を掴まれて思いっきり後ろに引っ張られた。そのまま転倒するような真似を甘んじて受け入れられるほど
悟りを啓いてない僕は、咄嗟に近くの椅子に縋りつく。

11 :No.03 きょうきのいろは 2/5 ◇BLOSSdBcO.:07/07/28 19:55:07 ID:5eKv7QSC
「んにょわっ!」
 その椅子とは机に伏せていた沙希のもので、油断していた彼女は僕もろとも盛大にひっくり返った。突然響き
渡った椅子の倒れる音(と沙希の奇声)に教室中の視線が僕らに集中する。とても恥ずかしい。
 そんな中、僕らを転倒させた犯人は
「了、愉快なパフォーマンスを身に付けたわね」
 などと仰る。ふざけているのでも責任逃れをしているのでもなく、本当にそう思っているだけにタチが悪い。
 久留里葉水。久留里家三女にして僕の実の姉。肩にかかる程度で無造作に切り揃えた黒髪に縁無しの眼鏡、
背も手足も細くて長く、身長に合わせた為に胴回りがダボダボの制服を纏った、アメンボみたいな外見の悪魔。
抑揚の無い喋り方と常識をわきまえない突飛な行動、何故か僕に姉の威厳をアピールしたがる変な人だ。
 何で葉水姉が僕の教室に、とも思うが今はそれどころじゃない。
「沙希さん、大丈夫?」
「のっ、のさっぷ……」
 とりあえず葉水姉を放っておいて、巻き添えにしてしまった沙希を助け起こす。呻き声(?)をあげる沙希を
抱えて立ち上がり、そのまま保健室に向かって歩き出した。周りから女子の黄色い声や男子の怨嗟の声が
聞こえてきたが、恥ずかしがっている場合ではない。
「…………姉を無視するのね」
 冷たい葉水姉の声は喧騒にかき消された。精神衛生上、そういう事にしておこう。

 冷房の効いた保健室を出て、下駄箱経由で校門を過ぎる頃には額にジットリと汗が浮いていた。グラウンドで
走っている連中は地球温暖化対策に遺伝子を組み換えられた新人類に違いない。
「わざわざ悪いね、くるりん」
 僕の左隣を歩く沙希が照れながら言う。転倒した際に椅子で腰を強く打ったため、保健室で治療した後に僕が
家まで送る事にしたのだ。ちなみに彼女の鞄は僕が持っている。教科書を机の中に置きっぱなしにしていたらしく
相当な重量だが、罰だと思って我慢しよう。
「いや、元々僕が悪いんだから。沙希さんには部活も休ませちゃったしね」
 そっか、と呟いた沙希は、それっきり口を噤んだ。つられて僕の口数が少なくなる。
 お互い無言のまま並んで歩く。ジィジィと蝉の声が五月蝿かった。
「あっ、あのさ!」
 校門を出て十分ほど。人気の無い雑木林に差し掛かった辺りで、沙希が沈黙に耐えかねたように口を開いた。
「くるりんは夏休み何してるの?」

12 :No.03 きょうきのいろは 3/5 ◇BLOSSdBcO.:07/07/28 19:56:02 ID:5eKv7QSC
 いつものような天真爛漫なものではなく、少し引きつった無理矢理に浮かべた笑顔で。
「私の補講が無い日に、もし暇だったらさ。一緒に……」
 俯いて頬を赤く染め、再び顔を上げた時には決意に満ちた眼差しで。
「一緒に海でも行かない?」
 そう宣言した沙希を――――僕は力いっぱい突き飛ばした。
 直後、耳元に空気を裂く嫌な音。勢いそのまま、もつれ合うようにアスファルトの地面に転がる。熱いし痛いが、
それ以上に沙希の柔らかさが伝わってきて耳が熱くなった。しかし至福の感触を楽しむ間もなく飛び起きると、
僕は沙希の手を取って走り出す。
「え、ちょっと、くるりん!」
「ごめん。事情は後で説明する」
 後ろから小さな金属音、続いて渇いた破裂音。小口径拳銃にサプレッサー(いわゆるサイレンサー)を装着し
低速の弾丸を使用しすることで、極力目立たないようにしている。
 だが、あまりにも命中精度が悪い。はっきりした距離は分からないが、今の僕が殺気に気付ける程度だから
半径数十、遠くとも百メートル以内からの発砲だ。相手が殺す気なら、僕らは仲良くアスファルトのフライパンで
ケチャップ塗れのステーキになっているだろう。
 きっと銃撃は威嚇で、この先に罠がある。よく知った手口だ。
「沙希さん、無事に帰宅出来たら海へ行く計画を練ろう」
「うぇっ? マジですか!」
 半ば確信に近い直感で犯人を推測した僕は、あえて犯人を挑発する事を言う。
「そうはさせないわよ」
 あっさりと。予想を遥かに上回るあっけなさで犯人、葉水姉が電柱の影から姿を現した。
 手に大きな鉈をぶら下げてゆらりゆらりと歩いてくる様は、時期的にも怪談に相応しいんじゃないだろうか。
「葉水姉。それに撃ってきてるのは炉未姉だよね。二人とも何のつもり?」
 一歩踏み出して沙希を庇いながら問う僕に、葉水姉は心底嬉しそうに笑って答えた。
「姉を無視する弟と、弟を誑かす悪魔に、お・し・お・き・よっ!」
 この人はマジだ。仕事の時と同じ笑顔で、他人を殺す時と同じ威力で、実の弟の脳天に鉈を叩き込もうと
しやがった。さすがは『驚喜の葉水』、殺す事を何よりの楽しみとする変態だ。葉水姉が突っ込んでくるのと
同時に、再び後方からの銃撃が再開される。
 いやはや、白昼堂々とこんな暴挙に出るとは。無視されただけでキレすぎですよ姉さん。

13 :No.03 きょうきのいろは 4/5 ◇BLOSSdBcO.:07/07/28 19:56:19 ID:5eKv7QSC
「駅まで走って!」
 葉水姉が地面に食い込んだ鉈を引き抜く隙に沙希を急かす。が、しかし。
「また、何かいる」
 立ち止まった沙希が呆気に取られた声をあげ、その視線を追うと手首から血を流したスーツ姿の女性が恨めし
そうにこちらを見ていた。
「伊美姉まで……本当に、うちの姉達は暇人なんだから」
「この人達、くるりんのお姉さんなの? えと、始めまして。了君のクラスメイトの緑川沙希と申します」
 驚いて目を丸くした沙希は、何を思ったか伊美姉に頭を下げて自己紹介を始めた。パニックになった人間は
その本質を露にすると言うが、沙希の本質は『馬鹿正直』だな。
「貴方を、殺す。この痛みに代えて」
 自分で自分の手首を切り、失血死する前に相手を殺す。そんな意味不明の儀式をもって仕事に臨む彼女は
『狂気の伊美』こと長女の久留里伊美。あの出血量からして、伊美姉も本気なようだ。
 後方からの殺気に首を竦めると、威嚇射撃から本格的に殺す気になったらしく銃弾が頭を掠めた。さすがは
久留里家次女『凶器の炉未』、先ほどより数百メートル離れても正確な射撃だ。

 ――――ああ、本当に、まったく。この人達は。

「いい加減にしろっ!」
 久しぶりに怒鳴った。忘れかけていた感覚を無理矢理叩き起こされた不快さと共に、腹の底から湧き上がる
猛烈な怒りを吐き出すように。
「僕はもう一般人として生きることにしたんだ。その邪魔をするなら、たとえ姉さん達でも本気で殺すぞ」
 僕の気迫に押され、伊美姉の足が止まる。背後で沙希に向かって鉈を振りかざしていた葉水姉も動きを止め、
遥かに離れた炉未姉の銃撃も止んだ。
 これほどの殺意が湧いたのは、高校に入学して以来初めてだ。
「だって、だって……」
 鉈を地面に落とした葉水姉は、手で顔を覆い泣き出した。
「了。そんなに」
 伊美姉は手首からの出血を気にする様子も無く、だが殺気を消して言う。

14 :No.03 きょうきのいろは 5/5 ◇BLOSSdBcO.:07/07/28 19:56:39 ID:5eKv7QSC
「そんなに。他の姉が良いの?」
「……はぁ?」
 他の、姉。一体誰の事だ。
「緑川、沙希。父さんの、兄の、娘。沙希従姉さん」
「……はぁ?」
 まるで阿呆だ。伊美姉が何を言っているのかさっぱり理解出来ず、口をポカンと開けて沙希を見る。
「ふひゅー、ひゅひゅふー」
 頭の後ろで腕を組み、吹けもしない口笛を咽喉で鳴らしていた。
「確か。今年で、二十さんばっ!」
 電光石火。僕を挟んで五メートルほど離れた位置から、瞬きの間に詰め寄った沙希の拳が伊美姉の鳩尾に
めり込む。
「あらら。くるりん、お姉さん出血多量で倒れちゃったよ?」
 小首を傾げたその笑顔、今は何よりも怖い。
 久留里了、十五歳。高校一年生。元・人殺し請負業。
 他人を殺す事ために自らも死に接する長女と、自分は武器に過ぎず人と接する必要がないと言い捨てる次女、
他人を殺す事に無上の喜びを感じる変態の三女。
 そして、自称『永遠の十五歳』の従姉。
 僕が一般人になると決めて初めての夏は、新たな姉の襲来と共に幕を開けた。 
「じゃあ、一緒に海に行く計画を立てようかっ!」
 沙希は、なんとも幸せそうな顔で笑っていた。
                                                        【完】



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