【 子作りとか準備中 】
◆tGCLvTU/yA




92 :No.23 子作りとか準備中 1/4 ◇tGCLvTU/yA:07/07/22 23:52:45 ID:GvVVMK6k
 古今東西、客の来ない喫茶店ってのは暇なわけで。もちろん、喫茶店に限ったことではないのだが。
 窓の向こうは土砂降り、ってほどでもないが俄かに雨が降っている。これでは客足もあまり期待できそうにない。
「あー……暇」
 もう何回目になるかわからないカップ磨きもそこそこに、愚痴のように呟く。いや、もうこれは愚痴か。この店も
普段から賑わってる方ではないけど、今日の暇さ加減は尋常じゃない。新しいメニューを妄想してしまうくらい暇だ。
「コーヒーとスパゲティが同時に楽しめるカフェ☆スパ……ないな。大体、メニュー考えるのは俺の仕事じゃないし」
 もっと言うならば、料理を作るのも俺の仕事じゃない。俺はただ美味いコーヒーを淹れるだけが仕事の硬派な男なんだ。
決して料理が出来ないとか、そういうことじゃなくて、ネーミングも料理もセンスもないね、なんて決して言われたわけじゃない。
「カフェ(彼)はコーヒーった(こういった)男に料理なんて必要ない、と……なーんてな」
 空しい。こんなダジャレのセンスだけ身についてもすげえ空しい。ああ、誰か。このかすかに聞こえる雨音だけに支配された
寂れた喫茶店に、救いの手を差し伸べる天使のような慈愛に満ちた可憐な美女はやってこないものか。その時だ。
 からんころーんからーんころころーん。
 入り口の方から、うち独特の肩の力が抜けるようなドアベルの鳴く音が聞こえた。もし、でもまさかでもない。客が来たのだ。
 どうやら運命、もといダジャレの女神は俺を見捨てなかったようだ。もうこのさい天使のような慈愛に満ちた美女とかはどうでもいい。
客ならそれでオーケーだ。おっさんだろうと、美女だろうと、今の俺なら誰でも自分史上最大のもてなしをする自信がある。
 さあ、こい。世界一幸運な客よ――
「お兄さんっ! 遊びに来ましたよ!」
 その元気いっぱいの声に、思わず天を仰いだ。
 確かに女は女さ。俺があと十五歳くらい若かったら美少女に見えた可能性も否定できない。俺、ポニーテール萌えなんだ。言ってる場合か。
なんでよりによって金を払うつもりのねえ近所の小学生なんだ。ダジャレか、さっきのダジャレがいけなかったのか。
「イラッシャイ、ヤヨイチャン。ナニカ、ノンデイキナヨ」
「あ、露骨に嫌な顔してますね? いいですよ、今日はお金いっぱいもってきましたからっ!」
 つかつかと自信満々でこちらへ歩いてくるのはいいけど、さも当たり前のようにカウンター席に座るのはいい加減止めて欲しい。
明らかに足が届いてない。椅子から降りる時毎回俺が手を貸さなきゃいけないんだから。
 そんな俺の冷たい視線にも気づかず、やよいはランドセルから貯金箱を取り出してきた。うん、子豚の可愛い貯金箱だ。
「お金ならこの中に、いっぱい入ってます……さあ、私をお客様として崇めてください?」
 ふふんと鼻を鳴らしてしたり顔までしてくれるのは結構だが、中身を確認すると百円硬貨が二枚に、十円硬貨が三枚。しめて230円。
 残念ながらこれっぽっちじゃうちではコーヒー一杯さえ飲むことが出来ない。やれやれ、と呟いてから俺は貯金箱をやよいに投げ返す。
「わわっ、何するんですか」
「は、別にいいよ金なんて。アイスミルクでいいか? ていうかランドセルくらい置いてから来いよな」

93 :No.23 子作りとか準備中 2/4 ◇tGCLvTU/yA:07/07/22 23:53:01 ID:GvVVMK6k
 ま、小学生にとっちゃ230円は大金だろう。うちのコーヒーは確かに美味いが味が分かるようになってからだな。金をもらうのは。
 適当なグラスにミルクを注いで出してやると、したり顔はいつの間にかニヤニヤ顔に変わっていた。
「ふふ、罪な女ですよね私も……お兄さんも私の魅力にやられたわけですか? どうしてもお兄さんがタダで、っていうならそれでいいですよ」
 本人は大人っぽくキメてるつもりなんだろうが、それならミルクを飲む時にズズズと音を立てるのは非常にいただけない。
 それにしても、罪な女ね。確かに無銭飲食は立派な犯罪だよな。今回は俺が促したところもある水に流してやるけど。
「ほおー、お兄さん『も』ってことは他の男もお前の魅力やられてるわけか?」
 ミルクを飲みながらやよいの眉がピクっと動く。
「ぷはあ、わかっちゃいます? こないだも大変でしたよー。夏休み前だからか放課後は毎日引っ張りダコですよ。全部断りましたけど」
 小学生から見たら顔は可愛い部類に入るんだろうし、モテる理由もわからんでもないが、普段のやよいを知っている身としてはこいつに群がる
ガキはセンスが悪いという他ない。確実に旦那を尻に敷くタイプだ、こいつは。もちろん、僻んでるわけじゃないし羨ましいわけじゃない。絶対。きっと。多分。
「そういやお前ら小学生は夏休みか。勿体無いな……俺には信じられんがそんなにモテるんなら夏に向けて彼氏の一人でも作ればよかろうに」
  やよいの動きがピタっと止まる。一つ息をつくと、
「……わかりません? なんで私が全部告白を断ってるか」
 残念ながらかけらも理解できない。理想は高そうだけど、小学生なんて運動ができればそれでいいんじゃないのか。
 俺のクエスチョンマークが浮かんでるような顔色を見て、やよいはひとつため息を吐く。
「なにか、私に言うことありませんか?」
 とかなんとか俺の首に腕を回して聞いてくる、どこでこんなやり方覚えたんだこいつ。
 色気を出して迫ってるつもりなんだろうけど、如何せん何もかもが足りない。谷間とか。年齢とか。ていうかカウンターに座るのは止めて欲しい。汚れるし。
「言いたいことか……そうだな、じゃあ春香さんにまた店に来るように言っといてくれよ。最近会ってないし。あ、タダで飲み食いさせてることは言うなよ」
 お金は間違いなく払いにくるだろうし、なにより俺のいい人イメージが崩れたら大問題だ。それに、どうせ来るならコーヒーを飲みに来て欲しいものだ。
「え、お母さんにですか……? それより二人きりなんだから、例えお母さんでも他の女の人の名前は出さないで下さいよ……」
 いかにも不快です、という風に顔を歪めて抗議してくるが、俺もさっさとテーブルから降りてくださいと顔で抗議してるのに伝わってないからおあいこだよな。
 それにしてもこの小学生とは思えない言動はなんなんだ。こいつは間違いなく春香さんと一緒に昼ドラマを見てるに違いない。
「俺と恋人ごっこも結構だけどな、あいにく俺には先約が――」
 と、そこで本日二回目のドアベルがからんころーんと先程より控えめに鳴った。
「ただいまー……。あ、やよいちゃんいらっしゃい。何か食べてく?」
 買い物袋を片手に提げてやってきたのはまたしても客ではなかった。まあ、帰ってくるとしたらそろそろだろうと予想はしていたから、落胆はしなかったが。
「ほら、みずきも帰ってきたことだし。もう二人っきりでもないんだからさっさとテーブルから降りろ」

94 :No.23 子作りとか準備中 3/4 ◇tGCLvTU/yA:07/07/22 23:53:16 ID:GvVVMK6k
 渋々、といった感じではあるがやよいがようやくテーブルから椅子に戻る。
 とりあえず「助かった」とみずきに目配せをすると、ニコニコしながら首を横に振って奥の方へと荷物を置きにいった。
「……もう。いつもみずきさんはタイミングの悪いところで帰ってくるんだから。あと少しだったのに」
 あと少しだったかな。まあ、みずきに免じてそういうことにしておいてやろう。というかみずきがいる時にこいつを邪険に扱ったら後が怖い。
「もういいです。今日は帰りますから……あ。降りられない」
 充分想定の範囲内だ。うちのカウンター席の椅子は小学生、それも低学年の女の子が簡単に降りられるほど低くできてない。まあ、軽く飛べばいいんだけど
こいつは絶望的に運動神経が悪いから、転びかねない。事実一度転んだことがあるし。
「しょうがねえな……ほら、手を――」
 からんころーん。
 本日三度目のドアベルが鳴った。勢いが良いわけでもなく、控えめなわけでもなくごく普通に。そしてまたしても客ではなさそうだ。なんせ、雨に降られた
ランドセルを背負った男の子だったのだから。
 やよいに出したかけた手を思わず引っ込めた。特に他意はあったわけではないと思ったけどなんとなく。
「……あれ、とも君?」
 その小学生はどうやら、やよいの顔見知りのようだ。やっぱりなんとなくでしかないけど、手を引っ込めたのは正解かもしれないと思った。
「帰ってる途中だったけど、ここにいるの、見えたから」
 随分とぶっきらぼうに言うのは多分照れ隠しなんだろう。真っ赤になってる頬を見ればわかる。やっぱりこれこそが小学生の正しいあり方だ。
やよいのように恋愛に積極的な小学生なんて可愛らしさが足りないな、うん。
「ふーん、そうなんだ。あれ。でもとも君って帰り道逆じゃなかったっけ……?」
 こいつ、自分のことには案外鈍いタイプか。罪作りな女だな。
「い、いいだろ別に。たまたまこっちから帰りたい気分なんだよ……」
「うん、そうだね。別にいいや。あ、帰るんなら一緒に帰ろっか? とりあえず椅子から降りないと、お兄さん、手を」
 そういって俺に手を差し出す。困ったな、どうしたものだろうかと俺はとも君とやらの方を見やる。するととも君は俺をきっと睨みつけると
やよいの前までつかつか歩いていく。俺に差し出されたやよいの手は、俺ではなくとも君が掴んだ。
「あ、ちょ、ちょっと! とも君」
 不慣れだけど、それでも俺よりも数倍優しい手つきでゆっくりとやよいを降ろすのを促す。
「もう……なんなの? ま、お礼は言っとくわ。ありがと、とも君。それとお兄さん、今日はありがとうございましたっ! それじゃあまたっ!」
 大仰に頭を下げると、元気いっぱいにまだ雨が降っている外へと駆けていく。変にマセてても、ああいうところは小学生なんだな。
「いいのか、おっかけなくて?」
 ぽつんと残されたとも君に問う。わざわざ帰り道変えてまで追っかけてきたんだからいいわけないだろうけど。
「負けないから……アンタには」

95 :No.23 子作りとか準備中 4/4 ◇tGCLvTU/yA:07/07/22 23:53:37 ID:GvVVMK6k
 空耳だろうか、とも君がそんな風に呟いた気がした。
「とも君、早く早く! 今日は見たいドラマがあるから急がないと」
「お、おう! 今行く!」
 やよいの言葉につられてとも君が小走りで店を出て行く。うん、あれはきっと尻に敷かれるタイプに違いない。お幸せにと願わんばかりである。
 時間にして十分ちょっとの騒がしい時間がようやく終わり、また雨の音だけ支配された時間がやってきた。
 客もあのガキどもで最後ってことに今日はなりそうな気がした。
「お待たせー……ってあれ、やよいちゃんは?」
 サンドイッチを持って、みずきが奥から顔を出す。なんていうか、タイミングがいいのか悪いのかわからない女だな、こいつも。
「ああ、帰ったよ。ボーイフレンドと一緒にな。というわけでそのサンドイッチは俺がいただこう」
「えー……そうなんだ。ま、彼氏さんと一緒ならしょうがないか。じゃ、サンドイッチは隼人に上げる。ついでにお茶淹れるよ」
 さて、たまごサンドとハムサンド。どっちから食べるべきだろうか。なんて呑気なことを考えてると、
「ね、ね。隼人」
 お茶を淹れながら、随分と楽しそうにみずきが話しかけてきた。
「可愛いよね、やよいちゃん」
 たまごサンドの濃厚な味わいにするべきか、いやしかしハムサンドのボリュームも捨てがたい。
「ん? ああ、まあ子供っぽくないけど、可愛いと言われれば可愛いな」
「私もさ、そろそろ欲しいんだけど」
 よし、ここはハムサンドにするかな。腹もいい具合に減ってるし。いや、結局どっちも食べるんだが。
「何がだよ?」
 淹れ終わったお茶が、俺の目の前にことっと置かれる。さて、手を合わせて、いただき――
「子供。二人くらい」
「……ます」
 いや、本当に。お茶を含んだ状態で聞かなくてよかったと思う。間違いなく噴出していた。
「しよっか? 子作り。」
 いや、そんな笑顔で言われも。
「な、な」
「え、七人は流石に無理かも」
 だから笑顔で言うなって。いや、確かに無理だけどさ。
「ずーっと、先延ばしにしてたけど、そろそろ覚悟決めてくださいね? お父さん?」
 いや、お父さんと呼ぶにはまだ早でしょう、お母さん。うん、この呼び方は恥ずかしいなと思いながら俺は営業中の札を準備中へとひっくり返した。


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