【 その視線の先にあるもの 】
◆bsoaZfzTPo




96 :時間外No.01 その視線の先にあるもの 1/4 ◇bsoaZfzTPo:07/07/23 12:12:47 ID:FjA6pEki
 あ、また違う方を向いてる。
 授業そっちのけで、あたしは窓から校庭の花壇を見下ろしている。
 夏休みを目前にした今の時期、花壇の一角にはひまわりが八本花を咲かせている。どれ
も太陽の光をいっぱいに浴びるため、体を南側へ向けている。
 それなのに中で一つだけ、太陽を完全に無視して校舎の側を見上げているひまわりがあ
るのだ。
 そのことに気がついてから、あたしは暇があれば花壇を見ている。あのひまわりは一体何
を見ているのか。何故かあたしが見る時間によって、向いている方向が違うのだ。
 例えば今朝、昇降口へ向かうついでに花壇を見てみた。そのときは他のひまわりと並ん
で、南側を向いていた。今は校舎の――角度から考えると、たぶん三階あたりを見上げてい
る。昨日の今頃は、一階の理科室あたりを向いていた。
 あのひまわりには、太陽よりも眩しい何かが見えているのだろうか。

 放課後、あたしは花壇の前に立っていた。
 横目で見ているだけでは、何もわからない。などと言えば格好良いが、つまりは横目で見
ているだけでは我慢出来なくなったのだ。
 ひまわりは、正面に立つあたしから顔を背けて、校舎の端を見ている。不思議なひまわり
に気づいてやって来たあたしなど、まるで眼中にないという態度だ。
 ひまわりがあたしに興味を持っていなくても、あたしはひまわりに興味がある。じっくりと、
隅から隅までひまわりを観察する。
 八本あるひまわりは、四本ずつじぐざぐに植えてあって、太陽の光がよくあたるようになっ
ていた。問題のひまわりは、後列の左から二番目に生えている。あっちを向いたりこっちを
向いたりと太陽を見ていなかったせいか、生育が悪く、他の七本よりも少し背が低い。
 しかし、変わっているのと言えばそれくらいで、他には何も不思議なところなどない。いや、
そもそもひまわりの向きがしょっちゅう変わるということが一番の不思議なのだけれど。

97 :時間外No.01 その視線の先にあるもの 2/4 ◇bsoaZfzTPo:07/07/23 12:13:04 ID:FjA6pEki
 そうやってあたしが観察していると、そっぽを向いていたひまわりが、ゆるゆるとこちらに
顔、というか花を向けてきた。向きを変える瞬間を見たのは初めてだ。すわ、ついにあたし
の相手をするつもりになったかと身構えた。しかし、他のひまわりと同じように南側を向いた
ら、そこで動きを止めてしまった。しばし待っても、何の動きも見せない。
「あれ、人がいる。めずらしい」
「うえっ?」
 ひまわりを注視していたところにいきなり声をかけられて、思わず変な声が出てしまった。
 振り向いてみると、声の主は驚いたあたしの反応に驚いたようで、目をまるくしていた。
「……どちら様?」
 あたしは疑問をそのまま口にしてみた。
「それは僕の台詞だと思うんだけど。えっと、この花壇の世話をしている園芸部の者です」
 ジャージ姿の彼は、手に提げていたじょうろを軽く持ち上げて見せた。じょうろの中には水
がたっぷりと入っている。じょうろから零れた水の跡が、点々と校舎の影へ続いていた。た
ぶん、体育館横の水道で汲んできたのだろう。
「この通り、水をやりに来たんだけど。君は?」
 言われて、返答に詰まる。見る度に向きの変わる、不思議ひまわりを見に来たのだが。
 横目で盗み見ても、そのひまわりは少し他より背が低いだけで、列を乱さず南側を向いて
いる。今そんなことを言っても、嘘をついていると思われるだけだ。
「あー、その。ひまわりが気になって」
「あ、良いでしょう。今年は綺麗に咲いたんですよ。ほとんど僕が世話してたんで、ちょっと
自慢なんです」
 嘘はついていないのだが、そんな風に笑顔を見せられると、ちょっとばかり胸が痛い。
「き、綺麗だよね。花を見ると心が洗われるなあ」
 わざとらしかったかも知れない。変な顔をされた。
「あたしのことは気にせず、続けて続けて。邪魔しないから」
 気まずくなった空気を解消するように急かしてみたけれど、本人が言ったとおり、花壇に人
が来るのは珍しいのだろう。あたしの方をちらちらと気にしながら、彼は三往復して花壇全
体に水をやった。
 彼は最後に、ゆっくり見ていってください、とあたしに声をかけて帰っていった。あたしは、
曖昧な返事をして彼を見送った。

98 :時間外No.01 その視線の先にあるもの 3/4 ◇bsoaZfzTPo:07/07/23 12:13:21 ID:FjA6pEki
 結局、今日の収穫は向きを変える瞬間が見られたことだけだったな。なんて考えながらひ
まわりを見ると、いつの間にかまた向きが変わっていた。
 あたしが花壇の前にやってきたときと同じく、校舎の端を向いている。その視線の先に
は、点々と水の零れた跡が残っている。
 ……なるほど、これは分かりやすい。
 本人の前では普通のひまわりのふりをする辺りも気に入った。
 花壇の前まで様子を見に来るのは、今日を最初で最後にしよう。一日一度の逢瀬を邪魔
するほど、あたしは野暮な女じゃない。

 それから数日。あたしは変わらず、教室の窓からひまわりの様子をうかがっている。
 邪魔をするほど野暮ではないが、そんな面白いものを放っておけるほど出来た人間でもな
いのだ。
 ひまわりはだいたい一日のほとんどの時間、校舎の三階あたりを見上げている。彼の教
室が、そこにあるのだろう。丁寧な態度だったから、同級か一つ下だと思っていたのだが、
教室が三階ということは、どうやら彼は三年生だったようだ。
 たまに理科室や音楽室の方を見ていることがあるのは、移動教室なのだろう。彼が学校
にいる間中、そうやって姿を追っているのだろう。なんとも、健気なものだ。
 しかし、週が開けて次の月曜日のことだ。いつも通り窓から花壇を見下ろした。毎日呆れ
るくらい律儀に三階を見上げていた花がうつむいている。
 嫌な、なにか凄く嫌な感じがした。私はその放課後、たった一週間前に立てた誓いを破っ
て、花壇へ行くことにした。

99 :時間外No.01 その視線の先にあるもの 4/4 ◇bsoaZfzTPo:07/07/23 12:13:39 ID:FjA6pEki
 ひまわりは、枯れていた。
 周りにいる他の奴らはまだ元気なのに、たった一本だけ。葉を黄色とも茶色ともつかない
色に染めて、垂れ下げていた。彼を追っていろんな方向を向いた花は、首が折れたように下
を向いて、花びらもしおれて何枚かは汚らしく地面に落ちていた。
「あ、またいる」
 今度は声を上げなかった。来るだろうと思っていたからだ。
「ひまわり、枯れちゃった」
「そうですね。ちょっと他の奴より背が低かったから……。周りの花の影になって、十分に光
があたらなかったのかも知れない」
 彼は伏し目がちにそう言った。その顔は少し悲しそうだった。悲しそうだったが、あたしは
腹が立った。
 この男は少しもわかっていない。こいつが枯れたのは、背が低いからじゃない。太陽なん
かよりも、もっとずっと見ていたいものがあったからだ。背が低くなっても、寿命が縮んでも、
それでも良いから追い続けたいものがあったからだ。
 けれど、それは言えない。ひまわりは、南側を向いて枯れている。
 この世から消えるその瞬間まで、この男に普通のひまわりだと思わせることを選んだの
だ。その想いをばらす権利など、あたしは絶対に持っていない。
「でも、あたしが一番綺麗だと思ったのは、この花だったわ」
 だからあたしは、それだけ言って花壇に背を向けた。
 あたしがこの花壇にもう一度来ることは、今度こそ、ない。

      <了>



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