【 父と娘と、それと…… 】
◆9gXUn0Nqco




85 :No.21 父と娘と、それと…… 1/4 ◇9gXUn0Nqco:07/07/22 23:46:18 ID:GvVVMK6k
父が死んだ。
決して長生きとはいえない年齢だが、さして短命というわけでもない。
今のご時世、交通事故やガンやらで若死にする人だってごまんといるのだ。
そう考えれば、68歳の父は、まぁ満足していいほうなのではないか。
冷たい父にすがって泣き崩れる母を横目に、加奈はそう思ったものだった。
――私って、情が薄いのかしら――
不安やら、後ろめたいやら。
なんだかあっという間に通夜も終わり、告別式も終わってしまった。
参列者もあらかた帰ってしまって、加奈は今後片付けに追われている。
「加奈ちゃん、それとって」
陽子さんの声に、加奈は顔をあげる。
「それよ、それ」
「あ、はい」
きびきびとした人である。
――お母さんとは正反対ね――
でも、案外そういうほうが、友人関係はうまくいくものなのかもしれない。
母の高校時代からの親友の陽子さんは、抜け殻のようになってしまった母に代わって、いま後片付けを手伝ってくれている。
「陽子さん、私、父の部屋、片付けてきます」
「あ、そうね、お願いね」
声をかけて、加奈は居間を出た。途中、母の居室の前を通る。
やけに静かなので不審に思ったが、時折しゃくりあげる声が聞こえて、母がそこにいるとわかった。
――もう少しそっとしておいてあげなくちゃならないみたい――
年の離れた夫婦であっただけに、母はまだまだ先が長い。一人で過ごす残りの人生を思えば、やはり辛かろう。
父の書斎の扉を開けると、ほこりっぽい空気に包まれた。
発作を起こしてから一ヶ月くらい、父はもちろん、看病に追われた母や加奈も足を踏み入れることがなかったのだ。
――それにしても――
人の死とは、こんなにもあっさりとしたものだったのか。
もちろん、肉親を失ったという事実に対する何がしかの喪失感が、ないわけではない。
しかし、母ほどに悲しみにくれることもできないし、人並みに葬式で涙を流して見せることもできなかった。
――ただ、ウエディングドレス姿を見せられなかったのは心残りね――

86 :No.21 父と娘と、それと…… 2/4 ◇9gXUn0Nqco:07/07/22 23:46:35 ID:GvVVMK6k
一度は結婚を約束した人もあったのだけれど、土壇場でこじれて破談になってしまった。
――仕事までやめたのに、とんだことだわ――
職場でもうわさが立って、加えてそろそろ「お局さん」と呼ばれ始めたようで、居心地が悪くなったのでやめてしまった。
そんなわけで今は無職。最期のときを少しでも一緒にいてあげられたのは、ある意味で親孝行であったかもしれない。
単身赴任が多く、退職するまでは留守がちであった父である。書斎はしごくさっぱりとしていた。
机の上には、ペンたてとペン二本、それと家族写真が一葉あるだけ。
相好を崩して加奈を抱き上げる父と、憮然とした顔の加奈。控えめに微笑む母。
とりたてて言うべき点もない、ごく普通の家族写真。
この写真の中では満面の笑みを浮かべる父が、今はもう亡くなっているのだ、と考えると、どこか皮肉な感じさえした。
どうせなら、お棺に入れておいてあげればよかったかもしれないけれど、
――それよりも、母にあげたほうがいいかしらね――
加奈が嫌がったせいで、家族で撮った写真はとても少ないから。
母は陽子さんとは対照的に物静かな人であったけれど、父親が甘かったせいか、娘に対しては厳格な母親だった。
おもちゃ売り場で泣き喚いていても、
「なら、勝手になさい」
といって置いていってしまうような。
物心がついた頃には加奈もそれを悟っていて、あえて母に頼むことはせず、父にすがることが多かった。
しかし、父が単身赴任に行ってしまうとそうはいかない。
帰ってくるまで待っていればよさそうなものだが、子供は我慢がもっとも苦手なのだ。
仕方なしに母にすがり付いて、いけません、と振り払われて。
一人でぐずっているときに、
「ママには内緒よ」
とこっそりおもちゃを買い与えてくれたりしたのが、同じ界隈に住んでいる陽子さんだった。
「ありがとう、陽子おばちゃん」
「やあねえ、もっと言い方ってもんがないの?」
いたずらっぽく笑う陽子さん。
――合言葉は、これね――
加奈もそこは心得ていて、
「じゃあ、陽子お姉ちゃん」
「よろしい」

87 :No.21 父と娘と、それと…… 3/4 ◇9gXUn0Nqco:07/07/22 23:46:50 ID:GvVVMK6k
にっこりわらって、手に袋を握らせてくれる。
気さくなお姉さんとしての陽子さんは、幼い加奈にとって母親よりもよほど魅力的だった。
いまからして思えば、ひどい甘やかしだ、といえてしまうかもしれない。
机の上の埃もぬぐい終えた。ふぅ、と一息ついて、本棚からアルバムらしきものを引っ張り出してみた。
ぱらぱらとめくっていれば、そのうち胸にこみ上げてくるものがあるかもしれない、などと期待をしてみる。
1ページ目は、赤ん坊を抱いた父と母らしき二人の姿。
――これはきっと私ね――
加奈が生まれたとき、父はすでに40歳を越えていた。母はそのとき26歳。
年をとってから生まれた子供であるだけに、父の加奈への溺愛ぶりは激しかった。
それが逆に、加奈にはうっとうしく感じられた。
適当にあしらってにっこりと笑ってみせて、ほしいものがあるときにはおねだりをして。
大学を出てすぐに、留学で親元を離れてしまったのには、そのせいもあった。
ホームステイをした先の家族とは、いまも手紙交換が続いている。近々もう一度訪れなくては。
そんなことを考えながらぱらぱらとアルバムをめくってみたけれど、すぐに飽きてしまった。
重いアルバムを本棚に戻し、部屋の掃除を始める。
引き出しの整理をしていると、はらり、と落ちるものがあった。
拾い上げてみると、薄桃色をした便箋。
何の気なしに開けてみると、
――あら、なんなのこれは――
加奈が思わず顔を赤らめてしまうような内容。文字からして女性のものらしい。
読み進んで、最後を見ると、
「かしこ  相原陽子」
――あらまぁ、父と陽子さんが? まさか――
「あの、陽子さん、これは……?」
思わず居間に向けて声をかけてしまう。
――しまった――
でも、洗い物でもしているのか、陽子さんは聞こえなかった様子である。
便箋の落ちてきた引き出しをさらにあさってみると、他にも幾通も手紙が見つかった。
このあいだは、などと書いてあるものも見当たるところからすると、やはり二人は容易ならぬ関係にあったようである。
父も急な発作で、こんなものを隠す暇がなかったのだろう。

88 :No.21 父と娘と、それと…… 4/4 ◇9gXUn0Nqco:07/07/22 23:47:04 ID:GvVVMK6k
今にして思えば、陽子さんが加奈にいろいろと買ってくれたのは、離婚騒動のことを考えてのことだったかもしれない。
――手紙、私が見つけてよかったわ――
ただでさえ傷心の母をこれ以上傷つけなくて済むし、それに、
――ホームステイした先へ挨拶に行く旅費に困ってたのよね、助かった――
手紙の束を胸に抱きしめてみる。
生前には感じたことも、感じようとしてみたこともなかった父のぬくもりが、少し胸を熱くしたような気がした。
――ありがとう、お父さん――
わたしって、ひどい娘かしら。でも少なくとも、母に対してはこれは親孝行と言えるのではないか。
いまになってなぜか涙が出てきたのだけれど、これは何の涙なのだろう。
――そうそう、ルイ・ヴィトンの新作もそろそろだったかしらね――
居間へ顔を出し、そっと呼びかける。
「ねえ、陽子お姉さん」


―了―



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