【 伝えるべき言葉はカンバスの向こう 】
◆D7Aqr.apsM




75 :No.19 伝えるべき言葉はカンバスの向こう 1/5 ◇D7Aqr.apsM:07/07/22 23:36:24 ID:GvVVMK6k
 聖堂を左手にみながら、天井の高い石造りの廊下を抜けると美術室。
僕はローブの下に隠し持った紙袋が立てる音を気にしながら足を速めた。鼻先が赤くなるくらい今日は寒い。
 イーゼルが林立して、中央のステージを囲む、ひとけの無いがらんとしたアトリエに、イリヤ先輩がぽつん、と座っていた。すぐ近くに
円筒形の石油ストーブ。緋色のローブを羽織った先輩は、ドアが開く音を聞きつけて僕を見上げた。天窓からの光が、
栗色の髪に静かに降りそそいでいる。
「大丈夫? 走ってきたの?」
 僕が遅れたことをあやまろうとするよりも先に、先輩は柔らかく微笑みながら言った。持っていた文庫本を閉じ、きちんと揃えられた
膝の上に置く。スカートの裾から見える膝小僧が白くてまぶしい。
「すみません。アリシア先輩に捕まっちゃって。――これ、頼まれました。あと、伝言が。『がんがんいこうぜ』……って、何の意味ですか?」
 僕はローブの下から茶色の紙袋を差し出した。
 アリシアちゃんめ、と苦笑しながら先輩は紙袋を受け取ると、中身を一つ取り出した。
「あ、ミカンだ。うれしいなあ」
 先輩が取り出したのは手にすっぽり収まりそうなくらいの果物だった。なんです? という僕の視線に気づくと、先輩は一つ差し出してきた。
「東の方の国で取れる果物でね、オレンジみたいな感じなんだけど、味がね、もっと優しいの。中々手に入らないんだけど、
アリシアちゃん、探してくれたんだなあ」
 先輩は待ちきれないようすで皮をむき、一房を口に含んだ。口元を手で押さえながら食べる。
「あ、やだな。一人で食べるのは恥ずかしいから、一緒に食べようよ」
 僕は見よう見まねで、皮をむき始めた。はぜるように新鮮な柑橘系の香りが立ち上る。

 先輩はローブを脱ぎ、丁寧にたたんで脇の机においた。左胸に校章が刺繍された正装用の制服。紺のプリーツスカート。
 椅子に腰をおろした先輩は、僕のほうをみるのではなく、少し身体をずらして、中庭を眺める。
 放課後。僕は先輩の肖像を描く。そして先輩を描くのにあたって、一番先輩らしい表情として選んだ角度がこれだった。
 カンバスの上に細く削った木炭を走らせる。
 肩口で切りそろえられた髪。ほっそりとした指先。それほど大きいという訳ではないけれど、涼しげな瞳はちょっとたれ目。

 ふと、カンバスから顔を上げ、先輩の方を見ると肩が震えていた。笑いをこらえている。
 髪型がショートボブから、変えられていた。
「先輩、いつのまにポニーテールにしたんです?」
「あれ? 気づかなかった? どう? 似合う? 男の子ってやっぱりロングの方がいいの?」
 最近、先輩の中で流行っている遊びがこれだった。僕が目を離したすきに、髪型を変えたりするのだ。絵のモデルをしているのに。

76 :No.19 伝えるべき言葉はカンバスの向こう 2/5 ◇D7Aqr.apsM:07/07/22 23:36:42 ID:GvVVMK6k
 僕を困らせるのは、それなりに楽しいらしい。
「もう、どれだけ手早いんですか。まったく。戻してくださいよ」
 ぺろり、と小さく舌をだして、先輩はリボンをといた。

 最終試験が終わったこの数週間。先輩は多忙を極めていた。
 試験の終わった解放感からか、卒業前のぼんやりとした寂しさからか、先輩はいろいろな場所へ、ひっきりなしに呼びだされていた。
 それは人気のない屋上だったり、校内の植物園だったり、なんだかいろいろといわれのある大きな樹の下だったりしたけれど、
そこで行われることは決まっていた。
 告白だ。
 一番多い時で、日に三人、一度に五人もやってきて、一斉に告白した下級性の女子もいたという。
 王立学園始まって以来の才女の誉れ高く、整った顔立ちだけではなく、立ち居振る舞いも清楚で、同級も下級性もわけへだてなく接し、
優しく、しかし時には教師にもものを申すなど、なんというか、既に神格化されている先輩。
 その卒業に、周囲の反応はとても激しかった。

 そして。生徒の動きが一番活発になる放課後。イリヤ先輩は喧噪から逃れるために、ここへきていた。

 僕はイリヤ先輩の幼馴染みという事もあり、弟分のような位置付けで周囲から見られていた。今は。
 この学園へ入学した当初は中々大変だったのだ。『あのイリヤ』が男子に話しかけ、親しげにしている、という噂が風のように広がり、
男子の先輩方(と、一部の女子もふくむ)からは非常に冷たい目で見られた。かろうじて手出しされなかったのは、イリヤ先輩の親友の
アリシア先輩が取りなしてくれたからだった。
 二週間ほど前。そのアリシア先輩がやってきた。
「あんた、絵、描けたわよね」
 廊下に呼びだした僕を見下ろしながら――アリシア先輩は僕よりも頭ひとつ背が高かった――先輩は肩をつかんだ。
 返事を待たずに、先輩は続ける。
「イリヤの絵を描きなさい。放課後。今日から」
 なんでも、告白されるとその後が大変なのだそうだ。先輩は軒並み断っていたけれど、それにしても相手をなるべく傷つけないように、
自分を想ってくれた事に感謝しながら断ったり、手紙をわたされれば、その返事を自筆で書く。といった具合に。
「あの子、適当にしときゃいいのにさ。卒業前の記念に告白しにくるような奴らなんて」
 赤いショートヘアをがしがしとかきあげながら、アリシア先輩は廊下の先をにらんだ。
「ま、それはともかく。学年主席が撮る写真、あの子嫌がってるのよ。写真嫌いはしってるでしょう? だから、肖像画で代用するって

77 :No.19 伝えるべき言葉はカンバスの向こう 3/5 ◇D7Aqr.apsM:07/07/22 23:36:58 ID:GvVVMK6k
事にしたから。先生には話を通してあるし、美術教室は放課後、自由につかっていいって許可も取った。ついでにあんたと
くっついてくれりゃあもっと簡単に事は解決するんだけど。あ。そうそう。あそこ人気ないし、ちゅーまでなら許す。その先はもっと
ロマンティックな場所で―― You copy ?」
「 I copy. ……って、なんか最後の方のは除きますけど」
「どこの世界に上官に Yes Sir. 以外の答えを返す人間が存在するわけ?」
「上官て」
「あー、はいはい。どうせあんたの上官はイリヤだけよねー。お姫さまに仕える騎士よねー。いいねー」
「……先輩が告白するって手もありますよね」 
「や、あたしお姫さまダッコが夢だし。あの子じゃあちょっとねえ」
「される方かよ」
「なんかいった?」
 がっとアリシア先輩が僕にヘッドロックをかけた。あの、なんというか、あたってるって。
「いい? あたしへの卒業祝いだとおもってさ。多分、これが最後の命令だから。軍曹……たのまれてくれる?」
 行動と裏腹に、声が柔らかい。つくづくまじめな話が苦手な人だ。
 僕は返事としてアリシア先輩の腕を二度、ぱんぱん、と叩いた。ギブアップ。

 そうして。僕は先輩の絵を描くことになった。
 ぽつりぽつりと無駄話をしながら、イリヤ先輩をスケッチし、描き起こしていくのはとても楽しかった。
 先輩も、最初は少し居心地悪げにしていたけれど、しばらくすると慣れてくれたようだった。最初は小さな便箋に告白に感謝すると共に、
応えられない事を謝る手紙を書いていたりもしたけれど、最近はそれも減っていた。放課後まではアリシア先輩が鉄壁のガードを展開している
のだという。
「でもね、少しうらやましいとも思うのよ」
 先輩は中庭の方を眺めながら言った。
「あんな風に、誰かを見つめて、想いをまっすぐに伝えられるのって」
 ふうっとため息。
「……先輩は、そういう気持ちを持ったことはないんですか?」
 僕はパンをつかって木炭で描いた線を少しずつ消し込んでいった。
「うん。ある、かな。……でもね、自分から言ったことは一度もないの。だから、おつきあいとかしたこともないし」
 僕は驚いてカンバスから顔をあげた。先輩は――。
 メガネ。……メガネ?

78 :No.19 伝えるべき言葉はカンバスの向こう 4/5 ◇D7Aqr.apsM:07/07/22 23:37:14 ID:GvVVMK6k
 黒縁のセルフレーム。たれ目がちょっと隠れて、これはこれである種の趣が……って、それはともかく。
「メガネも似合いますね……って、そうじゃなくて。先輩、それ、本当ですか?」
「あれ、メガネに反応しちゃったりするの? ちょっと意外だなあ」
「そうじゃなくて」
「うん。本当だよ。知らなかった? アリシアちゃんが言っていたけど、もうすぐ学園の七不思議に加えられるんじゃないかって。大げさよね」
 それに、一つ足したら七不思議じゃなくなっちゃうわよね、と笑う先輩を見ながら、僕は呆然としていた。
「高校より前とか……学校外とか」
「勉強ばっかりしていたからかなあ。そういう君は?」
「えっと、中学校の時に……二度ほど」
「まあ。女の子を泣かせてきたのね?」
「いや、どちらかといえば僕の方が」
「それは、……キミらしいかも知れないなあ。でも、ちょっと安心した」
「何がです?」
「女の子に興味あったんだね」
 先輩は少し離れた椅子に座ったまま、こちらを向いて笑った。

 最終確認。木炭ではなくて、パンで少しずつ不要な線や影を消していく。僕の腕だと下絵の時点で違和感がなくなるくらいまで
完成させないと、どうにもならない。少しだけ目元を修正する。さみしげに見えたまなざしを、柔らかめに。
「先輩。一度、見てもらえますか?」
 僕はイーゼルの前から立った。
 先輩が隣に立つ。僕よりも少しだけ背が低い。ふわりと優しい香り。
 わあ、はじめてだ! と短く嬉しそうな声。これまで僕は先輩に一度も書きかけを見せてこなかった。
「すごい。やっぱりキミは上手いよね。これなら先生達も喜んでくれると思う」

 準備室で入れたコーヒーを持って、教室へ戻ると、先輩はカンバスの前においた僕の椅子にすわって、絵を眺めていた。
「どうぞ。準備室のだから、インスタントですけど」
「ありがとう」
 先輩は両手でカップを包み込むように持った。白い湯気が先輩を包んだ。
 先輩の横に椅子を一つおいて、僕も座った。絵に向き合う。
「ずっと……この二週間くらい。ずっとこの角度から見てたんだね」

79 :No.19 伝えるべき言葉はカンバスの向こう 5/5 ◇D7Aqr.apsM:07/07/22 23:37:29 ID:GvVVMK6k
 先輩が自分の座っていた椅子のあたりを眺めながら、ぽつりと呟いた。
 カンバスの中の先輩は、正面ではなくて少し斜めに画面の外を見ている。
「はい。先輩とコーヒーを飲んだりするとき以外は」
「どうして、この角度だったの?」
 先輩がカップを手近な机に置いて、僕に向き直った。
「うーん……学年首席の写真って、みんな真正面からなんですよね。多分、写真を見に来た後輩を見守ってくれるように、なんだと
思うんですけれど。でも、みんながみんな見守るのではなくて、一人くらい先を……未来を見ていてもいいんじゃないかと思ったんです」
「見てたのは中庭だけどね?」
「それは僕と先輩の秘密です」
「……ごめんごめん。そっか。そんな風に考えてたのね。そっか。そうだったんだ」
 先輩は口元に手をやって、何度もうなずいて――そして、うつむいてしまった。
「別の角度の方が……。えっと、正面からの方が良かったですか?」
 僕は慌てて先輩に向き直る。失敗だったかも知れない。考えてみればこの先ずっと学校に残るのだ。確認しておくべきだった。
 先輩は静かに首を振った。うつむいたまま。
「せ、先輩?」
 泣いて、いるのだろうか。
 先輩に向き直る。うつむいたまま、先輩は両手で顔を覆っている。
「ちがうよ。ごめんね。ちがうの」
 少し、くぐもった声がしてから、先輩は一つ、深呼吸をした。
 そして、勢いよく、本当にショートボブに揃えられた髪を振り揃えるくらいの勢いで顔を上げると、先輩は僕の顔を見た。
「ごめんね。違うの。絵は嬉しかったの。本当に。でも……でもね、一つ気がついた。ずうっと、そうじゃないかと思っていたのだけど、
今やっとわかった」
 先輩は真剣な顔で僕を見ていた。今にも泣き出しそうな瞳。

「見ていて欲しい。私のことを。これからも。まっすぐ前から。近く。隣で。ずっと。あの。だから。その」
 先輩は耳たぶまで真っ赤だった。僕は立ち上がって、そっと先輩の頭を抱き寄せた。これ以上先輩に言わせちゃいけない。
 アリシア先輩、どっかで見てるんじゃないだろうな。一瞬、僕はドアを見やった。ま、いいか。
「先輩。僕から言います。……あの、僕は先輩のことが――――――――」

<伝えるべき言葉はカンバスの向こう> 了



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