【 行為を好意と違えた少女 】
◆BLOSSdBcO.




54 :No.14 行為を好意と違えた少女 1/4 ◇BLOSSdBcO.:07/07/22 22:28:58 ID:GvVVMK6k
 カーテンの隙間から月の光が忍び込む。太陽の放つ不躾なモノではなく、どこまでも澄んだ冷たく白い光。
広い室内に拡散された明かりは、むしろ陰影を際立たせる為にあった。
 部屋の中央、天蓋つきの大きなダブルベッドの上。シーツの海の中を、二つの影が混ざり合わんと絡み合う。
熱病に浮かされたような荒い呼吸。互いに心を求め合い、肉体の壁を乗り越えようともがく。放つ熱気で肢体を
溶かし、全身を覆う汗で隙間を埋め、空腹を満たすように貪り合う。
「んふっ……」
 影の唇が重なった。影の一方は、ねっとりした熱い舌で唇の形を確かめるように舐め、そのまま隙間から押し
入り、前歯を、歯茎を、頬の内側を、奥歯を、歯の裏を、上あごを、執拗に撫で回す。
 もう一方は、その絶望的なまでに甘美な毒から逃れるように足掻く。しかしそれも長くは続かない。溢れ出た
唾液に首筋をくすぐられ、別の生き物のように動く相手の舌に誘われ、おずおずと自らの舌を差し出した。一瞬に
して絡み取られた柔らかな触角は、快楽と粘着質な音を生み出す為の器官になっていく。
「っうあ!」
 口内を蹂躙されながらも一瞬の痙攣と共に鼻にかかった声が漏れる。積極的に動く影が、受け入れる影の
胸を優しく揉みしだいていた。下から上へ持ち上げるようにして全体を手の中に収め、指の一本一本が絶妙な
加減で捏ね回す。さらに人差し指は意地悪く肌を掻くように進み、ツンっと充血して存在を主張する赤い頂点に
触れた。
「くうぅんっ! ちょ、ちょっと、待って。ひゃぁ」
 顎先まで唾液で濡れた影は何とか顔を離して言葉を紡ぐが、相手は自由になった口で首筋から下へと唇を
滑らせる。右手は胸を攻め、口は鎖骨から再び耳元へと舌を這わせ、左手は背中を撫で回す。両足は互いに
絡み合い、汗とその付け根から湧き出る熱い液体でドロドロになっていた。
「静香、嘘つきぃ……」
 全身の敏感な箇所から駆け上がる甘い刺激に翻弄され、丸い瞳を潤ませ苦しげに息をつきつつ呂律の回らない
口で抗議する。その言葉にもう一人、静香と呼ばれた少女はピタリと動きを止めた。
「綾乃。私、何か嘘ついた?」
 先ほどまでの情熱的な動きが嘘のように、まるで捨てられた仔犬のように不安げな顔で問う。
「だってぇ、キスだけって言ったもん」
 綾乃は静香の背に回した両腕、快楽の奔流に流されぬよう強く抱きしめていたそれを解き、離れようとする
静香の頭を抱え込んだ。

55 :No.14 行為を好意と違えた少女 2/4 ◇BLOSSdBcO.:07/07/22 22:29:17 ID:GvVVMK6k
「嘘ついた罰。もっと、もっとして。朝までずっと」
「……うん。ずっとする。ずっと、死ぬまで綾乃といる」
 そう言って、再び綾乃と静香は唇を重ねた。
 二人の少女は、窓から黄色い日の光が差し込む直前まで抱きしめ合っていた。

 東郷綾乃は、財政的には非常に恵まれた家庭に生まれた。しかし彼女は、十六年あまりの人生を日陰で過ごす。
例えではなく文字通りの意味で。
 内因性光線過敏症。自らの身体に起因する、強い光への拒絶反応。それが綾乃に与えられた病名であった。
正確には病気のカテゴリーであり細分化された名称ではない。綾乃の病は、過去に世界中で報告された症例の
中でもほんの数件、治療方法を見つける上で余りにも少なすぎる症状だった。
 物心つく以前から屋敷の中だけが綾乃の世界の全てだ。晴れた日は分厚い遮光カーテンをかけた窓に近づく
だけでも病魔が暴れだす。外に出られるのは雨の日でも数分。どうしても必要な場合は、強力な薬品を全身に
塗った上で合羽に似た服を羽織りサングラスをかけて日傘を差す。そんな人生だった。
 浅木静香は、東郷綾乃の為に生まれた。運命や相性ではなく人為的な宿命として。東郷家に経済的な支援を
受けていた静香の両親は、娘を使用人として差し出すことで生活の保障を受けた。静香は綾乃の道具として
買われたのだ。
 本来であれば、綾乃に影のように付き従い、共に上流階級に相応しい学校に通うなどしていたはずである。
しかし綾乃の病によって、静香もまた日陰で暮らすこととなった。
 綾乃と静香。二人の間にあるのは、主従関係、信頼関係、その程度であるべきだ。だが、綾乃も己の僕たる
静香にそれ以上の感情を抱いた。また、静香も己の主たる綾乃に特別な感情を抱いた。
 小さな世界で、小さな二人は、小さな体を寄り添うように過ごし始めた。

 二人の世界がくるくると回り、それでいて何も変わらないままに迎えた暑い夏の日。
 日中は地下室で過ごす綾乃が、昨晩訪れたまま静香の部屋でベッドに寝そべっていた。カーテンは締め切り
照明も暗く冷房は強め。ベッドは大きくフカフカな高級品で、もう静香の部屋と言うよりも綾乃の別荘と呼んだ
方が相応しいような有様だった。
「ねぇ静香、どこか行ってみたい場所はない?」
 掃除などの仕事に一区切り付け、様子を見に来た静香に綾乃が問う。
「綾乃と一緒ならどこへでも。一人なら綾乃の傍に行きたい」
 照れもせずに真顔で言い切る静香に、綾乃は嬉しそうな笑みを浮かべた。しかしすぐに悲しげな顔に変わる。

56 :No.14 行為を好意と違えた少女 3/4 ◇BLOSSdBcO.:07/07/22 22:29:32 ID:GvVVMK6k
「ごめんね、静香」
 自分の体のせいで、静香は何も出来ない。それが綾乃にとっては何よりも悲しかった。
 今までに何度と無く繰り返されたやり取りに、静香は無言でベッドに歩み寄り綾乃の唇を奪った。互いを貪る
ような濃密なものではなく、優しく慈しむように軽く。そして綾乃の頭を撫でる。
 無言のままに、ただ暖かさが染み込んでくる喜びに綾乃は幸せを感じた。
「ありがとう。……明後日、静香の誕生日でしょ。だから何かプレゼントしようと思って。でも、私は何も買いに
 出かけられないから。これ、あげる」
 綾乃はベッドの上でもぞもぞと動き、長袖のパジャマのポケットから一枚のカードを取り出した。
「これ、は?」
「私のキャッシュカード。いつか私の病気が治った時の為にってお父様から貰ったけど、静香の好きなものを
 買うために使って」
 綾乃はニッコリと微笑み暗証番号を教える。受け取った静香の手は微かに震えていた。
「今日は他の皆がお休みで、代わりに明後日は静香がお休み。好きなところに行ってきて良いんだよ」
「あ、そういえば皆いなかった。買い出しかと思ってたけど……」
 綾乃の両親が家に帰るのは年に数日、他の使用人は元々少ないのも相まって屋敷に綾乃と静香だけになる
事はさほど珍しくない。しかし休みを出したということは早くとも明日の昼まで帰るまい。何人かが交代で
休みを取ることはあったが、一斉に休みとなったのは初めてだ。
「じゃあ今日は二人きり?」
「うん。だから、今晩も一緒に……」
 綾乃は頬を染めて静香に抱きつく。
 ――静香は、胸に顔をうずめた綾乃に見えぬよう、いびつな笑みを浮かべた。
「綾乃、ちょっと待ってて」
 そう言って綾乃の肩を押し、ベッドを立った静香は窓に近づく。
「どうしたの? ちゃんとカーテン閉まってるから裸でも大丈夫だよ」
 冗談めかして笑う綾乃に、振り返った静香は言い放つ。
「閉まってれば、ね」
 生まれた時から一緒の綾乃が初めて見る、冷酷な、残酷な笑顔で、静香は、
「えっ?」
 カーテンを一気に開いた。

57 :No.14 行為を好意と違えた少女 4/4 ◇BLOSSdBcO.:07/07/22 22:29:47 ID:GvVVMK6k
 綾乃の生命線。常人にはさほど影響のない、しかし綾乃にとっては猛毒でしかない陽光を遮る楯。それを、
誰よりも綾乃の病を知る静香が、取り払った。
「しっ、ずか?」
 暗闇に慣れた目が強すぎる光に白く染まり、同時に頭の中を焼く。引きつった声を出した咽喉は、数秒と経たぬ
うちに呼吸すら許さぬほどに締め付けられる。眼球の奥が硫酸でもかけられたように痛み涙が溢れ出す。
「かはっ……しぃ、ず……かぁっ」
 ギリギリと潰される咽喉に手をあてた様は、まるで自分の首を自ら絞めているようだ。
 ひゅうひゅうという呼吸でベッドの上に突っ伏し、顔だけを必死に上げて縋るように手を伸ばす綾乃。その
姿を窓際にたって眺める静香の顔は、ただただ愉快そうに笑っていた。
「どっ、し…………て?」
 幸か不幸か。逆光で静香の顔を見られない綾乃は、何かの間違いだと助けを求める。
 しかし静香は動かない。虫眼鏡で蟻を焼く子供のごとく、悶える綾乃をじっと見つめていた。
「ずっと、待ってた」
 もはや動く事も出来ず、いつにも増して青白くなった綾乃に向かって静香は語りだす。
「綾乃を殺せるチャンスを。一人で生きていける歳になるのを。そして、自由になる日を」
 生まれてからずっと共に過ごした、静香の主人。それが自分を拘束する鎖だと気付いたのは、綾乃が静香に
好意を寄せ始めたのと同じ頃だった。それ故に静香は待った。直情的に動く事の危うさは、使用人として仕える
為の教育で学んだ。ひたすらに、時が来るのを待った。いつでも襲いかかれるよう、獲物のすぐ傍で。
「私が傍にいて嬉しかった? 私に抱かれて幸せだった? 私をどう思っていた?
 ――私はずっと、綾乃と反対の気持ちだった。私は綾乃が嫌い。大っ嫌い」
 酸素が足らず、何も考えられなくなった頭で綾乃は聞く。
「さよなら」
 それが、最後の言葉。
 綾乃が聞いた最後の言葉。静香が残した最後の言葉。二人の世界の、最後の言葉。
 綾乃は最後に、真っ白な光の中で、静香と抱き合う幻を見た。
 二人の世界は、綾乃の命と共に、残酷な光の中に消えていった。
                                                      ――終――



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