【 オンディーヌの守護者 】
◆p0g6M/mPCo




49 :No.13 オンディーヌの守護者 1/5 ◇p0g6M/mPCo:07/07/22 22:10:38 ID:v6dqsoXP
 冥界に通じているというその洞窟には、無量の貴重なものが存在する。地上におけるよりも、更
に多くの財宝が存在する。地上におけるよりも、更に多くの舞踏が存在する。
 そして地上におけるよりも、更に多くの幻想が存在するという――。

 美しくもあり、それでいて病人のような顔をしている満月の青白い光が、深い森の中で二つの陰
影を作り出していた。
「気が進みませんねぇ。うん」
 青天鵝絨のマントを身に纏った赤毛の青年は、再び不平不満を吐き出す。臆病とも見受けられる
愚痴であるので、何度も言われれば大抵の人間は煩いを感じ、軽く相槌を打つか、無視するという
形で流してしまうだろう。
 その愚痴先の相手、青年の前方を歩いている、赤天鵝絨のマントを身に纏った蓬髪の男も同様
である。
 吹き捲る冷風が肌を刺し、周囲の木々がざわめき微かに地震いが起きている様子は、何かしら
の凶兆を表しているような気がすると、眼前を歩く男のマントを見つめながら青年は思った。何しろ
対峙する相手は伝説や寓話などでしか伝えられない、物質構造の四大要素を司る精霊達なのだ
から。そして暫く歩くと岩壁が現れ、大きな穴が見えた。
「ここが……異界への入口と言われる洞窟ですか、ロムアルド先生」
 青年が足を踏み入れようとするとロムアルドと呼ばれた蓬髪の男が、それを片手で制した。
「アラム、お前はそこで見ていろ」
 赤毛の青年、アラムは素直に答えた。 
 ロムアルドは洞穴に向かい人差し指をかざす。するとその掌からは細密な光線がほどばしり、何
やら獅子らしき幾何学模様が浮かび上がった。これが幻魔術を司る紋章であり、外部からの接触を
絶つ防壁である。紋章は形を成すと、徐々に溶暗していった。
「これで見えない壁は解けたな。中に入るぞ。アラム、次はお前が術を施せ」
 この赤毛の青年とロムアルドは師弟関係というより、現在はパートナーと形容した方が的確であ
ろう。魔力というものは生まれつきに持った才であり、魔術師という存在も僅少であった。
 洞穴に入るとアラムは余裕のある態度で、地面を人差し指でなぞった。アラムの眼前には先程と
同じ光線が現れ、綺麗な形で獅子の紋章が浮かび上がった。ロムアルドと違うところは、光線の彩
色が藍色であるということであった。

50 :No.13 オンディーヌの守護者 2/5 ◇p0g6M/mPCo:07/07/22 22:11:29 ID:v6dqsoXP
 魔術を使えぬ者から見れば、その光景は人知を超えた技と伺える。
 しかし、この洞窟には更なる神秘があるという。常人には理解できぬ、理解したくない存在がある
という。
 二人は奥へと進む。荒々しい石壁には、幾ばくもの松明が装飾され、路面は整然とした道なりと
なっており、人工的に整理されている様子が窺えた。
「どうやら精霊達が、事前に罠を解いてくれたらしいな。面倒ごとが省けたから調度いい」
「以前人前には滅多に姿を現さないとお聴きしましたが、精霊達とは本当に逢えるんですかね? 

僕がいると、石のようにだんまりとしちゃう気がするんですが」
「俺が同伴していれば多分大丈夫だろう。知人となれば、人間だろうが悪魔だろうが、奴等は解放
的だ」
 地上の光が遮ってゆくのと同時に、石壁に飾られた無数の松明が火を灯した。
 灯火によって映し出された正面には、新たな洞穴が見えた。
「この火は奴の仕業か? アラム、早速念願の……火精サラマンダーとご対面になりそうだぞ」
 ロムアルドはそう言い、顔をアラムの方に向けるとやや嘲笑めいた、虚無的な笑みを浮かべた。
「おお……お前か。大いに歓迎するぞ」
 突如洞穴の奥から厳かな声が聞こえてきた。洞穴に入ると辺りには無数の古代レリーフが刻ま
れており、その中央にある祭壇らしき場所には、煌びやかな炎を身に纏った、大きな蜥蜴が点在し
ていた。
「久しいな、ロムアルド。後ろにいる人間はお前の連れか?」
 蜥蜴は鋭き黄金色の眼光をアラムの方へと向けた。その不気味な様相は、イービルアイを持つ
魔獣、バジリスクを胸中に浮かべる。そのままロムアルドは祭壇にへと近づいた。
「そうでなかったら、お前は姿を現さないだろう? 人の心を見抜く癖にあざといな」
「見抜くのではない、感じるのだ。我らはそれが敏感なだけで、そこから大まかな要素を確定するこ
とが出来、その心を一挙一動読み取ることなどは出来ぬ」
 人間と相違なる所、それは精霊の感受性は人間達の勘とは全くの別物だ――とサラマンダーは
言う。彼らの先の進まない詩的な会話に、アラムは呆然としていた。
「先生、例の目的とやらを早く済ませましょう」
「そうだな。サラマンダー、お前の炎を少々貰っていくぞ」
 火精は素直に承諾した。

51 :No.13 オンディーヌの守護者 3/5 ◇p0g6M/mPCo:07/07/22 22:11:53 ID:v6dqsoXP
 ロムアルドが火精の纏っている炎に手を伸ばすと、それを指でなぞった。
「確かに受け賜った。サラマンダー、コボルトとジルフェは?」
 地精コボルトと風精ジルフェ。四精の二人である。
「地底深くの冥界へと行っている。数日経てば戻ってくるだろう」
「そうか……」
「ウンディヌスは今も変わらぬ場所にいる」
 ロムアルドが思索する間もなく、サラマンダーは言葉を発する。それは彼らの得意とする、何かを
感じ取っているような発言――そうアラムは思った。
 水精ウンディヌス。伽噺では頭、体、心はあっても元々は魂がなく、自由を謳歌しても死んでしま
えば塵と化し、何もかもが無くなるという。魂を得るには――。
 アラムはそこからの内容を忘れてしまった。
「ではウンディヌスの水でも戴くとしよう」
「ロムアルドの輩よ。汝はここへ留まってもらおう」
 そう一言すると、サラマンダーはアラムを引き止めた。水精が人嫌いだというのか、または危険な
精霊だとでもいうのか。アラムはこの火精の心中が分からなかった。ロムアルドは何も言わずに、

祠から出て行ったので、仕方なくここに留まることにした。
 地底湖は一面に渡り群青を成し、ゆっくりとせせらぐ淡水は美しく滑らかに揺らめいている。
「水精よ、お前の力を借りたい」
 反応はない。ロムアルドが湖に入り込むと、何処からともなく澄んだ声が聴こえてきた。
「貴方は……」
 同時に淡水が緩慢とうねくり、湖の底から純白のヴェールを纏い、金色を帯びた美しい長髪の女
が現れた。そのコバルトブルーの瞳は宝石のような虹彩を放ち、眼前のロムアルドを見据える。
「ウンディヌス。ここの水を戴くぞ」
「……どうぞ」
 水精ウンディヌスは、事務的に動いている魔術師を虚ろな表情で見ていたが、ロムアルド自身は
そんな彼女には眼もくれなかった。仕事を終えると、ロムアルドはようやく顔を上げる――間近で見
る水精は、虚ろげな顔の奥に、どこか悲嘆めいたものも感じ取れた。
 ロムアルド、と水精が彼の名を呼ぶ前に、魔術師は彼女の右手に触れた。
「傷……まだ痛むか?」

52 :No.13 オンディーヌの守護者 4/5 ◇p0g6M/mPCo:07/07/22 22:12:25 ID:v6dqsoXP
 その言葉は杞憂であったが、仮初の台詞でもある。しかしウンディヌスは嬉しかった。
 彼に出会い、彼女は永遠を生きることが出来た。同時に永遠の恋愛を失った。十年前に交わした
恋慕の情が、二人の未来を確実に狂わせたのだ。
「大丈夫。貴方のお陰よ、ロムアルド。あの時、貴方が助けてくれなければ……」
 貴方と出会うことなく死んでいた――それは嘘だ。本当は、無機質な人形のままで死ねたのだ。
 ウンディヌスは次の言葉を発することもなく沈黙した。
「じゃあな。またいつか力を借りに来る」
「もう……行くの?」
 ロムアルドは踵を返しウンディヌスに背を向けると、そのまま退出していく。
 どうすることも出来ない。どうあがこうが二人の顛末は変わらない。それでも、今だけは――。
「お前と出会えたことを、俺は後悔していない。それは……今でもな」
 その言葉に何故か、ウンディヌスの瞳には涙が溢れ出していた。その感情は彼に対する愛なの
か、憎しみなのか、またはそれらが玉石の如く交じり合っているのか、彼女自身も分からない。
 刹那、美しき水精はロムアルドの背を抱き寄せていた。
「ロムアルド、私は……」
「言うな。それ以上の言葉は俺を惑わせる」
「だったら、どうして私の所へ来るの?」
「前に言っただろう。四精の恩恵が欲しいためだ」
「あからさまな嘘はもう言わないで。私も……分かっているから」
 この洞窟に向かう理由。それは四精の力などではなく、ただウンディヌスに逢いたいからである。
そんなことはウンディヌスは勿論、他の三精も承知していた。
「嘘ではないさ。嘘とは所詮言葉に過ぎない。ならば別の理屈を付ければお前に出遭えるというこ
とだ。これが、俺に残された手段だからな」
「でも……それでは真に結ばれない」
「お前を一目見るだけでいい。どうしようが、もう結末は変わらないんだ。ならばこの一時、未だに出
遭えることでも良しとしようじゃないか」
 魔術師は水精の手を取り、相変わらず無表情のまま、彼女を正面から抱きしめた。
 暫く触れていなかった彼の身体に包まれ、ウンディヌス自身も熱を帯びていった。
 ロムアルドの耳元で水精は囁く。 
「あと少し……あと数刻だけ、貴方とともに過ごしたいわ」

53 :No.13 オンディーヌの守護者 5/5 ◇p0g6M/mPCo:07/07/22 22:13:05 ID:v6dqsoXP
 翌朝、二人の魔術師は精霊の洞窟から抜け出した。
 当初アラムはロムアルドを嘲笑しようと思ったが、サラマンダーの話を深く聞いてしまったお陰で
水精との仲を易々と口にすることが出来なかった。
 ウンディヌスとは、人間に恋をすることによりその魂は得られる。しかしそれは禁じられたものであ
あった。十年前、ロムアルドとウンディヌスは恋に落ちた。だが禁忌を破ったため冥界の王が憤怒
し、戒めとしてウンディヌスには呪いの矛を穿ち、ロムアルドには新しい女が出来たらウンディヌス
自信に彼を殺させるように仕向けた――と火精から聞いた。
 ロムアルドは死が怖ろしいから女を作らぬのではなく、心の底から今でもウンディヌスを想ってい
るのだ。アラム自身もそれには気付いている。
 だが前向きに考えれば、永遠に逢えぬよりはましであるだろうか。一時だけ逢えるというのは、冥
界の王が少しばかりの与えた施しなのだろう。アラムはそう思うことにした。

 恋愛とは一つの物語なのかもしれない。会って、知って、確かめて、そして別れて行く。それは幾
多の人間の悲しき悲恋譚であるのだ。

<了>



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