【 一日の始まり 】
◆HRyxR8eUkc




45 :No.12 一日の始まり 1/4 ◇HRyxR8eUkc:07/07/22 21:56:32 ID:GvVVMK6k
 受け皿に注がれる黒い液体。誰もがよく知っているコーヒーである。自慢するわけではないが、
俺はコーヒーについてはちょっとした権威と言って良い。仕事でドイツに赴任した時は、米は水道水
で研いで、水道水を入れて炊いていた。勿体無いからだ。だがコーヒーを入れる時は、ミネラルウォーターを
買ってきてそれで淹れた。風味もさることながら、色合いまでが違ってくる。蛇口を捻って出てくる水は、
そのまま飲んでも不味いが、コーヒーを入れても不味い。俺に言わせれば、ちゃんとした水で淹れないと
コーヒーとは言えない。そんな物はドブに溜まったヘドロに等しい。飲む価値なしのゲロ同然だ。
 それ程までにコーヒーに執着している俺だが、今日は何だか調子が悪い。どうしたんだろうか。気を取り
直して、コーヒーでも飲むか。
「コーヒー萌え〜」
 そうそう、俺はもう一つ人には言えない、というかちょっと変わった習慣があって、コーヒーを飲む前に
「コーヒー萌え〜」
 と言わないと飲む気がしないのだ。コーヒー萌え〜。
「こ、コーヒー萌え〜」
 これで良し。
「ちゅー。コーヒーだいす……」
「プルルルル……」
 何だ電話か。人が折角だいすあー。あれ、あー、だいすあー。
「プルルルル……プルルル」
 俺が口をパクパクさせている間に電話が切れた。何だか口が動かなかったが、まあいいや、取りあえずコーヒー
飲もう。
「……うまい……」
 これでこそコーヒーだ。こうでなきゃコーヒーじゃない。俺の全てが込められた一念発コーヒーとも言うべき
代物である。当然その味わいは深く例えるなら大宇宙の冥利をこの手に集めたお釈迦様と閻魔様のフュージョン
した位気合が入っているので、当然うまい。甘いようでいて甘くない、苦いようでいて絶妙に苦くなく、仄かに
香のように芳しく、飲んだ者を恍惚へ誘い、直ちに涅槃へと連れて行く。そして半日は自分が物語の主人公にでも
なった気持ちで、甘い昼メロ三時のおやつ、歩く姿は酔払い、道無き道を進む兵隊という感じである。つまり
半日は棒に振るわけだ。
「うまい」
 そう云う訳で、俺はコーヒーが……
「プルルルル……」

46 :No.12 一日の始まり 2/4 ◇HRyxR8eUkc:07/07/22 21:56:48 ID:GvVVMK6k
 また電話か。しょうがないので、俺は重い腰を上げて受話器を取った。
「はいもしもし」
「おまんこする?それともおちんこする?」
「はあ?」
 ガチャ、ツーツー……
 いたずら電話だったようだ。まあいいか。さあコーヒーだ。コーヒーコーヒー。
「……うまい」
 やはり俺はコーヒーがだいす、ギギギギギ。
「……ギギギ?」
 いやいや、俺は根っからのコーヒー……
「ゴオオーン!ドカーン!」
 ベランダの外から爆発音が聞こえてきた。思わず俺が振り向くと、巨大生物とヒーローが戦っていた。怪獣は見えないが
ヒーローは見えるので、多分そうなんだろう。
「じゅわ!」
 ドカーン。もうコーヒーなんか飲んでないで避難でもしろとでも言いたげな様子だ。もしヒーローが次の瞬間怪獣の正面に
回り込めば、この見た目は新しそうなマンションも一溜りもない。怪獣が後退か左に動くことを祈りつつ、俺はコーヒーを
飲んだ。
「……うまい」
 連中なんで必ず正面に回り込むんだろう。どういう事情があるのかは知らないが、後ろに回った方が得な気がする。それに
しても俺は今日知り合いと邂逅を果たして有機的な語らいとハートウォーミングな顛末と結果とを得る予定だったのに。
「ドドーン!ドカーン!」
 少し差し障りがあるかも知れないと思った。ベランダからは近すぎて、ヒーローの体の縦1/3位しか見えない。取りあえず
コーヒーだ。俺は根っからのコーヒー好……
「怪獣が現れました、市民の皆さんは至急避難してください。繰り返します、怪獣が現れました……」
 今度はパトカーが街宣車張りに喚き立てながら通り過ぎた。自分は避難しなくていいんだろうか。
ええと、俺は根っからのコーヒー好……いやコーヒー党なので、まず入れたコーヒーを全部飲まないと一日の活力が湧いて来な
い。俺の充実した一日の活動をする上で朝のコーヒーが欠ける事は考えられない。普通に。
「繰り返します、怪獣が……」

47 :No.12 一日の始まり 3/4 ◇HRyxR8eUkc:07/07/22 21:57:04 ID:GvVVMK6k
 うるせーなお前。俺がS子と出会ってさり気ない好意を仄めかされてさり気なく二人で何処かへ出掛けて、そこで変態が
襲ってきて俺が退治して益々惚れられるって云う今日の予定は、何時になったら遂行できるんだよ、全く。
何時まで経っても今日の一日が終わらないと、俺は根っからの珈琲党だが、それは困る。俺が幾ら珈琲ラブ、ラブ珈琲
だったからと言って俺はそこまで暢気じゃ無い。
「ズガガーン!ドカーン!」
 町の大半は瓦礫の山になったが、怪獣はまだ戦っていた。もとい、ヒーローと怪獣がまだ戦っていた。
「うまいなコーヒー」
 ヒーローがこっちに向かって怪獣を投げないことを祈りつつ、俺はコーヒーを味わった。
それにしてもうまい。もう14杯目を数えていたが、俺はコーヒーが……ん?
「何だこれ」
 突然テーブルに文字が浮かび上がった。俺が見ていると、それは次々と浮かび上がっては消えていった。
「ソレイジョウイウトタイヘンナコトニナルゾ」
 それ以上言うと……大変な事になるぞ?おかしいな、俺は何も言っていない筈だが……まあいいか。取りあえず
コーヒーを飲もう。うん、この俺が大嫌いなコーヒーを、手間をかけて淹れただけはある。あれ?
「まあいいか」
 まあ、誰にでも言い間違いはある。大す……あ。
「ヴィーンヴィーン」
 今度はUFOが群れをなして襲ってきたらしい。円盤型で底に6つの丸が並んでいる。UFOは自分の周囲の地上を
照らし出し、まだ生き残ってその辺をうろついていた人達を上に吸い上げていた。吸い込まれていく人は、UFOに比べると
ひどく小さく、その光景は水中であぶくが浮かんでいく様子に似ていた。UFOは次第に数を増やし、このままでは辺りから
人が残らず消えてしまうように思われた。
 ヴィーンヴィーン。もうコーヒーなんか飲んでないで懺悔でもしろとでも言いたげな様子だ。最早逃げ出すことも儘なら
なくなった。更にいつの間にか、一番上にあるらしい超巨大UFOのせいで辺りが薄暗くなってきた。あれが
ここの真上に来れば、光が届かずに真っ暗になってしまうに違いない。まあいいか。
 俺が20杯目を数えるコーヒーを飲んでいると、超巨大UFOに他のUFOが吸い込まれていった。一番大きな奴は母艦
だったらしい。ベランダから見える景色は夜のようだったが、最後のUFOが吸い込まれると母艦らしき巨大UFOは
その搬入口を閉ざし、いよいよ真っ暗な闇が辺りを覆った。明かり一つ無く、人っ子一人いない。
「……まあいいか」
 俺はコーヒーが大す……
「ヴィーンヴィーン」

48 :No.12 一日の始まり 4/4 ◇HRyxR8eUkc:07/07/22 21:57:19 ID:GvVVMK6k
 なんだかUFOの砲塔らしき円い空洞がこちらへ向けられている気がする。筒の内側は自ずから光を発しているらしく、
ピンクに光っている。あそこからレーザーでも発射されるに違いない。
 とにかく俺は根っからのコーヒー党なので、そんな事は気にならない。UFOは真上に急上昇し、そのまま去っていった。
辺りは再び、朝の光に包まれた。
「じゃあ、出掛けるか。」
 俺は26杯目のコーヒーを飲み終わると、鞄を持って勢いよく玄関を出た。瓦礫の山を越え、無茶苦茶になった駅に入って、
倒れた電車の隙間を通り、線路の上に乗り出した。途中で吐きそうになったが、そんなことは関係ない。俺は兵隊なのだから。
 コーヒーを飲んだら俺は兵隊だ。俺はどこまでも進んだ。菩薩のように、道無き道を行く兵隊のように。






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