【 Zukunft./覚悟 】
◆DppZDahiPc




26 :No.07 Zukunft./覚悟 1/4 ◇DppZDahiPc:07/07/22 20:19:33 ID:GvVVMK6k
 まだ芽吹いていない桜並木の下を、一人の少女が歩いている。
 ぼくは彼女のことを知っている。湯川夏希、今日で二十歳になる大学生。市内にあるフ
ァーストフードショップでアルバイトをしている。これまで付き合ってきた彼氏は三名、
今はいない。
 贔屓目を差し引いても美人な彼女に彼氏がいないのは不思議なことで、少しだけ申し訳
ない。
 いつもはパンツルックの多い彼女にしては珍しく、少女趣味な白いワンピースを着てい
た。少女趣味だけれど、成長しないぼくにとっては魅力的に映る姿。その手に持った花よ
り美しい――なんていうのは気障ったらしいかもしれない。
 桜並木を抜けると一面の墓所が広がっていた。
 彼女は迷いのない足取りで、墓と墓との間をすり抜け、一つの墓の前で足を止めた。
「あはは……また、来ちゃった」
 彼女が笑いかけた、春日家之墓と描かれた灰色の墓石の横には、いつまで経っても覚え
られない、ぼくの戒名が刻まれている。
 湯川さんは口元に浮かんでいた微笑を消すと、手にしていた荷物を置き、墓の周りを掃
除し始めた。
 平成十一年四月一日、それがぼくの命日だ。
 中学校の入学式の当日に、ぼくはトラックに轢かれて死んでしまった。
 情けない話だ。
 小学校のころから憧れていた少女を助けるためにトラックの前に飛び出して、そのまま
轢かれてしまったのだから。
 けれど、彼女が助かっているだけマシと言えるかもしれない。
 憧れの少女を助けて死んだ。美談だと、死を受け入れられた今となっては笑ってそう想
える。持っていた通学鞄の中に、彼女への手紙が入っていて、死後母の手を通じて彼女に
渡ったのも、当事者だから笑えるポイントだ。
 死んだぼくにとって関係のない、関わりようのない事柄。こうして死んだのに現実世界
を観測していられること自体イレギュラーなのであって、本来ならば死んでしまえばそこ
でお終い。
 未練がましく殺した相手を祟ることすら、本来ならばできないらしく。イレギュラーの
産物であるぼくでも、現実を観測することは出来ても、関渉することはできない。

27 :No.07 Zukunft./覚悟 2/4 ◇DppZDahiPc:07/07/22 20:19:48 ID:GvVVMK6k
 それをそうと理解してしまった今となっては、過去の失敗や恥ずかしいことは、殆ど全
て笑って流せるようになった。
 それは諦めただけかもしれないし、自棄になっただけともいえるかもしれない。こうし
て他のものに関渉することも、されることもなくなったぼくがもてるのは一元的な視点に
すぎず。だからぼくは、現在のこの精神状況を諦めや自棄とは考えない。湯川さん、彼女
がいてくれたから、ぼくはぼくの死に向き合うことができた。
 両親でも、親友のもっとんや北村でもなく、彼女が死んだぼくを忘れないでいてくれた
から、ぼくは救われた。
 まだしたいことはあった。
 やりたいことは両手じゃあ足りないくらいにあった。
 ファイナルファンタジーVIIIのラストダンジョンに入ったところだったし、メダロット
の漫画の続きも気になってたし――て、ぼくのやりたいことなんかこんなものだ。
 ゲームのエンディングは北村の家に行って見たし、漫画は立ち読みしてる人の後ろから
読めた。やりたいことの殆どはやれたといえるかもしれない。
 でも一つ。
 一つだけやり残したことがあった。
 中学入学の日、彼女の誕生日に想いを告げる。
 それだけが叶わなかった。成否は関係ない、伝えたかった。
 小学四年生の頃から、同じクラスになって、誕生日順に並べられ隣の席になってからず
っとぼくは彼女に惹かれ続けていた。
 彼女の行動が一つ一つ気になった。
 彼女から声をかけられるだけで歓喜して、他の男子と話しているのを見るたび焦った。
 時間が経つごとに彼女は綺麗になって、素敵になって、小学五年生で自慰を覚えたぼく
はそうするのが当然のように、空想の中でしたこともみたこともない行為をした。
 中学になれば、他の地域の小学校から来た生徒たちも同じ学校になる。だからライバル
が増える直前で、なんとか彼女の心を惹き付けたかった。
 そう考えて手紙を書いた翌日、ぼくは死んだ。彼女へ想いを告げられずに。
 死んだ最初の内は悔しかった、苦しかった。告げることすら出来ず死んだ自分の間抜け
さを憎み、轢いた運転手を呪った。

28 :No.07 Zukunft./覚悟 3/4 ◇DppZDahiPc:07/07/22 20:20:04 ID:GvVVMK6k
 だけれど、ぼくの葬儀で泣く彼女を見て、母さんから手紙を渡されて読んで立つことす
らできなくなった彼女を見ていて、何かが晴れたような気がした。
 ぼくはそうすることが最低の行為だとは考えず、彼女に憑いた。
 生きているうちには訪れることのなかった彼女の部屋で、写真たてに入ったぼくの写真
を見つけて、捻じれた心がまっすぐになっていくのが理解できた。
 一年経っても二年経っても、彼女はぼくの写真を捨てず。時折、ぼくが最後に書いた初
めての手紙を読み返すのを彼女の後ろで見続けていた。
 それで、ぼくは彼女の想いを知った。
 悔しさが滲んだが、単純に嬉しかった。
 ぼくが護った人はぼくの憧れてる女の子で、その子もぼくのことを想ってくれている。
 なんかそれだけで良かった。それだけで、死んだ意味はあったと思った。ぼくが死んで
もぼくのことは彼女の中に残り続ける、それで充分だった。
 ……もちろん、生き返るという選択肢があるならその方がいいけど。奇跡は起こってく
れなかった。
 でも、それを喜んでいられたのも少しの間だった。
 彼女は彼氏ができても直ぐに別れるということを三度繰り返した。内一人とは身体の関
係にも到った、でも別れた。
 その理由はなんとなく分かった。
 彼女の生活を覗き見続けていたからいえるけれど、彼女の心を覗くことはできないから、
想像にすぎないけれど。自惚れた確信を持っていえる。
 彼女は死んだぼくに引っ張られて前に進むことが出来なくなってしまっていた。
 それを確信したのは風呂場での呟き、高校受験を前にした彼女の呟いたたった一言。
「がんばらないと。春日くん、わたしの代わりに死んたんだから、わたしががんばらないと」
 ぼくには分からない。
 彼女がぼくの死に責任を感じてしまっているというのも、彼女がぼくの代わりに生きよ
うとしているというのも、ぼくのことが好きだということ自体――ぼくの妄想に過ぎない。
 だけど、ぼくはぼくが彼女の負担になってしまっているということに耐えられなかった。
それが妄想に過ぎないとしても。
 だから、ぼくは彼女の過去になることに決めた。
***

29 :No.07 Zukunft./覚悟 4/4 ◇DppZDahiPc:07/07/22 20:20:20 ID:GvVVMK6k
 墓周りの掃除を終えた彼女は、爽やかな笑みを浮かべてポケットから手紙を取り出した。
 白い封筒にピンク色の便箋、今ではもう、少し黄ばんでいる。彼女はそれに目を落とし、
口を開いた。
「春日くん。今年からもう就職活動始めなきゃいけないんだ、スーツ着て会社廻って。な
んか大変だよね。ねえ、就職できるかなあ。どんな仕事に就いたらいいんだろうね。わた
しなにになったらいいんだろう、ねえ、春日くん」
 その言葉に答えるものはいない。
「優子はアナウンサーになるんだって張り切ってるけど、わたしはそういうのはちょっと
嫌だなあ。目立つのって恥ずかしいし。春日くんはさ、なにになりたかったのかな」
 彼女は目元を拭って笑った。
「そうだ、わたしたち明日で二十歳になるんだよ。ほらケーキも買ってきたんだ、美味し
くて高いやつ、だからもう今月無駄使いできないや――っ」
 風がふいた。突如の突風は彼女が手にしていた手紙を、手から奪った。
「……あ」古びた手紙は風に乗り、飛んでいく。「待って」
 彼女は風に舞う手紙を追いかけたが、手紙はまるで捕まるのを拒むようにひらひらと飛
んでいき、桜並木の中に飛び込み、ようやく地面に落ちた。
 よかったというように彼女は微笑み、それを拾った。だが――
「あれ?」
 手紙に書かれている内容が変わっていた。
 小学生のつたないけれど一生懸命書かれた字なのは変わらないけれど、長く書かれてい
た思いが消え、たった一文になっていた。
 それを読んで、彼女は目を見開き、口を押さえ、顔を歪めた。首を振り、否定し。それ
でも消えない文章に、涙を零した。
 その涙を拭うように風がふいた。手紙は再び彼女の手を離れ、空に舞い、彼女が見てい
る前で桜の花弁に変わった。
 まだ咲くはずのない桜が咲き、風の中舞い、消えた。
 彼が伝えた最後の言葉と、共に。
 彼女は今度は追いかけるようなことはせず、舞い散る桜へ向け、叫んだ。
「がんばるから……っ。がんばるから、わたしっ。……だから、さよなら」




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