【 だましたい 】
◆h97CRfGlsw




6 :No.02 だましたい 1/5 ◇h97CRfGlsw:07/07/14 22:25:44 ID:NtAWN+Kv
 目を覚ますと知らない部屋にいた。頭が状況を把握する前に、後ろ手に縛られていることに気がついた。ていうかほとんど簀巻き状態だ。
 なんだこれと思い身じろぎするも、肌に食い込む麻縄が予想以上に痛かった。脱出は即時に断念する。はあと脱力し、ぱたんと仰向けに倒れる。なんでこんなことになっているのだろう。
 部屋を見回す。一般的な民家の一室のように見えるが、どことなく生活臭のしない陰鬱とした空気が漂っている。背後にある大きなベッドを除いて、家具の類は一つも見当たらない。
 何をどう考えても嫌な予感しかしない。果たして誘拐か拉致か。どちらにしろ私は好意的な考えの元に簀巻きにされたわけではあるまい。これから何をされるのかと思うと、嫌が応にも憂鬱な気分になる。
「め、目が覚めた?」
 ベッド側から見た正面、ちょうど壁の中心あたりにある扉が薄く開き、誘拐犯が顔を出した。上半身を持ち上げ、敵意を表に出して睨みつけると、誘拐犯はひるんだように目を逸らした。
「どういうつもりなのか知らないですけど、私、縛られて喜ぶ趣味はないんですよ」
「い、いや、その……。君が昨日、酔っ払って倒れたから……往来で……」
 酔う、という言葉に、ようやく頭の中に昨日の出来事が薄らぼんやりと浮かんできた。確か昨日は、無理矢理参加させられた大学間の合同コンパがあった。
 男連中が妙にはやし立てるので、仕方なく今まで飲んだことのないような量のアルコールを摂取してべろんべろんに酔っ払ったところまでは思い出せる。その後何人かに送迎を志願されたが、全て断って一人で歩いて帰った……はずだ。
 しかしどうも、それはかなわなかったようである。この状況から考えて。
「道を歩いてたら……急に君が倒れて……。だから慌てて介抱して、うちに連れてきたんだ……」
「それはどうも。感謝します。それで、この縄も応急処置の一環なんですか?」
「その……」
 はっきりしない口調に苛々が募る。気持ちの悪い人だ。縄で縛る治療方法なんて、私の記憶にそんなローカルっぽい儀式はない。
 誘拐犯は未だにドアの向こうに体を隠し、柵越しに猫の様子を伺うハムスターのような挙動でこちらを眺めていた。捕縛した相手を怖がるとは、てんで滑稽な話だ。
「なんでもいいですから……これ、解いてください。食い込んで痛いんです」
「いや……それは……」
「ていうか、なんで私なんか誘拐したんですか」
 昨日のコンパに、この誘拐犯の顔はなかったはずである。気に入った相手を無理にお持ち帰りしようという不届き者ならば話はまだ早いのだが。まったく動機が見えない。
 状況の不可解さに眉根を寄せていると、ようやっと誘拐犯が部屋に歩みを進め、ドアを後ろ手に閉めた。すらりと背が高く、華奢だ。顔立ちは整っているが、やはりというか顔色はあまりよろしくない。
 誘拐犯はこちらにじりじりと近寄ってくると、見下ろす形で私の近くに立った。眉間に皺を寄せて睨み上げる。目が合うと、誘拐犯は慌てたように目を逸らした。なんなのだろうか、この人は。
 ごほん、と誘拐犯が一つ咳払いをした。気合を入れるかのような挙動に、ついに何かされるのかと身を強張らせる。そして一拍の間をおいて、誘拐犯は不意に、こう言った。
「す、好きだ!」
 
 ……なにかのギャグとか思った。

7 :No.02 だましたい 2/5 ◇h97CRfGlsw:07/07/14 22:26:01 ID:NtAWN+Kv
「き、君のこと、ずっと前から好きだったんだ! それなのに、こんなに好きなのに、君は全然こっちを振り返ってくれない……!」
 そう言ってぎりりと拳を握り締める。そんなこと言われてもほとほと困るというかあなたのお顔を私は一度も拝したことはないんですよ、と突っ込みたいが誘拐犯の口上は私の介入を許さない、というか聞いてない。
「君のことをいつも見ていた。君のこと一秒たりとも考えなかった日はなかった。一日中君のことばかり考えて……もう限界だったんだよ! 僕に気付いて欲しかった! だからこうして、君を家に連れ帰ったんだ!」
 持ち帰ったの間違いでは。げんなりしながら話を聞きつつ、この人ストーカーさんなのかなと考える。コンパの日も、この分だとつけられていたに違いない。
 夜道で後ろをつけられたり所持品をいくつか盗まれたりと、それっぽい被害は結構昔からあった。まさかというか、言動的におそらくこの人がやっていたのだろう。
 緊張しているのか、誘拐犯は肩で息をしながら赤い顔をしていた。先程までのびくびくおどおどしていた態度は何処へやら、思いのたけを全てぶつけましたとでも言いた気な、満足感溢れる表情をしている。
「えっと、その……」
 こういう状況に陥ったとき、一体どうすればいいのやら。お父さんがいつも口をすっぱくして講座を開いていたのだが、全く聞く耳をもとうとしなかった自分が恨めしい。まさか私が襲われるなど、夢にも思っていなかった。
「私、あなたのこと知らないんですけど……」
 知らな、のあたりで言わなければよかったなと思ったが時既に遅し。誘拐犯は絶望とも激昂ともとれる複雑な表情をして、こちらに飛び掛ってきた。
 縛られている私は当然ろくな抵抗も出来ず、なすがままされるがままに押し倒されてしまった。床に強く打ち付けた頭が痛い。肉体的にも状況的にも二日酔い的にも。
「なんで? なんで? なんで!?」
 そんな涙をためられましても。突っ込みをいれつつも、誘拐犯の薄っすらと狂気じみた色を浮かべた目にぞっとする。壊れたおもちゃのようになんでなんでと繰り返す誘拐犯に、胸元を凄い力で締め上げられる。苦しい。
「お、落ち着いてください。た、ただ度忘れ……しただけかも……」
「……」
 そろそろオちるかというところで、誘拐犯はようやく我に帰ってくれた。げほげほと咳き込む。本格的に身の危険を感じる。貞節の危険も感じる。同じ人間なのに、こんなことをする人もいるのかと素直に驚いていた。
「佐藤だよ……覚えてないの?」
 出来れば私の送ってきた二十年の人生の中で出会ったであろう佐藤姓の数を考慮して欲しかった。が、これ以上火に油を注ぐ真似も自業自得を招くだけだろうので、思い出しましたと嘘をついた。
「嘘だッ!」
 嘘つきましたごめんなさいすいません。ひいいと顔を背けて仕打ちに備えるが、誘拐犯は怒りを顕わにした表情をしつつも何もしてこない。ナタで切り刻まれるかと思った。
「佐藤なんて一杯いるじゃんか……」
 わかってんなら変なかまかけするな! 怒鳴りたかったが、喉が震えて声にならない。ほとんど半泣き状態の私であった。辞世の句を書き起こしておくべきだったかもしれない。
 酔っ払い 目覚めてみれば 縄縛り これはもうダメ かもわからんね。紙と筆を持ってきて欲しいところだ。

8 :No.02 だましたい 3/5 ◇h97CRfGlsw:07/07/14 22:26:17 ID:NtAWN+Kv
「本当に覚えてない? 中学のときからずっと同じ学校だったんだよ……」
 血を一気に沸騰させた反動か、意気消沈といった感じに顔を俯ける佐藤。自慢ではないが元々人の顔を覚えるのが得意ではない私は、中学の同級生の顔など当然忘れている。というか、大学も同じなのだろうか?
「同じさ。君と一緒のところに行きたくて、必死で勉強したんだ」
「はあ、そうなんですか……」
「……それなのに君は!」
 怒りがぶり返してきたのか、また鬼のような形相を見せ、短く切りそろえられた髪を振り乱して暴れ始めた佐藤。是非私の上から降りてから暴れて欲しかったのだが、なんともならない。がくがくと揺さぶられる。
「君さ、今付き合ってる人がいるでしょ……」
「い、いますけど」
「別れたほうがいいよ。浮気してるから……」
 唐突にドスのきいた声、というかもはや怨嗟を孕んだ声で、そうのたまう佐藤。連れが浮気しているのかもしれないということは薄々感ずいていたが……。しかしこの状況でそんなことを言われても、嘘っぱちとしか思えない。
「だから……僕に乗り換えなよ? ね? 僕なら君を幸せに出来るから」
 そんなこと言われてもなあ。下手に刺激しないためにもなるべく表情には出さないようにしているが、もはや呆れるほかない。そういうことは順序だてて、対等な立場で言って欲しい。上に乗られた状態で言われても。
 それに、好きな相手を簀巻きにしてしまう所有欲と独占欲の権化のような人間と、とてもじゃないが付き合っていく自信はない。こういう人がDVとかするのだろうか。その片鱗は既に垣間見せていただいたが。
「お願いだよ……。もう限界なんだ……」
 佐藤はそう言うと私の体を持ち上げ、後ろに腕を回してひしと抱きしめてきた。はあはあと、耳にかかる生暖かい息が嫌な感じだ。好きだ好きだと言われて悪い気はしないが、番になるのは流石に遠慮したい。
 嫌がって身じろぎすると、更にきつく抱きしめ、もとい締め上げてくる。もはやベアハッグ状態だ。食い込んでくる麻縄が痛い。ちょ、キスしようとすんな。
「なんでダメなの? ねえ、なんで? 僕じゃダメなの? ねえ?」
「や、やめて……」
 蚊のなくような声しかでない自分が情けない。抱きついたことで興奮したのか、佐藤は私の体を荒っぽくまさぐってくる。生理的な不快感を感じ、必死に体を跳ねさせて佐藤を突き飛ばす。
「……」
 拒絶されたショックからか、佐藤は俯いたまま震え、肩で息をしていた。そして突然立ち上がったかと思うと、部屋を出て行った。ようやく諦めてくれたかとほっとするも、すぐに考えが甘かったことを悟った。
「他の奴に渡すくらいなら……!」
 ドラマなんかでたびたび耳にするセリフを実際に聞くことが出来るとは。全く嬉しくないし感動もしないけれどね。
 
 佐藤は片手に、肉厚なアーミーナイフを握り締めていた。

9 :No.02 だましたい 4/5 ◇h97CRfGlsw:07/07/14 22:26:33 ID:NtAWN+Kv
「最後に聞くよ……。僕と幸せに暮らそう? 君のことを本当に理解できるのは僕だけなんだからね……」
「じ、じゃあ、私の好物が何か知ってますか?」
「ミートボール」
 おお、と思わず感嘆してしまう。ミートボールが好物だなんて子供っぽいこと、恥ずかしくて今まで誰にも言ってこなかったのに。もしかしたらこの人と一緒に暮らしたほうが幸せになれるのではってそんなわけ無いだろう。
「君が欲しい。ずっと一緒にいたいんだ……」
 鬼気迫るというか悲痛というか。今にも泣き出しそうな佐藤の顔に、泣きたいのはこっちだと言いたくなる。にじり寄ってくる佐藤から逃げるように這って後ずさる。その反応に私の答えを理解した佐藤が、ぴたりと止まる。
「……わかった。君を殺して……僕も死んでやる」
 まさにストーカーのテンプレートのような発言に苦笑しつつ、ってそんな場合ではない。佐藤は思い切りナイフを振り上げると、涙を流しながら迫ってきた。あわあわと後ず去るしかない私。
 必死に機転を利かせ、縛られた足で壁を押してナイフの一閃をなんとか避け……られなかったらしく、足の甲に赤い線が一筋走っていた。数瞬遅かったらどうなっていたことか。図らずも背筋が凍る。
「なんでなんでなんでなんでなんで」
 床に深く埋まったナイフを引き抜き、血走って充血した目をこちらに向けてくる佐藤。考えろ私、どうすればこの場を逃れられる? クールになれとは言わないが、どうにかして打開策を思い浮かべなければ本当に殺されてしまう。
 あのナイフでこの戒めを切り解いてもらうのはどうだろう。ただ先程見た威力を鑑みるに、失敗すれば内臓とコニチハーすることになってしまうだろう。自分の血なんか、あまり見たいものではない。冗談じゃない。
「なんで僕は君のことを好きなのに、君は僕のことを好きじゃないの? なんで?」
 なんでって言われてもなあ。佐藤の言葉に一瞬意識がそれ、その隙に足を縛る縄を掴まれ凄い力で引き寄せられてしまった。ナイフが振り上げられる。次の瞬間に訪れるであろう凄惨な光景に、私は思わず目を瞑った。
「……く」
 しかし、いつまでたってもナイフは落ちてこなかった。佐藤はナイフを振り上げた格好のまま停止し、歯を食いしばって震えていた。その表情に少し動揺するが、先に我に帰った私は体のばねを使って佐藤を蹴飛ばした。
「うぐっ!」
 佐藤はよろけて後ずさり、ナイフを取り落としてお腹を抑えた。運良く足がみぞおちに入ったらしい。その隙に距離をとり、壁を使ってなんとか立ち上がる。
 足の縄がゆるくなっていた。先程引っ張られたせいかと考える前に、精一杯の力を込めて足を引き抜く。切られた足から流れていた血が潤滑油のようになって、なんとか足が自由になった。痛い。
「くそぉぉぉ!」
 佐藤が喚きながら一足飛びで接近してくる。体を捻り、ナイフの突きの威力を殺す。麻縄が上手く鎧の役目を果たしてくれ、私はそのまま佐藤に当身を食らわせた。壁に叩きつけられた佐藤はそのまま崩れ落ち、ばたりと横に倒れた。
 なんとかなった……。極度の緊張と疲労で、私も膝から崩れるように倒れ伏した。はああと、息を吐いて脱力する。
 本当に、殺されるかと思った……。

10 :No.02 だましたい 5/5 ◇h97CRfGlsw:07/07/14 22:26:49 ID:NtAWN+Kv
 その後私は、佐藤が持っていたナイフを使って戒めを解いた。刺突を受けた時に薄く切れ目が入っていたので、さほど苦労はしなかった。腕は傷だらけになってしまったが。
 気絶している佐藤を一瞥してから部屋を出る。短い廊下を少し歩くとリビングに出た。開け放たれたカーテンから日光が差していた。既に朝か。
 一歩室内に入り、私はすぐにうっと顔をしかめた。部屋中に、私の写真が貼られていた。ポスターサイズに引き伸ばされたものまである。
 マジでストーカーだなあと今更ながらに思う。一体、どうして同じ人間をここまで好きになれるのだろう。私には到底理解できない感情だが、死ぬほど一緒にいたいという想いを抱かせてくれる相手がいるというのは、幸せなのかもしれない。
 ふといい匂いがして、ダイニングテーブルに目を向ける。深皿にミートボールが山盛りになっていた。なんだこれと苦笑する。添えつけられていたフォークで一つ口に含む。もしかして毒かと食べた後に警戒するが、そんなことはなかった。
 さて。部屋の中をきょろきょろと見回すと、小さな籠を見つけた。私の私物が入っている。ショルダーバッグの中を探って、携帯電話を取り出す。何度も電話している相手にリダイアルをする。
 三回コールした後、相手が電話に出た。
「はい。誰?」
 相手の声を聞いた瞬間、通話を切る。聞こえてきたのは、連れではない若い声だった。一人暮らしの連れの家に、私ではない誰かがいる。しかも朝に。
 まさか本当に浮気していたというのか。連れの裏切りに愕然とし、やはり佐藤の言う通りなのだろうかと改めて思う。
 結局、自分と連れの関係は肉欲だけで成り立っていたようだ。ショックが大きくないわけではないが、幾分か仕方ないのかもしれないという思いもあった。優先するものが、違う欲だったというだけのことなのだ。
 はあと溜め息をついて、再びショルダーバッグに手を突っ込み、ルーズリーフと筆記用具を取り出す。さらさらと筆を走らせつつ、ちょいちょいとミートボールをつまむ。今度はしっかり、辞世の句を遺しておかなければいけない。
「ミートボールありがとうございました。よければ、友達からはじめましょう」
 電話番号も書いておこうかと思ったが、どうせ知っているだろうので書かなかった。迷惑設定してある番号を全て解除すれば、どれかからかかってくるだろう。
 手荷物を全てもって佐藤の家を出た。照りつける太陽が、二日酔いで重い頭を消毒してくれる。妙に清々しい気分で、駅は何処だろうと辺りを見回す。
 愛し愛されたい。至極単純で原生的な欲求だが、実のところ、これは一番満たしにくい欲求なのかもしれない。相手が同じ欲を持たねば始まらない。ままならないものだ。
 佐藤の家を振り返る。今の世の中、寧ろ佐藤のような人間の方が、よっぽど純粋なのかもしれない。情が移ったのだろうかと苦笑し、佐藤のことをおもう。浮気のショックで、自暴自棄になっているのかもしれない。
 
 なんであれ。佐藤にはとにかくナイフを捨ててもらう必要がある。金輪際、彼女と死闘を繰り広げるのはまっぴらごめんだ。



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