【 禁断の 】
◆ukZKI4rkTU




88 :No.21 禁断の 1/5 ◇ukZKI4rkTU:07/07/09 00:21:35 ID:iikt04n5
 後輩の涼子と一緒に帰っている途中、大きな屋敷の塀から木の枝が大きく乗り出しているのを見つけた。先端にちょろんとリンゴがなっている。
「先輩、喉も渇いてますし、とって食べちゃいませんか?」
 涼子の屈託ない笑顔に、じゃあそうしようと私はあっさり同調した。都合よく手近にあったコンクリートブロックの上にのり、よいしょと背伸びをしてリンゴに手を伸ばすと世界が反転した。
「な、なんなんすか!?」
 どうやら私は頭を強く殴られたらしい。地面に這いつくばって見上げる視界は白く霞んでおり、涼子と、二人の闖入者がもみ合っている様が薄らぼんやりと見ててとれた。
 涼子がなにかをかがされ、ぱたりと倒れた。実際はなにやってんのかいまいちわかりずらいのだが、まあ口元に手を持っていったことから推測するに、私の考えで当っているだろう。 
 二人が近づいてくる。やはり涼子が使われたのは薬品だった。何でわかるって、私も使われたからだ。なんだったっけ、この薬の名前。
度忘れしてしまった……。


「先輩、先輩!」
 顔をこわばらせた涼子が私の体を揺すっていた。のそりと体を起こすと後頭部に鈍痛が走った。顔をしかめて手をやると、こぶになっている。高校生女子にここまですることもないだろうに。
「だ、大丈夫っすか?」 
 身を案じてくれる涼子に苦笑を向けてからあたりを見渡す。どうやら気絶させられた後、何処かに運ばれたらしい。
 ぱちぱちと炎が爆ぜる音がする。くすんだ色の石壁にドアが一つ。諸所たいまつが点々と置いてあった。修飾には必ず「不気味な」が付与されるような、あまりモダンでない部屋だ。
「先輩がリンゴ取ろうとしてるのを見てたら、変な人たちがきて……。それで私、変な薬……なんて言うんでしたっけ? とにかく多分それをかがされて、気がついたらここにいたんすよ!」
 見てたよ。興奮しているのか当事者に詳しい話を聞かせてくれる後輩に呆れつつ、どうしたものかと溜め息を漏らす。
 要するに、リンゴを取ろうとしたらこの状況に陥ったワケだ。知恵の実でもあるまいに。
「せ、先輩! あれ!」
 涼子が不意にそっぽを向き、腕を突き出して指を伸ばした。その方向に顔を向ける。なにか……複数人分の足音が反響している。音が次第に大きくなってゆく。
「先輩、怖い! 怖いっすよ!」
 あわあわと擦り寄ってくる涼子。ひしと抱きとめてやる。しかし、私だって文面では冷静を装っているが、さっきから顎が自律行動を受け付けなくなるほどビビっているのだ。声が出ん。
 ドアの正面あたりまできて、足音が止まった。南京錠でもかけていたのか、かすかに金属音がする。涼子に顔を向けると、彼女は気の毒にかたかたと震えていた。私なんかもう半泣きだ。

89 :No.21 禁断の 2/5 ◇ukZKI4rkTU:07/07/09 00:21:50 ID:iikt04n5
 がちゃん。どうやら鍵が外れたらしい。震える涼子と体を寄せ合いながらドアを凝視する。次の瞬間、蹴破るような勢いで二人の大男が入ってきた。涼子がひっと喉を鳴らす。
「実を食べようとしていたのはあなたたちね」
 女の声が大男の後ろから響いた。大男はその巨体を脇へどけ、その間を通って女が部屋に入ってきた。こちらに歩み寄ってくる。
 脇にいる男たちのように、女も黒一色だった。黒のロングドレスに背中まで伸びた黒髪。前髪は眉のあたりできれいに切りそろえられ、
唯一露出した顔の異様な白さだけが際立っていた。美人だ。
「な、なんなんすかアンタ! こんなことして、どうなるか……」
「黙りなさい」
 有無を言わさぬ強い口調に気圧され、涼子が押し黙る。女は私たちをゆっくりと嘗め回すようにじろじろ見た後、何処にしまっていたのかリンゴをすっと取り出した。
「人の家のものを食べようなんていい根性してるわ」
 人の家のものを食べようとした女学生をいきなり襲って軟禁するのも結構な根性だと思う。
「このリンゴはね、特別なものなの。とっても大事なものなのよ。それこそ命くらいね」
「わ、悪かったです! 謝りますからここから出してください!」
 涼子が叫ぶ。どう見ても女がもっているリンゴは市販品よりも一回り小さく、色合いも悪くどう考えても命と等価と考えるには無理があるものだった。
 首を振る女に涼子が食い下がる。
「お願いっすから!」
「だぁぁぁあぁあぁめぇぇぇぇえ!」
「ひぃっ」
 ぐげげげげげと女は笑い、涼子に思い切り顔を近づけて目を見開き、って見開きすぎて目が飛び出そうになっている。美人が台無しだがこれは怖い。涼子はほとんど半泣きで、私はマジで気絶する五秒前だ。
「人のものを取ったら泥棒ってー、学校で習わなかったのかしらー? 私はむしとり少年に教えてもらったのよね。懐かしいわー」
「それってポ」
「黙りなさい」
 素直に黙る涼子。女はリンゴを握り締めると、私にぽいと投げてそれをぶつけてきた。女子高生ゲットだぜって、こんな凶悪な捕獲方法もそうそうないだろうに。
「さてと。あなたたちをどうしてくれようかしら。新しい実をつけてくれるよう、リンゴの木の下に埋めちゃおっかな?」
 何でそんなに上機嫌なんだと突っ込みたくなるほどの素敵な笑顔でのたまう女。涼子は青ざめてしまい、私は彼女に抱きつかれながらビクンビクンモウラメェ。
 女は大男たちに振り返ると、何かをぼそぼそと呟いた。片方の男が大きく頷き、部屋を出て行った。しばらくして戻ってきた男は、見ていると精神が不安定になりそうなデザインの水がめを手にもっていた。

90 :No.21 禁断の 3/5 ◇ukZKI4rkTU:07/07/09 00:22:04 ID:iikt04n5
「この中には聖水が入っているわ。その中に……」
 ぽちゃん、とリンゴが水がめの中に沈んだ。聖水ってなんだよと思ったが、突っ込んだら何をされるかわかったものじゃないので黙っている。
「聖水ってなんすか?」
「聖なる水よ」
「ってそのまん」
「黙れぇぇえぇぇぇ!」
 涼子って意外と図太い神経してるんだなぁと思いつつ、物凄い勢いで顔を近づけてくる女に悲鳴を上げて後ずさる涼子を、部屋の隅でかたかた震えながら眺めている私であった。
「このりんご、食べたほうだけ救ってあげるわ」
 女は水がめからリンゴを取り出すと、銀色の皿の上にそれを置いてこちらに差し出してきた。涼子がそれを恭しく受け取り、不思議そうな顔をしてリンゴを観察した。
「リンゴを食べれば助けていただけるんすね?」
「ええ、救ってあげるわ」
 水がめに蓋をしながら、にやまりと唇の両端を思い切り持ち上げて笑う女。リンゴを食べれば助けてくれるとは、どういうことなのだろうか。リンゴをかけて涼子と争えということなのだろうか。
 もしかしたら毒でも入っているのかもしれない。もう少しよく観察しようと思いリンゴに手を伸ばすと、脇から飛んできた手に腕をつかまれた。涼子の手だ。
「ちょ、ちょっと先輩、抜け駆けはダメっすよ」
 首をふるふると振って誤解だと意思表示をする。伝わったのか涼子は手を引っ込め、引き下がった。後輩の訝しげな視線に気圧されつつ、リンゴに手を伸ばす。
 何の変哲もない濡れたリンゴだ。毒が塗ってあるのなら、女は素手でこれを触りはしなかっただろう。となると、リンゴの中に? それともただのフェイクか? 食べて確かめるわけにもいかない。
「あの、これって同時に食べるのってありなんすか?」
 涼子は果たして怖いもの知らずなのか空気が読めないのか。女は涼子の質問に笑顔で答え、後ろの男に言いつけてリンゴを半分にカットさせた。みずみずしい断面だ。
「先輩、一緒に食べましょうよ! ね!」
 リンゴを手渡される。後輩の心遣いに泣きそうになりながらも、頭は冷静にこの提案の真意を分析していた。女の行動に何か、ヒントがあるのではないだろうか。
 女は笑っている。私たち二人の反応を見たくてこんなことをしています、と書いてあるような笑顔だ。微妙な悪意も感じられるし、というかまったくなんでこんな状況になったのか……。
 シュールを通り越して理不尽だ。これでちゃんとしたオチが用意されていなかったら、全くどうしてくれようか。
「気の毒なくらい青い顔ねー? 大丈夫ー?」
 実行犯に心配される筋合いはない。と思いつつも媚びたように頷く私は脳内弁慶ここに極まれりというべきか。

91 :No.21 禁断の 4/5 ◇ukZKI4rkTU:07/07/09 00:22:18 ID:iikt04n5
「先輩、もう食べちゃいましょう。食べたら許してくれるって、このおかっぱの人も言ってますし」
 女の眉間がピクリと動いた気がするが私は何も見てない聞いてない。涼子さん実はわざとやっているのではと思いつつ、首を横に振る。
「考えたんだけど……さっき、食べたら救うって言ってたよね。救うって、ここから出してくれるって事なのかな……」
「先輩?」
「死んで俗世から離れることが救いって考える宗教もあって……。それに銀は悪魔を討つ金属で……。それに聖水って言ってたし……」
「どういうことっすか?」
「もしかしたら、食べたら死ぬかも……」
 涼子がごくりと喉を鳴らす。正直途中から言わなきゃよかったかとも思ったが、やっとこさのセリフだったので全部言いきってしまった。手許にあるリンゴを見つめて、眉根を寄せてみる。
「せ、先輩のせいで、決心が鈍ったじゃないですかぁ!」
「ご、ごめん……」
 涼子は怒ったように言うが、自分が考えなしだったことに気付いて複雑な心境のようだ。どっち道食べるしか選択肢はないのだから、余計なことはいわなかったほうがよかったのかもしれない。
 どうしたものかとリンゴを睨みつける。知恵の実。これを食べたが最後、エデンを追放されてしまうのだ。女はさしずめ、白い蛇といったところか。
「宗教っすか……。日本じゃあんまり宗教に関わんないっすから、どう判断していいのか迷いますっすね……」
 涼子が頭をがりがりと掻く。せめて女がどんな宗教をやっているのかさえわかれば、まだ判断のしようもあるのだが。辺りを見回しても、なにか宗派を特定できるようなものは一つとして見当たらなかった。
「そういや、そのつぼって何処に売ってるんすか?」
 涼子がポツリと言った。男が持ってきた、不思議な造詣をした奇怪なつぼだ。はっと気付く。もしかしたらあれこそが何かの神を模したもので、女の宗教は新興のものなのではないだろうか?
「いや、これ昨日私が作ったのよ。どう? 素敵でしょう?」
「前衛的なデザインっすね」
 あああああぁ……。ナイス涼子と思ったのもつかの間、入ってきた情報は女の趣味が陶芸だったことだけだ。くそうと、リンゴを握り締める。何キロなら砕けるんだっけ?
 ふと、はて?と思う。あれだけべたべたになっていたリンゴがすっかり乾いている。不思議に思い顔を近づけて観察してみると、かすかに変な匂いがした。そして、あることを思い出した。
 そうか……そういうことか。


92 :No.21 禁断の 5/5 ◇ukZKI4rkTU:07/07/09 00:22:31 ID:iikt04n5
「リンゴは食べません」
 私はリンゴを床に落とし、すたすたと女に近づいた。片眉をくいとあげて、女が訝しげな顔を見せる。後ろで涼子が、不思議そうな顔をしていた。
 そして次の瞬間、私はすぐ手近にあった水がめを掴み、蓋を取って中身を思い切り女たちにぶちまけた。隅で震えていた少女の突然の行動にあっけに取られていた女たちは、もろに聖水をかぶった。
「な! なにすん……の……」
 女の断末魔だ。それだけ言って、女はぱたりと倒れ伏し、男たちも行動を共にした。私はすぐにその場を離れ、涼子の手を引っ張って部屋の奥に逃げた。
「ど、どういうことっすか、先輩!?」
「……思い出しんたんだよ」
 涼子が目を白黒とさせている。女たちは倒れたまま動かない。どうやら助かったらしいとわかり、私は安堵で床にぺたりと座り込んだ。
「薬の名前。あれ、クロロホルムって言うんだ……」
 涼子がぽん、と手を打った。揮発性の液体の匂いは、部屋の奥では届かなかった。
 なんだろうこの結末。床に転がる真っ二つのリンゴを見下ろして、そう思う。
 
 禁断の果実。結局それ自体より、ついて回る思惑のほうが、ずっと危険なのだった。




                                終



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