【 酌み交わす思い出 】
◆PUPPETp/a.




63 :15 酌み交わす思い出 1/4 ◇PUPPETp/a. :07/07/08 23:31:01 ID:a7gW29xM
 ざわつく店内で人がすし詰め状態で押し込まれていた。個人経営の居酒屋として繁盛しているのだろう。いかに
も『店の親父』という風情のいかつい顔の男が、若い男の出す注文の声に目線だけで返事を返している。そんな店
で、男二人は酒を酌み交わしていた。
 一人は髪型から服装まで整った、いかにもサラリーマンとも思える男だった。
「なあ、健史、いま何をやってるんだ?」
 健史と呼ばれたもう一人の男は、サラリーマン――健史とは正反対にボサボサの髪によれた背広を着込んでいる。
 雅之と目を合わせず、健史は消えていくビールの泡を眺めながら言う。
「俺か? あー、新聞記者をな。まだペーペーだけどよ」
 健史はそう言って泡が半分消えたビールを一息で口に流し込んだ。息を吐いて、即席の白いヒゲを片手で拭うと、
雅之に質問を返す。
「そういうおまえこそ、何してんだよ」
「俺は、あれだ。サラリーマンってやつだ。おまえも知ってるだろ」
 そして雅之は自分の働いている企業の名前を告げる。それはその名前を知らない人は少ないであろう、大企業の
名前だった。健史はその名前を言うと、ほんの少しだけ誇らしげになった。
「すげえじゃねえか。おまえは昔から頭よかったから」
「まあ、おれもまだ入ったばっかりの平社員だけどな」
 そう言って顔を見合わせる。店の喧騒のなか、二人の間に静寂な空気が流れた。しかしそれはどちらともなく破
られ、二人の口元に笑みが浮かぶ。やがて笑みは笑いとなった。何の気負いもなく、クックッと。
 二人は互いに名刺を交換し合う。それぞれ社会人として、冗談混じりに「よろしくお願いします」などと言い合
っていた。そして互いの名刺の裏に連絡先を書き込む。
「そういや、おまえと会うのも何年ぶりだ。中学を卒業してからだから……」
 健史は近くを歩く店員に「生中二つ」と頼んでから、指折り数える。
「十年ぶりになるか」
「もうそんなになるのか。年を取りたくないもんだなー」
「ばーか。これからだろうが」
 二人はまた笑った。そして店員が「お待たせしました」という声と共に、新しいジョッキが運んでくる。
 中学校だけではなく、小学校も同級生だった二人の話題は自然と昔のことが多くなる。
 同級生だった男子が結婚した。担任のハゲ教師はまだ同じ学校で働いている。二人が憧れていた女子は何をやっ
ているんだろうか。


64 :15 酌み交わす思い出 2/4 ◇PUPPETp/a.:07/07/08 23:31:17 ID:a7gW29xM
 そして昔話に花を咲かせる。
「そういえば雅之。おまえ、覚えてるか」
「何がだ?」
「遠足のときのおやつだよ」
 その言葉に赤くなりはじめた雅之の顔が少し曇る。
「ああ、覚えてるよ。恥ずかしいからあんまり思い出すなよ」
「何がだよ。ああいうもんが今はいいもん――」
「いいからさ。ほら、ジョッキが空っぽじゃんか。――すいませーん!」
 雅之は話を逸らすように店員にビールの追加を注文した。健史はまだ不満そうだが、ジョッキにほんの少しだけ
残ったビールを煽る。

 それから何年が過ぎただろうか。
 健史は新聞記者として、経験を積み上げていた。
 雅之とはそれ以来連絡を取っていない。しかし、思いもよらないところからその名前を見ることとなった。
 インサイダー取引。
 企業側の人間が株価の上昇、下降を左右する重要情報を横流しする犯罪行為である。雅之の勤める会社がそれを
行ったのだ。
 雅之自身がそれに直接関わったのかはわからない。
『竹部雅之 開発統括部開発課長』
 新聞社内からの情報に関係者として名を連ねていた。健史の目がその名前を見つけて固まる。
「おい、掛川! ちょっと記者会見行ってこい! 場所は――」
 健史は上司からそう言いつけられた。健史と雅之の関係を知ってのことではないのだろう。
「……」
 小学生時代から知る健史にとって、にわかに信じられなかった。
 ――あいつが? そんなことするやつじゃないだろ。
「掛川!」
「あ、はい!」
 そう言って、健史は上着を掴むと編集部を飛び出した。社用車に飛び込むとキーを回す。
「あのバカ。なにやってんだ!」
 叫ばずにはいられなかった。


65 :15 酌み交わす思い出 3/4 ◇PUPPETp/a.:07/07/08 23:31:31 ID:a7gW29xM
 記者会見の会場にはたくさんの報道陣が詰め掛けていた。
 遅れて出たわけではないのに、列の前列は埋まっている。健史は並べられたパイプイスの中ほどにに腰を掛けた。
記者会見が始まる時間までまだ少し時間がある。健史は報道陣の溢れる熱気のなかでうつむき、目を閉じた。
 雅之はけして裕福な家に生まれたわけではない。それどころか貧乏と言われる家だろう。
 それでも雅之は気にした様子はなく、健史もそんなことは関係なく遊んでいた。
 ――あいつすげえな。もう課長かよ。出世頭じゃないのか?
 『ブツッ』というマイクの音が聞こえ、アナウンスの声が会場に流れると、健史は閉じた目を開ける。
 カメラのフラッシュが壇上に並ぶ関係者に注がれる。その中に雅之の顔があった。
「えー、この度は、わが社が皆様方に大変ご迷惑をお掛けしたことを深くお詫びいたします」
 社長がマイクに向かいそう告げると、壇上の関係者は立ち上がり、頭を深々と下げる。フラッシュの嵐がより一
層激しさを増した。
『それではご質問のある方、挙手をお願いいたします』
 アナウンスの声が静やかに会場に広がるや、列席する各社報道陣が我先にと手を上げる。その中には健史のもの
もあった。
 何人かがテンプレートのような質問すると、社長や他関係者が同じくテンプレートのような答えを返す。
 そして健史が指名された。
 立ち上がると、健史の目は雅之を見る。彼の姿を認めた雅之は一瞬、硬直するように体を震わせると顔をうつむ
かせた。
「えー、質問なんですが、これまで生きてきたなかで印象深いことなどあれば教えていただきたいのですが」
 雅之はその言葉を聞いて、顔を上げる。
『今回の記者会見と関係ないことについては、返答を差し控えさせていただきます』
 しかしアナウンスは冷静にその質問を却下した。

 その事件から数年。
 雅之が勤める会社でも、健史が勤める会社でも事件のことは、おそらくあまり思い出されることがなくなったこ
ろだった。
 健史はデスクという地位に就き、第一線から退いていた。名刺入れから一枚の名刺を取り出し、手元の受話器を
持ち上げると番号を入力する。少しの機械音。
「はい。こちら――」
 受け付けの声を聞き終えると、健史は口を開く。


66 :15 酌み交わす思い出 4/4 ◇PUPPETp/a.:07/07/08 23:32:34 ID:a7gW29xM
「あー、わたくし掛川と申します。開発統括部の竹部雅之様をお願いしたいのですが」
 そう告げると「少々お待ちください」という声と共に、若干明るい保留音が流れる。それを聴きながら健史は目
を閉じる。
「はい、竹部ですが」
「わたくし、掛川健史と申します」
「……」
 その名を聞いて、雅之は無言になった。受話器の向こう側から忙しそうな声を聞こえる。
「質問があるんですが、これまで生きてきたなかで印象深いことなどあれば教えていただきたいと思いまして」
「……そうですね。あれは小学校のときのことです」
 雅之は一拍置いて、語り始めた。
「遠足のおやつは三百円と決められていました。わたしの家は裕福な家ではなかったので、その三百円すら大きい
金額だったんだと思います」
「……」
「わたしがおやつとして持たせられたのは干し柿でした」
 まだ目を閉じたままの健史は、頭のなかに当時のことを浮かび上がらせる。
 雅之が頑固に言い張っていた「これは三百円で買ってきたおやつだ」という言葉を。そしてそれを囃し立てる級
友たちを。そして目元に涙を浮かび上がらせていた雅之を思い出していた。
「そりゃあ情けない気分でしたよ。干し柿は美味いもんなのにね。全部それが悪い、金がないのが悪いと思ったも
のです」
「だからインサイダー取引を?」
「……今じゃ金が全てではないと知りました。干し柿、甘くて美味いですよ。まだ実家で作ってるはずです」
 閉じた目を開くと、口元に笑みを浮かべた。
「それは美味しそうだ。ご相伴に預かりたいものです」
「ぜひ。一緒に実家へ帰ってみますか」
 そう言うと受話器の向こうからクックッという笑い声が聞こえてきた。健史も雅之と同じくクックッとのどを鳴
らして笑っている。

<<完>>



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