【 ラ・フランス 】
◆DttnVyjemo




43 :No.10 ラ・フランス 1/4 ◇DttnVyjemo:07/07/08 19:25:52 ID:WOIoR4Ed
 今年もまた、甘ったるく忌々しい季節がやってきた。
 母から送られてきた包みが、まだ夏の余韻を残す西日に晒されている。どうせ中身は
ラフランスだろう。ざらざらした果皮。いびつな形。傷つき易く、凹むとすぐ赤黒く
変色する、気難しい果実。
 己(おれ)はこの果実が嫌いだ。

 田舎村には逃げ場などなかった。中一の秋にあの村に転校した己は、徹底的なイジメに
遭った。余所者というだけで疎外されるあの地に於いて、ニキビ面で吃音持ちの、東京から
来た転校生。権力者の一族でもなければ、これで苛められないほうがおかしい。なまじ
勉強ができたのも禍した。己は、あの土地の特産の名を取って「ラフランス」と渾名された。
殴られては始終顔を腫らしていたことに加えて、「用無し」の地口でもあったのだろう。
教師までもが己をその名で呼んだ。
 都会なら間違いなく警察沙汰となる事件ですら、あの地では闇に葬られた。妹は村の
ガキ共に輪姦され、それが元で精神を病んで、今でも檻の付いた病院にいる。村の警察は
被害届すら受理しなかった。法律よりも掟が勝る前近代。そんな様であるから、毎日顔を
腫らして帰ってくる己を見ても、父も母も何も言わなかった。それどころか、他人の目を
気にする母はいつも、粗野で狡猾な土人らに己を生贄として差し出した。父が病で倒れて
からは、母の村人への卑屈は一層ひどくなった。
 己はあの村で、心の底から人を憎むことをおぼえた。

 包みを開ける。梨のようで桃のような香り。やはりラフランスだった。数日も打棄って
おいたため痛み始めているものもあったが、まだ熟さず実の固いものもある。
 ラフランスは青いまま収穫され、販売される。熟す前のラフランスはボケた青首大根の
ようなものだが、次第に熟れてゆき、その絶頂に於いては果物の中でも有数の風味を誇る。
しかしその旬は短く、食い時を一日逃しただけでも黒く醜く崩れてしまう。暗い箱にあって
切り刻まれる運命を待つ洋梨達は、一体どんな気分でその日を待つのだろう。
 通信販売で取り寄せた、肉厚の牛刀。封を解き、黄ばんだガラス越しの西日に刃を透かす。
熟れた洋梨は、牛刀を音もなく吸い込んだ。皮を剥くでもなく、くしに切るでもない。箱から
次々と取り出しては、無闇に刃を突き立てる。

44 :No.10 ラ・フランス 2/4 ◇DttnVyjemo:07/07/08 19:26:09 ID:WOIoR4Ed
 ここ数ヶ月、己はろくに仕事をしていない。高校にはどうにか三年通ったが、日数が足りず
卒業はできなかった。東京の専門学校は一月ともたずに中退した。学歴もない上に、吃音で
口数も少ない。今時こんな奴が就ける仕事といえば、新聞配達か単純工ぐらいだろう。
いつの間に借金は二〇〇万近くまで膨れている。実家に連絡するときはいつも金の無心だ。
送られてきた金も、パチンコと風俗ですぐに消えてしまう。
 洋梨。
 田舎者の悪意に満ちた地口が、己の一生を呪縛している。
 すべてのラフランスを切り刻んでしまうと、洋梨の屍体を箱に戻し、それごと窓から投げ
捨てた。階下に住む不法就労の外国人達がぎゃあぎゃあ騒いでいる。これ以上、他人との間の
面倒事に関わりたくはない。ギターバッグに荷物を詰め込むと、己は鍵もかけず家をでた。

 新宿駅についた頃には既に日は落ち、上気した酔客達が次々と駅へ吸い込まれていく。己は
人波に逆い、あてもなく歌舞伎町に向かった。途中、サラ金のATMで下ろせるだけ金を
下ろすと、ポン引きに誘われるがままキャバクラに入った。それなりに高い酒を呑んだはず
だったが、味はよく覚えていない。随分とぼったくられた気もするが、適当に財布から札を
抜いて渡し、多い分はチップだと言って置いてきた。
 己はそのまま目の前にあった安ホテルに入った。冷蔵庫からビールを取り出し、テレビの
スイッチを入れる。ニュース番組が映った。己の好きなキャスターは出ていない。どうやら
今日は土曜らしい。考えてみれば、曜日もニュースも、己にとって最早どうでもいい話だった。
ホテトルを二人呼んだが、酒のせいか、どうあっても勃起しなかった。結局金だけ握らせて
追い返した。女達が帰ってから、香水がラフランスの匂いだったことに気づいた。冷蔵庫から
ウイスキーを取り出す。これほど酔えない夜は今までにない。
 冷房の効きの悪い安宿で、己は寝苦しい夜をまんじりともせずに明かした。

45 :No.10 ラ・フランス 3/4 ◇DttnVyjemo:07/07/08 19:26:25 ID:WOIoR4Ed

 ホテルを出た。狭い路地に聳え立つビルの隙間から見えるのは、雲ひとつ無い、澱んだ青空。
アスファルトが砂浜のように陽光を照り返す。己の前を、日焼けした膚に緑色の髪を乗せた女が
歩いてゆく。ギターバッグからそろそろと金属バットを取り出し、左右の尻ポケットに一本ずつ
牛刀を差す。女に背後からこっそり近づき、薪を割るように上段からバットを振り下ろす。
 バットが変形する手応え。
 血飛沫を撒き散らしながら、女はゆっくりと崩れ落ちた。
 この殺人鬼の所行を、己は他人事のように、宙から冷静に見つめていた。たった今打ち殺された
女の頭は、まさしく西瓜だった。果汁と、熟さない白い種が、地面に散らばっている。
 かくして始まった復讐劇を、己はしばらく鑑賞することにした。
 殺人鬼はバットを持ったまま靖国通りに出る。向こうから、太いフレームの眼鏡をかけた
スーツの男が歩いて来た。返り血にまみれた殺人鬼に気づく素振りも見せず、男はまっすぐに
ずんずん歩いてくる。今度は野球のようにバットをフルスイングする。先端が顔の半分を捉えた。
目玉の潰れる手応えがあった。悶絶するスーツの男に、さらに上からバットを二発、三発と
振り下ろす。何発目かに確かな手応えを感じ、己は満足した。しばらく殴り続けていた殺人鬼は、
男の身体が痙攣を始めたのを認めると、バットを投げ捨てた。
 さすがに周囲は異常な光景に気づいたらしく、悲鳴や怒号が拡がり始めた。殺人鬼は右の
尻からそろりと包丁を抜き、遠巻きに怯える観衆たちに斬り込んでゆく。
 かつて観た映画にこんなシーンがあったのを思い出した。幾万の軍勢のど真ん中に主人公が
斬り込んでいくと、モーセの海割りよろしく人の群れが割れてゆくのだ。己は殺人鬼に映画の
英雄を見いだし、軽いエクスタシーを感じていた。人の多い方へ、多い方へと向かって走る様は、
スペインの牛追い祭のようでもある。英雄は、逃げ遅れて立ち竦む者達に、容赦なく牛刀を
突き出していった。ことに女子供は執拗に追い回すこともあった。なぜならこの殺人鬼は、
男よりも女子供が殺されるほうが、ずっと多くの悲しみが生まれることを知っていたからだ。
 さすが、肉厚の包丁は切れ味が違うなあ。桃も林檎もトマトも琵琶も、みなすうっと刃を
吸い込んでは、果汁を撒き散らしながら斃れゆく。通販で一万もしただけの甲斐はある。これから
生み出されるであろう苦痛や悲嘆と、そして牛刀の手応えに、己は何度も射精した。

46 :No.10 ラ・フランス 4/4 ◇DttnVyjemo:07/07/08 19:26:40 ID:WOIoR4Ed
 ……どれだけの果実を切り裂いたのだろう。既に一本の牛刀はどこかへ行き、もう一本も、
柔らかい果肉のどこにそんな力があるのか、半ばぐらいから折れ曲がっている。白いシャツには
べっとりと赤い果汁。果物の汁は洗っても落ちないのだと、母によく叱られたっけ。
 もはや周囲に人影はなく、秋分の陽射しだけが殺人鬼を容赦なく射貫いていた。それは
スポットライトのようでもあった。このアルタ前広場は、己の人生のカーテンコールだ。最後に
この首を掻き切って、大団円を迎えることにしよう――。
 不意に後頭部に衝撃を感じた。振り返る間もなく、己は俯せに組み伏せられた。何人かの男が
己に馬乗りになっているようだ。両の肘に激痛が走るのは、関節をへし折られたからだろう。
憎しみに満ちた複数の拳が、己の後頭部に雨霰と降りかかる。薄れゆく意識の中、己は最後まで、
その痛みすらを他人事のように観察していた。
 母上様、己の人生は、どうやら食い時を逃してしまったようです――。

     <了>



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