【 ポッキーとリンゴ 】
◆yxuuSrCoxA




39 :No.09 ポッキーとリンゴ 1/4 ◇yxuuSrCoxA:07/07/08 18:52:43 ID:WOIoR4Ed
 家に着き、私は袋をテーブルに置いた。袋の中には熟れたふじリンゴが箱詰めになって入っている。これは私が食べる
ためだけに買ってきたのではない。届けるために、買ってきたのだ。


 数年前、私は一匹の猫を飼うことになった。名前をポッキーという。特に意味は無い。どんな名前を付けてやろうかと
思いつく言葉を適当に言ってみたところ、ポッキーと呼んだときにだけ、ニャアと鳴いてくれたからだ。ポッキーはもと
もと野良猫だった。私の家の周りを縄張りとしていたようで、あまりにもいつも見かけるものだから、私はついついえさを
やっていて、すっかり私に懐いてしまったのだ。というよりも、私が飼いたかっただけかもしれない。
 こうして私とポッキーの共同生活が始まった。最初の頃は慣れていなかったらしく、ちょこんとして全く動こうとしな
かったが、しばらくすると活発になっていった。私が家の壁紙を張り替えなくなったのも、その頃だ。ある日のこと。実家
の母からリンゴが送られてきた。私はリンゴが大好物で、幼いころはいつも、母にリンゴ買ってよとねだっていたのだ。
母はそれを思い出したのだろう、15個も送ってきた。流石に多かった。どうしようかと考えていると、ソファの上で丸く
なっているポッキーが目に止まった。
 ――食べさせてみようか。
 私はリンゴを剥いて、寝ているポッキーの側に置き、様子を見てみた。やがてポッキーは目を覚ますと、眼前にある妙な
ウサギに気がついた。くんくんくんと顔をリンゴに近づけた後、シャクリと一口。数秒時が止まる。刹那、ものすごい勢い
でかじりつき始めた。どうやら気に入ってくれたようだった。これは後で気がついたことだが、ポッキーのリンゴに対する
感情は、並大抵のものではなかった。15個のリンゴ達は私とポッキーを前にして、あえなく5日で陥落した。そしてポッ
キーはリンゴをねだるようになった。リンゴが無いと知るやいなや、なーなーと哀れに鳴いた。さながらかつての私のよう
に。
 ポッキーのリンゴ好きはいつの間にかご近所に知れ渡り、彼らはリンゴを持ってきてはポッキーの黒い毛を撫でに来た。
あまりにも食べまくるので、糖尿病になるのではと私は心配していた。しかし食べるのを止めさせることはなかった。なぜ
しなかったのか、今になって私は悔やんでいる。

40 :No.09 ポッキーとリンゴ 2/4 ◇yxuuSrCoxA:07/07/08 18:53:00 ID:WOIoR4Ed

 ポッキーを飼い始めてから1年後、異変はゆっくりと起こっていた。まず水ばかり飲むようになった。リンゴは相変わら
ずよく食べるのだが、キャットフードにはあまり口をつけない。毛のツヤも無くなっていった。しかしその時、私はそれに
気がついていなかった。それくらい、その異変は僅かな傾斜をゆっくりと、崖の方へと転がっていたのだった。そして崖に
たどり着いた日。その日私は仕事から帰宅すると、明確な違和感に襲われた。ポッキーが出迎えてこない。普段なら、ドア
を開けた途端尻尾を振りながらすりついてくるはずなのに……。私は玄関を駆け抜けリビングのソファに向かった。ポッキ
ーはそこにいた。明らかに様子がおかしい。何故そう思ったかは分からない。しかし私はポッキーの姿を見た途端、言い
ようのない恐怖に襲われ、再び気がついたときには、動物病院へと車を走らせていた。
 夜の動物病院が思いの外騒がしかったことを覚えている。そこは絶えず犬や猫の鳴き声が聞こえていた。しかしポッキー
は何ら反応を示さない。ケージの中でぐったりしていた。私の番が来た。私は焦る気持ちを抑えながら何が起こったのか
医師に伝えた。何か変わったことはなかったか、と聞かれ、私はここでようやく、ポッキーの飲む水の量の多さを思い出し
た。それを伝えた途端、医師の顔が険しくなった。明日検査をしてみますから、また来てください。そう言われた。
 二日後、私は病院でポッキーの検査結果を渡された。赤血球量、白血球量、血糖値……色々な数値が印刷されている中、
異常な数値がひとつあった。尿素量・329。その右側には(100を越えている場合、尿毒症の恐れがあります)と書か
れていた。
 ポッキーは、先天性の腎不全だった。腎不全という言葉の衝撃に、私は目の前が真っ暗になった。医師の言葉がさらに
追い打ちをかけた。
「一週間保つかどうかでしょう。安楽死させますか?」


41 :No.09 ポッキーとリンゴ 3/4 ◇yxuuSrCoxA:07/07/08 18:53:35 ID:WOIoR4Ed
 私はあれほど自分の無知を恨めしく思ったことは無い。医師の説明によると猫の腎不全は決して珍しいことではなく、
糖尿病や高血圧に気を付け、早期発見できれば10年以上も長生きさせられるという。糖尿、早期発見、一週間。これらの
言葉は深々と私の胸に突き刺さった。馬鹿だった。あまりにも、大馬鹿だった。私はポッキーを見殺しにしていたような
ものだった。私のせいでポッキーが今にも死にそうになっている。なぜ健康に気を遣ってやらなかったのか、どうして。
私に生き物を飼う資格など無い。そうも思った。
 しかし、安楽死だけはさせられなかった。私はポッキーを家に連れて帰ることにした。医師も賛成してくれた。医師は
最後に一言、どうか最後まで看てやって下さい、そう言った。
 それから先、私は貯めていた有給を全て使い、ポッキーとずっと一緒に家にいた。苦しかったのだろう、ポッキーはよく
鳴いた。病気に気付くまでは私を和ませていた鳴き声が、その時にはもうポッキーの悲鳴にしか聞こえなかった。私はポッ
キーが楽になるまでいつまでも撫でてやった。撫でている内にポッキーは落ち着いてきたのか、うとうととしていき、静か
に眠るのだった。ポッキーはもうリンゴすら食べられなくなっていた。口に含めるのは水ばかり。それでも私はリンゴを
剥いた。しかし、ポッキーは目を向けるだけで、食べようとする気力さえ残っていなかった。
 そして9月17日。病院へ行って10日目のこと。ポッキーはこの世を去った。私は目を覚ましていつもと同じように
ポッキーの様子を見に行った。そこで私は、ぐったりとしたポッキーを見つけた。瞬間、私は悟った。私は駆け寄った。
もう冷たくなっていた。私の口からはポッキーを病院から連れて帰ったときと同じ、謝りの言葉しか出てこなかった。
そしてケージの中のリンゴに目を落としたとき、私は遂に我慢できずに、泣いた。そのリンゴの先端には、ほんの微かに、
かじられた跡が残っていた。


42 :No.09 ポッキーとリンゴ 4/4 ◇yxuuSrCoxA:07/07/08 18:53:53 ID:WOIoR4Ed
 ――今、私はあの日ポッキーに初めてリンゴを食べさせたときのように、リンゴを剥いている。今思えば、ポッキーほど
リンゴが大好きな猫など滅多にいないだろう。果物が好きなことさえ珍しいかもしれない。私の手捌きでリンゴがだんだん
白くなっていく。その様子をポッキーはじっと見つめていたものだった。
 剥き終わり、私は皿に盛ったリンゴを手にして外に出て、庭先へ行った。庭にある木の下で、ポッキーは眠っている。
そこはポッキーがまだ野良猫だった頃、よく座っていた場所でもある。私は皿をそこに置いた。ポッキー。餌だぞ。お前の
好きなふじリンゴだ。さっきひとつ食べたらかなり美味しかったぞ。まだあるからな――
 私はしばらくじっとリンゴを見つめた後、空を見上げた。雲一つ無い、爽やかな秋晴れが頭上に広がっていた。空を仰ぎ
ながら、私は呟いた。

「どうだ、美味いだろ?」

 了



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