【 怪盗オーキスの初恋 】
◆kP2iJ1lvqM




7 :No.02 怪盗オーキスの初恋 1/5 ◇kP2iJ1lvqM:07/07/07 11:32:05 ID:iyDC5oG0
「なあマッキー。なんでお見舞いに持っていく物って花とか果物とか植物関係が多いんだろ?」
 病院の自動ドアを抜けながら、キヨちゃんは僕にそう聞いた。彼はランの鉢植えを大事そうに抱えている。たしか
鉢植えをお見舞いの品に持って行くのはまずかったような気がしたけれど、僕は何も言わなかった。
鉢の土には桜の花びらが一枚乗っている。病院の庭に桜が咲いていたから、きっとそれだった。
「知らないよ。僕が小学生のとき肺炎で入院したら、みんなヤクルトを持ってきたけど」
 僕はヤクルトが特別好きという訳ではない。けれどあの時はなぜか皆示し合わせたようにヤクルトを持ってきた。
四十本を超えるヤクルトは共用冷蔵庫の一段の半分を占拠して、他の患者達から文句を言われた。
それを洗面所に流そうとしている僕を見て、キヨちゃんが代わりに全部飲んでくれたのはいい思い出だ。
「あれからヤクルトは一本も飲んでねえ」
「ごめん」
 それから一週間ひどい下痢になったらしいけど、キヨちゃんが人のために何かするのは珍しいからひどく嬉しかった。
例えば、それはキヨちゃんが今持っているランよりも珍しいのかもしれない。
そのランは珍種で、インターネットを使って調べてみたら相当に高価な物らしかった。町内の有名な園芸家が、全国規模
の品評会に出品して優勝したと言う代物だ。昨日の夜キヨちゃんは園芸家の温室に忍び込み、隠して持ち帰りやすいように
それを根元から引っこ抜いて盗んだ。今、町では警察が動員されて大騒ぎになっている。
  ◆
キヨちゃんは自称大泥棒だ。中学生だった頃から空き巣をして暮らしている。親が飲んだくれて働かないから仕方
なくと言うが、十七歳になった今では普通に働ける。もっとも、悪ガキで有名なキヨちゃんを雇ってくれる所がこの
小さな田舎町にはないのだけれど。
僕は一度だけ空き巣の手伝いをしたことがある。バイトなんてするよりは、という気楽な考えだった。
それは間違っていた。キヨちゃんの空き巣はひどいやり方だった。
まずアパートの窓から誰もいないのを確認すると、キヨちゃんは窓を割って侵入した。それからドアの内鍵を開け、
『改装工事中』と書かれた紙を表へ貼る。これで多少うるさくしたって誰も怪しまないとキヨちゃんは考えた。
そして部屋を徹底的に荒らす。まずは絨毯を引っぺがし、次にタンスの引き出しを全て開け、タンスを倒して裏側を
調べる。冷蔵庫も倒す。本棚も倒す。テレビもひっくり返す。そうして現金が見つからないと、キヨちゃんは滅茶苦茶に
なった室内を見回し、床に転がっている物の中であまり壊れていない金目の品を持って帰った。僕はその間、震えながら
ドアの覗き穴から外を見張っていた。
 その後貰った報酬はたったの千円で、もう二度と手伝うものかと僕は心に誓った。

8 :No.02 怪盗オーキスの初恋 2/5 ◇kP2iJ1lvqM:07/07/07 11:32:21 ID:iyDC5oG0
そんなだからキヨちゃんは何度も警察に捕まっている。何とか二人で滑り込んだ偏差値最低の高校だって、彼はすぐに
退学させられてしまった。それでも平気な顔だったから、もう既に安定した職に就いた気でいるのかもしれない。
 僕の将来は暗いと思うけど、キヨちゃんに比べたらまだ豆電球くらいは点いている。
 ◆
 僕達はエレベーターで病院の三階に上がった。
高良先輩の病室は廊下の一番端っこだった。彼女はギプスで固めた右足を吊って、窓際のベッドで本を読んでいた。
詳しく聞いていないが交通事故らしい。ベッドの横の引き出しのついたキャビネットには、大きなマスクメロンが一個
置いてある。
僕が近寄ると彼女は顔を上げ、ぱっと笑顔になった。
「あら、来てくれたのね。巻君、清町君」
「お久しぶりです」
 そう言って僕は窓側のパイプ椅子に座る。
「巻君、学校はどうしたの? もう春休みは終わってるはずだけど……」
「九回裏の校長の同点打で延長に入りました」
 先輩の説教を適当に受け流していると、隣にキヨちゃんがいないことに気づいた。
「キヨちゃん、どうした? 入りなよ」
 彼は入り口で固まっていた。照れて顔が真っ赤だ。坊主頭の大男が、花を持って頬を染めている図はあまり見栄えが
しない。
キヨちゃんは小学生の頃から高良先輩が好きだった。
僕達が三年生の時だ。僕はキヨちゃんに誘われて、学校の花壇を買ったばかりのスニーカーで踏みつけていた。夢中
で遊んでいると凄い怒鳴り声がした。高良先輩だった。その時先輩は五年生で、美化委員をやっていたのだ。
僕はただ怖かったのだけれど、キヨちゃんはその時に先輩に惚れたらしい。彼はそれから毎日花壇の世話を手伝う
ようになり、ついでに僕も付き合わされて三人は仲良くなった。
無邪気だったからなのか、あの頃はキヨちゃんも普通に先輩と接していたのに今ではこんな有様だ。
「そうだ、先輩――キヨちゃんが、すげえランを見つけてきたんですよ」
 まあ、と声をあげ先輩は手を合わせた。彼女は花が好きで、高校を卒業してからは花屋に勤めている。
 中でも特にランがお気に入りらしい、と昨日その花屋で聞いてキヨちゃんは無茶をしたのだった。
 助け舟を出され、キヨちゃんはようやく病室に足を踏み入れた。
「これは何ていうランかしら。見たことないわね」
「さ、さあ。道端に咲いてたやつだから、雑種のランじゃないっすか」

9 :No.02 怪盗オーキスの初恋 3/5 ◇kP2iJ1lvqM:07/07/07 11:32:37 ID:iyDC5oG0
 キヨちゃんは立ったまま慌てて言った。
病室に見舞い客の姿はない。隣のベッドのおばさんがキヨちゃんの持つ鉢植えを見て変な顔をしていた。あまり綺麗
な花じゃないから、と言うよりもその花が奇形にしか見えないのが原因だろう。
ベトナム原産の新種らしい。直径三十センチの茎の上に一輪の花が咲いている。ヒゲみたいな細い花びらが五つと、
黒いまだらが無数に入った大きな青い花びらが一枚ぶら下がっていた。それは映画に出てくるモンスターみたいだった。
それでも先輩は、ランを受け取ると目を輝かせて喜んだ。
「とても綺麗。ありがとう、清町君」
「いやあ、来る途中でたまたま見つけたんで……」
 キヨちゃんは短く刈った頭をがりがりと掻く。でもね、と彼女は続けた。
「ランはとても気難しい花だから、ちゃんと見合った環境で育ててあげないと花をつけなくなるの。ここで私が育てる
のはちょっと無理ね」
 そう言いながら、先輩は病室を見回した。
「可哀想だから、あとで咲いてた場所に戻してあげて。ごめんね」
「そんなあ」
 ランを返されてキヨちゃんは肩を落とす。先輩は、そのランが盗んだ物だと気づいていたに違いない。
彼女は植物を育てる苦労を良く知っている。だから持ち主の所へ返してやってほしいのだろうが、そんな危ない
行為をできるわけがなかった。まず捕まる。そのおかしなランは後で公園の草むらにでも移植されて、ひっそりと
朽ちていくはずだった。
知ってか知らずか、ふと先輩の顔に陰がさす。
それから二十分くらい僕達は話をした。下らないことばかりだった。僕は高校の話をして、キヨちゃんはテレビ
ドラマの続きを先輩に説明してあげた。キヨちゃんは自分の仕事のことは何も話さなかった。
「じゃ、そろそろ検査の時間だから行くね。今日は来てくれてありがとう」
 先輩はベッドの上で身を起こし、固定していた足を降ろす。
「あ、いや、元気そうなんで安心しました。なっ?」
 僕はキヨちゃんの肩を小突く。彼は鉢を床に置いて隣に座っていたが、慌てて立ち上がった。
「俺、先輩、送る」
 なぜか片言だった。
「え?」
 戸惑う先輩。
「いやその、松葉杖じゃ危ないから」

10 :No.02 怪盗オーキスの初恋 4/5 ◇kP2iJ1lvqM:07/07/07 11:32:53 ID:iyDC5oG0
「ああ、うん、そういうことか。じゃあお願いするわ」
 先輩はキヨちゃんに向かって両手を広げた。キヨちゃんはぽかんと口を開けて彼女を見下ろしている。
「ほら、ぼおっとしてないで。起こして」
 促されてからのキヨちゃんの行動は素早く、彼は二つの椅子をどけると彼女を軽々と持ち上げて立たせた。
僕は何も言わずそれを見ていた。それというのはキヨちゃんに抱えられた先輩のパジャマが乱れ、肩の肌が露わに
なっている部分のことだ。自由に風呂に入れない生活だから、先輩のうなじは少し湿ったようになっていて、きめの
細かな白い肌とセットでとても色っぽい。先輩も大人になったなあ、などと僕は思ったが黙っていた。
キヨちゃんの方は、そんなことには気づいてもいない様子だ。
「検査は何階でやるんすか」
「地下一階よ。廊下のエレベーターで一階まで降りたら、ロビーの反対側のエレベーターを使うの」
「オーケーっす」
 僕はそれから、先輩の肩を支えて歩くキヨちゃんの後ろを歩いた。廊下でも、エレベーターの中でも二人は何も
話さなかった。恋人同士みたいに見えて、邪魔するのは悪い気がして僕も黙っていた。
地下へ行くと、先輩はさようならと言った。僕達はお大事にと言って、口を開けて待っていたエレベーターに
乗り込む。
一階ロビーに着くとキヨちゃんが大声をあげた。
「やべ、ランを忘れた」
 僕もすっかり忘れていた。
病室へ引き返すと、鉢植えは床に置かれたままだった。こんな不気味な花を盗む物好きはいない。場所によっては
0が六個ついた値段で取引されるらしいが、ネットのオークションで売るのは無理だろう。売る前に盗品とばれそう
だし、そもそも買い手がつくまでに枯れてしまいそうだった。
帰ろうとした時、隣のベッドのおばさんがひそひそと話しかけてきた。
「ほんと、美人さんよねえ」
 高良先輩のことだろう。
「明るくて気立てもいいし、転院しちゃうなんて残念だわ」
「え、病院を移るんですか?」
 僕は聞く。初耳だ。先輩は教えてくれなかった。
「何でも婚約してるひとが、急に転勤することになったんだって。来週あたりには東京の病院に行くみたい。
で、退院したら彼の引越し先でいっしょに住むそうよ。熱いわねえ」
 おばさんは手を団扇にしてあおぐ。

11 :No.02 怪盗オーキスの初恋 5/5 ◇kP2iJ1lvqM:07/07/07 11:33:08 ID:iyDC5oG0
「でも、自分の車で事故を起こしたから悪いとは思ってるんでしょうね。毎日お見舞いに来て、ほら、そこのメロンも
彼が持ってきたのよ。お金持ちなのかしら、いつもこんな高価な物ばかり」
僕は何も言えなかった。先輩が東京に……。もう二度と会えないような気分だった。婚約者までいた。彼氏がいた
ことさえ聞いていないのに。
キヨちゃんの顔は青ざめている。彼は僕なんかより遥かにショックが大きいに違いない。
彼はキャビネットの上のマスクメロンを見て、畜生、と小さく呟いた。惨事を予想して僕は一歩退いた。
しかしキヨちゃんは暴れずにそっとメロンを持ち上げ、その場所へ代わりにランを置いた。振り返って彼は言う。
「……行こう」
「う、うん」
 僕達は病室を出た。後ろでおばさんが泥棒、と叫んでいたけれど、構わずに去った。誰も追いかけてはこなかった。
  ◆
病院の庭は桜の花でいっぱいだった。
ピンク色の絨毯の上をキヨちゃんと並んで進む。彼は片手でメロンを掴んだまま腕を振って歩いていた。
「それどうする? 捨てるの?」
「二人で食べようぜ。もったいないし」
 前を見たままキヨちゃんは答える。彼の声には張りがない。
そのまま無言で歩いた。僕はキヨちゃんと高良先輩のことを考えていた。
先輩は、キヨちゃんの想いに気づいていただろう。なのに黙って行こうとした。それが優しさだと解釈するつもりはない。
彼女は僕の友達を傷つけただけの、ただの臆病な女だ。せいぜい彼から貰ったランを病室で枯らして悲しめばいいと思う。
それでも僕は言った。高良先輩のためではない。
「あのさ、明日またお見舞いに行こうか。ちゃんと先輩とお別れしとかないと……」
「もういいよ」
 キヨちゃんは話を遮って、緑色の果実を高々と掲げた。
「俺様は泥棒だからな。花より団子、女より金だ」
 そう言って彼は微笑んだ。
今回の盗難で捕まれば、キヨちゃんの名はこの町に響きわたるだろう。知らない人間がいないくらいの悪党になる。
 まるで映画の中の大怪盗みたいに。それは喜ぶべきことなんじゃないかと僕には思えた。
「そっか、そうだよな。キヨちゃんは大泥棒だもんな!」
「その通りだ、マッキー!」
 それから二人で声をあげて笑った。上を向くキヨちゃんの目にみるみる涙が溜まっていった。(了)



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