【 迷い 】
◆D8MoDpzBRE




62 名前:No.16 迷い 1/5 ◇D8MoDpzBRE[] 投稿日:07/07/01(日) 23:35:14 ID:+Xl9deu1
 初夏の抜けるような青空の下、聖イリザロフ大通りは活況に満ちあふれていた。赤、黄、青、原色の旗が、強い日
差しを浴びて輝きながら、王宮へと続く通りを鮮やかに彩っている。
 大通りの中央で、道化の格好をしたのっぽが薄茶けた紙をばらまきながら、踊るように歩いていた。奇妙な出で立
ちと行動が嫌でも衆目を惹き、彼の周囲には人だかりが出来ていた。
「いやあヤァ、お集まりの紳士淑女の皆様方に、有り難い手紙をお配り申す」
 道化が発した甲高い声が、大通りの隅々にまで行き渡る。
「おい、何も書いてないぞ」
 紙を拾った男が怒鳴った。道化がおどけた仕草を返す。
「お慌てになるな、これはあぶり出しの手紙にございます。あぶり出しはあぶり出しでも、火にかけたら燃えるだけなン
でご注意を。時が来れば、はっきりと読むことが出来ましょう」
 そう言うと、道化はますます奇妙に身体をくねらせながら、手に持ったシルクハットの中からおびただしい数の紙をま
き続けた。その量、とても帽子の中に入りきるものではない。
 騒ぎを聞きつけて、王室騎馬警邏隊の数騎が人混みに近づいてきた。王室の紋章をあつらえた胸バッジと、鎖で編
み込んだ鎧のジャラジャラという音に気づくと、たちまち群衆は二手に分かれた。
 道化と騎馬隊が対峙する。
「おい、そこの道化。許可も得ず、王都の真ん中で街宣活動とは、大それたことをしたものだな」
「痛み入りまする、警備兵殿。メリナ・エレシウス大師より、手紙をお預かりして参りました」
 鋭く詰問する騎兵に対して、道化はうやうやしく頭を下げた。
「不審者だ、捕まえろ」
 騎上の男が声をかけると、徒歩の警備兵数人が一斉に道化の周囲を取り囲んだ。
「捕まる前に消えてしまえ、と言うンが私めのモットーでございます。あぶり出しの文字が浮かぶのは、今宵の満月と
共に。月明かりの下で読まれますよう、では」
 ぽっ、と白い煙を残して、道化の姿が忽然と消滅した。
 奇術師によるショーのような展開に、一部始終を見届けた見物人たちから拍手が沸き起こった。
「やめんか! これは見せ物ではない。お前らも、かの道化がばらまいた紙を回収しろ」
 騎馬警邏隊の指揮官とおぼしき人物が、手下たちに号令を下した。
「無理です、隊長。ばらまかれた紙は余りに膨大な数で、その多くは風に流されて街中に拡散しております」
 手下たちが必死で訴える。むむ、と表情を険しくして、指揮官が手元に舞い降りた一枚の紙を掴んだ。
「何はともあれ、王朝に報告だ」

63 名前:No.16 迷い 2/5 ◇D8MoDpzBRE[] 投稿日:07/07/01(日) 23:35:33 ID:+Xl9deu1
「その男は、確かにメリナ・エレシウスの使いと名乗ったのね」
「相違ございません、リリア王女殿下。して、道化がばらまいていた紙はこちらです」
 リリアが、薄茶けた小さな紙を受け取った。筆の痕跡はおろか、染みやシワ一つ付いていない。
「今夜月が出る頃に、文字が浮かび上がると言うわけね。ありがとう、下がっていいわよ」
 はっ、と低い声を上げて、警邏隊の指揮官が謁見室を後にした。
 騎兵たちの足音が遠ざかると、リリアは大きなため息をついた。装飾品で飾られた謁見室の雰囲気が苦手だった。
王室の力を謁見者に誇示するための、つまらない細工だ。
 赤いカーペットが敷き詰められた廊下もまた苦手だった。自室までの通路を、リリアはうつむきながら歩いた。
――メリナ先生、何故今頃になってこのような手紙を……
 手元の紙切れを見つめた。リリアの手に、微かな魔力の痕跡が感じられた。それは、紙の周りにまとわりつくように
流れながらも、一定の形をなさない。どのような文字が浮かび上がるのか、窺い知ることは困難に思えた。
 夜を待つしかない。
 リリアがテラスへと続く扉を開けた。王宮の中で、最も心が落ち着く場所だ。
 王都の中で最も眺望がよいと言われているこのテラスは、地上から数えて二十も高い階層に建設された。流水のオ
ブジェをあしらった小さな庭園には、天空の楽園という通り名があった。
 遙か下方に広がる世界は、リリアにとって遠い憧憬の対象だった。赤、黄、青の原色の旗が小さく輝いている大通り
の活況も、天上には届かない。よくよく目を凝らせばその先に、王都を大きく取り囲む城壁が見渡せた。成人男子を十
人以上縦に積み上げて、ようやく乗り越えられると言う高さを誇る城壁も、ここから見れば微かに景色を境界する細い
線に過ぎなかった。
 リリアは、世界で一番繁栄している国の王女であるという現状に、常に居心地の悪さを覚えていた。
 そして王が留守をしている現在、王都における最高位の人物はリリアなのだ。
 現在、この国は隣国と交戦状態にあり、王自らが軍の指揮を執るために王宮を空けていた。そのため、内政の全て
は内相フルニエールと王女リリアに委任されていた。内相フルニエールは王家の遠い外戚に当たる人物で、政治に関
しては卓越した手腕を誇っている。
「お嬢様、何をお悩みです?」
 ベンチに腰掛けてしきりにため息を吐くリリアに、テラスに顔を出したフルニエールがそっと声をかけた。目元のしわが、
優しさをたたえている。王女リリアを『お嬢様』と呼ぶこと自体が、地位の高さの証左でもあった。
「内相、知っておいでですか? メリナ先生のことについて」
「街を騒がせた一件についてですな、小耳に入れてございます。メリナ大師と言えば、幼い頃のお嬢様に魔法を教えた、
王宮付きの魔導師でいらした方ですな」

64 名前:No.16 迷い 3/5 ◇D8MoDpzBRE[] 投稿日:07/07/01(日) 23:35:58 ID:+Xl9deu1
 リリアが頷く。懐かしい思い出、もう十年以上前のことだ。
「初めの授業で教わったのが、魔法の原則についてでしたわ。魔力を解き放つには、呪文の詠唱が必要なんだって。
でも、召喚魔法と生け贄の呪術には必要がないんだと」
「今や召喚魔法を使う魔術師は絶え、生け贄は禁呪となっておりますな」
 フルニエールもまた、かつて魔導師として名を馳せていた時期もあった。こうした雑談にも気軽に応じられる。
「悪い予感がするのです。あのメリナ先生に限って、悪事をなさるようなことは決して無いと信じているのですが、何か
心に引っかかります」
 うつむくリリアとは対照的に、フルニエールが視線を空中に移した。
「お嬢様の仰るとおり、争いごとの嫌いなお方でしたからな」

 夕暮れ時まで、リリアはテラスのベンチに腰掛けていた。手元には、真っさらな手紙が握られている。街全体が夕映
えに染まっても、大通りの喧噪が絶えることはない。
 次第に、夕焼けは西の果てに吸い込まれて行き、天空は藍色の闇に置き換えられていった。連れ立つように、遠い
山際から月の頭が、細くて白い光の筋を覗かせた。
 月光を反射して手紙の周囲の大気の流れが輝き始めた。リリアの手元で、魔力のオーラが実体化していく。やがて
満月の全体が露わになる頃、手紙を覆っていたオーラが一つの形をなしていた。
 それは人形、と言うより小さな人間のようだった。道化の姿をしていた。
「いやあヤァ、紳士淑女の皆様方。今宵はあちこちで仕事をせねばならぬため、このような小さな姿で失礼」
 そう言うと、道化はおもむろに手紙に文字を書き始めた。月明かりを孕んだように輝くペンは、やはり光る筆跡を手
紙の上に残した。
『今宵、世界を無に帰することと致します。          ――メリナ・エレシウス』
 短い手紙だった。手紙を持つリリアの手が震える。
 なぜ、どうして――答えのない問いが胸中を駆けめぐり、リリアの心を締め付ける。平和を心から愛した、師匠メリナ。
なぜ今になって世界を滅ぼさなければならないのか、合理的な理由を見いだせそうにない。
「ちょっと、お嬢さん。見たことのある顔だね? もっとも、あんたは私のことなんざ御存知ないだろォけど」
 突然話しかけられ、リリアは驚嘆と困惑の表情を交互に浮かべた。道化は、ますます饒舌になる。
「私、主人から特に名前を頂いていないのですが、『迷いのピエロ』と名乗らせていただきます。こたびは私めの主人、
メリナ・エレシウス大師のメッセージをご覧頂き、誠に感謝。もしお嬢ちゃんにその資格があるなら、主人の下に御案
内いたす」
 道化の言葉に、リリアの心が揺れた。懐かしい師匠メリナに会える。そして、そのメリナは世界を滅せんとしている……。

65 名前:No.16 迷い 4/5 ◇D8MoDpzBRE[] 投稿日:07/07/01(日) 23:36:16 ID:+Xl9deu1
「資格って何? 私にその資格はありますか」
「私の目に狂いがなければございますとも、お嬢さん。さア、付いて来なさい」
 そう言うと、道化は軽い身のこなしで、王宮のテラスから眼下の闇に身を投げた。

「ハァッハァ……いくら何でも飛ばし過ぎよ」
「おや、メリナ・エレシウス大師のお弟子様ともあろうお方が、何たる弱音」
 二人は、山奥の小さな小屋の前にいた。師匠メリナから教わった飛翔術が衰えていなかったことに、リリアはほんの
少し充足感を味わっていた。そして、久し振りにその師匠に会える。
 当然ながら日はとうに沈み、月明かりを遮断して鬱蒼と茂る木々が、じめっとした空気を辺りに漂わせていた。
 道化が、黙って小屋の扉を開けた。
 中は照明一つ焚かれておらず、完全な暗闇が広がる。リリアが指先に松明の魔法を灯した。
 ベッドに、メリナの姿が横たわっているのがうっすらと確認できた。
「メリナ先生っ」
 リリアが枕元に駆け寄った。痩せこけて生気の感じられない姿に心が痛む。
 同時に、リリアの心の中に一つの疑問が生じた。このような姿に成り果てたメリナに、世界を滅ぼすだけの力が残っ
ているのだろうか。
「お嬢ちゃん。今からメリナ・エレシウス大師の心ン中にご案内いたしますぜ」
「心の中?」
 問う間もなかった。リリアの視界が一瞬にして歪み始め、次第に混沌と闇と光が混じり合ったような情景に置き換え
られていく。水の中なのだろうか、身体が浮遊感を覚えていた。
 混沌に堕ちていく中、リリアは微かに道化の声を聞いた気がした。
「ちなみに、私めはご主人の心から爪弾きにされた、『迷いのピエロ』。ご主人の心の中には居場所がないのです……」

 リリアとメリナは、上下左右のない空間で対峙していた。右を向けば光と闇が混沌の内に混ざり合っていたし、左を向
いても同じだった。
「メリナ先生、本気なのですか?」
「ごめんなさいね、リリア。もう呪文は発動してしまった」
 メリナが、伏し目がちに応えた。その姿は、リリアには若かりし頃のメリナと重なった。
「でも、どうして? なぜこの世界を滅ぼさないといけないの?」
「許せなかったのよ、この国が。この国の王が……あなたのお父様だったわね、リリア。戦争のたびに多くの人を殺し

66 名前:No.16 迷い 5/5 ◇D8MoDpzBRE[] 投稿日:07/07/01(日) 23:36:34 ID:+Xl9deu1
て、あまつさえ、私の魔法をも戦争に利用しようとした」
 ため息のように紡がれた言葉の後に、長い沈黙が訪れる。
 そう言えば、もう呪文は発動してしまったとメリナは言った。だが、先ほどから一向に世界が滅ぶ程の魔力を感じるこ
ともない。リリアの心の中で、悪い想像がうごめいた。
「……まさか、禁呪?」
 メリナが、ゆっくりと頷いた。禁断の呪術が既に発動している。
「あなたがそう言う人だとは思わなかったわ、メリナ先生。生け贄の呪術だなんて、あなたがしていることはお父様より
も卑劣じゃない」
 リリアの叫びに対して、メリナがふっと微笑んだ。何かがおかしい。リリアは、はっきりとした違和感を感じ取っていた。
メリナは誰を生け贄に、世界滅亡の呪法を完成させたのだろう……?
「分かった、生け贄はあなた自身ね」
 今度は一転して、メリナの目つきが鋭さを帯びた。図星なのだろう。
「そうよ、リリア。生け贄は私自身。夜が明ける前にも私の身体は朽ち果てて、それと同時に世界は滅ぶ。もう止めよう
がないのよ」
 リリアは焦った。どうにかして防がなければ。メリナの死と共に、世界を滅ぼす魔法が解き放たれるのだとしたら、そ
れを防ぐにはただ一つ、メリナの時間を止めるしかない。それも、永久に。
 そんな魔力など持っていないことくらい、リリア自身分かっていた。だが、迫り来る事態に対して何かしらアクションを
起こさなければならないと言うことも、やはり分かっていた。
 リリアが、懐に忍ばせていた小刀に手を伸ばした。王家の紋章をあつらえた、きらびやかな宝刀だ。
 宝刀を構え、刀身を一気に自分の胸に突き立てた。鮮血がリリアの衣装を赤く染めていく。
「リリア! 何をしているの」
 メリナが叫ぶ。リリアが、そっと微笑んだ。
「神に生け贄を捧げます。代償に、私の周りの時を永久に止めて……」

 人々は、昨夜王都でばらまかれた奇妙な手紙のことなどすっかり忘れていた。夜が明けると、大通りはいつもの活
況を呈していた。結局、何も変わらなかったのだ。ただ一つ、この国が王女を失ったと言うことを除いては。
 赤、黄、青、原色の旗が、強い日差しを浴びて輝く大通りを、一人の道化が歩いていた。
 行き場を失い、芸をするでもなく彷徨う日々を過ごした彼のことを、後の人は迷いのピエロと呼んだ。




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