【 十年越しの手紙 】
◆bsoaZfzTPo




58 名前:No.15 十年越しの手紙 1/4 ◇bsoaZfzTPo[] 投稿日:07/07/01(日) 23:06:56 ID:+Xl9deu1
 枕もとに置いていた携帯電話が鳴っている。マナーモードのくせに、本体の振動する音が
十分にうるさいというのはどういうことだろう。とにかく目が覚めたからには電話に出ねばな
るまいと、携帯の隣の眼鏡を拾い上げた。眼鏡をかけて見てみれば、表示されている発信
者は水上智之。
「……っあによ智之、朝っぱらから」
『由貴、午後二時は普通昼って言うんだ。良いから鍵開けろ。今部屋の前にいるからよ』
 電話はそれだけ言って切れた。私は耳から離した電話を見る。確かに二時過ぎだ。
 しかし寝不足の頭はそれ以上の思考を放棄している。そのままぼーっとしていると、携帯
がまた着信した。慌てて電話をとる。
「寝てない。寝てないから! 今開ける、ちょっと待って」
 智之が何か言っててくる前に電話を切って、体を起こした。
 そのまま玄関に向かおうとして、パンツしかはいていない事に気がついた。流石にまずい
だろうと、今朝脱ぎ散らかしたシャツを上に羽織る。適当にボタンを止めながら玄関へ歩い
て行く。
「うーい、おはよう」
 なんて言いながら開けたドアの向こうには、スーツを着こんだ智之がいた。休む暇もない
ほど仕事で着てるんだから、私生活でスーツなんて着られるかと言っていたのに、珍しい。
「おそようだ、阿呆。だいたいお前、その格好……ああ、いいや。とにかく中入ろう」
 私は肩を押されて玄関の中に押し込まれた。智之が後ろ手にドアを閉める。
「鍵は?」
「あ、じゃあ一応かけておいて」
「はいよ」
「ついでにそこで三分待ってて。足の踏み場作るから」
 おう、という返事を背中に受けて、私は部屋に戻った。
 とりあえず布団をたたんでベッドの隅に追いやり、部屋中に散らばった衣類と下着をコイン
ランドリー行きの洗濯カゴに放り込む。大量のレポート用紙はゴミとメモと草稿の区別がつ
かなくなっているので、まとめて机の引き出しにしまった。後で選り分けなければならない
が、今は考えないことにする。読みっぱなしになっていた本をめちゃくちゃな順番で本棚に戻
したところで、智之の声が聞こえてきた。

59 名前:No.15 十年越しの手紙 2/4 ◇bsoaZfzTPo[] 投稿日:07/07/01(日) 23:07:11 ID:+Xl9deu1
「足の踏み場、できたか?」
 足の踏み場しか出来ていないのが問題と言えば問題なのだが。まあ智之だから良いか。
「出来たよー」
 さて、着替えるか。えっと、ブラとズボンと……洗ってあるシャツはあっただろうか。
「おい」
 タンスを漁っていると、入り口の方から声をかけられた。
「なんで着替えてないんだよ……」
「足の踏み場作ってたら三分経っちゃったんだもん」
 お、シャツ発見。あー、パンツもかえなきゃ。
「まて、まて。頼むからまて。今からちょっとトイレ借りるから、その間に着替えてくれ」
「……何回も見てるくせに何言ってんの?」
 智之の理屈はたまに突拍子がない。
「いや、そういう問題じゃなくて。あー、由貴が研究室で論文書いてる時に、何回も触ってる
からって言って、俺が胸を揉んだらどうするって話だよ」
「張り倒す」
 なるほど、時と場所を考えろということだったのか。でもそうすると、今は私と智之の二人
だけで、私の部屋にいるんだからあながち不適切な行動でもないと思うのだけれど。
「だいたい何考えてるか分かるから不思議そうな顔すんな。とにかく、さっさと着替えろよ」
 疲れた感じでそう言って、智之は本当にトイレに入ってしまった。私には智之の事が良く分
からないのに、智之は私の事がだいたい分かるというのは、ちょっとずるいと思う。

 結局智之はたっぷり十二分もトイレにこもっていた。おかげで着替えた上にコーヒーを入れ
る時間まで取れてしまった。
「で、何か用事でもあったの? 突然来るなんて珍しい」
 話の水を向けると、露骨に情けない顔をされた。
「俺は用事が無いと恋人の顔を見に来ることも許されないのか」
「そんなことないよ。睡眠時間足りてないから意地悪したいだけ」
「ストレス発散機かよ俺は。ああ、でも実際のとこ、今日は用事あって来たんだよ」
 智之が持っていた鞄から、封筒を取り出した。

60 名前:No.15 十年越しの手紙 3/4 ◇bsoaZfzTPo[] 投稿日:07/07/01(日) 23:07:26 ID:+Xl9deu1
「ほい、お土産。昨日の同窓会の奴」
「あれ、昨日だっけ?」
 一ヶ月ほど前に不参加に丸をつけて送り返して、すっかり忘れていた。
「来てたのは半分くらいらしいけどな。ほとんどみんな就職してたけど、何人かはまだ学生
やってるみたいだ。まあ、院まで行ってるのはお前だけって話だったけど」
 智之は身振りを交えて同窓会の出来事を話してくる。佐野が子連れで来て驚いただとか、
河合は痩せていい男になっていただとか、葉山の音痴が直ってただとか。
 研究が忙しくて行く気はなかったが、こうして話を聞くと、無理をしても行けば良かっただろ
うかと思えてくる。
 まあ、ここ数日は二時間おきに実験の反応を見るために学校に泊まり込んでいて、部屋に
帰ってきたのは今朝の九時だ。日程が昨日という時点で元より参加は無理だった。少し残
念ではある。
 こうやって智之が外の世界を教えてくれなかったら、私はただ研究室と部屋を往復するだ
けのつまらない人生を送っていただろう。もうずっと昔の幼なじみだった頃から、私は智之の
おかげで楽しい毎日を過ごしてきたのだと思う。
「ところで、この封筒中身は何? 写真か何かかな」
 それだけ楽しかった同窓会のお土産と言われると、自然に期待してしまう。
「ああ、それはタイムカプセルの中身。委員長達が先週掘り出したんだってよ」
「タイムカプセル! 懐かしいね。国語の授業で書いたんだっけ」
 確かテーマは「十年後の自分へ」だったはずだ。普通に大学を出れば社会人一年生という
タイミングだからかと思っていたが、委員長達はそっちも覚えていたのだろう。中々に粋な計
らいじゃないか。
「昔の文集と同じでかなり恥ずかしいと思うけどな」
「そんな事無いって。何を書いたか全然覚えてないから、逆に楽しみだよ。今読んで良い?」
「おう、読め読め。俺は赤面するお前をニヤニヤしながら見てるから」
「あっく趣味な」
 まあ、悪趣味なのは私のような面倒くさい女を選んだところで分かっていたことか。
 封筒を逆さにして振ると、古い原稿用紙と小さなメモ紙が落ちてきた。メモ紙には一文だ
け「不参加者郵送用」と書いてあった。

61 名前:No.15 十年越しの手紙 4/4 ◇bsoaZfzTPo[] 投稿日:07/07/01(日) 23:07:40 ID:+Xl9deu1
 拝啓。
 十年後の自分へ。
 あなたは今、なにをしていますか? 大学に通っていますか? 仕事をしていますか?
 僕はもうすぐ、小学校を卒業します。四月からは中学生です。
 中学校に行ったら、クラブ活動や勉強をもっとがんばるつもりです。
 あなたは今、幸せですか? 毎日が楽しいですか?
 僕は毎日がとても楽しいです。小学校ではたくさん友達ができました。中学校に行ったら、
もっとたくさんの友達をつくりたいです。
 あなたの横には今、誰がいますか? 好きな人と一緒にいますか?
 僕の横には今、由貴ちゃんがいます。あなたの横にいるのは今でも由貴ちゃんですか?
 十年後でも、二十年後でも、由貴ちゃんの横にいるのが僕だったら良いなと思います。
 敬具。
 六年三組 水上智之

 顔が熱い。智之の言った通り、私の顔は真っ赤になっているだろう。でも、智之が考えてい
たのとは全然意味が違う赤面だ。なんで間違えて自分のを渡すかな、馬鹿。
 まあ、かなり始めの部分で気づいたのに最後まで読んだ私も私だ。封筒に原稿用紙を戻
そうとして、気づいた。不参加者郵送用のメモ紙は、間違いなくこの封筒から落ちてきたのだ。
 智之を見る。私をニヤニヤしながら見ていると言った男は、安らかな顔で寝息を立ててい
る。緩めたネクタイの襟元に、汗の染みが茶色く残っているのを見て、なんとなく分かってし
まった。なんだ、嘘つきめ。自分も同窓会に行けなかったんじゃないか。
 二日酔いの頭を抱えている委員長のところに押しかけて、自分と私、二人分の作文を要
求している智之を想像すると、ちょっと笑えた。目が覚めたらなんと言っていじめてやろうか。
 まあ、そのまえにとりあえず、風邪なんかひかないように毛布でもかけてやるか。
     了




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