【 親の愛情 】
◆jhPQKqb8fo




53 名前:No.14 親の愛情 1/5 ◇jhPQKqb8fo[] 投稿日:07/07/01(日) 23:03:35 ID:+Xl9deu1
 夢が終わって、ビルは自室で目を覚ました。
 体を起こすと、頬の下に敷いていたキーボードが音を立てた。どうやら作業中に眠ってしまっていたらしい。
時計の針は午後五時を指していた。
 「久しぶりだな、あの夢見るの」
 首をこきこきと鳴らしながら、今しがた見た夢を思い浮かべる。双子の兄とその妻が亡くなり、彼らの娘を引き取ったときの夢。
あの日兄は二十五歳になったばかりだった――。
 そうか。ビルは思い出した。壁のカレンダーが自らの思いを裏付けている。
 「今日は兄貴とキャロル義姉さんの命日か」
 魔術としか言えないような力を使える人間が初めて生まれてから、そろそろ五十年ほどになる。閉塞した人類の
未来を担うものとして期待された彼らだったが、一人でも多く彼ら魔術師を囲おうと躍起になった大国によって、
世界大戦を招くきっかけとされてしまった。
 四年前の今日、軍の直属魔術師だった兄と義姉は戦場で戦い、そして亡くなった。同じく魔術師の一員であった
弟に、魔術の血を継いだ一人娘を託して。
 ――ビル。クーを、クレアを頼みます。軍から守ってください――
 兄の言葉は今でも鮮明に思い出せる。最後まで軍人たろうとしながら、軍から娘を守ろうとした兄。その遺志を継
ぐために軍を辞め、逃亡に逃亡を重ね、『お尋ね者の安楽地』と名高いこの街にたどり着いた。スネに傷持つ
住人が集まるこの街は、それ故に結束が固く、監視の目も厳しい。誰かが侵入したなら瞬く間に住人の間に広がり、
侵入者が誰かの敵であるなら命を懸けて結束、排除する。
 そんな町の特性とビル自身の努力によって、今まではクーを守ることが出来た。しかし、
 「俺は、クーの親代わりになれてるのかね?」
 物理的だけでなく、精神的な面でも守れているのか。ビルを常に悩ませる疑問だった。
 答えは出ない。ビルは親ではないからだ。クーに注ぐ愛情が、親のそれと同じであるかなど、親にしかわからないだろう。
そうとわかっていても、反問せずにはいられなかった。
 進歩ねえなあ、と自嘲しながら、キーボードに指を走らせる。最後に確定を押して、前の町で使っていた戸籍を裏から消去。
 一つ伸びを入れて、ビルは自室を出た。夕食の用意をしなければならない。クーは腹を減らしていないだろうか?
そんなことを考えていたので、
 リビングに入るまで、置きっぱなしの携帯端末が激しく震えているのに気付かなかった。
 「ん?」
 あんなに激しく震えるのは珍しい。いつもはメールが来ても「めんどい」となおざりにしか対応しないのに。
ビルは端末を拾い上げ、上蓋を開いた。

54 名前:No.14 親の愛情 2/5 ◇jhPQKqb8fo[] 投稿日:07/07/01(日) 23:03:56 ID:+Xl9deu1
 <おせええええええええええええ! なーにノロノロしてんだドンガメ!>
 デフォルメされたクマが液晶に現れて怒鳴り散らした。端末プログラムのロイだ。機械らしくない人情味溢れた性格で、
子育てに不慣れなビルの悩みを聞いてくれたりもする、大事な相棒だ。普段は家の管理をしているが、非常時には端末を通じて
呼びかけてくることもある。それにしても凄い剣幕だ。
 「どうしたんだロイ。便秘か?」
 <んなわけあるかあ! クーちゃんが帰って来ねえんだよ!>
 な、と思い、しかし冷静に考える。この町で騒ぎもなく誘拐が成功することなどありえない。
 「友達と遊んでるんじゃないか? ほら、二件隣のアリスちゃんとか」
 <何呑気なこと言ってやがんだ! これを見てみろ!>
 と、液晶のクマが縮み、代わりにメール画面がポップアップしてきた。時刻を見るについ先程届いたばかりのようだ。
ビルは文面にざっと目を通し、
 そのまま固まった。
 『くーは あずかった かえしてほしくば ごごごじさんじゅっぷん あまぞねすのひろばに こい』
 「な……」
 何だこれ、という思いがまず来た。次にどうすれば、なぜこの町でと来て、さらなる感情の波が上から全てを流していく。
そうして混乱の空白だけが残ろうとしたところで、
 <落ち着け、ビル!>
 「!」
 色が戻ってくる。そうだ、自失している場合ではない。
 ビルはメールを読み返した。違和感のある稚拙な文章が、かえって不気味さをかもし出している。軍の関係者では
ないだろう。わざわざメールを送りつけてきたことからも、そのことが伺える。軍がクーを見つけたなら、このよう
に痕跡を残すマネはしないだろうからだ。
 ともあれ犯人はメールを送ってきた。それならば、
 ……交渉の余地はある!
 ビルはクローゼットを開け、ナイフを取り出した。交渉が戦闘に変わらない保証はない。使い込まれたナイフはと
ころどころ欠けているが、ビルは魔力による物体強化を得意としているので、それほど影響はなかった。
 慌ただしく家を飛び出しながら、ビルはロイを端末常駐モードにした。これでロイはいつでも話せ、外界も認識で
きるようになる。
 急げ、急げ!
 ビルはガレージに飛び込んだ。バイクを引き出し、キックレバーを蹴りこむ。が、焦りが邪魔してなかなかエンジンが点かない。

55 名前:No.14 親の愛情 3/5 ◇jhPQKqb8fo[] 投稿日:07/07/01(日) 23:04:12 ID:+Xl9deu1
何度か挑戦してようやく成功する。
 ……くそ! 誘拐だと!? ふざけやがって!
 ビルは自分の迂闊さを呪った。今までクーに直接被害が及んだことなどなかった。危険な逃亡生活の中で、常に気を
引き締め、先手を打ち続けていたからだ。それが今はどうだ。この町の安全性に浸かりきって、いつしか警戒心が緩んでいた。
以前なら考えられないミスだ。
 無事でいろよ、クー!
 ビルはアクセルを捻った。車体が勢いよく飛び出していく。

 開けた土地に、排気音が響き渡る。
 人気のない中乱暴にバイクを止め、ビルは広場に飛び込んだ。地面に書かれた落書きを踏みしめながら走る。
 <またメールが来たぜ!>
 胸元で端末が震える。走りながら取り出し、画面を呼び出す。新たな文面が表示されていた。
 『いっぽんすぎのしたで あなをほれ すこっぷはよういしている』
 ビルは歯噛みした。予想以上にしたたかな奴だ。面と向かって対峙するなら、ビルもそうそう引けをとるつもりはない。
しかし他の作業を行いながらでは、いかに警戒していても集中力の何割かは削がれる。それは致命的な隙だ。加えて、
 この落書き……!
 これは人払いの呪印だ。術者の選んだ人間以外から、その場所への認識を奪う初級魔術。それが意味することは、
 「誘拐犯は魔術師だ」
 なんてこった。ビルは頭を抱えたくなった。奴の目的は自分の命だ。誘拐犯はクーを連れ去る前に、誰にも知られることなく
後顧の憂いを断っておくつもりなのだ。指定された座標と行動。魔術師と戦うときに絶対に取られてはならない主導権を、
ことごとく握られている。遠距離射撃でもされれば、ほぼお手上げだ。しかも、それがわかっていてもビルは従うしかない。
まったくもって最悪だった。
 「とにかく、初撃を避けることに専念する。首尾良く成功したら方角を逆算して反撃。どうだ?」
 <……それしかねぇな>
 ロイが短く言葉を返す。彼もわかっているのだろう。ビルが言う『作戦』がほとんど無謀だということが。だが、
ここで死ぬわけにはいかない。引き取ってからしばらく、クーはずっと泣いていた。笑顔を見せてくれるようになる
までどれほどかかっただろうか。自分が死ねば、クーはまた一人になる。それだけは出来ない。
 一本杉に辿り着いた。小さなスコップが根元の土に刺さっている。
 ちくしょう!
 ビルはそれを取り、ゆっくりと掘り始めた。どうせ何も埋まってはいまい。これはただ自分に集中力を使わせるための方便だ。

56 名前:No.14 親の愛情 4/5 ◇jhPQKqb8fo[] 投稿日:07/07/01(日) 23:04:27 ID:+Xl9deu1
その手に乗ってたまるものか。ビルは神経を集中させて周辺を探った。怪しい動きはないが、魔術は一瞬で発動する。油断は出来ない。
 と、機械的に動かしていたスコップの先が、何かに当たった。
 ……地雷!?
 ビルはとっさに魔力障壁を下方に集中させる。罠の可能性も考えて周りにも最低限の障壁を確保。しかし、
 「何も起きない?」
 思わず呟いていた。足元はおろか、周辺にすら動きはない。地雷を爆発させると同時に魔術を撃ち込んでいれば、
おそらくビルは耐えられなかっただろうに。無意識に足元を確認する。そこには、
 クッキーの缶があった。
 「……は?」
 先程から理解が追いつかない。これは何だ。追い討ちをかけるように、端末が震える。
 『ふたを あけろ』
 さっぱりわからない。中に何か仕込んでいるのか? しかしそんなことをするのなら接触式にした方がはるかに手
っ取り早いはずだ。ビルはふたを開けた。赤の色が見える。その時、
 「ビールーッ!」
 背後に衝撃が走った。それ自体よりも、掛けられた声に驚いて、首だけで振り返る。
 「クー!?」
 透き通る青い瞳。ふわふわの長い金髪。まぎれもなく、クーがそこにいた。にこにこと笑顔を浮かべながら、ビル
の首に手を回し、背中に張り付いている。手には端末。
 <……く、くっくっくっ……>
 胸元から笑い声が響く。ビルは全てを理解し始めていた。
 「嵌め、やがったな、ロイ……」
 震える手で端末を取り出し、開く。腹を抱えてうずくまるクマがそこにいた。クマは目元をぬぐいながら、
 <人聞きの悪い。俺は一言も嘘は言ってねーぜ? ま、こんなにうまくいくとは思わなかったがな>
 ビルは思い出す。呼び出し状から匂った違和感。くーはあずかった。本名のクレアでなく、愛称のクー。なぜ
誘拐犯が人質を愛称で呼ぶ? その名で呼ぶのはそれこそ自分と、
 ……ロイと、クー自身……。
 全身から力が抜けていくのが解った。背中の重みが心地よい。
 「へへへ、ビル、びっくりした? クーね、ビルをびっくりさせたくて! ロイといっしょに考えたの!」
 楽しげに響く澄んだ声。ビルは思わずクーを抱きしめていた。わあ、と腕の中から声が上がる。
 「よかった、本当に……」

57 名前:No.14 親の愛情 5/5 ◇jhPQKqb8fo[] 投稿日:07/07/01(日) 23:04:44 ID:+Xl9deu1
 「ビル? どしたの? お腹痛いの?」
 頭を撫でてくるクーの存在がこんなにも愛しく思える。潤む目を誤魔化すように、ビルは無言で腕に力を込めた。
 <どうよ、ビル。まーだ自分が親として合格なのかとか思うか?>
 ビルは顔を上げた。クマが微笑んでいる。
 <今日のお前、どうだ? いつものお前なら呼び出し状の時点で気付くだろうに、クーちゃんのことだけで頭が一杯だったろ?
あれを親と言わずして何を親と言うんだ? ビル>
 「お前、それが言いたくて、こんなことを?」 
 ロイは照れたように頭を掻いた。
 <まーな。クーちゃんがお前を驚かせたいってんで、尻馬に乗らせてもらった。誘拐云々も俺の発案だし、
人払いの呪印をクーちゃんに張らせたのも俺だ。出来るだけ追い詰めた方が、自分の気持ちに気付くだろうと思ってな>
 だからクーちゃんを怒るなよ、とロイは言った。
 「ねーねー、ビル! 早く開けてみてよ!」
 言われて、ビルは思い出した。足元のクッキー缶を拾う。ふたをずらすと、赤の色が見えた。包装紙に付けられた
リボンの色だ。クーの視線に押されるように、包みを開く。
 「これは……ナイフ?」
 中に入っていたのは新品のナイフが入った箱だった。機能性を重視したフォルムが、一目で使いやすさを伝えてくる。
 「ビル、お誕生日おめでとう!」
 ビルはぽかんと口をあけた。そう言えば、今日は自分と兄の誕生日だ。兄の命日と重なるせいですっかり忘れてい
たが。
 「あのね、ビルいつもクーを守ってくれてるでしょ? だから、お礼しなきゃーって思ってて。そしたら、ビルの
ナイフがぼろぼろだったから、これだ! って思って。お金頑張って貯めて、買ったの。お菓子も我慢したんだよ?」
 クーはにっこりと笑う。ビルはベルトに挿しっぱなしだったナイフと、クーのくれたナイフを取り替えた。
 「どうだ? 似合うか?」
 「うん! かっこいい!」
 顔がほころんでくるのが解った。クーの笑顔を見ながら、ロイの言葉を思い出す。あれを親と言わずして何を親と言うんだ? 
そうだな、とビルは思った。クーがさらわれたと思った時の、あの焦り。理屈もなく浮かんでくる、クーを守ろうと、守りたいという気持ち。
 これが、親の気持ちなのだろう。ビルは晴れやかな笑顔を浮かべ、クーの頭を撫でた。
 「クー、これからもよろしくな」       

                                         <了>




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